スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO10
<7月12日。30km>
台地上の麦畑を延々と歩く。家なし。尽きたところに村。小さな薄暗いバルでボカディージョを食べる。
店のおやじが、ひたいにワインを注ぎ、口で受けて飲むという芸を得意げに披露してくれた。更に車道を歩く。人も車も通らない。
木陰のある車道に20分ほど寝ころび休憩。暑い中、カストロヘリス着。
ザックの中の水はお湯になっていた。ここは頂きにお城がある丘の麓の町。アルベルゲ2軒あり。小高いところにあるアルベルゲに泊る。夕立あり。ホテルのきれいなレストランで夕食。
<7月13日。26km>
丘陵を登り、麦畑の中を延々と歩く。小さな教会あり。無料でコーヒーの接待を受ける。接待役は僧と少年の二人。
幅10mほどの川沿いを行く。フロミスタ着。疲れたのでホテルに泊る(32ユーロ。アルベルゲの隣り)。
それまでに何回か会った日本の中年男性も泊っていた。ここは現代の小さなまちといった雰囲気。屋根の低い現代風の家屋が十字路の車道沿いにまばらに広がる。ホテルのレストランで夕食。
<7月14日。21km>
カリオン・デ・ロス・コンデスのアルベルゲ泊り。広場に面した教会の隣り。
サンチャゴ巡礼の詳しい案内書(英語版)を見つけて2冊買い、郵便で家に送った。
店が並ぶ中世風の狭い路地や川沿いの公園を散歩。大きなバルは賭けトランプに興じる老人達で一杯。マドリッドの日本大使館に勤めていたという老人が「ハポン(日本)、ハポン」と話しかけてきた。
昼と夜の食事は広場の前の小さなバルで食べる。スペイン語を知らない外国の巡礼者のために、アルバムのような分厚い写真入りのメニューが用意してあり、注文し易かった。
7日前に買ったカメラがまた壊れ、新しいのを買った。今度はオリンパス社製。ともかく、写真は大切な記念。必ず、毎日、通りすぎる風景を写していこう。
<7月15日。40km>
4時に起きて4時半に歩き始める。暗いため、まちの出口で道しるべを見過ごし、道を間違えた。
車の運転手に道を聞いて引き返す。丘陵地帯の麦畑の中を行く。初めの17km(4時間30分)は、ほぼ真直ぐな道で、家なし。起きるのが早かったせいか、頭がボーッとして、あまりに広々した風景に目まいを感じる。歩くのがいやになった。
道の途中、あと数kmのところで、休んでいた女性に「まちはまだか」と聞くと、遠くを指差し、英語で「ほら、教会の塔が見えるでしょ。あれがまちよ」という。畑のはるか彼方。私には、いくら目をこらしても、その塔が見えなかった。
黒雲が近づく。雷鳴も。広い丘陵地帯での雷は怖い。通り雨のあと、日がさす。鉄道を越えたところでサアグンに到着。雨が激しくなった。
アルベルゲ泊り。部屋は教会の天井を仕切って作られていた。40kmを歩いたのはきょうが初めて。
<7月16日。36km>
広大な麦畑の中を行く。一本道。男4人の一組(フランス人3人とイタリア人1人)と女4人の一組(スペイン人)に抜かれた。
欧米人の足は早く、いつも抜かれる。
マンシージャ・デ・ラス・ムラス着。城壁で囲まれた中世の町。きれいなホステル泊り。アルベルゲとあるが、ホステル。部屋の壁とベッドは真紅(別の部屋は白)で統一され、レストランはお城の中のような雰囲気。お勧めの宿である。マスターは髭のおじさん。宿代40ユーロ、夕食のセットメニューは8.75ユーロ。
約1時間、城壁に沿って町を一周。教会の煙突にコウノトリの巣を見つけた。この巡礼路ではときどきコウノトリの巣に出会う。
<7月17日。20km>
レオンのアルベルゲ泊り。アルベルゲを運営する教会のミサに出席。
大聖堂(壁面の上部全面がスペイン第一といわれる数百枚のステンドグラスで飾られている)、イシドロ教会、カーサ・デ・ロスポティーネス(ガウディ作の建物。現在は金融会社)を見物。
<7月18日。25km>
国道沿いにいくつかのまちを通る。ホスピタル・デ・オルビゴまで行く予定だったが、疲れたので、手前の町-サン・マルティン・デル・カミーノのアルベルゲ泊り。スペイン人夫婦と娘2人の4人連れと一緒になる。
ここは国道沿いの小さな町。しばらく昼寝。胃痛に悩まされたが、国道沿いのバル兼レストランで目玉焼きとポテトフライ、ミックスサラダを食べて元気回復。
スペインではどこでもそうだが、喫茶と食事は待遇が区別されており、ここでは注文するとバルの奥にある小さな部屋に通された。
別に部屋がないときでも、食事の場合は必ず、テーブルに真白な紙を敷いてくれる。
ミネラルウオーターと果物を買いに小さな店へ。開いていなかったが、近所のおばさんが2階に声を掛けると開けてくれた。
<7月19日。23km>
いくつかの町を通り、丘の上にあるアストルガへ。アルベルゲ泊り。中世風の大きなまち。大聖堂とガウディ作の司教館あり。
司教館のステンドグラスがシンプルで気に入った。
<7月20日。29km>
いくつかのまちを抜け丘陵を登ると、峠の手前にラバナル村。ほとんどの人はここに泊るもよう。
私はやや高級なレストランで食事をし、更に車道伝いに峠へ。峠にフォンセバドン村(標高1440m)。廃村に近いが、宿とレストランあり。
レストランには、テレビの取材で来た壇ふみとマスター(ひげのおじさん)の写真が飾ってあった。私もマスターと写真を撮る。
廃村となったマンハリンまで更に1時間歩き、アルベルゲに泊る。皆が通る道をはずれて、山越えの道を取ったために、途中にあった有名なフェロー山の十字架を見逃す。
<7月21日。22km>
深い霧の中、山を下る。下りたところがエルアセボ村。バルで朝食。更に下る。テ
ントを張って羊を放牧中のおじいさんに会う。木の幹に写真が一杯張ってあった。各国から送られてきた記念写真のようだ。
峠を下り、町を抜ける。ポンフェラーダのアルベルゲ泊り。郵便を出す。古城見物。テンプル騎士団の城。
ちょっと離れた鉄道の駅も見に行った。中華料理店でごはんを食べる。郵便局へ行こうとして偶然見つけたもの。
この旅で中華料理店に入ったのはこの1回だけ。白いごはんを口にしたのも、この1回だけである。
<7月22日。23km>
まちを通り、丘を越える。日本人の若い男性に会う。小さなザック一つの身軽な姿。日陰で休憩のときに大きなスモモをあげ一緒に食べる。
ビヤフランカ・デル・ビエルソのアルベルゲ泊り。丘を下りたところの、山に囲まれた美しい町。観光地のようだ。
石造りの中世の建物が並ぶ「水の道」を歩き、広場へ。佐山香織さん親子に会う。丁度、広場のテーブルで親子3人、絵はがきを書いていた。一緒にお茶を飲む。
町の手前にサンチャゴ教会の許しの門(サンチャゴまで行き着けない人でも、ここまで到達できれば、罪が許されるという)。
<7月23日。28km>
谷間の川に沿って進む。ほかに丘越えの道もあるもよう。セブレイロ峠の入口で、ホテルの車で到着した佐山さん親子に会う。彼等はここから歩くという。高所にサラシン城。峠までは、ゆったりした、長い長い登り。
峠の頂上にあるセブレイロ村のアルベルゲ泊り。私は午後3時に着いたが、佐山さん親子が着いたのは午後8時。
まだ明るかったが、1000mの標高だと、外はさすがに寒くなり、防寒具を必要とした。
ケルト人居住家屋が博物館として公開されおり、これを見物した後、レストランで夕食。スパゲッテイ入りのスープがラメーンのようで、とてもうまかった。
<7月24日。36km>
早朝に出発、峠を下る。昨日、部屋が一緒だったブラジル人夫妻やポルトマリンで同宿だった若いブラジル人姉弟、マンハリンで同宿だったフランス人とスイス人の中年の二人連れを見かける。
車道沿いのゆるやかな下り。農家のおばあちゃんから、砂糖をまぶした薄いトルティーヤを買い、次の農家の庭先では野イチゴを買う。
自転車の一団が勢いよく追い越していく。峠から5時間30分の下りが終わり、小さなまちを過ぎると、今度は森の中の登り。
明るい丘の上に出る。
午前中は多くの巡礼者が歩いていたが、今は人影が全く見られない。ほとんどの人が手前のまちで宿を取ったようだ。午後の2時-5時が一番暑い。
頭がくらくらする。サリアまで行くつもりだったが、疲れた上に足が痛くなったので、4km手前のカルボアのアルベルゲに泊ることとした。
周りに家のない一軒屋。夕食をとるため、夕日を浴びながら20分歩いて畑の中に建つお城のようなホテルへ。
受付には人がいないし、客の姿もない。直接、厨房へ行くと、おばさんが2人いた。セットメニュー(定食)を注文。いんげん豆のスープ、焼豚、川魚の焼いたもの、サラダ、季節の果物で9ユーロ。一人だけで優雅に、中庭の、花を飾ったテーブルで食べる。
<7月25日。25km>
4kmを歩いて都市・サリアで朝食。そこを出てから、中世風の村を次々と通過。
牛に道をふさがれドイツの娘さんが通れずに困っていた。杖で追いながら2人で群れの中へ。たくましい角を持つ雄牛に間近かでじーっと見つめられると、さすがに怖かった。
景色が美しい湖畔のまち・ポルトマリンのホテルに泊る。まちで偶然、日本の若者に会う(関雄介君と渡辺君)。
別々に日本からやって来た3人が同じ町の同じ広場に居合わせるなんて、めったにないことだ。路上のカフェでしばらく話す。
<7月26日。24km>
初めは森の中。森を抜け、丘に上ると畑が広がる。道端で四つ葉のクローバーを見つけた。探し始めて数分のこと。幸運が舞い込み、完走が保証されたようでうれしかった。
あと目的地まで200kmのあたりから500m置きに石造りの道しるべが建っている。きょうはあと100kmの道しるべあり。もちろん、記念撮影。
バルセロナの青年と歩いている関さんに会い、しばらく一緒に歩く。通り雨。青年が「ガリシアの雨は5分でやむよ」と教えてくれたが、そのとおりにすぐやんだ。
野原に屋台が出ていたので、3人でお茶にし、ガリシアのお菓子を食べる。彼等の足は早い。2人には先に行ってもらい、ゆっくりとパラス・ド・レイへ。
町の手前にオート・キャンプ場あり。疲れたのでホステルに泊ろうと探したが、なかなか見つからない。
前を行く若い外国の女性も見つけているようだ。やっと探しあて、一緒に中へ。宿のおばさんに聞くと1泊24ユーロとのこと。私は泊ることにしたが、その女性は「高すぎる」と言って出て行った。
お金を切り詰めながら旅をしている人は多いようだ。宿の前の広場にバイクの大集団。
夜、教会でミサを見学。緑の式服を着た牧師さんが真紅の聖書を手に祈りをささげる。巡礼者が多数出席。若い女性や中年の男性がそっと涙を拭いていた。
<7月27日。28km>
途中、小都市のメリ-デ゙を通過。丁度、お祭りの最中。
レストランで昼食後、雑踏の中を歩く。衣類やジュータン、籠などを売る露店が沢山並ぶ。教会にも寄る。アルスーアまで歩きホステル泊り。
偶然、佐山さん親子も隣室に泊っていた。果物と飲物を差し入れ。明日はお互いにアルカ・デ・ピノのアルベルゲに泊ろうと約束した。
<7月28日。20km>
道は丘に上り森と畑の中を行く。朝霧のかなたに太陽。歩いている途中で一緒になったスペインのおじさんにかたことの英語でなぜここに来たかを聞いてみると、「森が好きだから。いろいろの人と知り合いになれるから」とのこと。
連続して2時間歩くと足の裏がとても痛くなる。靴を脱ぎ大休止。注意しよう。
アルカ・デ・ピノのアルベルゲ12時30分着。国道沿い。目的地に近く、巡礼者で大混雑。1時の受付開始を待ち、約100人が行列していた。昨日の打合せどおり、佐山さんも泊る。
周りの人がうらやましがるような、豪華な夕食を作りご馳走してくれた。
<7月29日。20km>
歩くのはきょうが最後。丘陵を行く。歩く人は多い。サンチャゴ空港が近くのようで、飛行機の爆音が聞こえる。手前4kmにモンテ・デ・ゴソの丘。頂上へは2-3分で登れる。
高さ10mの鉄製の彫刻あり。大聖堂の尖塔が望めるとのことだったが、遠くの森と一体となり、確認できなかった。
娘にもらったお手製のねずみのぬいぐるみと山の会の上手さんにもらったお守りの鈴を前景に入れて写真を撮る。
車道沿いにサンチャゴ・デ・コンポステーラへ。まずはレストランで食事。その後、荷を背負ったまま大聖堂へ(前述)。
サンチャゴ・デ・コンポステーラのアルベルゲ泊り。神学校の3・4階がアルベルゲ。
再び大聖堂へ。聖堂前の広場で若い男女の二人連れに再会。座り込んで大聖堂をスケッチしていた。
大いに喜んで写真を撮り合う。そのあと、レストランではスペインのおじさんに再会。サンチャゴに迎えに来ていた奥さんを紹介された。
パラドールのカフェでお菓子と紅茶を楽しみ、公園を散歩。子供達で賑わう遊園地あり。
<7月30日>
バスでフィニステラへ(別名、フィステラ。ポルトガル語読み?)。一人でスペインのバスに乗るのは初めて。
バス・センターでどう乗るか分からずにうろうろしたが、案内の人にかたことの英語で教えてもらい、やっと乗車。
途中、いくつかの町で数分の停車あり。各人トイレやバルへ。バスは海に近づく。長く続く白砂の海岸線がすばらしかった。港のホステル泊り。25ユーロ。
バスの中で、つくば大学生の後藤浩文君に会う。パンプローナから歩き始めたが、まめをつくってカストロヘリスでダウンし、あとはバスで来たという。
テレビで「世界ふしぎ発見」を見たのがきっかけとのこと。一緒に岬の先端まで歩く。ここにも貝のマークの道標。
巡礼路はここまで来ているのだ。二人で岬の岩場を海辺まで下りていったが、危険を感じ途中で引き返す。10分は下りたろうか。はるか下、岩場の先端に古びた旗が立っていた。
誰もが休むところからは見えないので、この旗を見た人は少ないだろう。ほとんど人が行かない岬の最西端を踏んだことになる。満足。
彼は「いつか再挑戦して完走する」と言い残し、バスでサンチャゴに帰って行った。
港に帰ってレストランで夕食。定食セットのメインは肉か魚を選ぶもので、魚を頼むと大きな白身の煮魚が出てきた。
食事で魚を頼んだのは初めて。夕方、大西洋に沈む夕日を見にビーチ(浜辺)に行く。すばらしい日没(サンセット)。来てよかった。
<7月31日>
早朝、ホステルのそばのアルベルゲを見に行く。
管理人は日本人の若者。そこではサンチャゴ-フィニステラ間・90kmを歩いたことを証する証明書を出しており、歩いてはいないが、特別に私の名前を入れて一枚作ってくれた。
サンチャゴの証明書は巡礼者の名前を手書きするが、ここではパソコンに名前を入力して打出す。緑を基調としたカラー刷りのもの。うれしかった。
バスでフィニステラから大観光地ラ・コルーニャへ。バスセンターでおばさんから「宿があるよ」と声をかけられ付いて行った。
ホステル泊り。25ユーロ。海岸沿いに、お城、高い塔、水族館、人が一杯の海水浴場等を見て歩く。宿を出たのが午前12時、帰ったのは午後の11時。疲れた。
<8月1日>
朝、鍵が開かずに部屋を出られないというハプニングあり(前述)。バスでラ・コルーニャからサンチャゴ・デ・コンポステーラへ(ホテル泊り)。
あちこちとお店を観て歩き、おみやげを買う。大聖堂の中のお店が、品物がそろっいて質も良さそうだったので、ほとんどをそこで買う。巡礼者の像、教会のミニチュア、カード、ポスターなどで171ユーロ。
前に会った、ハスキーボイスのカナダの若者に大聖堂前の広場で再会。途中で仲良くなったのか、女の子と一緒だった。
固い握手を交わす。切符を買いに行った駅で72歳の日本人女性に会う。宿で眠れなかったりして、全行程は歩ききれなかったとのこと。
<8月2日>
確実に帰りの飛行機に乗れるように、マドリッドには離陸前日の8月2日に着くようにした。サンチャゴからマドリッドへはスペインの特急列車・タルゴで約8時間(9:54発。マドリッド・チャマルティン駅17:35着)。田舎に行くと日本の車窓風景は優しくてみずみずしいのだが、ここでは岩の多い荒涼とした景色が続く。
到着後、駅の周辺を歩いて安いホステルを探す。高級ホテルのみ。荷が重い。結局、84ユーロで駅構内の4つ星ホテルに泊ることとした。夕方、まちを散歩。公園前の広場には不良風の若者達がたむろ。取り囲まれて物を盗られることもあると聞いたので、注意をして、にぎやかなところだけを歩く。
前に書いたIさん(石田信子さん。全盲。六つ星山の会会員)が盲導犬と一緒に一人旅でスペインに来ているとのことだったので、彼女の携帯に電話をしてみると、スペイン国境に近いフランスの町・ハカのホテル泊まっていた。「外はお祭りで楽しい」とのこと。
<8月3日>
飛行機の出発は19:25。おみやげも入った大きな重いザックと杖を持ってどこに行こうかと迷ったが、美術館のクロークに預けることができると気が付いて、ソフィヤ王妃芸術センターとプラド美術館に行くこととした。
丁度、無料鑑賞の日。まず、ソフィヤ王妃芸術センターで有名なピカソの「ゲルニカ」を鑑賞。これは数年前マドリッドに来たときに見逃していたもの。次にプラド美術館に入り館内を一周。
あのときも見たゴヤ、ベラスケス、エル・グレコなどの絵に再会した。
<8月4日>
パリ経由で、夕方18:00、成田着。
<資 料>
下記1と2は「きょうはどこまで歩くか。どこのバルで休憩するか。何日間で、どこまで歩くか」などを検討するのに、たいへん役に立った。なお、「道しるべ」はいたるところにあるので迷うことはなく、そのためだけなら地図の必要はない。
(スペイン語版)
資料1.「ロンセスバリエス(スペイン東端)-サンチャゴ(スペイン西端)を27日間で歩く場合の行程表」(距離と標高の記入あり。別添)
資料2.「ロンセスバリエス-サンチャゴ間のすべてのまちと村の一覧」
(アルベルゲ、バル、食料品店、銀行等の有無を記入。別添)
資料3.「GUIA PRACTICA DER PEREGRINO
-EL CAMINO DE SANNTIAGO-」
発行・アメリカ・EVEREST社・264頁(現地で入手。詳細な地図付き)
(英語版)
資料4.「The Pilgrim Route to Santiago - A PRACTICAL GUIDE」
Antonio Vinayo Gonzalez
発行・スペイン・Edilesa社・287頁(現地で入手)
(日本語版)
資料5.「星の旅人-スペイン・奥の細道」(黛まどか著)
2000年11月発行・(株)光文社・181頁
資料6.「スペイン巡礼の道を行く」(米山智美、古財秀昭著)
2002年4月発行・東京書籍(株)・151頁
資料7.「サンティアゴ巡礼の道」(壇ふみ、池田宗弘、五十嵐見鳥ほか著)
2002年6月発行・(株)新潮社・とんぼの本・127頁
資料8.「(週刊・世界遺産・NO65)サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」
2002年2月発行・(株)講談社・34頁
資料9.「スペイン巡礼の旅」
発行・NTT出版
資料10.「星の巡礼」(パウロ・コエーリョ著) 新潮文庫
資料11.「銀河を辿る-サンティアゴ・デ・コンポステラへの道-」(清水芳子著)
2003年6月発行・(株)新評論・329頁
資料12.「サンティアゴ巡礼へ行こう!歩いて楽しむスペイン」(中谷光月子著)
2004年11月発行・(株)彩流社・282頁
資料13.「スペイン巡礼史-地の果ての聖地を辿る」(関 哲行著)
2006年2月発行・(株)講談社・講談社現代新書・252頁
資料14.「ぶらりあるき サンティアゴ巡礼の道」(安田知子著)
2006年5月発行・芙蓉書房出版・158頁
資料15.フランス映画「サン・ジャックへの道」(2007年に銀座シネスイッチほかで封切。DVDの販売あり)
資料16.「世界遺産巡礼の道を行く-カミーノ・デ・サンティアゴ(写真集)」(南川三治郎著)2007年12月発行・玉川大学出版部・128頁
資料17.「聖地サンチャゴ巡礼の旅-日の沈む国へ」(フランシスコ・シングル編著)
2008年10月発行・(株)エンジン・ルーム・247頁・1800円
<追記>
1.日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会(2009年1月30日
日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会(http://www.camino-de-santiago.jp/)は2008年6月に設立された。巡礼に行く人に情報を提供し、相談に乗る会である。日を決めての相談会や懇親会もある。友の会はすでに世界15ケ国以上にあるというが、行きたい人にとって、このような会があるとたいへん心強い(個人年会費3000円)。
| 固定リンク
「サンチャゴ巡礼」カテゴリの記事
- スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO10(2008.01.17)
- スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO1(2008.01.17)
- スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO9(2008.01.17)
- スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO8(2008.01.17)
- スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO7(2008.01.17)

コメント