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挑戦 その6 大峰奥駆 

(挑戦・その6)

<大峰奥駆(熊野から吉野へ)>
2002.5.1(4.30の夜行バス)-5.7mzさんと2人

 テント2泊(大森山手前と葛川辻)、無人小屋2泊(持経ノ宿、深仙ノ宿)、食事付の弥山小屋1泊、山上ガ岳山頂の宿坊1泊。  

(大満足)

 数年前に大峰奥駈の様子をNHKのテレビで見て、いつかは僧院の募集する奥駈修行に参加し、白装束の山伏姿で歩いてみようと思っていたが、今回、それを登山として実現することができた。mzさんから「連休中にどこかに行かないか」との誘いがあり、私の方からこのコースを提案した。

 そして、完走できた。しかも全行程を歩き切ったのである(NHKで見た修行は、前鬼までで、奥駈道の半分しか歩かないし、荷も軽い)。
大満足。云うことなし。体の不調に悩まされることもなく、けがをすることもなかった。
無信心な私だが、登山中は御仏が守ってくれたのかもしれない。でも、終わってみての心境は「悟り」とは無縁のようである。体も頭もボーッとして、むしろ無心に近い状態になった。

 行けたのは、しかも完走できたのは、mzさんがテントを持って一緒に歩いてくれたお陰である。単独では行けなかった。

(大峰奥駈道)

 紀伊半島のほぼ中央を南北に走る大峰山系の尾根を行く。奈良時代に役小角(エンノオヅヌ)が開いた修験の道。
鎌倉時代、室町時代に天台宗と真言宗の間で盛んになり、多数の山伏が修行のためにこの道を越えたという。

 吉野川沿いの「柳の宿」から「熊野本宮証誠殿」までに75ヶ所の霊場(山頂や岩場、宿のある広場のお堂、寺社、滝などを霊場にしている)があり、大峰75靡(ナビキ)と呼ばれる。昔は75日をかけて、この霊場のすべてで祈りをささげながら縦走したという。

(疲れた)

 帰ってきた今は、本当に疲れたと感じている。今までの山行とは疲れ方が違う。7日の間、毎日8-10時間(初日は4時間)、15-18kgの荷を背負って登り下りを繰り返したためだ。

 私にとっては、重い荷を背負い連続して1週間も歩くのは初めての体験である。6年前のマッキンリー登山では17日間をテントで過したが、吹雪の日もあって2-3日置きに休養日が入った。それが、今回は、連日歩き続けたのだ。

 厳しい山行の後によく起きる足の筋肉痛は生じなかったが、体全体に、足だけでなく、腕や首にも、重い疲れが残った。「綿のごとく疲れた」とはこのことである。
帰った翌日はお腹が空いてしかたがなかった。いくら食べても、1-2時間でまた腹が空いた。

(熊野本宮へ)

 4月30日、高速バスで池袋駅前を21:35出発。翌朝、和歌山・新宮着8:00。やや早く着いたので、8:02発の熊野本宮行きバスに間に合った。
9:20、奥駈道の出発点である熊野本宮大社着。標高約200m。雨である。すぐに歩き始める予定だったが、見合わせて喫茶店に入る。モーニングセットを頼み、新聞を読んで雨が止むのを待つが、止む様子なし。

 荷を店に置き、大社に参拝。結局、あきらめて雨の中を出発した。雨で遅れた分、2時間の道のりをカットし、タクシーで山在峠(サンザイ峠。標高265m)まで入る。12:00に歩き始める。完走できるか自信はない。せめて、弥山(ミセン)まで行ければよいのだが。

(雨)
 雨には悩まされた。初日は一日中、2日目は午前中(ときおり激しい雨)、4日目は一日中(ただし、霧雨)、5日目は朝方と、4日間も雨に遭った。

 初日は雨の中でテントを張る。下着までびしょぬれ。外でじっとしていると風が体の中を通りぬけて、たいへん寒かった。手もかじかむ。
張り終わると、すぐにテントの中で着替え。服をすべて脱ぎ、乾いて暖かな下着と上着を身に着ける。
これらはビニールで包み、大切に持ってきたものだ。これでホッと一息。シュラフに入るとけっこう暖かかった。でも、こんなことで完走できるのだろうか。ふと、不安になる。

 翌朝はこれらの乾燥した衣服はすべて脱いで、ビニールに包む。そして、きのうの濡れた下着をまた身に着け、ゴアテックスのレインウエアーを羽織る。冷たい下着が肌にベッタリと張り付いて気持が悪いが、しかたがない。歩き出せば、体が温まり寒さはなくなるはずだ。

 霧雨の中を、大森山を越え、玉置神社へ。社務所の前の参拝者用テントでコンロを出して食事。標高は約1000m。ときおり雨が激しくなり、風が吹き抜けて寒い。車でここまで上がってきた参拝者が数人通る。まだ、先は長く、気分は暗い。

 幸い、香精山の登りにかかる頃には雨がやんだ。この日は地蔵岳(別記)を越え、葛川辻でテント泊。水場は10分ほど下った谷川。

 3日目、4日目は当初はテントを予定していたが、雨に叩かれたことや、修験者用の無人の小屋が次々に現れたことがあって、それらの小屋に泊まった(持経ノ宿、深仙ノ宿)。

 でも、雨が幸いしたことが一つある。6日間で行く予定だったのが、雨でスタートが遅れたために7日をかけたことだ。そのため、前半5日間の一日平均行程が短縮されて楽になった。これも完走できた理由の一つに挙げられる。

 3日目は薄日、5日目午後と6日目は快晴、7日目は曇り。

(大峰奥駆を完走した人は少ない?)

 大峰奥駆を完走した人は少ないだろう。理由の第一は荷が重く、しかも長丁場なので体力が要ることである。歩いていて体に故障が生じたらアウトである。私
の場合は、テントをmzさんに持ってもらった上に、最後の2泊は当初から食事付きの弥山小屋山上ヶ岳宿坊泊りを予定し、持参の食料を4日分に減らして荷を軽くした。

 家で計ったが、荷は歩き始めで18kg。水2Lやガスコンロ、シュラフ、換え下着3枚、換えズボン1枚、アルファ米6食、カップラーメン4ヶ、餅4ヶ、薄い餅1袋、非常食のゼリー6本等を含む。

 mzさんはテントを含めて20kgを超えた。
なお、5日目に食料が底をつき、弥山小屋の売店で弁当や菓子類を補給。また、深仙ノ宿で一緒になったおじさんからはパン4ヶをもらって、大いに助かった。

 完走者が少ない第二の理由は、勤めを持っている場合、連続して長期の休暇を取るのが難しいことだ。最低、6日は必要。せいぜい、ゴールデンウィークか、夏休みだが、夏は暑い上に虫が多そうである。
更に、女性には不可能という理由もある。これは、途中の山上ヶ岳一帯が女人禁制のためである。

 ところで、奥駆には順峰(じゅんぶ。熊野本宮から吉野を目指す)と逆峰(ぎゃくぶ。その逆)があるが、私達の歩いた順峰を行く人は特に少ないと思われる。
順峰の場合は、低い熊野(本宮が標高約200m)から最高峰の八経ヶ岳(1915m)を目指すので、登りが多くなるためだ。その全部を順峰で歩き通す人は年間に数十人位ではないだろうか。

 これに対し、吉野-弥山(ミセン)-前鬼、前鬼-熊野(これを南部奥駆道という)など、奥駈道の半分を歩く登山者はかなりいると思われる。このうち、吉野-弥山(ミセン)-前鬼を歩く人は特に多い。
2泊で歩くのだが、山頂の宿坊と山小屋(どちらも食事付)に泊ることができて、シュラフは不要だし、食料も少なくてすむためだ。

 一方、前鬼-熊野のほうはテントを持って歩くので、前者より歩く人は少ない(足の強い人なら無人小屋と玉置神社の社務所を利用することでテントを持たずに歩けるが、この間の距離は長い)。
ゴールデンウィークなのに、今回、熊野-前鬼間ですれちがった登山者は1日に数人程度である。ただし、地蔵岳だけは下の林道に車で来て日帰りで登る人が別に10人ほどいた。

(厳しい登りは香精山の登り。厳しい鎖場は地蔵岳の下り)

 山伏の修行の場なので、道はほぼ全ての頂きを踏むように付いており、登り下りが多い。ピークを通らずに巻いてもよいのにというよう所でも巻かずに登る。3時間ほど登りが続いたり、30分登ると30分下ったり、10分で上下したりする。

 登りで特にきつかったのは玉置山から香精山への登り。30分ほどの急登が2回ある。鎖はないが、木の根や岩を掴んで登る。
荷が重いので体を引き上げるのに腕力もかなり必要だった。まだか、まだかと思うのだが、なかなか上に着かない。長く、きつい登り。疲れがたまっているのに、更なる難行(なんぎょう)が加わるのだ。

 一方、鎖場も多い。地蔵岳(香精山に隣接)の下りは特に厳しかった。その他では、断崖の上を行く釈迦ガ岳の鎖場、岩場を上下したり、へずったりする七曜岳-大普賢岳間の鎖場など。登山道をはずれた所にも、修行の場として多くの鎖場があるが、これらには寄らなかった。たとえば、大日岳の50度の岩場に懸かる33尋(66m)の1本の鎖、山上ガ岳前鬼の裏行場などである。

 地蔵岳ではまず、頂上へと直登する10mほどの急な鎖場が現れる。この鎖場は少しだけ登ってはみたものの、荷の重さもあって墜落しそうな恐怖を感じて、引き返した。
巻道から頂上へ。次は下りの鎖場。20分ほどかかる長いものである。ともかく急。鎖のほかに、木の根や岩角に掴まりながら下りる。手を離せば、はるか真下へまっ逆さまだ。しっかりした木の根がいたるところにあるので助かった。

 草原状の広々した、ゆるやかな尾根歩きもたくさんあり、天国もあれば、地獄もあるという感じだった。

(3・4日目はゆるやかな尾根歩き)

 3日目は薄日がさす天気。きつい登りは少なくて、わりと楽な行程だった。歩き始めてからの3時間は特に足が軽く感じた。
ただし、mzさんが小さな事故に遭う。下り斜面で滑って茂みにうつ伏せに倒れ、小枝で顔をえぐったのだ。大事には至らなかったが、傷は目から5mmのところで、長さは2cm、深さは2mm。危なかった。

 行仙宿(行程中、最も大きい)から平治ノ宿を経て、持経ノ宿に泊る(いずれも無人小屋)。水場は5分。私達のほかに、宿泊は3人。うち2人は吉野から来た人。ここで縦走を止めて、林道を下り、温泉に入って帰るという。

 4日目は霧雨。きょうもきつい登りは少ない。ほとんどが、草原状のゆったりした尾根歩きだった。

(体力の維持)

 体力を維持するには、食べることと寝ることだ。
疲れてくると食欲がなくなる。途中にある無人小屋で1時間前後の休憩(上記以外にも、○○宿という修験者用の無人小屋が10ヶ所位ある。中はきれい)。

 持参のコンロで湯を沸かし、暖かい飲物を作ると食欲がわく。コーヒーよりはお茶や味噌汁がよい。砂糖湯に餅を入れるのも美味い。歩いているときは、ゼリー状のエネルゲン(180カロリー)を飲む。食事の後では、ときどき胃薬。

 寝るには暖かい下着が一番。

(花)

 ピンクのつつじが見ごろ。真っ白な花を付けたオオカメノキ?も多い。これらが霧雨にかすみ、晴天のときは新緑に映える。その雰囲気を写真に撮ろうと何回か立ち止まったが、結局、うまく写すことはできなかった。

 その他ではしゃくなげ。しかし、時期が早くて花はあまり見られなかった。石楠花岳は山頂周辺をしゃくなげが覆うが、つぼみもまだの状態だった。残念。

(八経ガ岳・弥山)

 4日目、深仙ノ宿泊。無人小屋。宿泊は4人。小さくて、4人で満員。後から来た単独行の女性は隣のお堂に泊る。
5日目、霧雨。釈迦ガ岳を越えると断崖上に鎖場が続く。「両部分けの岩場」、巨岩をかいくぐる「貝摺りの岩場」などは、歩くのに夢中で気がつかずに通りすぎた。雨の岩場は、足元に注意をしながら、ひたすら歩くのみである。

 孔雀岳で単独行の東京の人に会う。2回目で、初回は大きな荷を背負い熊野側から入ったが、今回はテントなしで熊野を目指すという。
無人の楊子ガ宿で食事。午後、雨が上がり青空が見え始めた。気持も明るくなる。

 八経ガ岳に着く。近畿地方の最高峰(1915m)。日本百名山・大峰山の最高峰でもある。百名山を目指し20年ほど前に来たところ。ここからは人が多く、子供連れの家族もいる。麓の天川村から登ってきたのだ。雲は高く薄日がさす。次の頂きが弥山(ミセン。1895m)。30分の距離。山頂に山小屋が小さく、くっきりと見えた。

 弥山小屋泊り。ここまで来れば完走できそう。下着だけで寝ても暖かかった。体も気持もゆったりとくつろぎ、ぐっすりと眠る。

 一方、mzさんはテント泊り。山頂周辺はテント禁止のようだが、翌日一緒に出発するために、やむをえずテントを張った。ほかにもいくつかテント。

(夏の暑さ)

 6日目、弥山-山上ガ岳(1719m)の区間では晴天が戻った。気分も晴れる。遠く紀州の山々の重なり。
前方に大普賢から山上ガ岳に至る山並み。後方に弥山。右手に、頂上までバス道路が白く延びる大台ケ原。南側を見下ろすと新緑が広い斜面に一面に輝き見事である。

昼近くには夏の暑さとなった。下着1枚となり、頭に手ぬぐいを巻く。晴れるように祈っていたのだから、これくらいの暑さは我慢しなければなるまい。

 いくつかある鎖場を慎重に越える。急下降の鎖場では、前を行く女性が手間取り、しばらく待たされた。

(山の楽しみ方)

 山上ガ岳山頂には宿坊が5つ。私達は桜本坊に泊る。同宿は1組5人のみ。前鬼まで行くという。風呂へ。ただし、湯船に湯が沸かしてあるだけで、体は洗えない。6日間も歩いたので、お尻がすれて、すり傷ができていた。

 翌朝は5:20スタート。ここでmzさんと別れる。彼は洞川温泉に下りた。温泉にゆっくり浸かり、早めに東京を目指すという。
mzさんとは山の楽しみ方が違う。
彼は山を楽しむほうだが、私は楽しむよりは辛くても歩き通し、すべての山頂を登り切るのを好む。ピークハンターである。

 5日目の行者還岳の山頂は道をはずれて10分のところ。彼は行っても行かなくてもよいと言ったが、私は頂上を目指した。彼は、奥駆けを歩き切るとか、山頂をきわめるとかは二の次で、山の中にいることを楽しむ。
また、小屋よりはテント泊りを好む。人それぞれである。認め合いながら、一緒に山を楽しんでいる。

(吉野路は単独行)

 単独で吉野を目指す。宿坊の若い坊さんが道の様子をいろいろ親切に教えてくれた。幸い夜中の雨はあがり薄日がさす。一人ひたすら歩く。誰にも会わない。

 二蔵小屋で1時間の休憩。無人だが、立派な山小屋である。ここから四寸岩山へは1時間20分の最後の登り。ややつらい。ここを下り更に車道を歩く。12:30、やっと奥千本の金峰神社に着いた。

 俳句を作る女性の一団がいる。きょうの行程で初めて人に会った。何でも見ておこうと、荷を置いて西行庵跡へ。往復約1時間。こんな山奥に西行法師が住んでいたとは。俳人芭蕉も2度訪れたという。

 車道を下り、水分(みくまり)神社に参拝。最後は壮大な蔵王堂へ。
熊野本宮で買って登山の間ザックに差していた小さなのぼりに、蔵王堂の朱印を記念のため押してもらおうとしたが、断られた。
おもちゃには押せないという。7日間の苦業の間持ち歩き、魂が入ったものに変わっているはずなのに。

 ケーブル乗り場(標高約300m)に15:20着。結局、1時間の休憩を含め10時間を歩き通したことになる。

 トイレの鏡で見ると、髭はボウボウで、髪の毛はボサボサ、乞食そのものの姿。温泉に入れなかったので体がとても汗臭い。

 近鉄・吉野駅前の茶店に入り、おこわのおにぎりとお茶を頼む。ぼう然として、ときおり大きなため息が出る。喜びを感じる余裕なし。異様な姿だったので、店の人は敬遠し近づかない。

16:05の近鉄特急で京都へ。乗客に迷惑と思い、車中にたくさんあった手拭きタオルで体を拭き、新しい下着(ぬれないようにビニールで包み、寝る時だけ着ていたもの)に着替える。17:50京都着。新幹線を利用して家には22:00に着いた。

写真を掲載します
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