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マッキンリー その2

(BCへ)
 7日目、4300m のBC(ベースキャンプ)へ。朝食10時。12時スタート。重荷を背負い、ソリを引いて登る。

 ウインディーコーナーで、前回運んでおいた荷を載せる。ソリが更に重くなり、急斜面を登るときは引き綱が腰に食い込んで、痛くて本当につらかった。雪の舞う中、22時にBC着。たいへん疲れる。さすがに寒い。アイゼンを素手で外したが、そのために手先が凍え感覚がなくなってしまった。凍傷の恐れを感じ、あわてて、手を下着の中に入れてもんだ。

 それから、テントを設営。疲れた中でMさんとⅠさんが雪をとかし、夕食を作ってくれた。食べたのは24時過ぎ。もちろん、外は白夜。明るい中での夜食だった。

(テントの中で)
 翌日はBCで休養。
 目をさますと、テントの内側一面に霜がついていた。あとで聞くと、外は零下26度。シュラフの外側の生地がうっすらと凍っている。寝ている間に、吐く息が凍りついたのだ。午前6時位か。トイレに起きる。体がテントの内側にふれると、霜がさらさらと雪のようにシュラフの上に落ちた。

 外が吹雪のときに用を足しに行くと、下着の中にまで雪が舞い込む。でも、じっと我慢。これに耐えないとマッキンリーには登れないのだ。このくらいのことはなんでもない、命に係わることではない--。

 テントに帰っても、何もすることはない。また、シュラフにもぐり込み、ウトウトとする。シュラフは厳冬期用のもの。厚着をした上に毛の腹巻も着けているので、もぐって寝れば、ほどほどに温かい。

 10時を回る。稜線の上に太陽が顔を出し、テントを照らすようになると、急にテント内が温かくなり、付着した霜が解け出す。それが水滴となって流れ、テントの内側に何本もの筋を作る。まだ、食事の時間には間があるようだ。シュラフから顔を出して、水滴の流れを追う。テントの生地を伝わってゆっくりと落ちていた2本の流れが合わさると、速さを増して、ツーと流れ落ちる。

 この日は薄日がさしたり、雪がちらついたりの一日だった。太陽が出ると、テントの中の気温は上がる。午後は裸でいてもよいくらいに暑くなった。風を入れるために入口を大きく開ける。

 このような休養日は、本を読んだり、CDを聞いたりして過ごす。
 本は、井上靖の「北の海」と今井通子の「私の北壁」を持ってきた。どちらも以前に読んで面白かったものだ。「北の海」は柔道一筋のバンカラ学生の物語。戦前の金沢四高が出てくる。主人公の生き方の型破りで、豪快なこと。仲間に遠慮しながらも、テントの中で思わずくすくすと笑ってしまい、夢中で読み終えた。

 CDは、アコンカグアのときと同じように、「大黄河」「新世界紀行」などを持ってきた。

 でも、テントでじっとしていると、ときどき「登れるだろうか」と不安になる。「登れたら、どんなに嬉しいことか」と思いつつも、「登れる確率は20-30%ぐらいかな。たぶん駄目かも」という悲観的な気持になる。

(食事)
 テントの食事は豪華だった。我が家でも、めったにないほどのご馳走。MさんとⅠさんが担当し、工夫をしてくれたのだ。

 アンカレッジで買った牛肉を焼き肉にしてたっぷり食べたが、これが特においしかった。肉入りのカレーライスも出た。

 ほかに、なすの漬物、納豆、大根おろし、きんぴら、とろろ、じゃがいものサラダなど。これらはすべて乾燥食品であり、水で戻して食べる。
 手巻きずしも何回か。アンカレッジで買ったきゅうり、乾燥食品の納豆、ソーセージ、チューブ入りのしそ梅などを載せて巻く。これもうまかった。

 しかも、デザートには毎回、好物のプリンが出た。これは私の注文で粉末を持ってきてくれたのである。

(服装と装備)
 夜寝るときは、冬用の分厚い下着を上下とも2枚づつ着る。更にウールのシャツと薄手の羽毛服の上下を着け、その上にジャンバーを着て、ズボンをはく。もちろん、毛の靴下と毛の手袋も。それでも寒いときは、毛の腹巻も着ける。

 シュラフは-27度cに耐えられるものを持参。もちろん、シュラフカバーも。

 ハイ・キャンプでは、スリーシーズン用のシュラフを中に重ねたが、これはやや余分だった。温かいが、荷物がそれだけかさばるのだ。

 出発のときは、これら衣服の上に更に多くの装備を着けねばならず、装着に小一時間はかかる。まずは、オーバージャケットとオーバーパンツ。次に靴を履きオーバーシューズを着ける。

 頭には目出帽と高所帽、ゴーグル。更に腰にハーネス。外に出てアイゼンを装着。毛の手袋の上にはオーバー手袋も。急傾斜を登る時はユマール(20cm程の長さの昇降器具。固定ザイルに掛けて、手で握って登る。上には進むが、下にはおりない) を着ける。シュリンゲとカラビナも忘れてはならない。

 また、緩やかな下りの場合はアイゼンの代わりにオーバーシューズの上からスノーラケット(かんじき。飛行場で借りて、ソリに載せ持ってきた)を着ける。また、アタックのときは、分厚い羽毛服も着用した。

 日焼け止めクリームをぬり、唇のひび割れ防止にリップクリームをぬることも忘れてはならない。リップクリームは2-3時間おきにぬらないと、唇が割れて食事ができなくなる恐れがある。

 ランディング・ポイントとBCの間では、このほかに、ソリに荷を着け、ソリがひっくり返らないように上手に紐を掛ける仕事もある。

 そして最後に、全員がソリを間にはさんでザイルで結ばれ、両手にストックを持って(BCより上ではピッケルを手にして)出発する。
                                      
<いよいよ、アタック>

(ハイキャンプへの荷上げ。45度の雪壁を登る)
 10日目、最終キャンプ地であるハイキャンプ(5250m)への荷上げを行う。 まず、尾根筋まで。ジグザクにトレースをたどり3/4を登ると、上部は傾斜角45度の雪壁となる。200 mはあろうか。更にその上半分は雪の着かないブルーアイス。

 上がり用と下り用に2本の固定ザイルが張ってあり、これを伝ってユマールを頼りに登る。氷壁に鼻がつきそうなほどに急な登り。上から見下ろすと垂直に近く見える。これを登りきって、BCから約4時間でやっと尾根に出る。

 次は、両側の切れ落ちた岩稜帯。これを2時間行く。途中、右側のはるか下にBCのテント群が見えた。あそこまでの標高差は 600mはあろうか。大きな岩を巻いて、固定ザイルのある急斜面を登る。雪面は凍っていて固い。次いで、左側にはるか谷底まで切れ落ちた斜面をトラバースする。トレースの幅は30cmも無さそう。緊張が続く。

 6時間でハイキャンプに到着。吹雪の中、荷を雪に埋めて、BCに戻る。

(ハイキャンプに入る)
 11,12日目はBCで休養。13日目、アタック用具をすべて持ってハイキャンプへ。つらい登りを再び繰り返す。

 隊長とザイルを結んだSさんが遅れる。結局、ハイキャンプに到達できず、5000mの稜線上で、二人はビバークを強いられた。さぞ、寒かったことだろう。

(アタック)
 14日目にアタック。
 午前2時起床。4人のみで4時30分頃スタート。快晴である。私はⅠさんと1対1でザイルを組む。もう一組は、MさんとNさん。

 当初の計画では、MさんとNさんと私でザイルを組み、Ⅰさんは、ビバークをしたKさんとSさんをサポートするためにテントに残る予定だったが、私は1対1でⅠさんとザイルを組みたいと強くKさんに希望した。それは、3人で組んでいて私ひとりがダウンしたときは、全員が登れなくなる恐れがあるからだ。体力のある二人のペースではなく、自分のペースでゆっくりと登りたくもあった。

 この日、初めて分厚い羽毛服を着ける。いままではオーバーヤッケで済ませてきたが、寒さが違うということで、これを着用した。その下には厳冬期用の分厚い下着を2枚と薄手の羽毛服、それにセーターとジャンバーも着る。

 稜線上のデナリパスまでは約2時間。途中で、Ⅰさんが「足先の感覚が無くなった。凍傷になりそう」と言って、靴を脱いで足先をもむということがあったが、大事には到らなかった。

 稜線に出る。ここから私が前を歩く。Ⅰさんが、そのほうが私のペースで歩けて、登れる確率が高いと判断したからである。10m位の急斜面が一箇所あったが、それ以外は延々とゆるやかな登りが続く。そんなに苦しくはない。順調だ。

Ⅰさんが「この調子でいけば、登頂できますよ」と言ってくれた。ともかく登る。後で気がついたが、登ることに夢中で、頂上直下の稜線に出るまでは、写真を撮るのを忘れていた。

 デナリパスから4時間は経ったろうか。大きな雪原に入る。雪原の向こうの、日に輝く雪の急斜面に、はるか上方へと一筋の踏み跡が続いている。高度差は100mはありそう。雪原まで来れば頂上はすぐと本に書いてあったようだが、勘違いだった。まだ先が長いと知って、このあたりから急に疲れが出てくる。足が前に出なくなった。

 休憩をとるが、疲れで食欲がなくなり、何も食べたくない。Ⅰさんが「何か食べないと、あとで力が出なくなり、登ったはいいが、帰ることができなくなって死にますよ」と言う。

 でも、持ってきたチョコレートやパンはパサパサで食べられない。Ⅰさんが持参したドライフルーツをくれたので、それを食べる。アタック時の行動食は、共同で用意したものに頼らずに、独自に好物を用意してくればよかったと思う。

 斜面に達する。疲れきった自分に登れるだろうか。それでも、登らなければ--。ここから苦闘が始まる。ハアハアと激しく息をしながら、なんとか気力をふりしぼって、足を前に出す。一歩進むと、立ち止まって何回も深呼吸。酸素が欲しい。酸素は平地の1/3ぐらいか。

 なかなか、体に酸素が回らない。深呼吸を繰り返すと、また、歩く気になる。そして、また、一歩。これを繰り返す。斜面を登りきれば山頂のはずだ。それだけを考えながら、ともかく一歩、また一歩と登る。

 Kさんが前回登ったときは、このあたりで天候が崩れて引き返したと聞く。吹雪に巻かれホワイトアウトの状態となり、足跡や目印(数十mおきに竿か旗が立っている)が見えなくなって、感を頼りに命がけで下ったという。しかし、きょうは天気は最高。崩れる恐れは全くない。登頂にも、下山にも、いくら時間をかけてもよいのだ。

 雪原から一時間もかかったろうか。12時頃、斜面を登り切って、やっと稜線に達した。ところが、「よし、ここが山頂だ。やっと着いた」と思いながら斜面を回り込んでいくと、更にそのはるか先に、より高い純白の峰があるではないか。

ショック。ここではない、あれが山頂なのだ。しかも、そこに達するには、数十mは続くナイフリッジ(両側が鋭く切れ落ちた雪の稜線)を渡らねばならない。高度の影響だろうか、気持も悪くなった。もう、限界だ。自分には無理だ--。

 とたんに疲れが全身を覆い、ガックリと雪上に座りこんでしまった。上空は深く透きとおるような青空。はるか下の方は見渡すかぎりの雪と岩の山々。快晴、無風。日を一杯に浴びながら、頭がぐらぐらするほどの疲労感におそわれた。

 Ⅰさんに「あきらめます。もう動けません」と伝える。アーア、また駄目か。むなしさが襲ってくる。結局、アコンカグアにも、ここにも登れないのか--。

 「Ⅰさん、ひとりで登ってきてください。僕はここで待っています」と言うと、彼は「あなたをひとり残して行くわけにはいかない
先行したM・N組が下りてくるまで待ちましょう」と言って、行こうとはしない。

 1時間前に山頂に達したM・N組がナイフリッジを渡って下りてくる。豆つぶのように見えた二人がみるみる近づいてきた。山頂はあんなに近いのだ。それをぼんやりと眺めていると、ふと気分が変わった。「あんなに近いのなら、僕にも行けるかもしれない」。

 20分か30分ほど座っていて疲れがとれたためでもあろう。何か元気が出てきた(そう言えば、キリマンジャロのときもそうだった。5600mのギルマンズ・ポイントに達したときは、「もう駄目だ。ここで引き返そう」と一度は思った。

しかし、休んでいる間に地平線から太陽が顔を出して急に温かくなり、そのお陰もあって元気を回復し、結局、そこから2時間かかる最高地点、5895mのウフルピークまで登ってしまったのだ)。

 「よし、行ってみよう」。ザックを下ろす。胸のしめつけが無くなり、気持も良くなる。ザックは風で飛ばないようにⅠさんが雪の中に埋めてくれた。

 空身で気分良く、ナイフリッジへと踏みだす。30-50cm幅の雪の稜線上を行く。両側が切れ落ちているが、Ⅰさんにザイルで確保されているので、怖さは感じない。なんなく渡りきる。無風であることも幸いした。これが強風が吹き荒れていれば、転落の危険が高くなり、渡るのは難しかったであろう。

 斜面を登り、最初の頂きへ。トレースからはわずかに高さ10m程度の雪の小山に見える。そこに近づくと、トレースは更にその先へ延びていた。次の頂きへ向かう。足取りは依然として軽い。まだ先だ。その次へ。          

(登頂に成功)
 やっと山頂に達した。これ以上高いところはない。13時10分。休憩地点から45分で登ってしまった。純白のフォラカー山がはるか下に見える。その向こうには雪と岩の峰々。白くうねって見えるのは氷河であろう。その先にアラスカの原野が霞んで見える。

 山々と平行に点々と雲が浮かぶ。アラスカ第一の高みに立っているのだ。何という爽快感。自分が風となり、はるかなる青空へと吹き抜けるような解放感にひたる。

 涙は湧かない。登頂できたときは感動で涙するかと思っていたが、不思議と涙は出てこない。すばらしい解放感が涙を忘れさせてしまったようだ。
 Ⅰさんと握手。写真を撮りあう。

(頂上を後にして下山)
 下山にかかる。
 登頂のために全力を使い果たし、下山する力はほとんど残っていなかった。

 下に向かって足を踏み出すのだから、こんなに楽なことはないはずなのに、足が前に出ない。

 何歩か歩いては立ち止まり、深呼吸を繰り返してから、また歩き出す。しかし、数分間で、また足が前に出なくなる。全く、よれよれだ。あいかわらずの快晴、無風。暑い。羽毛服を脱ぐ。

 やっと、デナリ・パスに到達。次いで急斜面をトラバース気味に下る。ここは、厳冬期に山田昇氏(エベレスト登頂者)とその仲間2人が滑落して亡くなったところだ。要注意である。立ち止まりたくなるのをこらえて下るが、何度かよろめく。歩く力を使い果たし、Ⅰさんに悪いなと思いながら休憩を申し出て、数回、休憩を取る。

 やっと、テントのある雪原の端に下り立つことができた。もう危険はない。そう感じた途端に歩く気力を失った。ザイルを解き、Ⅰさんに先に行ってもらうことにして、雪面に座り込む。心底、疲れた。もう動けない。30分は座っていたであろう。

 それから立ち上がり、ゆっくりとテントに向かう。ほんとうにゆっくりと、亀のように。背後から何人かに追い越される。この歩みでは病人と思われるかもしれない。普通なら10分のところを1時間ほど掛けてやっとテントに着く。

 Sさんが旗を持って、また、K隊長がコーヒーポットを持って迎えてくれた。コーヒーを一杯、なみなみと注いで飲む。Nさんが、私がはずしたアイゼンとピッケル、ザックを受け取ってくれた。有り難い。Ⅰさん、Mさんと握手。そのあとしばらくは、テントに入らず雪面に座りこんでボーっとしていた。

(隊長は、翌日単独登頂)
 この日同行しなかったK隊長は、翌日単独で登頂。午前4時30分に出発し、10時30分にはテントに戻ってきた。私が14時間かけたところをわずか6時間で往復してきたのだ。下りてきても、息づかいは普段どおりである。疲れた様子は全くない。「えっ、ほんとうに行ってきたの」という感じだった。

 こんなに早く行けるのは、体力があるだけでなく、高度に慣れているからだと思う。面白いので、ちょっと、自分と比較してみよう。

 私は、準備山行として、4月の末に一人で雪の富士山に登ったが、このときは5合目(佐藤小屋)から山頂までの標高差1000mを7時間で往復した。マッキンリーのアタックも標高差は1000mである。標高差だけをとれば、所要時間にそう変わりはない。何が違うかといえば、6194mと3776mの高度の違いである。高度順応が完全なら、私も、もっと早く登れたかもしれない--。

 もっとも、この山に登るには、高度順応だけでなく、どんな危険にも即座に対応できる判断力(それは豊富な経験に基づく)とすぐれた登山技術が必要であり、その点ではK隊長のレベルは抜群である。また、私達の倍近い荷を背負って長時間歩けるだけの体力、5000mの稜線上でビバークしたあとでも疲れを知らない持久力など、誰にも負けない力も備えている。

(登頂出来たのは)
 登頂出来た第一の要因は、アタックの日が一日中快晴という幸運に恵まれたこと、しかもその好天が、我々がハイキャンプに到達した日の翌日に訪れたことにある。

 登山開始から3日目にすれちがった若い2人の日本人は、天候が悪かったためにハイキャンプで5日間も食料を食いつないでねばり、その後の好天をとらえて登頂したと言っていた。また、そのころ下りてきた何人かの外人に「サミット、サクセス(成功)?」と聞いてみたが、「ノー。バッド・ウエザー(悪天)」と言う人がかなりいたのである。

 第二の要因は、高度順化が比較的うまくいったことである。登頂の日、6000m を越えたあたりでは、酸素不足のために体のだるさに悩まされたが、それ以前のテント生活では頭痛や吐き気に悩まされることはほとんどなかった。

  第三に、Kさん、Ⅰさん、Mさんというヒマラヤの高峰を経験したエキスパートがサポートをしてくれたことである。特に、Kさんはマッキンリーに既に2回登っている。今回は、それらの豊富な経験をもとにKさんが作成してくれたスケジュールに従って登った。その計画は、予定した日数の範囲内で、高山病を予防しつつ登頂の可能性を最大限に追求するというものだった。

 もちろん、Ⅰさん、Mさんのサポートも忘れてはならない。彼らのサポートがあるために、急峻な雪面の登り下りや、両側が切れ落ちた岩稜帯やナイフリッジの通過の際に、安心して行動ができた。

 そこでは一瞬のつまずきが事故につながる。私のような素人はいつ足を滑らすか分からない。それを背後から常に見守り、長時間にわたって確保のための緊張感を持続させるのは大変なことだったにちがいない。

 このほか、三人の方には、共同装備のかなりを背負ってもらい、また、Mさんには食事作りをも担当してもらった。
  第四に、私自身も過去にキリマンジャロやアコンカグアに登って高所登山に少しは慣れており、高所ではどの程度苦しいかがある程度分かっていたということもあると思われる。

<ハイキャンプからの下山>

(雪壁で転倒)
 15日目。Sさんがデナリパスまで登りたいと希望したので、K、Ⅰの2人はハイキャンプに残り、隊長の指示でM、N、田村の3人だけが先にBCに下りることとなった。
前日の登頂の疲れがかなり残っており、無事に下れるかやや不安に感じながら出発する。

 登りのときは2回に分けて荷上げをしたが、下りではそれらをまとめて背負った上に、共同装備として持ってきていた数十本の目印用旗竿もザックに差して持ったために、荷が重い。20kg以上あるようだ。快晴だが、風は強い。

 稜線に出ると、旗竿が風にあおられ、体がゆれた。ザイルで確保されているとは言え、両側が切れ落ちた稜線上では、転倒すれば3人一緒に滑落する危険がある。転倒は絶対に避けねばならない。足を開き、ふんばりながら下りる。緊張の連続--。

 次いで45度の雪壁へ。Mさんにザイルで確保された上で、固定ザイルにカラビナをかけシュリンゲを通して、自分を二重に確保する。順調に下り続けたが、固定ザイルが終わる直前の、垂直に近い4-5mの氷壁を下りるときに失敗した。前回の荷上げの帰りには、空身だったこともあって、ここは飛び下りて通過していた。

 そこで、また飛び下りたのだが、今回は荷が重すぎて前にのめってしまった。何とかなると思って気楽に飛び下りたのがいけなかったようだ。稜線では緊張し注意を集中して歩いていたのに、ここではもう大丈夫と油断したのである。

 うつ伏せのまま急斜面をずるずると滑り始め、あわててピッケルの先を雪面に突き差したが、腕が伸びきって制動がうまく効かない。夢中で腕に力を入れる。すると、1mも滑らずに、加速する前に体が止まった。

 ほっとする。うつ伏せのままの姿勢でいると、Nさんが足に絡んだザイルを解いてくれた。Mさんがそばまで下りてきて、確保の体制をしっかりとってくれたので、やっと雪面に立ち上がることができた。ほんの一瞬のことである。

 後で思うと、止まったのは、体が二重に確保されていたためのようである。

 ここを過ぎると、あとはのんびりとした下り。眼下にBC、その向こうには登ってきた大氷河が広がり、遠くハンター、ホラカーも。写真を撮りながら下っていった。

(凍傷) 
 翌日、Sさん達もBCに下りてきた。Sさんは結局、デナリ・パスにも登れなかった。私もアコンカグアの時に登れなかった経験がある。あのときのくやしさ、気分の落ちこみ--。Sさんの思いがよくわかる。

 彼女はかなり疲れていた。
 その上、指が3本、青黒く、ビーダマのように腫れていた。凍傷である。手袋は2枚着けていたが、やや薄目だったためにやられたようだ。

 隊長の指示で、まず湯で温めて様子を見る。かなりひどい。結局、隊長と2人で、医者が一人常駐しているBCの診療所に行く。

 しばらくして帰ってきたが、指を切り落とすほどの重症ではないということで、皆ほっとした。

 指を切り落とすということになれば、ヘリコプターが呼ばれ下界に運ばれるところだった。

(ソリに難渋)
 下山。BCからランディング・ポイントまで2日間の行程。
 一日目。Sさんと隊長がザイルを結び、あとの4人は別にザイルを結ぶ。6人で縦に一列になり、それぞれの間にソリをはさんで下る。

 前の人が引っ張るソリは後ろの人とも結ばれており、3番目の私は後ろのソリを引きながら、前のソリが前を行く人の足元へ滑っていかないように、また、斜面をトラバースするときは横へずり落ちないように常に気を配りながら歩かねばならなかった。

 来るときは無かったのだが、夏のために雪どけが進み、数m幅のクレバスが横に長く口を開けていた。その上に懸かった幅 3mほどのスノーブリッジを渡る。次には斜面のトラバース。後ろの人が私の後のソリをいくら引っ張ってくれても、ソリが斜め下に滑り落ちてしまい、体が谷側へと引っ張られる。

 ウインディーコーナーを越えると更に急な斜面のトラバース。後方ばかりでなく、前方のソリも斜面を横に滑り落ち、その上、引き綱が足にまとわりつく。前後二つのソリの荷重で体がよろめく。

足をふんばるのだが、谷底へと引きずりこまれそうな恐怖を感じる。雪面がブルーアイスとなって、更に怖くなり、思わず、前を行くⅠさんに「ゆっくり!」と大声で呼びかけた。それからは更にゆっくりと慎重に下る。
 
 前にテントを張った3800m地点に到着。吹雪になった。Sさんと隊長が遅れる。しばらく待ったが、なかなか下りてこないので、Ⅰさんが迎えに行く。待つ間、単独行の日本の若者がテントから出てきて、熱いコーヒーをふるまってくれた。

 後続がようやく到着。そこからはゆるやかな下り。スピードを上げて下山しようとするのだが、今度はソリに難渋した。

 どのソリもすぐにひっくり返り、それを直すのに時間をとるために、距離がなかなかはかどらない。原因は積み過ぎと荷のバランスの悪さにあるようだ。何度か積み荷を直すが、うまくいかない。かんしゃくを起こす人も。私はひっくり返っても、強引にそのまま引き続けた。その重いこと-。

 結局、予定のテント場までは行けずに、その少し前でテントを張った。
  
 最終日。はじめて、スノー・ラケット(かんじき)をつける。
 荷の積み方がよかったせいで、この日は順調に下る。
  トレースの脇のところどころには大きなクレバスが口を開けていた。
 なかなか、ランディング・ポイントに着かない。あらためて、氷河の広さを感じる。疲れてきた。休憩が待ち遠しい。

 目的地に到着したのは16時。天候不良で飛行機は飛ばないという。雪で丸いテーブルと腰掛けを作り、皆で夕食をとる。子供のいたずらのようで、何か楽しい。

  のんびりしていると、ふと爆音が聞こえた。近づいてくる。飛行機が天候の状況を偵察するためにタルキートナから飛んできたのだ。飛べるかもしれない--。あわてて、食事の後片付けをする。他のグループも荷作りを始めた。あたりは騒然となる。女性のレンジャー隊員が小屋から出てきて大声で何か叫んだ。多分、飛べるから準備をしろと言っているのだろう。

 20時頃、次々に飛行機が着陸してくる。我々も呼ばれた。まず、M、N、私の3人が乗り込む。発進---。ところが、このあと天候が再び悪化し、結局、あとの3人は取り残されて、帰着は翌朝になってしまった。

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