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私の山暦

<私の山歴>

(「とっておきの1枚」-思い出の国内登山・写真集)

 ただし、原版はピントが合っていたが、フィルムが見つからず、写真を再度カメラで撮ってインプットしたので、ピンぼけになってしまった。残念。

Finescan0013(視覚障害者登山。甲武信岳へ。雁坂峠にて)
027(視覚障害者登山。赤石岳-荒川岳)

Finescan000(視覚障害者登山。白神岳。左前方、日本海)

Finescan003(職場の女性方と。剣岳)

Finescan005            (視覚障害者登山。赤岳へ。前方は権現岳)

Finescan008             (職場の仲間と。利尻富士に登山後、礼文島へ)

Finescan009              (職場の人達と。礼文島にて)

Finescan011(職場の女性と。蓮華岳山頂。こまくさの群落あり)

Finescan013              (視覚障害者登山。北穂高)
Finescan019(視覚障害者登山。鳳凰三山。後方は八ヶ岳)

Finescan021(視覚障害者登山。鳳凰三山。前方は北岳-農鳥岳)

Finescan0021(視覚障害者登山。七面山)

Finescan0011(六つ星の仲間と。御嶽山)
046(ロッククライミング。小川山)

078(視覚障害者登山。奥多摩)

Finescan0032
Finescan001(視覚障害者登山。栂海新道縦走。朝日岳にて)

Finescan0022(視覚障害者登山。赤石岳-荒川岳)

Finescan010                (六つ星の仲間と。燕岳、こまくさ)
081(視覚障害者登山。奥穂高へ)

Finescan0042(視覚障害者登山。雲ノ平から三俣蓮華岳へ。はるか前方に、三俣蓮華小屋と槍ヶ岳。このあと、笠ヶ岳へ)

Finescan0003(槍ヶ岳)
136(ジャンダルムと焼岳)
                  Finescan015_2(視覚障害者登山。八ヶ岳・硫黄岳)

Finescan016(視覚障害者登山。八ヶ岳・硫黄岳)

Finescan0031(視覚障害者登山。奥鬼怒沼)

Finescan0061              (単独行。塩見岳)

Finescan0052(視覚障害者登山。劔沢-黒部下の廊下。八ツ峰遠望)

Finescan0051(視覚障害者登山。劔沢-黒部下の廊下)

Finescan0002(単独行。飯豊山縦走)

Finescan012(息子と長谷川さん。燕-槍ケ岳)

(本文)

1.初めての登山

1) 私が初めて山に登ったのは中学1年(1950年)のとき。

 小学生の頃から裏山で遊び、自然に親しんでいたこともあって、中学生になると中学と高校が一つだった学校の山岳部に入った。
 初めて行ったのは「三つ峠」。夜中から早朝にかけて学生服で登った。最後の登りが延々と階段になっていて、とても疲れたことを覚えている。富士が目の前に大きくそびえており、たいへんきれいだった。

 「上高地」にも行き、小梨平にテントを張った。この山岳部は同じ学校の高校生が中心。キャンプファイヤ-で彼等は酒を飲んで歌っていたが、たくましい兄貴に見えた。
 このとき「槍ケ岳」には上級生だけが登り、下級生は留守番。そのあと、「焼岳」には全員で登った。のちに「山と渓谷社」(雑誌「山と渓谷」を発行)の社長となった川崎吉光氏が中学の同年で一緒に登ったこと、梓川で泳いだが、水があまりにも冷たくて、長くは入っていられなかったことなどが今も記憶に残る。
 また、学校祭では教室内に木や草を持ち込み、テントを張ったが、それらを飾り付けるのがとても楽しかった。このとき上級生が4F建ての校舎の壁をザイルで下降したことも覚えている。

(三つ峠にて。前列中央が川崎君)(下:焼岳小屋にて)

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 この山岳部は、私が高校生の頃には当時の部員のほとんどが卒業し廃部になっていたように思う。それに大学受験もあって、高校時代と予備校時代(駿台予備校・四ツ谷、1年間)の私は山に行くことはなかった。                                       
 

2) 大学時代は友人の後について数回、北アルプスへ。

 1957年4月、大学へ。受験勉強から解放され、友人に誘われて山に出かけるようになった。でも、誘われれば行くという程度で、その回数は少ない。この頃は「自分のような素人に単独行は無理。また、北ア等の高い山に行けるのは梅雨明けの7月下旬から台風前の8月上旬まで」と思っていたし、また、貧乏暮らしで金もなかったためである。数えてみると、高校の頃の友人に誘われて夏の北アルプスに3回と奥秩父の雪山に1回、丹沢に1回、それに友人の女性友達も含めて美ヶ原、霧降高原に行った位である。

 まずは1958年7月、小学校、中学校、高校が一緒だった松浦に連れられて、尾幡、私の3人で涸沢から奥穂を目指してテント持参の山行に出かけた。私の登山靴は上野で買った安物、着るものも普段着だったこと、新宿発の夜行列車は大混雑で、窓から乗り込み、椅子席の下にもぐりこんで寝たこと、などを思い出す。
 上高地から涸沢へ。テント泊。ところが、翌日、私は雪渓の雪を食べ過ぎて体調を崩し、ダウン。穂高小屋で熱を出して寝込んでしまった。テント泊のみの予定が小屋泊りとなり、旅費が底をついたので、松浦が一旦東京に帰って、金を持って戻ってきてくれた。
 結局、全員奥穂には登れず、2人にはたいへん迷惑をかけた。

 同じ学校の横村とは、松浦と一緒に裏銀座烏帽子-槍・1959年7月)と金峰山(1962年1月)に登った。金峰山では山頂近くの無人の山小屋で薄いシュラフにくるまって寝たが、充分な防寒着を持参しなかったので、その寒かったこと。あの頃は、彼らが山のベテランであり、私はいつも連れていってもらう方だった。

(左から「上高地・涸沢へ」、「裏銀座・烏帽子から槍へ」、「金峰山」)

Finescan002

 
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 その後、彼らとのつきあいは長い。時折、4人で会い、食事をしたり、旅行をしたりして、おしゃべりを楽しんできた。
                       
 でも、今は一人欠けてしまった。松浦はもうこの世にいない。私がモンブランに行ったとき、彼が「俺も昔、モンブランに登ろうと思って調べたことがあるんだ。一度は行ってみたいなあ」と話していたのを覚えている。

 尾幡、横村との付き合いは今も続いている。
                                        
3.1961年4月に就職。最初の1年は東京勤務。同期の女性達と奥多摩と乾徳山へ。その後、水戸、秋田、大分等に転勤。太平山や由布岳、久住山等の地方の低山に単独か、家族で登った。秋田では妻の弟妹が泊まりに来たので、鳥海山にも登っている。

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Finescan005(入社1年目。職場の同期生と)

2. 私が多くの山に行くようになったのは40歳の頃から。

1)百名山、海外登山

○ 10年も続けたある活動の中で精神的に消耗し、何か夢中になれるもの、自分をリフレッシュさせるものはないかと考えて、山にたどりつき、百名山(現在までに草津白根を除いて99山を登頂を始めたのが多くの山に登るようになったきっかけである。登山は、運動神経は鈍いが、辛抱強くてじっくり型の自分には向いていた。

○ 百名山のほとんどは単独行。続いて始めたのは「自分の力の限界ギリギリと思われる山に挑戦すること」である。少しづつレベルを上げていった。
 まずは国内登山。単独での北アルプス全山縦走栂海新道、不帰の剣、船窪岳-烏帽子岳など)や南アルプス全山縦走転付峠を含む)、黒部下の廊下などに挑戦。そして、最後にたどりついたのは、ジャンダルム(単独行)と北鎌尾根(ガイドと共に)である。ただし、素人なので、厳冬期の高山で登ったのは、鳳凰三山と赤岳(ぢちらもグループ山行)のみ。

○ なお、ロッククライミングは日和田山小川山三つ峠などの初心者ルートを経験。これも楽しかった。キリマンジャロ登山で同じ部屋に泊まった浅見さんから、帰国後、連れて行ってもらったものである。

○ また、これらとは別に宮崎さん(職場)には、たいへんお世話になった。彼は私より10歳若くて、体力のある山のベテラン。自分1人では行けないような、多くのすばらしい山に連れていってもらったが、山についての先生だったとも言えよう。1980年夏の赤石岳、83年の笛吹川東沢-甲武信岳(沢登り)を始めとして、残雪期の聖岳常念冬の入笠山冬の日光・女峰山、夏の白馬-唐松-餓鬼岳-祖母谷温泉、十勝岳-トムラウシ縦走熊野吉野縦走(熊野古道)などであり、北鎌尾根も一緒だった。

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○ その一方で、海外登山にも4回挑戦。モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、最後はマッキンリーである。キリマンジャロ、マッキンリーは登頂に成功。特にマッキンリーは「好天」、「すばらしいガイド」という幸運に恵まれて山頂に立てた。でも、天候不良によりモンブラン、高山病でアコンカグアは登頂に失敗。

 今、マッキンリーは私にとって生涯、最高の勲章となっている。

○ なぜ、山に行くのか。「そこに山があるから」と言った人もいる(G・マロリー。エベレスト初登頂を目指すが、最終アタック中に行方不明)。
 私の場合は「ささやかな挑戦」のためであり、「何かをやり遂げてみたい」「充実感、達成感を得たい」「それによって毎日を前向きに生きる活力を得たい」からである。やり遂げること、登頂することにささやかな喜びを感じている。
 
2) 職場の仲間や家族と

 百名山がある程度進むと、上記のような自分のためだけの山とは別に、職場の仲間や家族とも山に出かけるようになった。主に百名山登りで経験した夏の高山が中心。また、50歳を過ぎて、視覚障害の方をサポートする登山も始めたが、今はこれが主となっている。

○ まずは、職場の女性達と

・菅野さん、豊岡さん、金子さん、矢沢さん達と北岳、剣岳、八ヶ岳、宮之浦岳(無人小屋に2泊)、雲ノ平など

(左から:赤岳、剣岳、冬の北八ツ・横岳、雲ノ平)

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・金子さん、二村さん、木原さん(男性)と雲取山、会津駒ヶ岳、奥穂高など

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・金子さん、木原さんとは利尻山にも

矢沢さんとその妹さんとは北岳、針ノ木岳-蓮華岳にも

・長谷川さんとは北岳、飛竜山-雁坂峠に。

職場にいたドイツの女性や韓国の男性とは職場の人達と一緒に富士山槍が岳に登った。

○ 家族ともいくつかの山に出かけた。

由布岳白馬岳(息子が三歳の頃、娘2人と妻と家族5人全員で)、北八つの横岳(家族5人で)、北海道の斜里岳(息子が小学生の頃、妻と3人で)、岩手山早池峰山(妻、息子と)、尾瀬の燧岳(妻、息子と)、槍が岳(中学生の息子、友人の長谷川さんと)などである。息子と二人では、赤城山、西沢渓谷(テント)、茨城の加波山にも行っている。

・近所の奥さんと妻の3人で、筑波山槍が岳奥穂高両神山、三つ峠に登った。妻が「槍ケ岳に登りたい」と言ったのがきっかけである。
・最近、義弟の実さんと2人で尾瀬の燧岳に登った。

(由布院・由布岳)093

(左から:奥多摩、白馬山頂、燧岳)
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085                    (妻と。北岳)

001                     (息子と。槍ケ岳)

3.「六つ星山の会」-視覚障害者の方をサポートして

1) 「六つ星山の会」に入会したのは1989年11月、51歳のとき。百名山をほとんど達成し、それ以外の行きたい山にもかなり挑戦し、「自分だけで楽しむ登山はほぼ終った。これからは山を通じて、ささやかだが、誰かのお役に立ちたい」と思うようになったからである。これによって自分の登山経験は更に広がった。

 六つ星で最も充実感を味わうのは、視覚障害の方が山頂に立って「登った」「私にも登れた」と嬉しそうにする、その笑顔を見るときである。
 職場の人達と一緒に登ったときも「すばらしい景色を見てほしい、山の素晴らしさを味わってほしい」との思いから、それらの山を企画したが、「喜び」は共に味わう人がいれば倍加する。

2) 六つ星では、会の定例山行に参加する一方、視覚障害者の方から個人的に頼まれてかなりの山に登った。

○ まず、年に20-30回ほどある会主催の定例山行への参加毎年、5-10回ほど参加し、2009年には年に最高の17回参加している。なお、これらは関東近郊の低山が中心だが、富士山北岳槍ヶ岳、穂高太郎兵衛雲の平笠が岳、十勝岳、大雪山、白神岳などの高山や雪山入門の北八つ・硫黄岳、縞枯山も含まれる。

○ 一方、個人的に行く山行でも多くの視覚障害者の方をサポートした。

・「高さで日本のベストテンの山にすべてに登りたい」「是非に」と全盲の島倉さん(登山時、75歳前後)から頼まれて、主に山のベテランの網干さんと一緒にサポートをして、富士山北岳奥穂高槍が岳北穂、悪沢岳赤石岳などに登った。
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(左:背景は赤石岳。右:北岳)

・全盲の宮本さん(私より12歳若くて脚力が強い)を上手さん(晴眼の女性)とサポートして、酉谷山(奥多摩)、甲武信岳、悪沢岳赤石岳栂海新道(朝日岳-犬ヶ岳-親不知海岸)などに出かけた。この3人は仲良しグループである。

Finescan002(栂海新道、犬ヶ岳)

・宮本さんとは冬の蛭ヶ岳にも登った。子供の頃に魚採りのお供をさせた神山君と一緒である。このときは遭難しかかるという怖い経験をした。入山から1日で表尾根-塔ヶ岳-丹沢山から蛭ガ岳山荘まで足を延ばしたのだが、雪が降りだしてトレース(踏み跡)が見えなくなり、その上、日も暮れてかなりあせった。完全に所要時間についての私の判断ミス。山荘の光りが見えたときは本当にほっとした。

・全盲で40歳台の鈴木さんに頼まれて、仙丈岳(2人だけで北沢峠にテントを張り、一日で登山口-山頂を往復)、北岳(晴眼のkgさんとサポート)、奥穂高(晴眼の大久保さんとサポート)に登った。

・女性で強度弱視の奥村さんとは、小原さんとのサポートで北岳を、また、網干さんとのサポートで北穂に登った。

・最近では、全盲の森谷さん、弱視の長谷川さんの二人を町田さんとサポートして、宮之浦岳に登った。

六つ星に入りたての頃は、弱視の金川さんに誘われて数人のグループで山に行くことが多かった。春の鹿島槍、夏の飯豊山などである。

・網干さんとは視覚障害者を含むグループで冬・12月の鳳凰三山、冬・1月の赤岳に登り、夏の劔沢大雪渓-黒部下の廊下にも行った。

・晴眼者だけの山行では、六つ星会員の小林さん、滝田さん等と行った百名山97番目の木曾御岳山と98番目の会津駒ヶ岳が印象に残っている。

・登山ではないが、全盲のfyさんと奈良の桜井から柳生を、また、中仙道の贄川-奈良井-鳥居峠-南木曽を、数日をかけて歩いたことがある。

・2015年3月28日(土・夜行バス)-31日(火) 

 中仙道の南木曽(妻籠)-馬籠-中津川-細久手-鵜沼を歩く。全盲の松元さん、サポートの町田さん、塩野さん、岩下さんと。

・個人的に視覚障害の方から依頼があれば、できるだけそれに応えてきたのは、彼等の挑戦する気持を大事にしたいと思ったためである。私にとっても「山は挑戦の対象」であり、彼等の気持と通じるものがあった。六つ星の人達の一部からは「危険が大きすぎる。そんな高山に視覚障害者と一緒に行くべきではない」という意見もあったが、私は「安全には充分注意し、危険があまりにも大きい場合は引き返す。たとえ脚力が弱くて登頂に失敗しても、挑戦したという思い出は残る」という強い思いで、北岳、槍ヶ岳、穂高、赤石岳などにそれぞれ数回出かけ、すべてで登頂を果たした。もちろん、登頂成功には一緒に行ったサポーターの方の力に負う所がたいへん大きい。

・これを書いている2013年を振り返ると、この年は山行のすべてが六つ星関係であり、しかも低山だった。最近はむしろ、ロングウォーキングに重点を移しており、そろそろ登山は卒業という気持が強くなってきた。

4.自宅から日本海へ

 これらのほかに取手の家から日本海の「親不知海岸」まで山をつないで歩くということも試みた(もちろん、取手-八王子間は町の中を歩いたのだが)。

5,いくつかの山行

 別途、「海外登山」と「山への挑戦」については書いたが、最後に、それ以外のいくつかの国内山行の報告を挙げておこう。

1)ロック・クライミング

 浅見さんはキリマンジャロ登山の仲間。たまたま旅先で同室になったとき、ロッククライミングをやりたいと話したら、帰国してから誘ってくれた。彼と会わなければ、こんな経験はできなかったであろう。山のレパ-トリ-がひとつ広がった。わくわく感が一杯。いくつか事例を掲げる。          

○ 三つ峠 1993年6月5日(前夜、川越発)              

 ロック・クライミングの練習を始めた。岩場に出るのは4回目。4級ル-トを4本登り、懸垂下降。   

(行程) 川越駅前で待合せ。浅見さんの車に乗り深夜の町をとばし、三つ峠の林道入口にて、テントで仮眠。テント場を8:30発、山頂下を経て、9:30に岩場着。          

  リ-ダ-ピッチ - 懸垂下降

② くさみぞル-ト‐第一クラック‐第三バンド‐権兵衛チムニ-‐天狗の踊り場 -懸垂下降。14:30 終了。                             

(感想)4級の岩場はやさしいと言われているが、自分にとっては、難しい個所の連続だった。                 

 下から見ていると易しそうだが、いざ、その場に立つと難しかった。「こんなところが登れるのだろうか」と不安になるような箇所がいくつかあった。岩が上からのしかかってくるようなところがあり、そこは縦のクラック(割れ目)以外、ホ-ルドやスタンスがなくて、そのクラックに手を入れたり、つま先を斜めに入れたりして、やっと体を引き上げるのだ。また、スタンスが無くて、背中を岩壁にあづけ、目の前の岩を足の裏で押しながら、数cmづつ背中をずり上げて登ったところもあった。

 ワンピッチ登ると、浅見さんから「確保を忘れないように」と注意を受ける。どう登るかに夢中で、自身の確保の方が疎かになるのだ。支点にカラビナをかけて、必ず自分を確保しなければならない。             

 懸垂下降で、垂直の岩壁を下る。下降に移るまでは下が見えないので、空中に身を乗り出すのがやや怖いが、思い切ってザイルに体を預けると、あとは快適である。つかんだ手の中でザイルをすべらせば、ス-ッと体が下降していく。20mぐらい降りて着地し、一旦ザイルを解き、次の下降点に移る。下に降り着くまでは、緊張の連続である。            

 鼻歌まじりで、気楽に登ってくる中年女性3人組がいた。ザイルさばきが軽快である。近くでは、おじさんが、トップを登る若者を下からどなりつけ急がせている。こんなところで、自分の上手さを自慢したいのだろうか。若者はあわてている。下の一般登山道では、団体の岩登り講習会が開かれていた。約5mの高さのオ-バ-ハングを一人一人の生徒が登るが、皆途中で落ちて、ザイルに宙吊りになる。最後にリ-ダ-の女性が登ったが、上手にそれを乗り越えた。

○ ロッククライミング 5回目 日和田山  1993.9.15

 6 〃 小川山   9.18-19          

  (小川山にて)                                 

  草溝ルート、マラ岩などを登る。

 クライミング中のことだ。テープを二重にし肩にかけようとしたとき、カラビナを落としてしまった。アッ、シマッタと思った瞬間にはもう、カラビナは数十m下でカラカラと音をたてていた。その後で、傾斜が非常に急なところを懸垂下降する時になって、また落とすのではと、あわてたために、エイトカンをハーネスに取りつけるのに時間がかかった。その他のうっかりミスも時々あった。     

  でも、北岳バットレスと谷川・南稜(初級コース)には行きたいと思っている(結局、実現せず).

2)視覚障害者登山(サポート) 

 1989年、視覚障害者登山団体「六つ星山の会」に入会後は、視覚障害の方をサポートして多くの山に行った。

 会の定例山行は年に約20回だが、最近10年はそのほとんどに参加し、その他、会の親しい仲間10人前後で行く個人山行や、視覚障害の方1人、あるいは2人から頼まれて行く山行にも参加した。

 なお、これら山行のほとんどは丹沢、奥武蔵、奥多摩等、関東近郊の低山や都心の町歩きだったが、ときには、槍、穂高、北岳、富士山等の高山の夏山や初心者向きの冬山、夏の沢歩き、遠方のロングウオーキングなどにも出かけている。

○ 「島倉さんの槍ケ岳登山」1996年9月13日(金)の夜行バス-16日(月)

 島倉さんは66才、全盲に近い。登山のときの歩き方はよたよたとしており、いかにも足弱に見える。実際、皆のスピードに合わせて歩くと息が切れ、付いていくのが容易ではない。山の仲間からは、「彼を連れて槍ケ岳のような危険な山に行くべきではない、強く望まれても勇気を出して断るべきだ」と言われたが、私は反対だ。彼はこの三年間に私と一緒に、日本で高さが1位の富士山、2位の北岳、3位の奥穂高に登り、今年は第5位の槍ケ岳に登ることを熱望し、楽しみにしている。おおげさに言えばそれを生き甲斐のひとつにしており、私にはその気持が強く感じられる。「登山は挑戦!」、挑戦する気持があれば、その実現に協力したいと思う。

 もちろん、生命の安全を最大限に考慮して計画を立てる。安全確保の鍵は「強力なサポート」である。これには網干さんが同行してくれることになった。行ってみて、途中で島倉さんがダウンしたり、危険を感じたりした場合は引き返してくればよいのだ。

 安全については、最大限に注意したものの、ザイルを持参しなかったというミスがあり、穂先へのハシゴの登りでは島倉さんが転落した場合に体を止める手段がなかったが、足取りはしっかりしており順調に登ることができた。また、ハシゴの下りでは短いロープを島倉さんの体に巻きつけ、その端を私が持って確保した。 

 島倉さんは、昨年の奥穂高では第一日目(夜行で上高地に到着。涸沢ヒュッテまで)の後半は疲れはてて、私に引っ張られながら他の仲間の3-4倍の時間をかけて登るという状態だったし、到着したヒュッテでは、おかゆの外は食べ物がのどを通らないほどだった。しかし、今回は、3日間を元気に歩き通したし、食欲もあった。体力・脚力がやや上昇したためであろう。

 六つ星・個人山行「鳳凰三山・冬季縦走」2001.12.23-24

 参加者は六つ星の仲間15人、うち視覚障害者2名。リーダーは網干さん。 2500mを越える冬山登山の経験は少ない。これで5回目位か。寒さに備えて、ゴアテックスの重い上着、羽毛の中間着、オーバーズボンなど、いくつもの防寒着を持って出かけたが、それらを着ても、泊った鳳凰小屋(管理人有り。標高2400m)はともかく寒かった。土間のストーブ1ヶと談話室のぬるい炭火のコタツ以外、暖房は一切なし。夕食(ぬるいカレーと凍ったお新香)は震えながら食べた。小屋のどこにいても寒くて落着かない。外はマイナス15度、寝るときの室温はマイナス7度。小屋備え付けのシュラフに入り、毛布4枚を掛けて寝たが、防寒着をすべて着けても足先が冷えて眠れない。靴下を重ね履きし、なんとか眠りに就く。こんなに寒い登山は初めてである。マッキンリーのテントより格段に寒い。テントならガスコンロを炊けばすぐに暖かくなるのだが。暖房の利いた我が家が恋しかった。

 朝は4時起床。6ヶのガスコンロで雪を溶かして湯を沸かし、15人全員のポットを一杯にした上で、各自持参の食事を取る。私はいつものことだが、早朝は食欲がなくパン1ヶとコーヒー、それに網干さんと中村さんが作ってくれた餅入りの汁粉で済ませた。汁粉はうまかった。

 雪を沸かしたことで時間を食い、5時の出発予定が6時となる。私は自分のコンロの片付けに手間取って、アイゼンを着けるのが遅れてしまった。皆が待っているので、トイレにも行かずにあわてて出発。半月の月が出ていたが、森の中は暗い。  きょうの歩程は10時間の予定。最高峰は観音岳・2840m。途中にある3軒の山小屋は皆閉鎖中で、何かあっても逃げ込める所はない。ともかく、夜叉神峠まで歩き通さねばならないのだ。

 あたりが白み始め、日の出を迎える。雪面がピンクに染まった。快晴だ。きょうは吹雪に巻かれる心配はなさそう。歩行中も、休憩中も、道を外れて写真を撮りまくる。地蔵岳までは快調。地蔵から薬師岳への登りは岩場が続き、女性にまかせずに視覚障害の市角さんをサポート。昨日、登山口の御座石鉱泉のおばさんが、地蔵岳から先は登山者が入っていないのでトレースはないと言っていたが、夜叉神側から越えてきたグループがあって、トレースははっきり付いおり。安心した。

 稜線は強風。しかし、快晴に恵まれ、眺望はすばらしい。右に白根三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)の雪に覆われた稜線がまぶしく輝く。逆光の正面には富士山、振り返れば、雪と岩がまだらの甲斐駒ヶ岳。左眼下にはJR中央線沿線の町や村が広がり、遠くに奥秩父と八ヶ岳が望める。その間にあるのは清里の町だろう。 

 ところで、この日の後半は完全に疲れた。足の指先も痛めて、サポートができなくなり、最後は皆に付いていくのがやっとという状況に落込んだ。朝食を満足に取っていないのに、岩場が続く登りのサポートを担当し、更に休憩時間中も写真を撮るのに動きまわって、ほとんど何も食べなかったのだが、薬師岳への登りで急に腹に力が入らなくなった。足が前に出ない。サポートができる男性の数が5人と少ないので、険しい登りは私がと気負って、できるだけサポートを買って出ていたが、とうとうサポートを女性に代わってもらった。今夏の4泊5日・南アルプス単独行のときは、食べたいときに食べていたので、元気に歩けたのだが。

 この後、足も痛めた。左足の靴下が小指の下に寄って、指の下が痛くなったのだ。休憩の都度、靴を脱いで直したが、すぐに元に戻り痛くなった。夜叉神峠の下りは特に辛かった。足を引きずって歩く。18時、タクシーの待つ登山口に着く。自分のペースでなら歩けるが、どんな条件でもサポートができるという力は無くなったようである。これでは、自分や仲間に事故が起きたときに万全の対応はできない。トレーニングで体を鍛え直す必要がある。

○ 六つ星・個人山行「身延・七面山-八紘嶺-静岡・梅ヶ島温泉」 2002.4.7-8

 10名(うち、視覚障害者3名)が参加。このメンバーで1年前に奥鬼怒から残雪の根名草山と全山シャクナゲ満開の金精山の縦走に参加したことがある。
 七面山は仏様と霊峰富士を拝むために登る信仰の山である。山頂近くにある日蓮宗の敬慎院までは4時間30分、整備された裏参道を登り、本堂隣の宿坊に泊る(定員500人)。そして、夜6時30分からは宿泊者全員が参加して本堂でお勤め。山形の建設会社の従業員数十名も一緒だった。6-7人のお坊さんが大太鼓を打ち鳴らし、私達のために大声でお経をあげてくれた。
 翌日は5時にスタート。幸いにして快晴で、山門の前からの眺めはまことに雄大。眼下に広がる雲海の上に富士がくっきりと浮かぶ。
 1時間で七面山山頂へ。ここからが今回の本番。正味7時間のコースだが、人があまり入らず、残雪で道が分かるかとの心配があった。最初は残雪が多く、アイゼンを着け、赤いテープの目印を頼りに進む。展望が開けると、はるか山なみの向うに、南アルプスの白い頂きが望めた。赤石か、聖だろう。南に行くにしたがい、雪が消え、快適な山行が続く。最後は石ころ道の急な下り。13時に梅ヶ島温泉着。風呂とビールを楽しむ。私を含めて、疲れた人が数人いたが、縦走できたという充実感を味わった。

○ 六つ星・定例山行「北八つ・縞枯山-横岳」 2006.3.4-5

 参加者は12名、うち視覚障害者4名。リーダーは私。雪山の初心者向け山行である。

 当初予定していた「北横岳ヒュッテ」が団体の予約で満員だったために、宿泊先を急きょ、「縞枯山荘」に変更。最近は雪山登山のほかに、スノーシューによるハイキングが盛んになり、北八つの小屋はかなり混んでいるとは聞いていたが、まさか満員とは予想外だった。

 1日目は縞枯山とその先にある展望台を往復した。まず、山頂駅から10分の縞枯山荘へ。快晴で雪面がまぶしい。山荘に余分の荷を預けて、山頂を目指す。いきなりの直登。アイゼンとピッケルを効かして大汗を掻きながら登る。急登が続き、私にはちょっときつかったが、全員休憩せずに樹林帯を登り切り30分で山頂に到着。そこからゆったりした道をたどり展望台へ。雲一つない青空を背景に、真っ白な雪をまとった雑木林の枯れ枝が日を浴びて輝く。針葉樹の葉先からは30cmほどのツララが下がる。視覚障害者も手で観賞。ルートはしっかり踏まれており、アイゼンがよく効く。久しぶりに雪を踏みしめる感触が、何とも言えず心地よい。岩の上の展望台では、眼下に「北八つ」の樹林の広がり、遠くに南アルプスなどが望めた。帰路に就き、縞枯山荘泊。足先が冷えて、なかなか寝付けなかったが、外は三日月と満天の星だった。

 2日目は横岳へ。6時50分スタート。全員、快調である。8時には横岳山頂へ。昨日はもやがかかっていたが、きょうの展望はばっちり。南アルプス、中央アルプス、御嶽山、北アルプス、浅間山、両神山などがくっきり見える。特に北アルプスの展望はすばらしかった。槍穂、鹿島槍、五龍、白馬、その背後に剣など、横に長く連なる北アルプスの全山がくっきりと望めた。氷点下12度位だったろうか。私の写真機は寒さで動かず、この絶景を写せないのが残念だったが、他の方の写真機で全員の記念写真を撮る。また、絵が上手な後藤さんが山頂でスケッチ。5分で描き上げた。雰囲気が良く出ており、その技に感心しきり。

  山頂駅に早く着いたので、ロープウェイに乗らずに山麓駅まで歩く。ここもトレースがはっきりしており、快晴の中、眼下に広がる下界の眺望を楽しみながら下山し、10時30分、バス停着。吹雪けばトレースが消えたり、視界が無くなるなどして、このコースでも危険なことがあり、前に来たときは深い雪の中で迷い脱出するのに苦労したが、今回は快晴でその心配は全く無く気持に余裕があって、雪山を2倍楽しむことができたように思う。

○「Fさんと木曽路を歩く」 2007.4.26・夜行-30

 全盲のFさんから頼まれて、二人で4日間、木曽路(26日の夜は塩尻泊。翌日から日出塩駅-贄川-薮原泊-木曽福島泊-須原泊-恋路峠超え-南木曽駅)を歩いた。スケジュールはFさんが作成し、宿の手配もしてくれた。
 桜が満開。新緑も盛り。両側は急峻な山。谷間には木曾川と鉄道のJR、それに国道19号。なるべく国道をはずして歩く。村に入ると道端からはいつも水音が聞こえ、ウグイスの声も。晴れた空。はるかに遠く、真っ白に輝く木曾御岳山や木曾駒ヶ岳。ゲートボールをやっていたおばあちゃんとあいさつをかわす。早稲田大学OBの2人連れに会った。大学創立125周年を記念し、早稲田の校旗を掲げて、2月18日に長崎を出発し、東京まで歩く途中とのこと。
 でも、疲れた。国道歩きは特に疲れた。国道以外でも、鳥居峠と旧街道をはずれた恋路峠以外は、すべてが舗装された道だったので、足裏への負担が重く、足が痛くなった。舗装された道は車のためにできたもので、人間向きではない。前に歩いた30日間のサンチャゴ巡礼路には舗装道はほとんどなく、足もこれほど痛まなかったのだが。年をとったことも一因。費用は交通費、宿泊費等、しめて4万円。

 南アルプス・仙丈岳(3033)-塩見岳(3047) 2008.8.6-10

 参加者は、視覚障害者2名、晴眼者7名、計9名(リーダー:掘沢さん)

 [コース]バスで登山口(北沢峠)…馬ノ背ヒュッテ(泊)…仙丈岳…大仙丈岳…伊那荒倉岳…野呂川乗越(ノッコシ)…両俣(リョウマタ)小屋(泊)…野呂川乗越…三峰岳(ミツミネダケ) …熊の平小屋(泊)…北荒川岳…塩見岳…塩見小屋(泊)…三伏峠…登山口(鳥倉)→タクシーでJR・伊那大島駅。

・手ごたえ十分の山行だった。3千m峰に登り、2千mの小屋に下り、再び3千m峰に登るというハードなコース(三峰岳も2999m)である。なお、仙丈岳-三峰岳の間は人があまり入らない静かなコース。

・晴天に恵まれる日が多かったが、4日目の塩見岳山頂直下の岩場の下りではすごい雷雨に見舞われた。

・晴天時の展望はすばらしく、南アルプスのほぼ全山や中央アルプス、八つ岳連峰のほか、遠くには北アルプスの槍・穂高などが望めた。

・3日目、珍しい現象に出会った。天候悪化を示す「彩雲」である。晴天の中、昼ごろ、7色に輝き、横に長くたなびく雲が見られた。翌日は塩見で雷雨。

・小屋では両俣小屋が印象に残った。シーズンだというのに、我々のほかは宿泊者1名、テントも一張り。樹林の中の静寂な宿。男達は傍らの沢でパンツ一枚になり水浴びを楽しんだ。

(この山行についての全盲の方の感想・2件)

 1)「嬉しさと不安の中、5日間の南アルプス縦走へ」-市角さん

 晴れて暑い真夏の甲府駅からバスに乗り、北沢峠へと向かった。久しぶりの本格的縦走、それも5日間も山の中にいられるということで、嬉しさが半分、体力が持つだろうかという不安が半分である。北沢峠に着く頃にはすっかり天気が変わり、雷雨の中での出発となった。最初の宿泊場所「馬ノ背ヒュッテ」への道は樹林帯の中なので、それほど雷の恐怖を感じることなく歩くことができた。
 夏山は早立ちが原則というが、南アルプスの山小屋は特に朝が早く、午前4時半には(熊ノ平小屋では、午前3時過ぎに)、普通に暖かな朝食を出していただいたのには驚いた。
 翌日からは天気もすばらしく、樹木のない雄大な仙丈岳、そして今度は樹林の中の伊那荒倉岳と、それぞれに変化があって楽しかったが、樹林の中は倒木が多く、それらをくぐったり、また、標高差400-500m位のアップダウンを繰り返したりしたので、体力が奪われた。それでも、登りがゆっくりだったので、ばてることなく歩き通すことができた。
 4日目の塩見岳山頂からは再び雷雨になり、サポーターの声もよく聴き取れないほどの大粒の雨と雷の中で、岩場を下ることになった。ただでさえ苦手な岩場の下りに加え、雨に滑る岩に雷の恐怖も加わり、とても恐ろしい下りとなった。ただ一つだけ幸いだったのは、この雨が腫れた膝や肩を冷やしてくれたことで、今までの疲労を少しだけ回復させてくれた。
 そして、最終日は、再び快晴の中を皆無事に下山することができた。
 南アルプスは行く機会が少ないが、今回5日間歩いたことで、一つ一つの山がとても大きくて、北アルプスとの違いを感じることができた。
 この山行を計画してくださった方々、リーダーの堀沢さん、そして5日間サポートをしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

 2)「南アルプスの大スケールを満喫」-宮本さん

 メンバーは9人。サポーターの数が、このレベルの山行にしてはやや足りないかなと不安を抱えたままで出発しました。
 しかし、少パーティーには利点もあります。足並も息も合い易く、まとまりもよくなります。長期間、同じメンバーでいると自ずからチームワークもできてきます。今回はその利点を生かせて、日を追うごとにまとまりのあるパーティーになっていきました。
 また、山行時のリーダーには南アルプス博士の堀沢さんがなってくれて、要所、要所で的確な判断をしてくれました。みんなから信頼を集めるのにそれほど時間はかかりませんでした。普段はひょうきんな方ですが、その人柄は山でも変らず、パーティーに笑いと明るさを与えてくれて、気分が落ち込むことなく山行ができました。
 4日目、塩見岳直下で、雷鳴と豪雨に見舞われ、全身びしょ濡れのままで、危険な岩場の下降を強いられました。いつまでも続く雷雨の中で、不安はどんどん増していきましたが、リーダーの落ち着きはらった行動で、みんなは救われたのではないでしょうか。
 困難だったのは、この下りと2日目、倒木に難渋し、私がばててしまい、小屋への到着がかなり遅れたことぐらいです。
 あこがれだった仙丈岳から塩見岳への、高さ3000mの稜線漫歩。充実感もいっぱいでした。5日の間、南アルプスの大スケールを充分に満喫できました。
 全員でなしとげた仙塩尾根縦走、そんな想いが強く残る山行でした。
 みなさん、どうもありがとうございました。

○ 六つ星・個人山行「白神岳と十二湖巡り」 2009.9.18-21

 参加者は17名、うち視覚障害者5名。他に現地ガイド2名が同行。18日、リフレッシュ村泊。19日、十二湖巡り、ガイドハウス白神山荘。20日、登山。

 <はじめに> 白神岳の登山口に宿を取って、早朝から夕方まで十分に登山に時間をかけ、やや足弱の人でも登頂できるように配慮したこと、十二湖をゆっくり見物できるようにしたこと、費用の安い夜行バスを使わなかったことなどのために、日程は3泊4日となった。なお、遅れた人への対策、悪天候への備え等を考えて、現地のガイド1名を依頼。別に、この登山道を整備した西口正司さん(山荘の主人の弟さん)もガイドとして同行してくれた。

 <白神岳登山> 快晴のようだ。先頭と後尾にガイドについてもらい、早朝5時55分に登り始めた。1時間30分で最後の水場。水がうまい。ここから「まて山分岐」までの1時間は急登が続く。一人が遅れ気味になるが、当初の計画どおり、その組の3人を残し、他の人達には先行してもらった。全体が登頂できなくなることを避けるためだ。分岐から1時間はゆるやかな尾根歩き。幸い、遅れた人も追いついた。次は稜線まで1時間強の急登。森林限界を越えて、背後に日本海の展望が広がる。日差しが暑い。稜線に到達。そこから十二湖へ向かう縦走路は閉鎖中。左に折れ、トイレのある小屋と避難小屋の脇を通り30分で山頂へ。

 山頂からは東に、世界遺産に指定されている「ブナの原生林で覆われた広大な山々」を望むことができた。はるかに岩木山の姿も。また、西には、寒風山から不老不死温泉のある黄金崎に連なる日本海の海岸線。山頂周辺で休んでいる登山者は多い。私達以外で20人位か。まだ、次々と登ってくる。私達も1時間、ゆっくりと昼食休憩。晴天の中、全員の登頂ができ、すばらしい景色も満喫できて、皆、輝いていた。山荘でもらったリンゴ(西口さんが作ったもの)が何とおいしかったことか。

 帰りはガイドの案内で登山道を少し外れ、白神の主と言われるブナの大木にも会うことができた。帰路の所要時間はその20分も入れて、3時間30分。夜、地元の飲み屋で行った宴会は、快晴の中、全員が登頂できたこともあり、おおいに盛り上がった。

 注)白神山地の総面積は13万ha(東京23区の60%に当る。うち1/3がブナ林)。このうちの1.7万haが、平成5年、「屋久島」と共に日本で最初の世界自然遺産に指定された。白神岳はその西端に位置する。

 <十二湖見物>「青池」の濃いブルー、「十二湖庵」の緋毛氈に座って飲んだ無料の抹茶と干菓子(湧き水で点てたもの)、養魚場の大魚「いとう」(体長は1mを超える)、「日本キャニオン」の景観、リフレッシュ村のサウナ付ロッジなど、沢山の思い出が残った。

○ 六つ星・定例山行「沢歩き・奥多摩・海沢(ウナサワ)」 2010.8.1 

 参加者は18名、うち視覚障害者4名。うち沢登りの経験がない人も10人ほど参加。「とても楽しかった」、「泳いだときは緊張した」、「初めての体験だった」、「ちょっと寒かったね」-、これが終わった後での彼等の感想だった。一番の思い出は、ザックを背負ったままで、背が立たないところ(「釜」という)を7-8m、泳いで渡ったこと。全盲の人も渡った。泳げない人が数人いたが、その人達もザイルに結ばれ水面を引っ張られるようにして渡った。その他、腰や胸まで水に浸かって徒渉するところが数ヶ所あり、3m程の滝登りもあった。後半は寒くなり、下界の猛暑が恋しくなるほど。そして、最後の難所は車道に上がるために急俊な箇所をトラバース気味に登るところ。ベテランの人が最初に登って、ザイルを張り安全を確保。あとの人達は滑り易い赤土にバランスを崩しながらも、ザイルに確保され引っ張り上げられるようにして、何とか登ることができた。

 思い出に残る貴重な経験ができたのも、無事に山行を終えることができたのも、沢登りのベテランの方々が数人参加をしてくれて、危険個所で安全確保に全力を尽くしてくれたお陰である。皆が楽しんでいる間、その方々は苦労の連続だったと思う。お世話になりました。

 ところで、場所は、奥多摩の大岳山北面に突き上げている海沢(ウナザワ)の一部で、天地沢出合と井戸沢出合の間の「下部爆流帯」と称される部分である。まずは、JRの「白丸」駅からキャンプ場のあるアメリカ村の脇を通って、車道を歩き、途中から沢に下りる。ここで、着替えと登山靴をビニールで包んでザックに入れ、ハーネスを着けて渓流シューズを履く。渓流シューズを持たない初心者10人は足袋や靴下の上にワラジを着けた。初めは足首までの渓流歩き。涼しくて快適だった。皆、ウキウキしながら歩く。谷の両側が切り立ち、薄暗いところが多い。初めの「釜」に到着。ただし、距離が長く、また向こう側に岸に上がる手掛かりがないようなので、高巻く。次いで冒頭の「釜」へ---。斜面を登って全員が車道に出たのは17時頃。そこは海沢三滝のすぐ下だった。

○ 立山・室堂から薬師岳へ縦走 2011.8.2-6 

 参加者は5名うち視覚障害者1名。

 花と雪と岩と、それに雷鳥を満喫した山行だった。高山植物の宝庫・五色ヶ原には一面、ハクサンコザクラ、ハクサンイチゲ、チングルマの群落。縦走路にはニッコウキスゲの群落。

 のんびりゆったりの山行と思っていたが、予想外に厳しいコースだった。室堂から太郎平小屋までの3日間は毎日、やせた岩稜帯の上り下りが続き、はるか下まで切れ落ちた岩壁をトラバースしたり、斜めに傾いた幅5-10cm程の山道を滑らないように歩いたり、足がかりのない高さ3mほどの垂直の岩を固定ロープで降りたり、3-5mの岩が積み重なった所を深い隙間に足を落とさないように気をつけて渡ったりと、視覚障害者にとっては危険が多く、サポーターにとっては緊張を強いられるコースだった。また、それらを通過しても、視覚障害者は体が疲れており、体がふらついて足を滑らす恐れもあった。

○ 東京タワー・レインボーブリッジ 2012.1.8

  参加者は、視覚障害者13名、晴眼者23名、計36名。

  (以下は参加者の感想)

 JR新橋駅に集合し、8時40分にスタート。読売新聞の取材が入ったために愛宕神社を後回しにして東京タワーに急ぎ、到着したのは9時30分でした。ここで、取材の読売新聞の記者の方と合流。東京タワーを歩いて登る階段の開門は11時でしたが、特別に鍵を開けてもらい登り始めました。

  私は田舎の秋田より上京し40数年が過ぎましたが、東京タワーの階段登降は初めての事であり、浮き浮きしながらのサポートでした。600段の登りを終え、第一展望台(高さ150m)に到着。歩いて登れるのはここまで。素晴らしい冬晴れの雄大な景観が広がり、うっとりと見とれました。また、長澤さんが記者からのインタビューで「皆と和気あいあいと話し合えるこの会に入会して良かった」と話すのを聞いて感動しました。

 下りも歩いて下りて、11時に東京タワーを出発。15分で愛宕山へ。山上の愛宕神社に登る男坂の石段はたいへんな急勾配でした。この石段は、曲垣平九郎が馬で登って徳川家光に認められ出世をしたことから「出世の石段」と言われていますが、これをしっかりとサポートをしながら登り、愛宕神社に初詣。今年のお願いごとを祈りました。東京タワー下の公園に戻り、木漏れ日の下で12時-13時に昼食。そのあと、運河の傍を通ったりしながらレインボーブリジに向かい、入り口には14時に到着。ずらりと並ぶ高層マンション群を左に見ながら高さ50mの海の上をお台場まで散策し、汗をながしました。 

 今回の正月山行は今迄の内容を変えての面白い企画で、百名山踏破を目指している自分にも新鮮味のあるもので嬉しく、楽しい時間を過ごすことができました。この初詣山行は、「六つ星山」の頂上に立ったような興奮する山行で、私の今年の夢が叶いそうな予感がしました。

3)職場の仲間と

 職場の仲間とも山に登った。多くの思い出が残る。懐かしいあの人、この人、その顔が目に浮かぶ。私より10歳若くて登山のベテランの宮崎さんには春、南アや北アの残雪の山々に連れて行ってもらったが、これで登山への自信がかなり付いた。金子さん、菅野さん、豊岡さん、二村さん、矢沢さん、木原さん等とは3-4人のグループでよく山に出かけたが、いつもとても楽しかった。

 「剣岳」 1995.9.1-3

 上野より富山へ夜行寝台。室堂までバス。女性3人、男性2人の計5人。第一日目は霧雨。立山を目指す。歩き始めて30分のところに雪渓。女性一人の調子が良くない。室堂乗越の小屋でしばらく休む。まあ、いつものことだ、明日は回復するだろうと、霧雨の中、岩のガラガラ道を山頂へ向かう。山頂の神社は御札を売る売り子が数人もいるような大きなコンクリート造りの建物。おはらいはそこから数分の山頂。300円払わないと、山頂には行けない仕組み。

 おはらいを受けて劔御前小屋に向け出発。依然として雨。ほとんど人に会わなくなった。ここで引き返す人が多く、この先へ縦走する人は少ないようだ。同行の3人に先に行ってもらい、疲れて遅れがちの彼女とゆっくり歩く。先行した3人に遅れること30分、剣御前小屋に到着。宿泊客は数人。空いている。

 翌朝起きると、昨日とは異なり、天気は良さそう。ラッキー。嬉しくなる。皆の調子も良いようだ。昨日送れた女性も元気を回復。荷物はできるだけ男性陣が持ち、女性陣の荷を軽くした。後で菅野さんに聞くと「どんな危険な所が待ち構えているか」とたいへん緊張しながら出発したという。眼前にどっしりと構えた剣岳が朝日に輝く。剣御前をトラバースして、剣山荘へ。

 ここからが本当の登り。まずは、前剣へと岩の中の急登が続く。これを越えると、断崖を横にトラバースする鎖場があった。立ち止まり、写真撮影。岩峰を越え、鎖を伝い、いったん、平らな所に下りる。

 いよいよ、「カニのたてばい」と名付けられた垂直に近い鎖場の難所。剣山荘の掲示板にが、数日前にそこで中年の男性が転落して死亡したと書いてあった。間に女性3人をはさみ、先頭を私、ラストを男性の順で登る。後で女性に聞くと、前後を男性にはさまれていたせいか、不安は感じなかったという。

 これを越えたところで、左下50-60mの距離に、帰路に通るはずの「カニのよこばい」が見えた。そこで、若い女性が一人、「手掛かりがない。動きがとれない」とさわいでいる。「後戻りをして下を見れば、足がかりがあるよー」と、前に来たときに知った足場を大声で指示した。

 「タテバイ」を過ぎれば、あとは頂上までゆるやかな岩場の登り。山頂着。かって一人で来たときと同じように快晴に恵まれ、北アルプスのほぼ全山が望めた。あれが槍、これが鹿島槍、あれが白馬、こちらは薬師などなど。皆、大満足。案内した私も、こんなすばらしい景色を見てもらえて嬉しかった。

 いろいろな人と山に登った。思い出せば、懐かしい、懐かしい人達の顔が目に浮かぶ。

以上が私の登山の略歴である。

 

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コメント

 始めまして、失礼いたします。
 女性である私が大峰山の修験道に、関心を抱くのかと思われますが、実は、江戸時代に父親の先祖が修験者で、大峰山へ修験者として入っていました。
 四国の鳴門の土佐泊の漁村から、和歌山へ入ったのは、漁師達の無事と安全を祈願しに修験者として出掛けたそうです。江戸時代は、かなり裕福な身分であったようです。
 帰りしな、みかんを積んで四国へ持ってかえりましたそうで、今も、大峰山の登山口の目につく場所に、谷口家の石碑があるそうです。すぐ、わかるそうです。
 父親が生前に語っていました。
 私は女性ですので、登山が出来ませんので、誰かに教えて頂けたらとメールを差し上げました。もし、いつか、機会あり、大峰山への登山をなさいましたなら、御連絡頂けたらと念願いたす次第です。
 突然で、ぶしつけで失礼でございますが、夢がかなえられましたなら、明治以後落ちぶれました谷口の家の確信にもつながりますので、うれしく思います。

投稿: 谷口住江 | 2011年11月15日 (火) 14時18分

ブログを読んでいただいてありがとうございます。私は視覚障害者登山を行う六つ星山の会に入っており、会員の方々とはいろいろな山に行きますので、大峰山に登る機会がありましたら、谷口家の石碑を探してみたいと思います。大峰山は女人禁制、古き風習を今に残すのは、大相撲の土俵に女性が上がれないのと同じで、「昔を今に残してすばらしい」と言ってよいのか、「時代遅れ」と言ってよいのか、判断に迷います。

投稿: | 2011年11月15日 (火) 20時37分

山登りの履歴を読みました。凄い方と思いました。障碍者の方々とも登られているのですね。

私のメールアドレスは、趣味の2つを入れたものです。XCスキーと山遊びです。
XCスキーは78歳に明日なりますが、まだ現役のアスリートで、毎年札幌国際XCスキー大会(25kmのp部)に出ています。
もう一つは山遊びです。一人で栃木県と群馬県の県境の山に行って居ます。5月から9月まで山の中で1泊ビバークが出来ることが強みでしょうか。

海外旅行も1984年のヨーロッパアルプス登山から独り旅をしています。

10年くらい前に妻と二人でシベリア鉄道全線を乗りました。

6月15日から8月1日までスペインのサンチャゴ巡礼道(フレンチウエイ)を歩いてきました。
四国八十八カ寺の巡礼道か、熊野から吉野までの山岳信仰の道を歩きたいと思っています。

いろいろ教えてください。

投稿: 土屋晴夫 | 2014年8月 3日 (日) 09時53分

土屋様
メールしましたが、着信不可でしたので、コメントとして再掲させていただきます。

ブログを読んでいただいてありがとうございます。私よりも歳が上で、XCスキーを楽しまれ大会にも参加されるとのこと、すばらしいですね。シベリア鉄道やサンテイアゴ巡礼「フランス人の道」を歩かれた点は私と一緒です。「熊野古道」の山頂をつなぐ縦走については私の「私の登山および旅行記・国内の山の挑戦(6.大峰奥駈)」をご参照ください。

ところで、私も今年の5月30日-7月15日に4回目のサンティアゴ巡礼に行ってきました。歩いたのは北スペインの海岸沿いを行く「北の道」、全行程820kmのうち、600kmです。これまでの3回(フランス人の道、ル・ピュイの道、ポルトガル人の道)につきましては乗り物を利用せずに全行程を歩き切りましたが、今回は歳をとって足が弱ったこと、足を痛めた人がいてお世話をしたことなどがあって、全行程を歩くことはできませんでした。それでも十分満足しております。前3回は「挑戦する」、「全行程を歩き切る」という思いで、毎日「ともかく一歩でも前へ」とがんばりましたが、今回は足が弱ったことを考慮して、最初から「全行程を歩き切らなくてもよい」、「のんびりいこう」という気持で臨み、ときには巡礼路を外れ寄り道をしたりして、旅を楽しんできました。「挑戦」から「のんびり楽しむ」へと気持が変化してきたようです。

スペイン北岸は断崖絶壁が続き、その切れ目に砂浜があるのが特徴です。

・ 崖上に幅5mほどの遊歩道が6kmにわたって続く。海側は柵越しに断崖。地元の人が散歩し、ときには自転車も通る。その人達と「オーラ」とスペイン風のあいさつを交わす。

・ 崖下を行き、赤土の急な小道を登っていくと牧草地が広がる。遥か彼方まで延々と断崖が続き、その先にきょう泊る町が見える。

・ 草深い巡礼路を下って行くと小さな砂浜に行き着いた。砂浜には誰も行ったことがないのか、手前の草むらには踏み跡がない。

・ 高さ100mほどの海に突き出た小山を越えると今度は長い砂浜。2時間の砂浜歩き。多くの観光客が水着姿で散策している。重いザックを背に、靴を脱ぎ裸足で波打ち際を歩く。気持良し。

・ 有数の観光地「ルアルカ」が眼下に広がる。中世の雰囲気を残す小さな港町。急坂を下りて行くと、海岸通りにレストランと土産物屋が並ぶ。レストランに入った。雰囲気は良いが高い。他の町の5割増し。

・ 巡礼路を外れて廻り道をし、絶景を見物。高さ50mほどの断崖から白波の立つ岩場を見下ろしていると、目の前を数羽のカモメが崖沿いに一列になって飛んでいった。遊んでいるようだ。

・ 砂浜に腰をおろして渡し船を待つ。小船が砂浜に直接乗り付けた。板が渡され、巡礼者数人と自転車1台が乗る。

・ 寄り道といえば、教科書にも載っている「アルタミラの洞窟」(1-2万年前に描かれた動物の彩色画で有名)や「モン・サン・ミッシェルの大聖堂」も見物した。

以上が旅の断片です。


 私も「四国巡礼」には行きたいと思っています。旅費をどう安上がりで済ますかなど、情報があったら教えてください。ご健勝を祈っています。田村

投稿: タムさん | 2014年8月 4日 (月) 11時37分

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