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挑戦 その1 ジャンダルム

(挑戦・その1)

<西穂-ジャンダルム-奥穂-北穂・単独縦走>
1993・8・24(火)-26(木)           
                                     
 これまでの夏は毎年、思い出に残る、自分にとっては大きな山行があった。

 1990年は息子との槍ヶ岳登山、南アルプス5日間単独縦走(三伏峠-畑薙ダム)、1991年キリマンジャロ登山、1992年栂海新道3日間単独縦走(朝日岳-親不知海岸) などである。

 ことし1993年の夏も、いくつかの山に登った。

・職場の人15人と富士山へ。職場で研修中のドイツの女性Bさん、韓国の男性Fさんなども一緒だった(7.31-8.1)。
                         
・視覚障害の人3人、子供4人を含めて20人と富士山へ。全盲で高齢のSさんが前から富士に一緒に登ってほしいと強く希望していたので、さそって一緒に参加したものである(8.21-22)。

・富士の山麓・愛鷹山での、東京・京都・大阪の視覚障害者山の会の人達との交流登山に参加(8.27-29)。

・ジャンダルム単独行(8.24-27)。                    
などである。
                           
 このうち、ことしのメインは、なんといっても、ジャンダルムの単独行である。「西穂-ジャンダルム-奥穂縦走」は、一般登山の中では危険度が特に高いといわれている。
 
 山に打ちこむようになって10数年が経つが、昨年までは、「ジャンダルム」は自分の力の範囲を越えていると思って、行くつもりはなかった。それが行くつもりになったのは、ロッククライミングの練習を4回ほど積んだからである。

 これまでは、断崖にある厳しい岩場のトラバ-スと垂直に近い鎖場の下降が安全にできるか自信がなかった。
しかし、ロッククライミングを練習するうちにだんだんと「足場さえあれば、今の自分の技術で可能なはず。しかも、一般道だから、必ずしっかりした足場はある」と思えてきたのだ。

 そのほか、ことし、すぐにでも行こうと思ったのは、これからは年月が経てば経つほど体力が衰える一方であり、体力的に何時行けなくなるか分からなかったからである。

 ことしの夏は晴れの日が少なく、一度は休暇届を出したものの、天候不順でとりやめにし、結局、1ケ月近く待った後、やっと快晴との天気予報がでたので出発した。
 
 前日に上高地から西穂山荘に入る。夜は同宿の人達と「ジャンダルム縦走で危険な箇所はどこか」「どう乗り切るか」という話で盛り上がった。
 西穂山荘を出発したのは午前3:45。危険な上にロングコースなので早立ちとした。

 まだ真っ暗。快晴を約束するように満天の星空。               
荷はできるだけ軽くした。重いのはニコンのカメラと水1.5Lのみ。         
西穂まで、標準のコースタイムでは2時間半のところを2時間で歩く。

 西穂山頂からしばらくの間も、快調だった。長い鎖を掴んでの垂直に近い下降が一箇所出てきたが、難なく越えた。
最初のピークは間の岳だが、まだかと思っているうちに、気付かずに越えてしまった。
天狗岳の登りは逆層である。雑誌「山と渓谷」に載った写真で見ると、垂直に近く危険に見えたが、実際には傾斜は緩く、これも鎖を伝って簡単に登れた(写真は、ときには嘘をあたかも真実のように見せる)。

 案内書には危険と書かれているような箇所がいくつかあったが、実際に行ってみると、怖さはほとんど感じなかった。
高い断崖の上のトラバ-スが数ヶ所あったし、10-15mの垂直に近い鎖場の下降も2ケ所ほどあったが、しっかりとしたホ-ルドとスタンスが必ず見つかり、怖さは感じなかった。
下降の場合、これらを見つけるには、上体を岩から離して下を覗き込まなければならないが、それもスム-ズにやることができた。
           
 ただし、不安を全く感じなかったわけではない。西穂-奥穂の標準所要時間は6時間40分と長く、その間は、ほとんど緊張の連続だった。だんだんと疲れて、頭がボ-っとしてくると、「こんな時に事故が起こりやすいのだ」と思いはじめ、それが頭にこびりついて、なんとはなしに不安になった。
危険とはっきり分かる箇所では、神経を集中するので、不安はなくなるのだが、やや緩やかな箇所になると--そんな場所でも、つまずいたり、滑ったりすれば、転落する危険が充分あるので--不安が逆に強まる。
後半のジャンダルムのあたりで、そんな思いにかられた。

 両側が数十m切れ落ちた「馬の背」では、もう一度気をひきしめて、これを乗り越えた。そこから数分で奥穂の山頂。
ここはもう、一般ハイカーの領域であり、登山者で混み合っていた。空はあくまでも青く、8月末なのに昼の日差しが暑い。ほっと一息ついて、居合わせた人に記念写真をとってもらった。
                              
 30分で穂高山荘着。12:30である。食堂でウドンをたべる。去年も職場の人と来た懐かしいところだ。思い出がある。
さて、どうするか。北穂まで行けるか。時間は充分にある。しばらく迷った後で、「ヨシ」と行く決心をして、日差しが暑い外に出る。
13:00。涸沢岳への登りは普通なら簡単なのに、暑さと疲れが重なりきつく感じて、足が前に出ず、若い女性のハイカーに追い抜かれてしまった。

 涸沢岳からの下り口は、いきなり鎖の急下降だった。人が登ってくるので、待っていると、年輩の女性が男性にサポートされながら、やっとという様子で登ってきた。
自分も下を覗き込み、足場を確認しながら鎖につかまる。真下を見ると、遙か数百m下の涸沢のガラ場が目に入るが、自信も出てきて、それほど怖くはなかった。

 ここから数ケ所、鎖場があったが,最初のものほど急ではない。幾つかの鞍部を通過し、今度は登り。
沖縄から来たという小学6年生の一団に出会った。先生も素人とのこと。危険すぎるので、「ここから先は行かないほうがよい」と注意をする。

 16:15に北穂小屋着。小屋は小さく、満員。登山客のほとんどは外に出て、夕日に映える槍穂を楽しんでいた。

 翌日は涸沢からパノラマコースへ。初めてのコース。屏風のコルからの槍の眺めは抜群。お花畑を徳沢へ下る。林の中に、小説「氷壁」のモデルとなった「ナイロンザイル切断事件」の石碑が苔蒸して建っていた。

 帰ってみると、どの指先にも血豆ができており、2、3日で皮がむけた。

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