« 私の山暦 | トップページ | 挑戦 その5 南アルプス単独行 »

挑戦 その6 大峰奥駆 

(挑戦・その6)

  <熊野古道のうち「大峰奥駈」(熊野から吉野へ。仲間と二人で)> 

 

2002年5月1日(夜行バスで前夜発)-5月7日。初日・2日目はテント泊(大森山手前と葛川辻)、3・4日目は修験者が泊まる無人小屋泊(持経ノ宿、深仙ノ宿)、5日目は食事付の弥山小屋泊、6日目は山上ガ岳山頂の食事付の宿坊に泊る。

1.コース概要

 

(大峰奥駈道とは)
 数年前に大峰奥駈の様子をNHKのテレビで見て、「いつかはお寺が募集する奥駈修行に参加し、白装束の山伏姿で歩いてみたい」と思っていたが、山仲間のMさんから「連休中にどこかに行かないか」との誘いがあり、私の方からこのコースを提案した。
 大峰奥駈道は奈良時代に役小角(エンノオヅヌ)が開いた修験の道であり、紀伊半島のほぼ中央を南北に走る大峰山系の尾根を行くもの。鎌倉時代、室町時代に天台宗と真言宗の間で盛んになり、多数の山伏が修行のためにこの道を越えたという。吉野川沿いの「柳の宿」から「熊野本宮証誠殿」までにある75ヶ所の霊場(山頂や岩場、寺社、滝などを霊場とし、大峰75靡(ナビキ)と呼ばれる)を巡る山岳道で、修験者は75日をかけて、この霊場のすべてで祈りをささげながら縦走したという。

 

 宿は1日の行程にほぼ一軒はある修験者が泊まる無人小屋を利用する。畳敷きで、布団あり。なお、山上が岳と弥山(ミセン)には、有料で食事付きの宿がある。

 

(順峰と逆峰)

 

ところで、奥には順峰(ジュンブ)(熊野本宮から吉野を目指す)と逆峰(ギャクブ)(その逆)があるが、私達が歩いた順峰を行く人は特に少ないと思われる。
 順峰の場合は、低い熊野(本宮が標高約200m)から最高峰の八経ヶ岳(1915m)を目指すので、登りが多くなるためだ。順峰を歩き通す人は年間に数百人位ではなかろうか。
 一方、逆峰については、この道の前半「吉野-弥山(ミセン)-前鬼」を歩く登山者がかなりいるようだ。そこは2泊で歩くのだが、どちらも食事付の宿坊と山小屋に泊ることができて、シュラフは不要だし、食料も少なくて済むためだ。
 なお、逆峰については、足が強ければ、食事付の小屋と修験者用の無人小屋、それに玉置神社の社務所を利用することでテントを持たずに歩くことが可能である(宿は1日で歩ける距離にある)。
 また、ゴールデン・ウイーク中の今回、地蔵岳だけは下の林道に車で来て日帰りで登る人が10人ほどいた。

 

(大峰奥駈を完走した人は少ない?)
 大峰奥駈を完走する人は少ないと思う。

 

理由の第一は荷が重く、しかも長丁場なので体力が要ることである。歩いていて体に故障が生じたらアウト。

 

私の場合は、テントをMさんに持ってもらった上に、最後の2泊は食事付きの宿に泊まる予定で、持参の食料を4日分に減らして出かけたが、それでも歩き始めで荷の重さは18kgもあった。水2Lやガスコンロ、シュラフ、換え下着3枚、換えズボン1枚、アルファ米6食、カップラーメン4ヶ、餅4ヶ、薄い餅1袋、非常食のゼリー6本等などである。

 

完走者が少ない第二の理由は、勤めを持っている場合、連続して長期の休暇が取りにくいことである。最低、6日は必要。せいぜい、ゴールデン、ウィークか、夏休みだが、夏は暑い上に虫が多そうで回避したい。
 更に、女性には全山の縦走は不可能という理由もある。これは、途中の山上ヶ岳一帯が女人禁制のために、女性が入山できないからである。

 

2.登山開始

 

(熊野本宮へ)
 4月30日、高速バスで池袋駅前を21:35に出発。翌朝、和歌山・新宮に8:00着。やや早く着いたので、8:02発の熊野本宮行きバスに間に合った。
 9:20、奥駈道の出発点である熊野本宮大社着。標高約200m。雨である。すぐに歩き始める予定だったが、見合わせて喫茶店に入る。モーニングセットを頼み、新聞を読んで雨が止むのを待つが、止む様子なし。
 荷を店に置き、大社に参拝。結局、あきらめて雨の中を出発した。雨で遅れた分、2時間の道のりをカットし、タクシーで山在峠(サンザイ峠。標高265)まで入り、12:00に歩き始める。完走できる自信はない。せめて、弥山(ミセン)まで行ければよいのだが。

 

(初日。雨。テント泊)
 雨には悩まされた。初日は一日中、2日目は午前中(ときおり激しい雨)、4日目は一日中(ただし、霧雨)、5日目は朝方と、4日間も雨に遭った。
 初日は雨の中、大森山の手前でテントを張る。下着までびしょぬれ。外でじっとしていると風が体の中を通りぬけて、たいへん寒かった。手もかじかむ。張り終わると、すぐにテントの中で着替え。服をすべて脱ぎ、乾いていて暖かな下着と上着を身に着ける。これらはビニールで包み、大切に持ってきたものだ。これでホッと一息。シュラフに入るとけっこう暖かかった。でも、こんなことで完走できるのだろうか。ふと、不安になる。
(2日目も雨、ときどき曇り。玉置神社、香精山、地蔵岳を越え、葛川辻でテント泊)

 

 前日寝るときに着けた乾燥している衣服はすべて脱いで、ビニールに包む。そして、きのうの濡れた下着をまた身に着け、ゴアテックスの雨具を羽織る。冷たい下着が肌にベッタリと張り付いて気持が悪いが、しかたがない。歩き出せば、体が温まり寒さはなくなるはずだ。
 霧雨の中を、大森山を越え、玉置神社へ。社務所の前の参拝者用テントでコンロを出して食事。標高は約1000m。ときおり雨が激しくなり、風が吹き抜けて寒い。車でここまで上がってきた参拝者が数人通る。まだ、先は長く、気分は暗い。
 幸い、香精山の登りにかかる頃には雨がやんだ。この日は地蔵岳を越え、葛川辻でテント泊。水場は10分ほど下った谷川にあった。
(厳しい登りは香精山の登り。険しい鎖場は地蔵岳の下り)
 山伏の修行の場なので、道はほぼ全ての頂きを踏むように付いており、登り下りが多い。ピークを通らずに巻いてもよいのにというよう所でも巻かずに登る。3時間ほど登りが続いたり、30分登ると30分下ったり、10分で上下したりする。
 7日間の行程のうち、登りで特にきつかったのは玉置山から香精山への登り。30分ほどの急登が2回ある。鎖はないが、木の根や岩を掴んで登る。荷が重いので体を引き上げるのに腕力もかなり必要だ。まだか、まだかと思うのだが、なかなか上に着かない。長く、きつい登り。疲れがたまっているのに、更なる難行(なんぎょう)が待っていた。
 一方、鎖場も多い。香精山に隣接する地蔵岳の下りは特に厳しかった。地蔵岳ではまず、頂上へと直登する10mほどの急な鎖場が現れる。この鎖場は少しだけ登ってはみたものの、荷の重さもあって墜落しそうな恐怖を感じて、引き返した。次いで、巻道から頂上へ。次は下りの鎖場。20分ほどかかる長いものである。ともかく急。鎖のほかに、木の根や岩角に掴まりながら下りる。手を離せば、はるか真下へまっ逆さまだ。しっかりした木の根がいたるところにあるので助かった。
 これらを越えると、草原状の広々した、ゆるやかな尾根歩きもたくさんあり、天国もあれば、地獄もあるという感じである。

 

なお、鎖場については、5日目の断崖の上を行く釈迦ガ岳の鎖場、6日目の岩場を上下したり、へずったりする七曜岳-大普賢岳間の鎖場なども険しかった。それと、私は寄らなかったが、奥道をはずれた所にも、修行の場として多くの鎖場がある。たとえば、大日岳の傾斜50度の岩場に懸かる33尋(66m)の1本の鎖や、山上ガ岳と前鬼にある裏行場などである。
(3日目、「持経ノ宿」泊。道はゆるやか)
 3日目は薄日がさす天気。きつい登りは少なくて、わりと楽な行程だった。歩き始めてからの3時間は特に足が軽く感じた。
 ただし、Mさんが小さな事故に遭った。下り斜面で滑って茂みにうつ伏せに倒れ、小枝で顔をえぐったのだ。大事には至らなかったが、傷は目から5mmのところで、長さは2cm、深さは2mm。危なかった。
 行仙宿(行程中、最も大きい宿)から平治ノ宿を経て、持経ノ宿に泊る(いずれも無人小屋)。5分のところに水場。私達のほかに、宿泊は3人。うち2人は吉野から来た人。ここで縦走を止めて、林道を下り、温泉に入って帰るという。
4日目もゆるやかな尾根歩き。深仙ノ宿泊

 

 4日目は霧雨。きょうもきつい登りは少ない。ほとんどが、草原状のゆったりした尾根歩きだった。

 

(体力の維持)
 体力を維持するには、食べることと寝ることだ。
 疲れてくると食欲がなくなる。途中にある無人小屋で1時間前後の休憩(上記以外にも、○○宿という修験者用の無人小屋がいくつかある。中はきれい)。持参のコンロで湯を沸かし、暖かい飲物を作ると食欲がわく。コーヒーよりはお茶や味噌汁がよい。砂糖湯に餅を入れるのも美味い。歩いているときは、ゼリー状のエネルゲン(180カロリー)を飲む。食事の後では、ときどき胃薬。
 寝るには暖かい下着が一番。

 

(花)
 ピンクのつつじが見ごろ。真っ白な花を付けたオオカメノキ?も多い。これらが霧雨にかすみ、また晴天のときは新緑に映える。そんな雰囲気を写真に撮ろうと何回か立ち止まったが、結局、うまく写すことはできなかった。
 その他ではしゃくなげ。しかし、時期が早くて花はあまり見られない。石楠花岳は山頂周辺をしゃくなげが覆うが、つぼみもまだの状態で、残念。

 

(5日目。八経ガ岳・弥山)

 

5日目、霧雨。釈迦ガ岳を越えると断崖上に鎖場が続く。「両部分けの岩場」、巨岩をかいくぐる「貝摺りの岩場」などは、歩くのに夢中で気がつかずに通りすぎた。雨の岩場は、足元に注意をしながら、ひたすら歩くのみである。
 孔雀岳で単独行の東京の人に会う。2回目で、初回は大きな荷を背負い熊野側から入ったが、今回はテントなしで吉野から熊野を目指すという。このコースを逆に歩けば山がだんだん低くなるので、無人の小屋をつないで歩くことが可能なのだ。
 無人の楊子ガ宿で食事。午後、雨が上がり青空が見え始めた。気持も明るくなる。
 八経ガ岳(1915)に着く。日本百名山の一つ。近畿地方の最高峰で、大峰山系の最高峰でもある。百名山登頂を目指し20年ほど前に来たところ。ここからは人が多く、子供連れの家族もいる。麓の天川村から登ってきたのだ。雲は高く薄日がさす。次の頂きが弥山(ミセン。1895)。30分の距離。山頂に山小屋が小さく、くっきりと見えた。
 弥山小屋泊り。ここまで来れば完走できそう。下着だけで寝ても暖かかった。体も気持もゆったりとくつろぎ、ぐっすりと眠る。一方、Mさんはテント泊り。山頂周辺はテント禁止のようだが、翌日私と一緒に出発するために、やむをえずテントを張った。ほかにもいくつかのテント。

 

(6日目。山上ガ岳へ。夏の暑さ)
 6日目、弥山-山上ガ岳(1719m)の区間では晴天が戻った。気分も晴れる。遠くに紀州の山々の重なり。前方に大普賢から山上ガ岳に至る山並み。後方に弥山。右手に大台ケ原。頂上までバス道路が白く延びているのが見えた。南側を見下ろすと新緑が広い斜面に一面に輝き見事である。
 昼近くには夏の暑さとなった。下着1枚となり、頭に手ぬぐいを巻く。晴れるように祈っていたのだから、これくらいの暑さは我慢しなければなるまい。
 いくつかある鎖場を慎重に越える。急下降の鎖場では前を行く女性が手間取り、しばらく待たされた。

 

女人禁制とある門をくぐって山上ガ岳の山頂に向かう。山頂には宿坊が5つ。私達は「桜本坊」に泊る。同宿は1組5人のみ。彼らは前鬼まで行くという。風呂へ。ただし、湯船に湯が沸かしてあるだけで、体は洗えない。6日間も歩いたので、お尻がすれて、すり傷ができていた。
(7日目。吉野路は単独行)
 5:20スタート。ここでMさんとはお別れ。彼は洞川温泉に下りた。温泉にゆっくり浸かったあと、早めに東京に帰るという。

 

私は単独で吉野を目指す。宿坊の若いお坊さんが道の様子をいろいろと親切に教えてくれた。幸い夜中の雨はあがり薄日がさす。一人ひたすら歩く。誰にも会わない。
 二蔵小屋で1時間の休憩。無人だが、立派な山小屋である。ここから四寸岩山へは1時間20分の最後の登り。ややつらい。頂上から下り、今度は車道を歩く。12:30、やっと奥千本の金峰神社に到着。俳句を作る女性の一団がいた。きょうの行程で人に会ったのは初めて。

 

何でも見ておこうと、荷を置いて西行庵跡へ。往復約1時間。こんな山奥に西行法師が住んでいたとは!!。俳人芭蕉も2度訪れたという。
 車道を下り、水分(ミクマリ)神社に参拝。最後は壮大な蔵王堂へ。

 

熊野本宮で買って登山中はザックに差していた小さな幟(ノボリ)に、記念のために蔵王堂の朱印を押してもらおうとしたが、断られた。おもちゃには押せないという。これはおもちゃではない。7日間の苦業の間持ち歩いて、魂が入ったものに変わっているのだ。無言で抗議をする。
(Mさんの山の楽しみ方)

 

Mさんとは山の楽しみ方が違う。彼は山を楽しむほうだが、私は楽しむよりは辛くても歩き通し、すべての山頂を登り切るのを好む。ピークハンターと言えようか
 5日目の行者還岳の山頂は道をはずれて10分のところ。彼は行っても行かなくてもよいと言ったが、私は頂上を目指した。彼は、「奥」を歩き切るとか、山頂をきわめるとかには興味がなく、山の中にいることを楽しむ。また、小屋よりはテント泊りを好む。人それぞれ。認め合いながら、一緒に山を楽しんでいる。

 

(帰京)

 

ケーブル乗り場(標高約300m)に15:20着。結局、1時間の休憩を含め10時間を歩き通したことになる。トイレの鏡で見てみると、髭はボウボウで、髪の毛はボサボサ。乞食そのものの姿。風呂に入れなかったので体がとても汗臭い。
 近鉄・吉野駅前の茶店に入り、おこわのおにぎりとお茶を頼む。疲れと安ど感が重なって、しばらくぼんやりと座っていた。喜びを感じる余裕なし。異様な姿だったので、店の人は敬遠して近づかない。
 16:05の近鉄特急で京都へ。乗客に迷惑と思い、車中にたくさんあった手拭きタオルで体を拭き、新しい下着(ぬれないようにビニールで包み、寝る時だけ着ていたもの)に着替える。17:50京都着。新幹線を利用して家には22時頃に着く。

 

帰った翌日はお腹が空いてしかたがなかった。いくら食べても、1-2時間でまた腹が空いた。

 

終わってみての心境は「悟り」とは無縁のようで、体も頭もボーッとして、むしろ無に近い状態になった。

 

に行けたのは、しかも完走できたのは、Mさんがテントを持って一緒に歩いてくれたお陰である。単独では行けなかった。感謝あるのみ。

写真を掲載します

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/xfVSgC/photo?authkey=IfthA3qdDsM#s5171845083231453682

|

« 私の山暦 | トップページ | 挑戦 その5 南アルプス単独行 »

国内の山の挑戦」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 私の山暦 | トップページ | 挑戦 その5 南アルプス単独行 »