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スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO7

 <私の場合-ひたすら歩く>

 私が歩いたのは、上記のフランス道。フランスのサン・ジャン・ピエド・ポーからピレネー山脈を越え、東からスペインを横断。大西洋に近い西のサンチャゴまでの約800kmである。

 新幹線の東京-岡山間が733kmなので、それよりは少し長く、四国八十八ヶ所巡りの所要日数が40-45日と言われているので、それよりはやや短い。また、地球の円周は約4万km。15年前の1988年にシベリア鉄道に乗って、その1/4の長さを経験したが、今回は歩いて、その1/50を経験したことになる。

 私はこの道を32日間、1日も休まずに歩き続けて-ときには1日に40kmを歩いて-、歩き切った。

 行く前の想像の世界では、このスペイン行きが夢の世界に行くようで、とてもロマンティックに感じられた。でも、実際は、ただ、ひたすら歩くだけ。歩いている間は、ほとんど何も考えなかったし、ロマンティックな感慨にひたるということもなかった。

 黛まどか(「星の旅人」の著者。同じ行程を48日間で歩く。末尾参照)は、全行程は、「自分の人生を振り返る期間、突き詰める期間、その自分を離れる期間、再生する期間」の4つに分けられ、それを経験する中で「それぞれが自らの内に歩くべき道を見い出し-」と書いている。
そして、パウロ・コエーリョ(「星の巡礼」の著者)も瞑想に耽りながら歩いた。また、NHKのテレビ(前述)は、家族の問題を抱え、それを解決しようと歩く2つの家族を取り上げている。

 でも、私はただひたすら歩くことに没頭した。考えたのは「どこで休むか」、「どう行程をこなすか」といった程度である。
朝のスタートから数時間は快調だが、だんだんと足が重くなる。それでも歩く。適当な休憩場所がないときは、数時間歩き続けることも、しばしばだった。

 午後、暑さが40度にもなろうというときに、木陰がなく、延々と、はてしなく広がる麦畑の中を歩き続けるのは苦しいものである。夏のこのとき、普通の巡礼者は朝の6-7時頃に出発するが、昼頃で歩くのを止める。

 午後も歩き続けるのは、若者や日程に余裕がない者だけ。私もその一人だった。ときには午後5時頃まで歩いたが、ほとんど人影がない中、上からの太陽と下からの照返しで暑さは頂点に達し、真白でまぶしく輝く道を行くと、目まいがしそうで不安になる。

 予期せぬ突然の目まいで、倒れてしまうかもしれないといった不安がよぎる。でも、休める日陰は1-2時間に1回ある程度。立木や積み上げた牧草など、日陰に巡りあうとほっとする。靴をぬいでの大休止だ。

 空気が乾燥しているので木陰は(建物の中もそうだが)、日本より格段に涼しい。風がとても気持よく、いつまでも休んでいたい気持になる。でも、持参の果物を食べ、20-30分の休憩で再び歩きだす。

 今思えば、午後10時までは明るいので、木陰で昼寝でもして、たっぷりと休息をとり、もっと余裕をもって歩けばよかったと思う。そうすれば、「カミーノって何かな」とか、「生きるって何なんだろう」と考える余裕が生れ、自分を振り返る時間が持てたかもしれない。

 やりだしたらやり続ける、疲れていても前に進み、早く目的地へ着こうとする-それは、単独登山の場合にも共通する、私の性分のようである。宿に着いても同じことだった。旧市街や教会をできるだけ見物しようと、歩き廻ることが多かった。
ブルゴス、レオンのような大都市だと、疲れた足を引きずって4-5時間は歩きまわった。これも、今思えば、そこに2泊でもしてゆっくり見物すれば、感慨もより深まったように思う。

<サンチャゴ到着>

 7月29日。快晴。歩くのはきょうが最後。民家が点々とある丘陵地帯を行く。サンチャゴの手前4kmにモンテ・デ・ゴソの丘。丘の上からサンチャゴ大聖堂の尖塔が望めるとのことだったが、遠くの森と一体となってしまい、確認できなかった。

 横にいたイギリス人女性にも聞いてみたが、「分からない」とのこと。丘の麓に広大な宿泊施設あり。その中を通って市内に入り、レストランで昼食。ザックを背負ったまま、大聖堂に向かう。年1回の大祭がある7月25日は過ぎていたが、聖堂前の広場や店が並ぶ路地裏には観光客があふれていた。

 やっと到着。まずは大聖堂の中へ。入口を入るとすぐに有名な「栄光の門」とそれを支える一本の石柱。中世以来、数千万人の巡礼者がヨーロッパ中から歩いてきて、この石柱に手をふれ祈りをささげた-、その場所に来たのだ。キリスト教を信仰する欧米の人々にとっては、すべての罪が許され、神への感謝と目的を成し遂げたという感激で心が満たされるところである。

 行列に並び、私も石柱に手をふれて頭を下げた。でも、あまり感激はない。疲れはしたが、自分の力の限界を感じるほどの大きな困難に遭わなかったせいかもしれない。

並んでいた人に写真を撮ってもらう。
次いで、大聖堂の奥へ。高い天井。薄暗い大空間が広がる。何かほっとして、心と体が軽くなった感じである。
「歩き続ける」という重荷から解放されたためであろう。正面に金色に輝く聖サンチャゴの像。更に奥へ進むと、この像の背後へと石段が続いていた。

 列に並んで石段を上がり、一人一人、等身大よりやや大きな聖人の像の後ろから肩越しに手をまわして像を抱く。傍らで、司祭が聖サンチャゴを描いた小さなお札をくれた。

 聖堂を出て次に向かったのは数分のところにある巡礼事務所。巡礼を終えたことを証明する巡礼証明書をもらうためである。薄暗い2階に上がると数人が並んでいた。100km以上歩いたことを示す巡礼手帳を示し名前入りの証明書をもらった。嬉しい。早速、近くの店で保管用の筒を買い、大切に保管することにした。

 きょうはアルベルゲ泊り。丘の上にある神学校の3・4階がアルベルゲである。 
荷を置き、公園へ。遊園地を散策。子供達が嬉々として遊ぶ姿を目にしたとき、ふと、我に返り、日本にいるときのような普段の自分を感じた。毎日、あまりにも歩くのに夢中で、自分を感じる余裕がなかったようだ。何故か、目頭が熱くなった。

<完走できたのは>

800kmを完走。

 v行く前は不安が多く、まさか完走できるとは思わなかったが。足がよくもったものだと思う。最後の4・5日間は、一晩寝ても足の張れが引かず、ひざと足の裏をかばいながら歩いた。特に、足の裏は骨にひびが入ったように痛むことがあった。

何とか完走できた理由としては、次のようなことが考えられる。

(a)足にまめができず、ひざも歩けないほどには痛くならなかった
これは次の対策を取ったためである。

①ひざのサポーターを必ず着用し、また、5本指の靴下を履き、ひざや足の指が痛まないように予防したこと。

②痛くなりかかると早めに手入れをしたこと。たとえば、まめができそうになるとばんそうこうを張り、また、足の裏が痛くなるとすぐに靴下を2重にした。普段は5本指のものを1枚だけ履いたが、そのほうが指が痛まないためである。

③歩く前と後に入念にストレッチ体操をしたこと-歩いた後は疲れきって到着するので、ストレッチは省くこともあったが-。

④休憩時には靴と靴下を脱いで足を休ませたこと、などである。

 周りの人の中には、ひざを痛めたり、足の裏の前半分に大きなまめができたりして、脱落する人が何人もいた。
たいていは準備不足か、注意不足のせいである。
たとえば、スペインの人は普通の運動靴やサンダル(足首を縛るひもが付いたもの)を履いており、日本の若者も、しっかりしたウオーキングシュ-ズを履いている人はいなかった。

 また、ひざのサポーターを持たない人がほとんどだった。一方、歩き始めの元気一杯のときに、1日40-50kmを歩いてまめをこしらえ、更に歩き続けてドクターストップになる人もいた。

(b)食べ物が自分に合ったせいか、体調が維持できた

 初めの頃、疲れてお腹が痛くなったときに、サラダと目玉焼きとポテトフライを食べたら、急に気分が良くなった。
それ以来、昼と夜はこれを常食としたが、それが食欲と体調を維持できた大きな要因のように思う。逆に、そのためだが、この旅ではスペイン料理のメインとも言うべき「肉」と「魚」の料理はほとんど口にすることがなかった。

(c)荷を軽くした。

 最初、ザックの重さは15kg位あった。1500m前後の峠越えが3つあるが、これを日本の登山と同じだと思い、登山なみの準備をしてきたためである。
日本の登山では場所や季節にもよるが、装備不足が命に係わることがあるので、いつも充分に装備を持つようにしていた。

 この荷を持って、ピレネー山脈のイバニエタ峠(標高1057m)を越え、4日目のパンプローナまで歩いたが、さすがに疲れた。
と、その日の宿泊先で会ったアメリカ人(35歳。教師)から、「目的を達成しようと思うなら、荷を軽くしなさい」と、荷を捨てる身振りを交えて、忠告された。

 荷の重さにはまいっていたので、これをすぐに実践。寒くはないので、まず、寝袋(シュラフ)を捨てる-シュラフカバーだけ残す(これで充分。ただし、巡礼者のほとんどはシュラフを持っていた。6月のこの暖かさは今年だけかもしれない)。

 ついで、小説本3冊のうちの2冊を捨て、上着のシャツとズボンも4着づつあったのを、2着だけにする。
足が痛くなったときのためにと持ってきた地下たびも捨てた。靴下も5足を3足に。非常用食料として持ってきたアルファー米(わかめご飯)6袋は2袋に。3種類の足のサポーターは、1種類がひざにぴったりで常用しはじめていたので、残りは捨てた。

 その他、辞書やスペイン案内も、不要部分を割いて捨てた。CDプレーヤーとフロッピーは-異国の空で聞く「新日本紀行」や「大黄河」は最高で、マッキンリー登山にも持っていったものだったが-、家に送り返した。

 とにかく、カミーノの道は峠でも、国道が近くを通っていることが多く-遠くても数kmしか離れていない-、しかも、巡礼者がほとんど途絶えることなく通るし、夜は10時まで明るいので、遭難の恐れはまずない。そのため、日本の山のような装備は必要ないのだ。

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