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2009年2月

2回目のサンティアゴ巡礼-フランス「ル・ビュイの道」をめざして

<2回目のサンティアゴ巡礼-フランス「ル・ビュイの道」をめざして>

注)2009年6月21日-7月20日、この道を歩いた。「サンティアゴ巡礼・フランス編(ル・ピュイの道) 」 http://takesitamura.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-22f5.html に報告を掲載したので、参照されたい。

  (行こうと思う・2008年9月
 精神的にちょっと疲れて、毎日の生き方に積極性が失われてきた。六つ星山の会(視覚障害者と共に山に登る会)の事務局を担当して10数年、事務と1-2週間おきのサポート登山を延々と続けてきたが、最近は日程が混み合い休む暇がなかったこと、視覚障害者登山で4泊5日の南アルプス縦走にサポートとして参加したときに「自分が登るのがやっと。サポートどころではない」と脚力の衰えを痛感したこと、山の会でいろいろと人間関係の葛藤があり悩まされてきたことなどが原因と思われる。

 これではいけない。前向きに生きる気持を持たなければ。それには夢を持つことだ。
 夢。それはヨーロッパに行っての長期間のウオーキング。これまで何となくあこがれてきたが、その実現に一歩踏み出してみよう。

 それは、フランス国内をル・ビュイからサン・ジャン・ピエド・ポーまで歩くこと。映画「サン・ジャックへの道」(フランス映画・日本で公開済)に登場するサンチャゴ巡礼路の一部である。そこに行こうと思うと、ワクワクしてくる。

 マッキンリー登山や前回のサンチャゴ巡礼に行くと決めたときも、行くまでの数ヶ月間、そんなワクワク感を味わいながら毎日を過ごした。人生では最高の瞬間がいくつかあるが、その一つが大きな夢への挑戦である。もう一度、そんな夢に挑戦してみたい。

 まずは行く仲間。フランス国内はスペインほどに道や宿泊施設が整備されていない。道が分からなくなったり、宿が見つからないということもあるだろう。そんなときに相談しながら一緒に歩ける、気心の知れた仲間がいたら、とても心強いのだが。

 2008年9月のある日、友人のmzさんに会ったとき、「来年の夏頃、一緒に行かないか」と誘ってみた。彼は200kmマラソンなどもやっており、一緒に行ければたいへん心強い。春の聖岳に連れて行ってもらい、吉野-熊野奥駆山行ではテントを持ってもらった。気心が知れている。しかも、英会話が私よりはるかに上手だ。「あまり長い期間でなければ」OKとのこと。まずは、ハードルを一つクリア。

 次は体力の問題。前回64歳でスペイン国内のサンチャゴ巡礼路を歩いたときとは異なり、体力が落ちている。最近は2歳と4歳の孫の相手で忙しく、ジョギングや水泳をほとんどやらなくなった。そのせいか、胃の調子もよくない。こんな状態では前回のように毎日歩き続けることはできないだろう。体力と脚力の回復が必要だ。

 とりあえず、4日ほど朝夕5kmのジョギングを欠かさずに続けてみた。急にやったので、ももが痛い。また、妻と銀座を散歩したあと、一人で銀座から北千住まで隅田川沿いを1回も休まずに歩いてみた。3時間15分のウオーキングである。次は市内のプールで水泳を1500m。視覚障害者登山の関係では奥多摩・青梅のハイキングコースや山中湖畔・三国山へ。

 これからはこんな形で、視覚障害者登山のほかに、ジョギングと水泳、それに一回5-8時間のウオーキングを組み合わせて、巡礼路を歩き続けられるだけの力を付けていきたいと思う。

道と宿を調べる
 行くとなれば、まだまだいろいろと心配がある。スペイン国内では「道しるべ」がはっきりしており、道に迷うことはまずなかった。5-10kおきに無料の宿泊施設も完備していた。フランス国内ではどうだろう。

 道が分かるだろうか、安い宿はあるだろうか、食事は手に入るのか、どの程度の数の巡礼者が歩いているのだろうか。
これらを知るために、まず、フランス国内の巡礼記録が載っている「銀河を辿る-サンティアゴ・デ・コンポステラへの道」(新評論・329頁・3200円・清水芳子著)という本を読んでみた。日本語で書いた徒歩の巡礼記録については、スペイン国内の旅行記は5-6冊あるのだが、フランス国内のものはほとんどない。

 この本は「サン・ジャックへの道」を見に行った映画館でたまたま見つけて手に入れたものである。
フランス国内の巡礼路には北から、パリを出発点とする道、ヴェズレーからの道、ル・ビュイからの道(以上3本はサン・ジャン・ピエド・ポーに通じる)、サン・ジルの道の4本があるが、この本はル・ビュイの道を行く徒歩の旅行記(750km・37日間。自分の場合、もっと日数の短縮が可能と思われるが)である。
   
 これを読んで「GR65」を知った。「GR」はフランス国内に張り巡らされた自然歩道であり、「65号」はル・ビュイからサン・ジャン・ピエド・ポーに至るサンチャゴ巡礼路である。これをたどってみようかと思う。
9月12日に都心の「八重洲ブックセンター」に行き、「GR65」が載っているル・ビュイ周辺の地図MICHELIN・No522 Region・1600円・縦横とも1m50cmほどのもの。裏面あり。フランス国内を17区分した詳細図を買った。
 
 家に帰ってじっくりと眺めると、ル・ビュイから「GR65」と横や上に記された点線が切れ切れに西南に伸びていた。これだ。赤インクで印を付けながらたどるが、地図が途中までしかない。数日後、もう一度、店に行きNo524No525も買い求め、その「GR65」にも赤線を付けた。

 ほとんどが国道や県道などの車道沿いにあり、道が分からない場合は、車道を歩けば次の目的地に着けるようだ。ただし、標高1000m前後のオーブラックの荒野越えは別のようだが。ともかく、これでサン・ジャン・ピエド・ポーまでの道は大まかに分かる。

 次はインターネット。ヤフーで「サンチャゴ巡礼 ル・ビュイ」と入力し検索すると7件がヒットしたが、徒歩の旅行記はみつからなかった。次いで「GR65」で検索すると8万件がヒット。冒頭にル・ビュイの道を行く日本人の徒歩旅行記が4件見つかった。
1)「Camino GR65-2006年夏のGR巡礼の記録」
  http://takahiroh1.cocolog-nifty.com/

TAKA(タカヒロ)さんの一人旅。7月12日福岡発、7月13日パリ経由、列車でル・ビュイへ。14日、市内観光、15日スタート。8月15日サン・ジャン・ピエド・ポー着。32日間を要す。
2)「Spiritual Path to Santiago de Compostela」                        http://hanguro.cocolog-nifty.com/james/gr65/index.html
2007年5月26日-6月30日の一人旅。

3)2003年夏「ヨーロッパ巡礼の道」1495km徒歩旅行 http://www.ne.jp/asahi/hoji/hoji/pilgrim/

  ご夫婦と友人の3人旅。奥さんは途中で帰国。2007年5月21日成田発、パリ1泊、リヨン2泊、ル・ビュイ1泊。5月26日スタート、6月29日サン・ジャン・ピエド・ポー着。期間35日間。2006年にサン・ジャン・ピエド・ポーからサンチャゴ・デ・コンポステーラまで歩いたことあり。
4)スパ&スパエッセイ‐kikiさんからhttp://www.geocities.jp/camino4321/camino/jyunreiki/mrs_kiki/essay_8_2.html
  11歳の娘さんと主婦の二人旅である。カナダ在住。ル・ビュイ1泊後、7月2日スタート。ときどきトランスバガージュ(タクシーに似たもの)を利用。7月30日サン・ジャン・ピエド・ポー着。

 これらを読んで、留意点をメモしてみよう。
 宿については、上記4件の記事により、1泊10フラン前後の「ジット(Gite d’etape)」というハイキング用の宿泊施設が全国的に、もちろん「GR65」沿いにも点在しており、巡礼者はそれを利用していることを知った。また、詳しい巡礼路の地図はル・ビュイで手に入るという。
 さあ、まずは体力と脚力の回復だ。

日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の講演会に出席
 サンティアゴ巡礼についての写真展や講演会の情報を得ると必ず見に行く。「ル・ビュイの道」の情報を得たいということもあるが、自分が行ったときを回想し、あのときの毎日の高ぶった気持をよみがえらせ、ちょっとの間だけでも浸りたいという思いもある。

 昨年だったか、「世界遺産巡礼の道を行く・南川三治郎写真展」を東京ミッドタウンにあるフジフイルム・スクエアに見に行った。

 今回は、「相田みつを美術館」で開かれている「祈りの道-サンティアゴ巡礼の道と熊野古道・ルイス・オスカニャ&六田知弘写真展」を見に行って、下記の講演会があることを知り、早速申し込んだ。
・講演会:祈りの道講座「サンティアゴ巡礼」
・主催:日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会(http://www.camino-de-santiago.jp/
・日程:2009年1月24日(土)15:00-16:30
・場所:相田みつを美術館(有楽町・国際東京フォーラム地下)
・定員:40名
 
 会場はほぼ定員一杯。写真を壁に写して、スペイン国内の巡礼路の説明が約1時間あった。講師は友の会代表の森岡朋子さん。それと、質問に答えるために、巡礼を経験した友の会の会員の方も数名参加しており、自転車で行きたいという若者の質問などに答えていた。

 私はフランス国内の巡礼路の地図の入手方法について質問。そこを歩いた若い男性からインターネット上の書籍購入システム「アマゾン」で買えると教えていただいた。

 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会は2008年6月に設立された。巡礼に行く人に情報を提供し、相談に乗る会である。日を決めての相談会や懇親会もある。友の会はすでに世界15ケ国以上にあるというが、行きたい人にとって、このような会があるとたいへん心強い。早速、会員になった(年会費3000円)。

映画Within The Way Without 内なる道を求めて-サンティアゴ巡礼の旅を見る

2009年3月14日(日)14時-16時30分、「相田みつを美術館」に映画を見に行った。
定員40名。13時から整理券を配ったが、20分で満員。私は36番だった。
監督:Laurence Boulting。
出演:黛まどか(春に旅する)、ミレナ(ブラジル人。夏に旅する)、ロブ(オランダ人。冬に旅する)。
黛まどか:俳人。1999年5月-7月にこの巡礼路を歩き、『星の巡礼-スペイン「奥の細道」-』を著す。巡礼路で上記監督に会い、出演の依頼を受けて、再度、スペインに渡り、この映画に出演した。今回の映画会に出席し、20分間のあいさつをされた。
内容:旅の様子を追いながら、3人の旅人の心の動きを言葉で表現したもの(それらの言葉の日本語訳が次々に画面に流れ、すべてを理解するだけの時間がなかったのは残念)。
DVDの発売:外国では発売されているが、日本語訳のついたものはまだ発売されていない。
感想:巡礼をすることの意味を考えるのにたいへん有用。私の場合は「歩くこと」「歩き通すこと」、そのことだけが目的だった。今振り返ってみると、私の人生の中で、最も素晴らしい思い出の一つとなっている。思い出すと、今でも、やりとげた満足感で心が充実する。

 (クレデンシャル(巡礼手帳)の発行を依頼日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会が会員向けに発行を予定している「クレデンシャル」を頼んだ。作成料1000円。プラス寄付。「東京カテドラル」のスタンプを押してもらえる。

サンティアゴ巡礼に行く人のための相談会に出席

・2009年4月11日(土)13:00-16:30、代々木八幡区民会館にて。
・主催は日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会。
少しワクワクしながら参加。何となく心が浮き立つひとときである。参加者は12人位。別に相談を受ける方が理事長の森岡朋子さんを含めて6人ほど。
 スペインを歩くことを目的とする人がほとんどだったが、私を含めて2人がフランスのル・ピュイの道についての相談だった。実際にそこを歩いた方が2人来て、1対1で相談に乗ってくれた。
 私の相談相手は伊豫谷さん。数年前の学生のときにル・ピュイ-サンティアゴ間とヴェズレー-サンティアゴ間を歩いたという青年である。道のこと、食料のこと、電話のかけ方、宿のこと、電子辞書のことなどを聞いたが、特に知りたかったのは「道は分かりやすいか」ということである。大きな収穫があった。それは、300頁に及ぶ詳細なフランス語の案内書を見せてくれたことである。使い込んで表紙が取れかかっていたが、旅の間の出来事がメモされており、彼にとっては思い出が詰まった大切な品のようだった。
「Maim Maim Dodo・Le Chemin de Saint Jacques de Compostelle・
Le Puy-en-Velay / Saint-Jean-Pied-de-Port・GR65」。
これがその本。連続して150枚の地図が載っており、地図ごとにジットや民宿、ホテル、キャンプ場、レストラン、カフェ、インフォメーションなどの所在地が記してあった。
これさえあれば道に迷うことはない。どこで昼食を食べるか、どこで泊まるかの計画も立てられる。ル・ピュイで購入できるとのことだったが、念のために、全頁のコピーをとらせてもらった。2千円を両替して30分ほど、時間を気にしながら夢中でコピー。あっという間に3時間30分が過ぎ、伊豫谷さんに厚くお礼を言い、森岡さんにあいさつをし、4月末に奥さんとこの道を歩くという望月さんに「成功を祈ります」と言って、会場をあとにした。
帰りは土曜日で賑わう代々木公園を通って原宿まで歩き、喫茶店でひとときを過ごす。

日本で初めて行われた「巡礼者送り出しの祝福」のミサに出席
 下記日程で、サンティアゴ巡礼に行く人のための祝福のミサが行われた。
・2009年4月29日(水・祭日)16時より。
・東京カテドラル・聖マリア大聖堂にて。
・主催は日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会。友の会理事チェレスティーノ神父が出席。
 日本では初めてのこと。見てみたい、経験してみたいという興味本位の気持から、また、巡礼の無事を祈りたいという思いもあって出席した。
 東京カテドラルは「椿山荘」の正面入口の向かい側にある。前面に高さ62mのオベリスク風の鐘楼がそびえ、大きくて、立派な教会だった。

注)日本のカトリック教会の管轄区域は16の教区に分かれ、それぞれに司教または大司教がいて教区の母教会としての役割を果しているが、東京教区は東京カテドラルがその地位にある。なお、(大)司教が、自分の教区内にいる信徒を教え、導き、司式するための「着座椅子」をギリシャ語で「カテドラ」と言い、これがある教会を「カテドラ」教会という。

  教会に入る。広々とした薄暗い空間。内壁はコンクリートのまま。天井は高い。正面の祭壇に20-30mほどの高さで十字架が立つ。ほかには装飾がない、簡素なものである。しかし厳かな雰囲気が感じられた。
出席者は50-60人位。60-70歳代と見える年配の方がほとんど。
 歌で始まり、聖書の一節が朗読された後、「旅に出る時の祈り」があった。巡礼に行く人は全員、前に出てと言われると、出席者のほとんどが前に出た。「いつくしみ深い父よ、今より出かける私を祝福してください。私が思いがけない病気や事故に遭って周りの人に迷惑をかけることのないように、これから出会う全ての人々に感謝の心と、暖かい心遣いで接する事が出来ますように、助けてください。守護の天使に導き支えられ、無事に旅を終えて、全ての出会いと出来事においてあなたの愛を見いだす事が出来ますように。私たちの主イエス・キリストのお名前によりお願いいたします。アーメン」。
 信仰心のない私でも、このような場で旅の無事を祈っていただき、「無事に行ってこられる」という気持になった。
ミサの後、場所を移して集会室へ。ワインとパンをご馳走になりながら、私の隣にいた男性と談笑。54歳。学生時代に1年間欧州を歩いたが、巡礼路のあることは知らず、行かなかった、60歳の定年になったら是非行きたいとのこと。シベリア鉄度に乗って欧州に渡り、ル・ピュイからサンチャゴへ、更にフィニステラまで歩いてはという話になり、大いに盛り上がった。
 心がちょっと弾んだ1時間が過ぎ、その余韻を味わいながら、帰路に着く。

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視覚障害者登山・六つ星山の会

<視覚障害者登山・六つ星山の会>

はじめに
視覚障害の方々と山に登る「六つ星山の会」の会員となって19年、役員になり会の事務を担当するようになってからでも10数年が経つ。
以下に2009年の年賀状を掲げるが、最近はこんな心境である。

年賀状
明けましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いいたします。     
こちら、六つ星山の会での活動、孫の世話、囲碁などで結構忙しい毎日を送っています。いつかまたサンチャゴ巡礼ができたらと夢見て、数週間の長期ウオーキングに耐えられる体力作りにも心がけています。

 六つ星山の会に入会して19年、役員になって10数年が経ち、この間、楽しいこと、苦しいことが沢山ありました。71歳、ちょっと疲れましたが、六つ星で活動することで人生が豊かになり、幸せだったのではないかとも思っています。

 最近は、「サポートをすること」って何だろうとあらためて考えています。サポートをする人にとってどんな意味があるのか、視覚障害の方にとって六つ星があることの意味は、また、「誰かのために無償で奉仕する人が増えること」は今の世の中にどんな意味があるのか、などです。これらの意味を深める中で、今後も六つ星に前向きに取り組んでいければと思っています。皆様には、今年も幸多き年でありますようにとお祈り申し上げます。

最近の私の山行-2008年と1995年
 最近山に行くのは六つ星関係だけである。2008年は六つ星主催の定例山行が21回実施され、私はそのうち17回の山行に参加した。ほかに六つ星の有志との山行が数回ある。なお、自分がチーフとして企画したが、雨天のため前日に中止とした定例山行が2回ある(佐倉城址公園と江ノ島。このときはそれぞれ30名を超える申込みがあったのだが-うち視覚障害者は約1/3)。

 夏には六つ星の定例山行で4つの山に登った。
 6月27-29日・残雪の鹿島槍ガ岳(参加10名、うち視覚障害者2名)、7月 5-6日・八ツ岳の東天狗岳(22名、うち障害7名)、18日-20日・加賀白山(17名、うち障害6名)、8月6日-10日・南アルプス・仙丈岳-塩見岳縦走(9名、うち障害2名)である。

 特に4泊5日の仙丈-塩見縦走は思い出に残る山行となった。強く印象に残っているのは、塩見岳の山頂から急峻な岩場を下り始めて数分が経ったときに猛烈な雷雨に襲われたことである。大雨に加えて大粒の雹、更にはピカっと光った瞬間に次々と大音響で落ちる雷。幸いにして岩場が急なので、落雷は山頂や尾根にとどまり、身近な岩への直撃は避けられたが。あと、塩見小屋でもらった弁当の「いなりずし」がとてもおいしかったことが思い出される。

 これを1995年の山行と比べてみよう。               
 1995年の私の山行は年間22回、月にほぼ2回は行ったことになる。
 六つ星山の会主催の定例山行7回(甲武信岳、天祖山、九鬼山など)、会の有志との山行10回(残雪の鹿島槍ケ岳、奥穂高、鳳凰三山、飯豊山など。このうち、奥穂高には17名-うち視覚障害者5名-が参加したが、その様子は「岳人」1995年12月号に写真入りで掲載されている)、職場の仲間との山行4回(大山三峰、谷川岳、剣岳など)、独自で1回(北鎌尾根等)であり、ほかに視覚障害者とのスキーにも1回行った(六つ星主催50名参加)。

 1995年も六つ星の山行が中心であったことに変わりはないが、会の有志と行った山行が多い。一方、この頃は自分が楽しむ山行も行っている。針ノ木岳-船窪岳-烏帽子岳を単独で縦走し(これで北アルプス全山縦走が完成した)、そのあとガイドを依頼してmzさんと北鎌尾根を登った。

 2008年は六つ星以外の山行は全くない。六つ星だけ、しかも定例山行がほとんどである。孫とのつきあいが忙しいこともあり、六つ星だけで手一杯というところである。単独行こそは自分が一番好きな登山であり、是非復帰したいと思っているのだが。

六つ星山の会の概要

1、概要
 「六つ星山の会」は、視覚障害者と晴眼者が一緒に登山を楽しむために1982年に結成された山の会で、視視覚障害者86名、晴眼者127名、計213名(2008年11月末現在)で構成されている。なお、「六つ星」の名称は、点字が六つの点で表されることに由来する。参照:六つ星山の会 ホームページ   http://www.mutsuboshi.net

2、会の運営
 「同等の立場で」を運営の基本に据え、役員数は視覚障害者と晴眼者を同数とし、山行の費用は参加者の均等割りとしている。

3、全国に仲間
 全国には同様の団体がいくつかあり(千葉・新潟・富山・大阪・京都・兵庫・高知など)、数年に一度、視覚障害者登山の全国交流集会を開催している。

4、山行方法
 視覚障害者1名と晴眼者2名が、ペアとなって歩く。障害者は晴眼者のザックに軽く手を置いて歩き、晴眼者は道の状態や周囲の景色を言葉で知らせながら安全に誘導する。  
登山をする方なら、どなたでもサポートは可能。易しい道でのサポートから始めていただき、その仕方を習得していただく。

5、山行の内容
 会山行(会主催の山行)は東京近郊の日帰りで行ける比較的やさしい山を中心として年に20回程度行っている。うち数回は宿泊を伴う山行もある。

6、案内等の送付
 全会員宛に、毎月、翌月の山行案内等のお知らせを、また、年に4回(2009年は1回に変更の予定)、会報「六つ星だより」(墨字版で24-32頁立て)を送付している。なお、山行案内はホームページにも掲載されており、会員以外の方でも申込むことができる。

7、会費・保険料
 年会費3600円(1月から12月)、保険料1600円(4月から3月)、合計5200円である。

8、例会
 毎月第2火曜日の午後6時30分より高田馬場の日本点字図書館(駅から5分)において月例の集会を行っており、どなたでも参加が可能である。

(六つ星山の会の特徴
 以下は私個人の見方であるが、その特徴をいくつか述べてみたい。

1.「ときめく心」を感じる喜び
 サポートをする晴眼者にとって大きな喜びは「視覚障害者の心のときめき」を共有できることである。喜んでいる人の傍にいると自分も幸せになる。
 季節の風を感じ、鳥の声を聞きながら雑木林を通り、見晴らしのよい尾根を歩くときの爽快感。登頂をしたときの「やった」という充実感・達成感。心がときめく。北岳や槍ガ岳、富士山などの登頂に成功し、思わず涙を流す方も。山頂に立ったときは周囲から音の反響がなくなるので、天空に立ったことを実感できるとも聞いた。また、そこから生きるパワーを得ているという方もいる。

 心のときめきは晴眼者よりはるかに大きい。
 視覚障害者にとって「外を歩く」という意味での行動範囲は狭い。全く知らない土地に行くには介添えを頼む必要があり、思い立ったときに自由にいくことは難しい。このように行動範囲が狭いために、非日常の世界である登山からは、晴眼者以上に強い感動を受けるのである。
 もっとも、全盲の方でも、単独で東京から北海道や、ときにはスペインまで、人に道を聞きながら行くという勇気のある方もいるが。

2.「同等の立場で」という精神
 六つ星の会則には「視覚障害者と晴眼者が同等の立場で互いに助けあい山に登り」とあるが、この「同等の立場で」という言葉を読んで「とても嬉しい」という視覚障害者は多い。

 視覚障害の方々の中には「何事も、自分の力で晴眼者と同じようにこなしていきたい」という気持がたいへん強い。また、晴眼者から「おなさけは受けたくない」という気持も強い。「とても嬉しい」という言葉には、このような気持が反映されているように思う。

 ただし、「サポートをする、受ける」という関係なので、「同等」とは言えないのではという議論もある。

 私は次に述べる「会運営への参加」と「費用の均等負担」という2点から見て「同等の立場で山に行く」と言えるのではないかと思っている。

 それと、本当の意味で同等になれるのは、お互いの気持がいつでも通じあえるようになったときであり、そんな関係は長いおつきあいの中で、ときには喜びや苦しみを共有しながら育っていくものだとも思っている。

3.同等の立場で-視覚障害者も運営に参加。
 六つ星の役員会は晴盲同数を原則とし、また、視覚障害者も山行を、ときにはチーフとして、またはサブとして担当する。その他、事務も担当している。今は会長が視覚障害の方である。
  
4.同等の立場で-費用の均等負担。
 六つ星では山に登る費用は視覚障害者、晴眼者が均等に負担する。
 一般に視覚障害者が晴眼者に同行を依頼して行動をする場合、晴眼者の費用は視覚障害者が負担をするということがあるが、六つ星の仕組みはそうではない。

 通常、視覚障害者が個人として専門の登山ガイドを依頼する場合は、多額のガイド料が必要である。数年前、全盲の方から3泊4日で赤石岳に行きたいとの依頼があったときのことである。私以外に、もう一人サポーターが必要だったが、なかなか見つからなかった。

 そこで、山の雑誌に掲載されている登山ガイドに電話をしたところ、一日数万円の日当のほかに、ガイドの交通費、宿泊費なども負担してほしいとのことだった。視覚障害者本人の旅費も含めれば、20万円を超えるお金が必要となる。どうしても行きたい山があるが一人では行けないといった場合にはたいへんありがたいシステムであり、3000m級の山に行くのに専門の登山ガイドを利用している視覚障害者もいるが、費用の負担が重荷である。

 これに対し六つ星の場合は、交通費も宿泊費も障害者、晴眼者が掛かった費用を均等に負担しており、視覚障害者は晴眼者が一人で行くときと同じ費用で行けるのである。

 注1)視覚障害者が個人で行く軽いハイキングの場合、都県や区市町村のガイド・ヘルパーを利用することもできる。たとえば、東京都の場合は、1時間1600円、自己負担1割(所得制限あり)、日帰りのみ。新宿区の場合、自己負担3%、月40時間以内、日帰りのみなど。

注2)専門の登山ガイドでも、視覚障害者登山に慣れている方は少ない。ときにはガイドを断られることもある。逆に、視覚障害者登山のガイドを一般より安い費用で積極的に引き受けている方も数人いるようである。

注3)一般の山の会に視覚障害者がガイドを申し込んでも、ほとんどの会からは断られる(いくつか対応していただいたという話は聞くが)。それに慣れていないが故と思われる。

注4)交通費については障害者割引(特急料金を除いて、本人と付添いがそれぞれ5割引)が受けられるという特典がある。

5.多数の会員が運営に参加。
 六つ星では会員約200名のうち、3分の1の会員(山行の担当を含む)が運営に参加し、会を支えている。一般の山の会でも同様であるが、会員の参加比率は高いと思う。

6.担当者には特別の仕事がある。
 視覚障害者が会員なので、事務面、山行実施面で特別の仕事が必要である。

 事務面では、山行案内等の情報を伝達するために点字版の作成が必要である。もちろん、パソコンを利用している視覚障害者にはメールで伝達しているが、パソコンを利用していない視覚障害者(一部の女性や高齢の方々)もいるので、それらの方々には点字で情報を伝えている。また、墨字にして30頁程度の会報については、音声の録音テープを作成して送っている。

 また、山行ごとに毎回、触地図も作成している。
 一方、山行実施面ではサポートの確保が必要である。事前に申込みを受け、サポーターが足りないときは(一人にサポート二人が原則)、サポートを追加募集し(電話で心当りの方に依頼することもある)、それでも足りないときは一部の視覚障害者にお断りの電話をしなければならない。

 このほかにも、晴眼者の気配りが必要なことがある。たとえば、食事のときは、「左にさばの煮物、右に納豆、真ん中にしょうが焼き」といった説明をする。また、解散後のことだが、視覚障害者が一人で家に帰れるように最寄の駅まで同行をするといった気配りも必要である。ただし、これらは晴眼者にとって苦労ではなく、誰かのお役に立てるという喜びであり、晴眼者は喜んでやっている。

 これらの点が、一般の山の会とは異なるところであろう。(記・2009年2月5日)

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