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アコンカグア その2

<登る>            

(登山開始)
 
                              
 2,750mプエンテ・デル・インカのホテルから歩くところだが、車で10分ほどの車道の終点まで運んでもらった。そこは広々とした谷。草原状の平地にテントの登山事務所がポツンと立っている。
 ここまで来ると、谷の奥はるか彼方に雪をまとったアコンカグアが初めて望めた。「見えた」と期待に胸がふくらむ。周囲はすべて岩山。朝日をあびて、真っ青な空に高くそそり立っていた。

 今夜の泊まりである3,300mコンフレンシアに早めに着く。ガウチョ(地元のカウボーイ)がオレンジ・ジュースを一杯づつふるまってくれた。皆のんびりする。
 私は、持っていったスケッチブックを取り出し、アコンカグアの写生を始めた。アコンカグアは、前面の黒々とした大きな山の上に、ほんのすこし顔を出している。
 スケッチを画き終わっても、まだ日は高い。皆は日あたりのよい斜面で昼寝中。私もマットを取り出し横になる。ガウチョが連れてきたムーラ(馬)の糞の臭いが漂う。刺のある枯れ草が皮膚を刺して痛い。日差しが暑かった。
  
 夕方になり、昼は簡単に渡れた幅4-5mの川が増水し、対岸に到着した人達が、女性も含めて、濁流に腰まで漬かりストックを頼りにしながら渡ってくる。昼の好天で上流の氷河が融けたためだ。テントのあるこちら岸の人が何人か面白がって、わざわざ見物に行く。写真をとる人もいる。私も見物に行った。

 きょうだけは食事を地元の人に頼む。夜は、ステーキ。ガウチョが岩かげで焼いてくれた。

 それほど寒くはない。晴れていて雨の心配はなさそう。テントの中は満員なので、独りで外に出てシュラフで寝ることにした。何事も経験。異国の空の下で寝るなんて、めったにできることではない。
 寝る前に、SEさんが南十字星を教えてくれた。菱形に4つの星。光は弱い。ほかにも同じような形の星がいくつかある。
 一晩に何回も目が覚めて、その都度、南十字星を眺めた。夜半に月が出る。こうこうとして、たいへん明るい。満月のようだ。まわりの山々が夜空にくっきりと黒くそびえて見えた。この夜に見た流れ星はひとつだけ。

(BCへ)
                                
 きょうは4,200mのBC(ベースキャンプ)まで。               
 谷を延々とさかのぼる。せまい谷間は初めだけで、あとは河原の幅が広くなる。200-300mはありそう。広々とした平地にいるような感じだ。
 長時間、河原の砂利の中を歩く。時々、氷河から流れ出た濁った川を飛び越す。水量はわずかだが、それでも幅は2-3m、深さは50cmはあり、幾筋にもなって流れている。

 時々、登山者の荷を運ぶ数頭のムーラ(馬)が追いぬいていく。
 暑い。日差しは強い。
 きのう食べた夕食の肉のせいだろうか、腹痛が続く。
 河原の中に壊れた小屋あり。

 道は右の川岸に移り、登りにかかる。これを登ればBCだという。砂利の中の急登。疲れが増す。Kさんが付き添ってくれた。息を強くはきながら登る。国内でいつも泳ぐときにやっている呼吸法だ。なんとか休まずに登りきった。
 下を見ると坂の登り口でDOさんが休んでいるのが見えた。                    
 登りきったところからBCまでは、まだかなり時間がかかった。

(高度順応のために登り下りを繰り返す)
                  
 4,200mのBCにテントを張り、約10日間を高度順化のために使う。最初は4,800mを往復、次の日は5,200m(C1)を往復、次はC1 でテント泊、次は5,800m(C2)へ、またBCに戻るというやり方である。
                                                
  ゆっくりと、しかし休まずに登るのが自分の歩き方である。追い抜かれても気にしない。

 今回は、隊長の指示で、私が先頭に立ち、ゆっくりしたペースで隊全体が登ることが多かった。休憩は1時間に1度ぐらいの割合でとる。休憩だけを楽しみに、「あと少し。もう、あと少し」と思いながら黙々と登った。ザックの荷は、シュラフも含めて10kg位だろうか。

 初めてC1 に泊まったときは、頭が痛くて眠れず、食欲も無くなったが、一度BCに下りて、もう一度登り返すと、今度は頭が痛くなることもなく、食事も普通に食べられた。それはC2 の場合でも同じ。結局、徒歩で登った高さを累計すると10,000m を越えた。            
       
(2回目のC2 )

                             
 C1とC2の間を1回往復したあと、再度C2 へ。C2 到着後、その日のうちに、6,400mをめざす。空身でゆっくりと登る。
 天候はおだやか。寒くはない。真先に登り始めたが、隊の仲間に次々と追い越された。斜面のはるか上に、KAさんNARさん、その更に上に、YAさんTARさんが見える。下の方からはゆっくりとDOさんが登ってくる。
午後4時には引き返すように指示されており、制限時間内に私が登ったのは6,200mまで。時間になったので、まだ少し余裕はあったが、DOさんと引き返すこととした。

 かなり下に下りてきたところで、NAさんが登ってくるのに出会う。ややばてているようだ。
 このあと、他の人は登り続けて、ほとんどの隊員が6,400mのコンフレンシア小屋跡まで登ったという。

 ところで、入山当初は、完登できるかどうか自信がなかったが、この試登の後は、「完登出来そうだ」と思えてきた。少なくとも、大クーロアール(ガレ場)のある6,800mまでは行けそうに感じた。
 問題はその後の大クーロアール。2歩登れば、1歩ずり落ち、2-3時間はかかるという。そこさえ突破できれば--。このときは、そんなことを考えていた。

 この日は全員C2 に一泊。DOさんは調子が悪そうで、夕食はほとんど食べない。私は、夕食は食べたが、夜は頭が痛くて、あまり眠れなかった。これまで経験したことのない高度に長くいたせいであろう。

 翌朝は食欲なし。本日はBCに一気に下るだけ。出発するとすぐに、ほとんどの隊員は駆け下っていった。こちらは、足取りが重く、ゆっくりとしか下れず、先を行く人達はみるみる遠ざかっていった。
 KA隊長が心配して途中まで付いてきてくれる。C1 から「3本槍」という岩場の脇を通り、更に下ると、散乱していのる何かの骨に出会う。馬がここまで上がってきて倒れたのだろうか。KAさんに写真を撮ってもらった。皆からかなり遅れて、やっとBCにたどりつく。

(アタック計画)
                             
 アタックは、体力差を勘案し、3隊に分かれて行うこととなった。
 第一隊は、BCから頂上を一日で往復する(ワンデイ・アセンドという)。SE(男・33才) 、MA( 男・29才) の2人。

 第二隊は、C2 で一泊し、翌日は山頂を往復して、BCまで下りる。男性4人(YA、NA、TAS、NAR)、女性1人(TAR)の5人である。

 第三隊は、C1 、C2 でそれぞれ一泊し、頂上往復後、C2 で泊まる。WA、DO、、それにサポート役のKA隊長の4人。

 風邪の抜けないTA氏(男性)と高山病のHA氏(女性)は登頂を断念。K副隊長は、一日で頂上を往復後に、C2 で第三隊をサポートすることとなった。
                                     
(頂上をめざして)
                            
 3回目のC2 。アタックの日の起床時間は、歩き始めてからの時間に余裕を持たせるために3時と決められた。

 一つのテントに4人ではきついので、料理用テントに一人で寝る。マイナス25度まで大丈夫というシュラフでもさすがに寒くて、ほとんど眠れない。小用に起きるが、寒さと強風がこたえる。
定刻の3時に準備を始めたが、他の3人は寝坊をして、起きてきたのは3時半だった。雪を融かして、食事をとる。

 出発は5時。外は強風が吹き荒れる。これまでにない強さだ。寒い。気温はマイナス20度位か。衣服は、上体だけで下着から羽毛服や厳寒用上着まで6枚を着用。顔は目出帽で覆い、耳まである冬季用の帽子もつけた。

 先頭を歩くように指示され、真っ暗な中を先頭で歩き始める。岩場やガラ場の中に道がついているために、ヘッドランプの明かりでは道がよく見えない。
3日前に歩いているので、それを思い出しながら登るが、ガラ場で迷う。直登したが、道を間違える。下から「こっちだ」という声がして、あせり、思わず歩くスピードが早くなる。

 そのためか、いつもと違って、急速に足が重くなり、踏み出す力が無くなってきた。国内では、こんなときは、苦しいのを我慢し、ゆっくりと休まずに登って、なんとか登りきったのだが--。

 1時間が経ち、傾斜の緩いところに出る。夜が白々と明け始め、足元もかなり明るくなった。しかし、強風がまともに吹きつけ、一層、寒さが身にこたえるようになる。
足が思うように前に出ない。このあと最低でも頂上まで4時間はかかるだろう。それだけの時間を歩けそうにない。これ以上進んでから倒れれば、皆に迷惑をかける。思い切って引き返そうと決心した。

 KA隊長からは、「あと一時間登って様子を見てからにしては」とひきとめられたが、一度ひるんだ心には、もう、その気力は残っていなかった。
独りで下り始める。息が苦しい。寒い。下るのが大変しんどい。2,3歩、歩いては立ち止まる。手の先がしびれてきた。しびれが手から腕にと上がってくる。このまま、しびれてくるとどうなるのかと恐怖心が生じた。

 下にC2 のテントは見えるのだが、なかなか近づかない。20人位のアルゼンチンの軍隊とすれちがう。訓練として登るようだ。

 やっとテントにたどりつく。テントのわきに倒れこみ、「Kさん、苦しい」と中に何回か声をかける。入口を開けるだけの気力もなかった。

 KさんとNAさんに抱えられ、テントに引っばり込まれた。酸素ボンベはKAさんが持っていったので、ここにはない。NAさんが靴を脱がしてくれる。
Kさんから、「呼吸の仕方が悪い。ゆっくり、深呼吸をするように」といわれる。苦しくなったので、ハアハアと短い呼吸をしていたのだ。
これでは酸素が肺に入りにくいのだ。気持が悪くなり、テントの外へ吐く。30分位だろうか、横になっていたら、苦しさがとれ、やっと落ち着いてきた。

 後に、Kさんから、「水筒に水を1L入れたり、沢山副食を持ったりして、荷が重すぎたポットも持参。行動食のほかに、赤飯、ゼリー、干し果物なども。ただし、全部でせいぜい3-4kg程度だったと思う) 」、「ザックの背負い紐が細く、肩に食い込み血の循環を妨げた。手袋も小さく、これも血の循環を悪くした」といわれた。
また、「これは本来の高山病とは違う」とも。注意をしていれば、防げたのかもしれない。あと、4-5時間だったのに。残念。後の「後悔」先にたたず、である。
                                     
(登山を終えて)
                             
 山頂まで行けずにBCまで戻ってきたときは、「とにかく終わった」というほっとした気持と、「やるだけはやった」という満足感で一杯だった。

 ところが、人の気持というのは変わりやすいもので、その後で、登頂に成功した人達がそのときのことを楽しそうに話しているのを聞くと、「残念だ。なんとか登りたかった」という思いで急に胸が一杯になった。

 自分に、もっと「心のたくましさ」があれば、登れたかもしれない。
 一般に海外登山の場合、日程がぎりぎりなために、一度失敗すると、その失敗の経験を生かして再挑戦するチャンスはない。
日程にあと数日の余裕があり再度アタックすれば成功していたかもしれない---。
 でも、数ヶ月たった今は、すべてが楽しい思い出となった。

(登山結果)
                               
 結局、第一隊はSEが成功、MAは翌日第2隊に合流し成功。第二隊はNA以外成功、NAは6,850mで断念。第三隊は私以外成功、私は6,000mまで(ただし、試登のときに6,200mまで達している)。

 隊全体では、14人のうち10人が登頂に成功した。他の日本隊では、先に書いた東京観光(株)の隊は、11人のうち、登頂に成功したのは5人だけだったと聞く。

(帰りは、BCからとばす)
                        
 BCからの帰りはとばした。午後になると、氷河がとけて川の水量が増え、コンフレンシアの徒渉地点が増水で渡りにくくなるためだ。必死で急ぐ。皆から遅れたが、無事徒渉。    
      

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