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アコンカグア その4

<アルゼンチン紹介> 
             
 かってのスペインの植民地。1816年独立。人口3千万人で、その97% はスペイン、ポルトガル等ヨーロッパ系の移民、または、その子孫。宗教は、90% がローマン・カトリック。
主な産業は農業。牛肉、小麦、とうもろこし、バナナ、ぶどう、たばこなどを生産。また、世界第4位のワインの産地でもある。メンドーサはその中心地で、ワインの美味さは、ヨーロッパでも有名だという。

 南極に近いパタゴニア地方にあこがれる旅人は多い。60-100mの高さの氷河の先端が、湖に大音響ととも崩れ落ちるというが、その様子を是非見てみたいものだ。
隊のMAさん、HAさんは、今回の登山の帰りに日程を延長して、パタゴニア地方に更に一週間の寄り道をした。
                                    
(BCのホテル見物) 
                          
 BCから歩いて30分の距離にポツンと建っているホテルに最初に出かけて行ったのは、私とDOさん、NAさんの3人。

 風呂に入りたかった。でも、あるだろうか。途中ですれちがった外国人の登山者に、手ぬぐいをひらひらさせながら、「シャワー、OK?」と大声で聞いてみると、「OK」という返事があった。風呂はあるのだ。

 ホテルに到着。建物の外観はきれいだったが、建ったのは最近のようで、まだ内部は完全には出来上がっておらず、泊まる部屋はバラック建てに近かった。

 紅茶とスープを頼む。紅茶3ペソ(3百円)、スープ5ペソ。
 シャワーは7ペソ。久しぶりのシャワーである。でも、湯の出が悪い。湯が急に水になった。大声でボーイを呼ぶ。言葉が通じないので、ふるえるまねをして知らせる。湯は出たが、今度は熱すぎる--。

 調理場の方に行くと、シェフが出てきて、マテ茶(砂糖入りの苦い茶をパイプで吸うもの)を3人にごちそうしてくれた。

(氷河遊び)
                               
 BCを発って帰る前日、Kさんが希望者を氷河遊びに連れていってくれた。YA、NA、SE、TAR、私の5人が参加。前日までの登山の疲れが残っていたのであろうか、ゆっくり寝ていたい人が多く、意外に参加者は少なかった。

 初めは、30分歩いてホテルへ。そこから、氷河の先端に向かう。
 氷河の端は、まばらに溶けて、高さ数mの氷の塔が林立していた。その中を歩く。ピッケルでその氷塔を倒して遊ぶ。氷河の上を川が流れている。
青い大きな池がある。高さにして約10mの垂直の氷河の壁で、両手にピッケルを握りアイス・クライミングを初めて経験させてもらった。                 

(物々交換を試みる)
                           
 BCにある現地人のテントの売店に出かけていき、花の絵はがきとソーラー電卓(神田で数百円で買ったものだ)の交換も試みた。
意思が通じるかと迷ったが、これも経験と、意を決し店に入る。もちろん、相手はスペイン語なので言葉は通じない。
電卓を見せながら絵はがきを指さして「チェンジ、チェンジ」と大声でいう。店にいた女の人が奥から旦那を呼んできて相談を始めた。
こちらは今度は「ソーラー、ソーラー」と繰り返す。旦那はたいへん気に入ったらしく、商談はめでたく成功。5枚一組5ペソ(5百円)の値がついたサボテンの花の絵はがきを手に入れた。

(石集め)                                
 記念に持ち帰ろうと、石も沢山拾った。コンフレンシァからBCへの道は谷をさかのぼる。谷といっても幅は数百mはあり、広々とした河原である。そこを珍しい石を探しながら歩いた。
緑の石、黒い石、赤い石、白い石--休憩のときに探す、進行中も立ち止まっては探す。穴のあいた真っ白で小さな石を見つけた。それだけは、壊れるといけないのでティッシュに包んで別にした。

  C2 では、ゴルフボール大の穴があいた平べったくて大きな石を見つけた。1kgはありそう。ずしりと重かった。ザックに入れてBCまで運ぶ。あとで、これを知ったKさんが同じような石をもうひとつ見つけてくれたので、これもBCに持って帰った。
BCからの帰路、その重かったこと。2つとも、今、我が家の玄関に並んでいる。

 また、TARさんが、私にとっては幻となった山頂の石を記念にくれた。これも大事にしまってある。

(スケッチ)
                               
 スケッチブックを持参し、2枚のスケッチを描いた。

(CDで「大黄河」を聞く)
                        
 日本にいて、音楽を聞きながら、はるかな異国に思いをはせていると、ふと郷愁を感じる。宗次郎の「大黄河」や服部克久の「新世界紀行」を聞いているときである。ときどき、一人きりで、そんな雰囲気にひたるのが好きだ。また、ショパンのピアノ曲集などもよい。

 今回はこれらのCDをプレイヤーと一緒に持っていって、夜のテントの中で聞いた。

 テントの外では、高島さんが持ってきたマイクをつけて皆で聞いた。倍償千恵子の歌に-何の歌だったか-、涙ぐむ隊員が何人かいたようだ。

(ひげをのばす)
                             
 長期の山行になると、ひげがかなり伸びる。ひげが伸びると、すこしだけたくましくなったような気がして、何となく嬉しくなり、わざと伸ばして、撫でてみる。南アルプス縦走などで、経験したことである。

 国内の山行だと、山にいるのはせいぜい5日間ぐらいだが、今回は旅行日数を入れれば、その期間は20日にもなる。こんなに長い山行は初めてだ。ひげを伸ばすチャンスである。そう思って、ヒゲそりは持たずに出かけた。

 成田空港を出てから一度も剃らなかった。BCにいるあいだに1cmをこえ、BCにあるホテルのボーイから「ジャパニーズ・ガウチョ」(ガウチョとはカウボーイのこと)とからかわれた。

 2週間に及ぶ登山を終えてメンドーサのまちに帰り、鏡を見てがっくりした。たくましい顔になっているだろうと期待していたのに、ヒゲぼうぼうの乞食の顔が映っていたからだ。

 家まで伸ばしたままで帰り、子供に見せて自慢しようと思っていたのだか、方針変更。高島さんから手剃りのひげそりを借りて、ホテルでさっぱりと剃りおとしてしまった。

             <帰国後 雑感>            

(世界旅行)
                               
 旅行が好きで、昔から、外国旅行にあこがれていた。初めて外国に行ったのは、40才代の後半。仕事で20日間ほどヨーロッパにでかけた。次は個人でソ連へ。5泊6日のシベリヤ鉄道の旅である。地球の外周の4分の1を列車で移動し、地球の大きさを実感した。

 その頃から「山めぐりで広く世界各地を旅行しよう」と思うようになった。前回はキリマンジャロに登り、アフリカ大陸に足跡を残した。今回は南米大陸である。ニューヨークにも行き、ダウンタウンを3時間ほど散歩したので、一応は北米大陸にも足跡を残したことになる。

(日本の自然のすばらしさ)
                        
 緑にあふれているのに、どこか乾いた感じのするメンドーサのまち。日差しが強く、しかも湿度が低いせいだろうか。そのまちを一歩出ると、今度は、草木のほとんどない土ぼこりの荒野や岩山が続く。川は赤茶色の濁流。氷河の水を集めて流れる

 そんな中にいて、日本の自然のすばらしさをあらためて見直した。緑の豊かさ、みずみずしさ、それに豊かな季節感。何回か行った、あの梓川の、たっぷりとして清く澄んだ流れのすばらしさ--。日本の自然は、地球上の貴重な財産である。

(充分楽しんだ)
                             
 これだけ楽しんだのだ。これからは自分だけが楽しむ山行はできるだけ抑えて、休日はなるべく、もう少し誰かのためになるように使おう

 自分のことをつい優先してしまう私の生き方は、なかなか改められるものではないのだが。

(ほっとする)
                              
 行くまでは緊張していたが、帰国後はほっとしたためだろうか、体重が3kgふえた。めずらしいことである。この30年間、体重がふえたことはなかったのだが。

(ささやかな挑戦)
                            
 なぜ、山に行くのか。「そこに山があるから」と言った人もいる。
 私の場合は、「何かをやり遂げてみたい」からであり、ささやかな挑戦のためである。やり遂げること、登頂することには喜びが感じられる。
そのために、行く山は、自分の力の限界ギリギリのところをねらう。ここ数年で行ったのは、夏・4泊5日の南アルプス単独縦走、北ア・旭岳-親不知海岸縦走、春季・雪の3千m・聖岳、穂高・ジャンダルム、初級ロッククライミング、モンブラン、キリマンジャロなど。
これらは、力のある人にとっては容易と思われるが、私の場合は、行くときはいつも「行けるだろうか」と不安を感じながらの出発となる。
また、日本百名山や日本列島横断(茨城県取手市の自宅から、日本海への山脈縦走)にも挑戦している。

 頂上直下、「もうすこしだ」と思いながら、いかに疲れていようと、足を前にだす。上を見ながら登ると、なかなか山頂が近づかず疲れが増すので、足元だけを見て登る。
疲れがひどくなると、100歩づつ数え、その間は立ち止まらないように心に決めて登る。とにかく、がんばるだけ。

 誰でも、挑戦するものを--心をかきたて豊かにする何かを持っているであろう。それが、今は、山のようである。

(他の動物との違い)
                           
 山登りは,自分のために行くのであり、人のためではない。また、自分のためといっても、生きていく上でどうしても必要な衣食住を手に入れるためでもない。
スポ-ツは全て、そうであろう。しかも人間は、それをやり遂げたときに、涙を流すほどに感動することがある。
また、それを見た人間も感動で胸をふるわす。オリンピックでの優勝などはその最たるものであろう。それは人間だけの特徴だ。ほかの動物にも、たとえば、大空を舞う鳥のように、運動を「楽しむ」という習性はあると思われるが、それに「全力で挑戦する」ようなことはないであろう。

 大昔の、人が生きるために必死であった時代には、人間もこのようなことはしなかったのではなかろうか。仲間を守るためでもないし、衣食住を得るためでもない--ある意味では無益な行為に、人は敢えて挑戦する。

(いつか)                                
 楽しかったことも、悲しかったことも、すべての思い出は、いつか、その人の死とともに、無に帰る。それでも--いや、そうであるからこそ、人は何かを求め続ける。                 
          
<隊長、副隊長以外の隊のメンバー>          

 行くときにわが家に奥さん・子供さんと一緒に泊まったYAさん(43才)は、今夏にヒマラヤの7,000m峰の登頂をねらっており、今回はその準備山行を兼ねて参加した。料理長として活躍。

 WAさん(38才)とは行きのホテルの部屋が一緒。彼はBCに入ったときに意識不明で倒れたが、いったん下山し高所順応に務めた結果、登頂に成功した。

 DOさん(45才)とは帰りのホテルの部屋が一緒。英語が上手い。一緒にニューヨーク見物にもでかけた。オーストリアの視覚障害者にインタビューしたときも同行してもらった。
C2 では苦しそうだったが、がんばって登頂に成功。下山では力を使いはたし、BCから応援に向かった若手のサポートを受けた。

 NAさん(36才)は、隊の準備山行以外にもTARさんと冬の富士に登ってトレーニングに励んだほどの、ベテランのアルピニスト。C2 への荷上げのときに共同装備の重い荷を背負って登ったせいか(その分、私の荷は軽くなったのだが)、アタックのときはややばてて、あと一歩のところで登頂を断念した。
帰国後、すぐに「山行記」を作成し、皆に送ってくれた。後日、勤めを辞めて労山隊の一員としてエベレストに挑み、見事登頂に成功。

 TAさん(56才)は、夜間高校の先生。地域のボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。メンドーサで昼食を食べながら、いろいろと話を聞いた。
  
 MAさん(29才)は、松本市で児童福祉の仕事をしている。隊で最も若い。荷上げやサポートでSEさんと共に活躍(初日にBCへの到着が遅れたWAさん、登頂に成功したあと疲れて下山が遅れたDOさんをサポート)。
帰りにHAさんとパタゴニアにも寄っている。オーストリアの視覚障害者に2回目のインタビューをしたときに一緒だった
。                            
 TASさん(43才)は大工さん。アコンカグアで日本から持ってきた凧をあげるのをひとつの楽しみにしていた。BCと6,400m地点で念願を2回も達成。

 SEさん(33才)はワンデイアセンドに成功した山男。テント生活のときは、熱心に星を撮影していた。
                          
 NARさん(52才)からは、ヒマラヤトレッキングの話を聞いた。荷物を持ってもらい、食事を作ってもらう大名旅行だという。写真を沢山送ってくれた。縁があり、後日、マッキンリーに一緒に登った

 TARさんは、40才代の主婦で、会社勤め。子育てが終わり、数年前から山を始めた。今回は、トレーニングのために、ザックを背負いながら家事をやったという。                                                                 
  HAさんは30才代の主婦で、写真屋に務めている。小柄ながら、足は強く、登るスピードは早い。私などとはそのスピードが違う。残念ながら体調不良で頂上には行けなかった。
 
 今、皆さんはどうしているのかな。元気で山に登っているだろうか

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