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2009年8月

2回目のサンティアゴ巡礼・フランス編(ル・ピュイの道)

第三章 2回目のサンティアゴ巡礼・フランス編(ル・ピュイの道)

 

目次
<はじめに>
.出発
2.「ル・ピュイの道」とは
 1)サンティアゴ巡礼と「ル・ピュイの道」
 2)今回歩いた「ル・ピュイの道」の概要
.見どころ
4.宿について
 1)宿は「ジット」
 2)
ジットの泊り方
 3)印象に残った「ジット」

5.道について
6.天候と気温
7.食べ物
8.多くの人との出会い
9.コミュニケーションの実際
10.気持がなごんだとき
11.困ったこと、失敗したこと
12.その他
 13.目的地に到着して
14.パリにて
  <行程-宿泊地と歩いた距離>

<はじめに>
・71歳の夏、フランス国内のサンティアゴ巡礼路「ル・ピュイの道」を歩いてきた。歩いたのは2009年6月21日から7月20日までの30日間、フランス中部の「ル・ピュイ」から西端の「サン・ジャン・ピエド・ポ-」までの750kmである。
 2003年夏に32日間をかけて、「サン・ジャン・ピエド・ポー」から「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」まで、スペイン国内のサンティアゴ巡礼路750kmを歩いており(当ブログ別掲の「 スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO1 」参照。現在は「初めてのサンティアゴ巡礼 -「フランス人の道」・800kmを歩く-」と改題している)、これでフランスとスペインをつないだことになるが、二つを合わせた距離は、JRの東京-鹿児島間にほぼ匹敵する。

・この巡礼路は、詳細な地図(後記)が入手できる上に道しるべがほぼ完備しているので、分かりやすい。また、「ジット」という素泊り10ユーロ前後の安い宿が5-20km置きにあるので、旅費が安くてすむ。

・途中まで友人のMさんに同行を依頼。7月4日まで一緒に歩いた。あとは単独行。フランス語はもちろん、英語もほとんど分からない中で、外国人の巡礼者やインフォメーション・センターの人、ジットを管理する人などに助けられながらの旅だった。

・ツアーによる海外旅行に飽き足りない人にとってはたいへん魅力のある旅である。一人旅か、夫婦二人連れがお勧め。多人数だと、歩くスピードを合わせるのに苦労することがある。

・以下はその報告。この道を歩きたいと思っている人達に参考資料を提供すること、自分の思い出のために記録を残しておくこと、この二つを念頭に置きながら書いてみた。宿や道については、スペイン国内の巡礼路と比較しながら、その特徴を記し、また、末尾には、毎日の宿と歩いた距離を示す行程一覧も掲載した。

・行くに到った経緯と準備の様子については、当ブログ別掲の<2回目のサンティアゴ巡礼・準備編-「ル・ビュイの道」をめざして>を参照されたい。

・なお、このあと歩いた巡礼の記録についてはこのブログの下記を参照されたい。

  「ポルトガル人の道」を歩いて-3回目のサンティアゴ巡礼

 「北の道」を行く-4回目のサンティアゴ巡礼

2.出発
<不安を抱えながらの出発>
・71歳と6ヶ月、フランス語は全く分らず、英会話も中学生程度という中で、「道が分かるだろうか、安い宿はあるだろうか、食べ物は手に入るか、前回から6年も経ち、歩くだけの体力は残っているか」など、出発前の不安は尽きなかった。
・その他、行く直前に急に不安になったのは、パリに着いてからどうするかということ。パリのことは全く調べていなかった。空港には夜10時頃に着くが宿をどうしたらよいのか、空港や駅で仮眠するとすれば危険はないのか、空港からリヨン駅への交通手段はどうか、ル・ピュイへの切符の購入方法は、などなど、全く分からない。成田に着いてから、「フランスの旅行案内」を買って機内で調べたが、はっきりしなかった。

<空港からル・ビュイへ>
・パリには、6月19日20:45、アエロ・フロート(モスクワ経由)で到着。やや延着し、外に出てきたのは22:00頃だった。空港内はすべての店が閉まって閑散としており、レストランでの夕食はあきらめて、自動販売機でペットボトルの水を買い、残っていた機内食のパンを食べて済ました。また、経費節減のために空港の床に寝ることとした。
 建物内には椅子に腰を下ろしている人が数人。早朝の出発便を待つ人のほかに浮浪者もいるようだが、一晩中、煌々(コーコー)と電灯が灯っていて明るいので、2人で寝ている限り、あまり危険は感じなかった。ただし、床に寝ていたところ、犬を連れた警備員2人が巡回してきて、起こされてしまった。「床に寝てはいけない。椅子に座って休むように」とのこと。私達以外に床で寝ている人がいない理由が初めて分かった。
・早朝、空港内にあるSNFC(フランス国鉄)の駅へ。ル・ピュイへは、空港駅からエチエンヌ乗換えで行くことができると分かって、早速、その乗車券を購入した。TGV(新幹線)の座席指定券も含めて切符代は78.50ユーロ。
・ル・ピュイには14時に到着の予定だったが、遅れて17時となった(乗換を間違えたためである。詳細は後述)。ル・ピュイの町に出ると、晴れてはいたが、風が強くやや寒かった。インフォメーション・センターで紹介を受け、「Auberge de Jeunesses」というジットに泊まる。朝食付14ユーロ。

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<ル・ピュイにて。教会のミサに出席>
 ル・ピュイのノートルダム大聖堂「Cathe'drale Notre Dame」で午前7時から8時まで行われる早朝のミサは、ここを出発する巡礼者を祝福するための有名なミサであり、是非出席したいと思っていた。

 6月21日、6時40分、起床。食事は後にして、大聖堂のミサに出かける。中世の建物が両側から迫ってくるような、狭い石畳の坂道を上がっていくと前方の丘の上に大きな像が見えてきた。ピンク色で、高さは20m位あろうか。幼いキリストを抱くマリア様の像である。その手前が大聖堂だった。
 来ていた巡礼者は約50人。うち30人程はザックを背負っており、終わったらすぐに出発しようという人達である。祭壇には緑の衣服を羽織った神父さん、その背後にはこれも有名な「黒い聖母」の像。神父さんが祈りの言葉を述べ、皆で賛美歌を合唱。3人の女性巡礼者が出発に当たっての決意表明を述べた(フランス語なので内容は分からなかったが)。おごそかな雰囲気。次いで神父さんが一人一人に「聖なるパン」(小さなおせんべいのようなもの)を手渡し、そのあと、壇上から下りて出席者の中に入り一人一人を指差し「どこの国から来たか」を聞いた。私達も聞かれて「ジャパン」と答えたが、なんとなく誇らしかった。
 ミサの後、祭壇裏の教会の売店へ。ここでクレデンシャル(巡礼手帳)にスタンプを押してもらった。これは巡礼者であることを証明するもので、泊った宿や訪問した教会ではこれにスタンプを押してもらう。歩き終わったときは、スタンプがずらりと並び、自分にとっては「宝物」と言ってもよいような、貴重な記念品になる。私はクレデンシャルを東京の「聖カテドラル教会」で発行してもらい持参したが、Mさんはここで入手した。
 余談だが、Mさんについてのエピソードを一つ。彼は「聖なるパン」を受け取るとそのままポケットに入れて席に戻ろうとしたが、これはその場ですぐに舌にのせて食べるもの。神父さんがあわてて追いかけてきて、すぐに食べるように注意していた。 ミサの後、ジットに戻り、朝食。それから第一日目のスタートを切る。

2.「ル・ピュイの道」とは
1) サンティアゴ巡礼と「ル・ピュイの道」


・キリストの十二使徒の一人・聖ヤコブ(スペイン名はサンティアゴ。フランス名はサン・ジャック)の墓が発見されたという伝説に基づき、スペイン西端の町「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に小さな聖堂が建設されたのが9世紀。それが大聖堂へと建て替えられ、12世紀頃、この地への巡礼が最盛期を迎えた。この頃、ヨーロッパ中から年間50万人とも100万人とも言われるキリスト教徒が大聖堂を目指したという。

・今でも当時のままの巡礼路が残り、世界中からこの路を歩く人達がやってくる。特に、サン・ジャン・ピエド・ポー(フランス側の国境の町)を出発点としてサンティアゴ・デ・コンポステーラに到る路(「フランス人の道」という)を歩く人は多い。この路はピレネー山脈を越え、スペインの北部を東西に縦断するものであり、通して歩く人は年間5-10万人位だろうか。

 なお、5年、6年、11年に一回訪れる「聖ヤコブの年」(7月25日が日曜日の年。この日は聖ヤコブが殉教した日である)は特に巡礼者が多く、宿は混雑する。次は2010年。

・昔はヨーロッパ各地から多数の巡礼者が訪れた。今では歩く人は少ないが、フランス国内にも、上記の道へと続く4本の巡礼路が残っている。3本はパリ、ウェズレー、ル・ピュイをそれぞれ出発点とし、サン・ジャン・ピエド・ポーのやや手前のオスタバで1本となるもの。もう1本は南仏のアルルを出発点とし、ハカを通ってプエンテ・ラ・レイナで「フランス人の道」と合流する。

・今回歩いたのは、このうちの一本。ル・ピュイからサン・ジャン・ピエド・ポ-に至る「ル・ピュイの道」であり、この道を巡礼目的で歩く人は年4千人程度と思われる(宿の宿泊者名簿によると宿泊者は1日に10人程度。そこから、観光客やハイキングをしている地元の人を除く純粋の巡礼者は365日で4000人程度と判断した)。

・冒頭で述べたように、道しるべが整備されていること、詳細な地図が入手できること、安い宿がそろっていること、距離が短いこと(パリからの道はその2倍)などの特徴があり、フランス国内にある4本の巡礼路のうちでは最も歩きやすい道と言えよう。

2) 今回歩いた「ル・ピュイの道」の概要

・この道は、主に広々とした牧草地やトウモロコシ畑、ひまわり畑を歩き、ときには森の中を行くもの。そして、ときどき小さな町や村を通る。
  自然の中を行くというよりは、フランスの農村地帯を行くといったほうが当たっているであろう。森の中も歩くが、その森は村の近くにあり、ある程度、人の手が入った森である。

・行程は大きく3つに分けることができる。
(1)標高が1000m前後の丘陵地帯を行く前半、
(2)川沿いの観光地を巡る中盤、
(3)低地の農村地帯を行く後半、である。

(1)フランスの丘陵地帯

 最初の5日間は標高が1000-1300mの丘陵地帯を行く。いくつもの丘がゆったりとつながり、どの丘も登り切ったところは広大な牧草地となっている。その眺めは抜群。丘陵がうねって続き、はるか10km、20km先まで見渡せる。その中に点々と牛の群れと農家の茶色い屋根。一方、下の町から丘陵の中腹までは森。巡礼路は下の町や畑から森の中を登って、上の牧草地帯へと続いている。

 丘陵地帯は後半にも、何回か現れる。

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  丘の上は昔は森だったと思う。今は明るい牧草地で、数km置きに農家があり、いざというときは助けを求めることができるが、昔は丘の上にも森が広がり、人家は数十キロ置きに1軒しかない巡礼宿兼救護所のみだったようである。旅は困難を極めたであろう。特に標高1300m(最高地点1400m)の「オーブラック(Aubrac)の荒野越え」は難所だったと言われている。ナスビナルス(Nasubinals)の町からオーブラックの町への約9kmがそれである。今はすべてが明るい牧草地で、点々と農家があり、最高地点には無人の避難小屋まであり、気楽に歩ける(私達が通りかかったときに、この小屋に泊った男性がシュラフを乾していたのを記憶している)。私達は昼間、約3時間でこれを越えた。
(下:オーブラックの荒野越え)
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(2)中盤では巡礼路は川沿いとなり、コンク(Conques)、サン・シラク・ラホピー(St Cirq Lapopie)、カオール(Cahors)などの観光地を巡る(詳細は次記の「見どころ」参照)。

(3)終盤は標高100mくらいの低地を行く。道のほとんどは、麦畑、トウモロコシ畑、ひまわり畑、野菜畑の中を通る。
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<見どころ>

まず、見どころを紹介しよう。

1)前述のコンク、サン・シラク・ラホピー、カオールといった町の風景

① コンクは谷間の森の中に沈んだように存在する中世のまち。聖女フォワの遺骨を収めたサント・フォワ修道院が有名であり、中世には巡礼者でたいへん賑わったという(教会内の博物館に行くと、宝石で飾られた聖女フォワの遺骨の収納箱が見られる)。なお、ロマネスクの傑作と言われる教会正面のタンパン彫刻「最後の審判」も必見。
 町の雰囲気もとてもよい。森の中の巡礼路を1時間ほど下っていくと、谷底に着く手前の斜面にこの町がある。スレート葺きの古い家々が急斜面に建ち並び、その中心に修道院の3つの尖塔がそびえる。どこもが絵になる風景。観光客が沢山いた。ちょうど日本からも絵を描くことが目的の一団が来ており、思い思いに場所を選び、絵を描いている最中だった。
 巡礼路はこのあと、橋を渡り、再び森に入り、急な登りの山道へと続く。
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② サン・シラク・ラホピーの町は高さ100mの断崖の上にある。巡礼路上のBouzies の町からここへ行くには巡礼路を外れて、ロット川の川岸をしばらく歩いてから細い急な登山道を登らなければならない(別に車道もあるが)。登りは20分位か。町に着くと、まずは一番高い見晴台へ。そこは足がすくむような切り立った断崖の上。眼下の畑の中をロット川がうねり、はるかに山なみが霞む。私達は、展望を満喫した後、狭い広場にあるカフェで一休み。周囲には中世の町並みが広がっていた。
 なお、登山道入口とBouzies の町を結ぶ前述の川沿いの道も、運河沿いに崖をくりぬいた遊歩道があって(遊覧船も通る)、雰囲気がとてもよかった(登山口まで片道約1時間の歩程)。

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③ カオールは中世に川沿いの交易の中心地として賑わった町。王様が14世紀に創った美しい橋が有名だ。この橋は7つのアーチで結ばれ、真ん中と両端に高さ約20mの要塞化した3本の塔が立っているが、アーチと塔のバランスが何とも美しい。私達は、観光船に乗ってそれを鑑賞した。

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2)モワッサク(Moissac)のサン・ピエール修道院

 76本の柱が支える4辺形の美しい回廊と、教会南側入口の彫刻が有名。特に回廊は必見である。やや繊細な感じ。フランス随一の美しい回廊と言われており、庭の中央に立つ大きな松の木も回廊と調和してすばらしい(拝観料が必要。入館時間が決まっているので要注意)。また、南側入口の彫刻もロマネスク美術の傑作中の傑作と言われている。まずは入口の上にあるタンパン(半円の壁)を埋める「キリスト再臨」の彫像。キリスト、24人の長老、動物などが並ぶ。それと、タンパンを支える柱に彫られた「預言者エレミア」にも注目されたい。モワサックには7月7日に泊った。

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3)ピレネー山脈が見渡せる丘
 Arou(7/18泊) の町から Ostabat の町へは1日の行程。その途中、巡礼路は円を描くように遠回りの道を行く。近道を真っ直ぐに行けば1時間は短縮できそうだが、後記のジットの主人から「ここは見逃せないところ。近道をせずに、必ず行くように」と言われていたので、遠回りの道を取って進んだ。畑の中を延々と歩き、Hiriburiaという小さな村で一休み。顔見知りの巡礼者が7-8人休んでおり、私もその一団に合流した。彼らもこの遠回りの道を取ったのだ。なお、この村でフランスの3本の巡礼路が1本になるが、そのことを示す「ジプラルタルの碑」が立っているので見ておこう(私はうっかりして、よく見ないで通り過ぎてしまったが)。

 村は標高50m位か。そこから高さ300mの丘へと30分ほどで一気に登ると、丘の向こうにピレネー山脈の大展望が広がる。憧れの山、いつかは登ってみたいという思いに駆られた。
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 丘の上は広々とした草地で、中世に建築された小さなチャペル(高さ5m、横5m、縦7m位の建物。Chapelle de Soyarza)がポツンと建っている。
 ピレネー山脈の大展望と広々とした草地に立つ小さなチャペル、これらも見どころの一つとして挙げておきたい。

4)その他の見どころ

・オーブラックの荒野(前述。」標高1300m。所要3時間。昔は難所だったという。今は牧草地)

・ル・ピュイにて。大聖堂の奥の丘に立つピンクの聖母子像 ( ル・ピュイでは、高さ82mの岩山の上に立つサン・ミシェル・デギュイ礼拝堂を見逃したが、これも必見である。)
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・モワサック出発後、数時間、運河沿いに並木道が続く。Img_1210_2

・Estaingの町の川沿いの風景Img_0638_2
5)
サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、ちょうど1000kmの距離にある橋」
 見どころとは言えないが、石造りの橋げたに「1000km」と彫ってある橋も紹介しておこう。ここからサンティアゴまでを歩き通す巡礼者にとっては、思わず足を止めて記念写真を撮りたくなるところである。Img_1304

4.宿について 

1)宿は「ジット」

・宿泊は主に「ジット」。一部屋に1段ベットか、2段ベッドがいくつかある宿泊施設。ハイカーのためにフランス全土のいたるところに設けられており、公的なものと私的なものがある。素泊まりで8-12ユーロ(この時点で1ユーロ135円)、2食付きで30ユーロ前後。
 なお、前回のスペインで宿とした「アルベルゲ」は無料か、3-6ユーロだったが、フランスの「ジット」はすべて有料である。ただし、アルベルゲでも、募金箱が置いてある所では3-6ユーロを入れるのが一般的。また、個人営のアルベルゲは有料で10ユーロ前後。

 その他、アルベルゲでは無料ということもあってシャワーが水という場合がかなりあったが、ジットはすべてお湯。また、アルベルゲでは山中の一軒家以外に夕食を出すところはなかったが、ジットでは全員の会食形式で夕食を出すところがかなりあった。

・ジットから次のジットまでの距離は5kmから20kmと幅がある。

・また、ジットより宿泊費が割り高だが、小さなホテルも点在している。

・2回だけ地方のホテルに泊った。ファジャック(Figeac)では2人で68ユーロ(食事なし)、ポンプ(Pomps)近郊のモーラン(Morlanne)ではシングルで泊まり36ユーロ(朝食付)だった。ちなみにパリで泊った二つ星ホテルはシングルで1泊65ユーロ(食事なし)も取られて、ジットに比べ、あまりにも高いのにびっくりした。

2)ジットの泊り方

・ほとんどのジットは予約なしで泊れた。ただし、満員の場合や休業の場合があるので、予約をしてから行ったほうがよい。私の場合、いくつかのジットには予約をしてから行ったが、予約は、同行のフランス人や前日に泊った宿の主人に、あるいはインフォメーション・センターに行って片言(カタコト)の英語でお願いした。

・大きな町でジットを探す場合は、着くとまずインフォメーション・センター(Office de tourisme という。地図では「ⅰ」の印)を探す。町の詳細な地図を持たないので、「オフィス・ツーリズモ?」と言って町の人に聞いたり、道端の地図を見たりと、言葉が通じない中で、手探りで探すのである。広い町だと、これが意外と手間取る。センターを見つけてジットの紹介を受けると、今度は地図をもらってジットを探して歩くのだが、これまた、たいへん。なかなか見つからない。疲れているのに、この二つで、町に着いてから小一時間はかかる。

 やっと探し出すと、無人の場合は、勝手に入り込みベッドを選んで荷物を置く。そのあとは、洗濯をしたり、ベッドに寝ころんだり、外の見物に出たりして過ごすが、午後6時頃には管理人が宿泊費を集めにやって来る。また、このとき、クレデンシャル(巡礼手帳)にスタンプも押してくれる。

・公共のジットの場合、入口や掲示板には予約状況や集金時間を書いたビラが張ってある。予約については、Aの部屋は予約で満員(予約者は誰々)、Bの部屋は空きが2人などとあり、Bを選んでそのビラに自分の名前を書くと、ベッドが確保できる仕組みである。Img_0751_2
 なお、インフォメーション・センターやカフェが受付場所となっているジットもあった。たとえば、Navarrenx の場合、町に入るとカフェのおばさんに呼び止められ、「ジットに泊まるのか」と聞かれたが、そこがジットの受付だった。宿泊費を払うと、部屋のナンバーを書いた切符を渡され、それを持って50mほど先のジットに行った。

 また、予約なしの場合は、泊れないこともある。私も泊まる予定のジットにやっと着いたときに、土曜日だったために「学生のリクリエーションの一団で満員」と言われて断られことがある。「一人だけなので、何とかとめてほしい。玄関の床に寝てもよいので」とジェスチャーで必死に頼んだが駄目。更に4km先のジットまで歩かされた。

3)印象に残ったジット

 このルートを歩く人のために、印象に残ったジットを紹介しておこう。
・Le Falzet(6/22泊) のジット。
 ステファン・セバスチャン(フランスの青年。5日間ほど一緒に歩く。後記参照)が電話で予約をしてくれた。Saugues の町を越えたところ、農家が数軒しかないような小さな村にある。住んでいた家をそのまま宿泊施設としたもので、のんびりできる居間(ゆったりしたソファーあり)と二つの寝室付き。ステファンと3人で泊ったが、客は私達だけ。3人は「いいね、いいね」と言いながら、ソファーに寝転んだり、日誌をつけたり、シャワーをあびたりして過ごした。夕食は母屋に住んでいる74歳のおばあちゃんがつくってくれた手料理(スープ、オムレツ、ステーキ、スパゲッティ)。2食付で宿泊費は30ユーロだった。

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Les Estrets(6/23泊) のジット。
 Aumont-Aubrac という町の4km手前、巡礼路上の小さな村にある。新築。2階が一段ベットの並ぶ部屋。1階の居間と食堂が小さなホテルと言ってもいいようにきれい。巡礼者には評判のようで、客は4組10人。夕食は全員の会食。
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・蒙古のパオに泊る(6/24泊)。
 牧草地を延々と歩いていくとぽつんと1軒の農家があり、その庭に二つのパオが建っていた。この日はここに宿泊。同宿はドイツのおじさんのみ。夕食は農家のおばさんの手作り。
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・Estaing(6/26泊) の教会付属のジット。
 路地裏の、中世からあるような古い建物がそれ。薄暗い1階が2段ベッドの並ぶ部屋と洗面所。2階が礼拝室と食堂。神父さんの家族の部屋もあるようだ。夕食は、そこに住む家族や子供も入って20人ほどでの会食。食前、食後にはお祈りもある。食後は礼拝室で30分のお祈り。私は出なかったが、Mさんは出席した。なお、神父さんから「宿泊費は無料」と言われたが、私達は募金箱に1人20ユーロを入れた。

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・ジットではないが、Les Mazuts(7/3泊) の 「Chambre d'hotes」 という宿。
  点々と農家がある丘陵地帯を歩いていくと、目指す「ホテス」があった。鉄格子の門がある大きなお屋敷である。宿泊施設には見えないため、探すのに手間取った。家族が使っていた部屋が宿泊場所に当てられており、食事も家族が日常使っている居間で食べた。普通の家庭に泊った感じである。その他、気に入ったのは裏庭のプール。早速、Mさんと二人で泳いだ。宿泊代はジットとほぼ同じ。客は10人ほど。
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Lascabanes(7/5泊) の「Gite d'etape Le Nid des Anges」という教会付属のジット。
 教会の建物の一部。畑の中に農家が点在する村の中にある。着いたときは誰もいなかった。入口の黒板には「定員17名」とあり、予約をした人10名の名前が書いてあったので、まずは「Takeshi」と書き加えた。入口には小さなカフェ兼無人スタンド。レトルト食品、果物、スナック、インスタント・コーヒーなどが置いてあり、代金を箱に入れて自分で持ち出すセルフサービス方式である。私は3時のオヤツ代わりに、ジャガイモと肉が入ったレトルト食品のカレーを持ち出し、奥の台所の電子レンジで調理をして食べた。このときがレトルト食品を食べた最初だが、空腹のせいもあって、とてもおいしかった。

 夕方になると、到着していた巡礼者が誰もいなくなった。6時からのミサに出席したようだ。私もあわてて出席。神父さんのお説教があり、巡礼者の一人が前に出て、「巡礼の決意」のような言葉(だと思うが)を述べた。次いでまた一人が出て、賛美歌を歌い、皆が合唱。次は、神父さんが前列に並ぶ出席者の足を一人一人洗い、タオルで拭く儀式。パンを一人一人の舌にのせて食べさせる儀式も あった。全体で約1時間のミサ。

 このあと、柱が黒びかりするような古い食堂で会食。食事を作り皆に配ってくれた女性が、いかにもフランスのお嬢さんという感じの人。やさしそうで、可愛くて、とても素敵だった。
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Moissac(モワサック・7/7泊)のジット。名前を確認してこなかったが、サン・ピエール教会の裏手の丘を50mほど登ったところにある。修道院風。1階は中庭と回廊。2階には多くの部屋があり、私は一人で一部屋だった。トイレ・シャワー室はタイル張りできれい。2食付き29.50ユーロ。夕方、修道院の回廊のテーブルに管理人のおばさん3人(修道尼だろうか)と巡礼者10人ほどが集まり、19:00-21:00まで2時間をかけて会食。おばさんが隣りに座り、お皿から肉やデザートを取ってくれたり、話しかけてくれた。床は石畳。足元を風が吹き抜けるので、長時間座っていると足が冷える。デザートが出て食べ終わるまでは、失礼なので食卓を離れるわけにはいかないと思い、我慢して座っていたが、かなりきつかった。翌日の朝食はパン、バター、ジャム、コーヒーのみ。朝食はどこでもこんなもの。

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・Escoubetのパオ(7/11泊)
 ジットの表示はないが、フランス語で大きな看板が出ている学校のような建物の庭にある。
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・後半は、Aire sur l'Adour(7/13泊) という町のジットの主人から「おすすめのジット」を聞いたので、そのいくつかに泊ってみた。それを以下に記す。それぞれ、特徴のあるジットである。

・まず、紹介したいのは、そのジット。「Gite d'etape prive Hospitalet Saint-Jacques」といい、斜面の上に建つ。花々が咲く広い芝生の庭が下の斜面に広がり、食堂からの眺めがとてもよい。部屋も清潔。更にジットを管理するご夫婦が上品で親切である。ジットに着くとすぐに主人から「その椅子に座って、靴と靴下を脱いで」と言われた。「?」と思っていると、バケツに水を入れて持ってきて、「足を入れろ」と言う。冷たい水に疲れた足を浸けると、とても気持良かった。終わると、彼はその水を庭の草花にかけながら「庭も喜んでいる」と言っていた。

 これから行くジットやルート(前述のピレネーが展望できる丘のことなど)について、いろいろと教えてくれたのも彼である。翌日泊まるジットに予約の電話も入れてくれた。
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Maison Marusan(7/14泊) の「Accueil a la Ferme」というジット。巡礼路上の町 Miramont-Sennsacq からルートを外れ、30分ほど歩いた村にある。村にレストランや食料品店がないので、夕食はどうしたらよいかと不安に思い、同宿のデュバル(フランス人。詳細後記)に聞いてみたが、彼も分からないと言う。ここを紹介してくれた前述のジットのご主人からは「おすすめのジット。でも、夕食は自炊」としか聞いていない。

 そのまま、夕方になる。と、ジットの奥さんがやってきて倉庫の鍵を開けてくれた。中に入ると、10列ほどの棚に天井まで「煮込んだ鴨の肉」のビン詰めと缶詰がびっしりと並んでいた。これが夕食なのだ。前にレストランで食べたことがある「うすい塩味の豆と鴨肉の煮込み」(主食になる)もある。3-4ユーロのものから、30-50ユーロ位の大ビンのものまであった。このジットはこれらの卸と即売を商売にしているようだ。

 ほかに、奥さんは畑で摘んだきゅうりやトマトを籠に入れ、パンやバナナ、リンゴと一緒に持ってきていた。

 私は4ユーロの「豆と鴨肉の煮込み」の缶詰とパンやバナナ、リンゴを買い、缶詰は皿に盛り電子レンジで温め、更に日本から持って行った「炊込みおこわ」もお湯で戻して、デュバルと分け合って食べた。

 このジット、もう一つの特徴は、塩水で温水のプールがあること。立派なシャワー室も付いていた。もちろん、私は嬉々として泳ぎ、10mの長さを何回も往復した。

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Cambarrat(7/16泊) の「Gite d'etape prive de Cambarrat」。Maslacq の町の手前で巡礼路を離れ、森の中を10分ほど登っていったところにある。周りに家はない。ご夫婦と子供2人で住んでおり、ご主人が手作りで建てたという森に囲まれた一軒家がそれである。

 この日は風の強い日。風が何度も森の木々をゆるがし、ざーっという音とともに通り過ぎていったが、それが波の音のように聞こえた。夕立あり。

 夕食後、ご主人がバンジョーを弾いてくれるのがこの宿の恒例。この日はまずは私を指差し、「あなたのために」と言って巡礼の歌を弾いてくれた。私もリクエスト。とても聞きたくなって、フォスターの「金髪のジェニー」をお願いした。後記<気持がなごんだとき>参照。
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5.道について
1) 道は分かりやすい。
・ 道については、下記のような詳しい「地図」と現地の赤と白で書かれた「道標」に頼ったが、ほとんど迷うことはなかった。
・ 地図としては「Maim Maim Dodo・Le Chemin de Saint Jacques de Compostelle・Le Puy-en-Velay / Saint-Jean-Pied-de-Port・GR65」(2009年版)というフランスで出版された本のコピーを持参し、また、ソーグという町でその本を購入して利用した(フランス語、現地で17ユーロ。ルート上の大きな町の本屋なら、どこでも売っているようだ。日本のアマゾンや丸善でも購入可能。税込みで3,665円)。これには、ル・ピュイからサン・ジャン・ピエド・ポーまでの「GR65」というルートを示す89枚の地図が載っている(末尾にサブ・ルート22枚も掲載)。「GR」はフランスが国として指定した自然歩道。それはいくつもあって、それぞれに番号が付いていて、「65」はル・ピュイから昔のサンティアゴ巡礼路をたどるものである。また、これには地図ごとにジットや民宿、ホテル、キャンプ場、レストラン、カフェ、インフォメーション・センターなどの所在地と電話番号も掲載されている。ジットの電話番号が載っているので、予約をするときに利用した(ただし、留守だったり、フランス語の留守電に繋がることが多く、分かりにくかった)。

・ 一方、曲がり角の電柱や樹木には、ほぼ必ず、赤と白で表した道標が描かれている。「曲がる場合は鍵型の赤白の印」、また、「行ってはいけない道には赤白の×印」というように。なお、「GR65」「Santiago」などの文字が入った道しるべもある。
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・一部、地図とは異なる道があった。
 その1)Moissac から2km行った先で、地図上の道は運河から離れた丘の中腹を行くようになっていたが(これが昔の巡礼路であり、ごく最近まで歩かれていたもの)、赤と白の道標は運河沿いを行くように付いていた。この道のほうが近道の上に、景色も良く、歩き易かったので、皆がこの道を選択し、いつか、それが正式の巡礼路に昇格したものと思われる。
 その2)Aire sur l'Adour の町を出発してすぐのこと、大きな池のほとりで道路が崩壊しており、地図上の道が通行禁止になっていた。池を遠回りして地図上にない道を行くのだが、赤白とは異なる4-5cmの四角形の道しるべ(GR65と書いてある)が頼りだった。

2) 道の難易度
・ 私は一日平均25kmを歩いた。高低差はあまりない。また、一日に何度も登り下りを繰り返すというようなこともない。森の中を登ることがあっても、30分もすれば丘の上に出るし、丘の上に出ると通常2-3時間は、丘の上のほぼ平坦な道を歩くことになる(これらの登りでややきついのは、2日目のMonistrol d'Allier の町からの登り。それでも30分で上に着く)。

・ 昼食等の休憩時間も含めてのことだが、1時間平均の早さは3kmほどだった。朝7時にスタートして、昼過ぎの3時頃に到着するという毎日であり、午前中に半分以上を歩いてしまうので、それほどたいへんだとは思わなかった。

・ もっとも、最初は足の速い同行のMさんと歩調を合わせるのがたいへんで、やや疲れた。2人の距離が離れると走って追いついたりした。数日後には追いつくのは止めたが、いつも「追いつかねば」と思いながら歩いていたので、気持に負担があった。

・ 15日目からは単独行となり、マイペースで歩けるようになって、歩くたいへんさはあまり感じなくなった。

・ 「道は分かりやすい」、「道のほとんどは平坦」、「安い宿がある」などの点を考えれば、誰でもが歩ける道ではないかと思う。

・ ただし、私の場合、パン中心の食事が合わず、できるだけジャガイモ、バナナ、野菜などを食べて体力維持に気を使った。また、足の裏が痛み、その手当に苦労した。この二つが私にとっては、この道を歩く上で常に気を使った問題である。

6.天候と気温

・雨は少ない。
 平均降水量(mm)を見ると、7月(カッコ内は6月)は東京の247.5(170.5)に対し、パリは58.3(53.2)、ニースは15.6(35.8)であり、夏のフランスは雨が少ないと言えよう。

  今回も雨に降られたのは巡礼路で2回、パリで1回だけだった。ただし、それは1時間ほど降ると晴れ間がのぞき、また降るというような雨である。また、その雨は豪雨であり、すさまじい強風を伴い、まっ黒な雲とともにやってくる。巡礼路での私は、ゴアテックスの雨具を着け、ザックにザックカバーを着け、更に上からポンチョを羽織ってこれを迎えた(こうすればザックと背中の間に雨が入ってこない)。備えあれば憂いなし。農作業小屋の片隅で雨宿りをしている巡礼者もいたが、私は豪雨の中を気持よく歩き続けることができた。もっともこれは巡礼路でのこと。パリでは傘を持って出かけたのだが、傘を差してもずぶ濡れになるほどの豪雨に遭い、多くの観光客とともにセーヌ川の橋の下に逃げ込み、雨が止むのを待った。

・気温は東京より低い。
7月の平均気温(カッコ内は6月)は東京の25.6(23.2)度に対して、パリは20.0(17.0)度であり、サン・ジャン・ピエド・ポ-と緯度が同じニースでは22.9(19.9)度である。フランスの気温は日本より3-5度は低いと言えよう。

 6月の歩き始めはかなり寒く、朝夕は防寒着としてゴアテックスの雨具を上に羽織るほどだった。もちろん、日中も長ズボン姿である。

 7月に入ると、日差しがある日は暑くなった。ズボンを短パンに代えたが、強い日差しの下で風がないと、照り返しも加わってとても暑く、汗だくで疲れが増した。ただし、曇り空のときは涼しく、風が加われば寒さを感じることもあった。

7.食べ物

<朝食は簡単なもの>
 ときにはカフェを利用したが、ジットの朝食を利用することが多かった。パン、バター、ジャム、コーヒーだけの簡単なものである。

                                           (ジットの朝食)
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 <昼食用の食べ物の確保に気を使う>

・昼食はお店で買ったパンと水が中心。ただし、1日中、歩いても、食料品を売っているお店がないことがある。また、日曜でお店が休みのこともある(7月14日も独立記念日でお店は休み)。そのため、いつも、ザックの中に2日分くらいの昼食用の食料を入れて歩いた。

・一方、食料品店があったときには、上記のことを考慮して、パンと水のほか、バナナ、リンゴ、ときにはレトルト食品(これは、ジット到着時のおやつや夕食用)などを多めに買っておくのだが、荷が重くなって歩くのに苦労した。

  (昼食も、ときにはレストランでとった。野菜がいっぱい。)Img_1308

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<夕食のとり方>

夕食は、ジットで皆で食べる(会食)、レストランで食べる(ときには宿泊者全員で。ほとんどの場合は一人で)、コンビニで食料を買ってきてジットで食べる、のどれかだった。

・夕食を出さないジットがほとんどだが、教会付属のジットや町から離れた私的ジットの場合は夕食を出してくれる。方式は、巡礼者全員が一つのテーブルを囲み、大きな皿や鍋から同じ料理を自分の皿に分けとって食べる会食方式である。料理は、第一の皿(サラダか、スープ。スープと言っても、じゃがいもや人参が入ったものもあり、これは2杯も食べると腹一杯になる)、第二の皿(メイン・ディシュの肉料理)、第三の皿(デザート。大きな甘ったるいケーキやソフトクリームなど)の順に出てくる。また、別に無料でパンとワインが付く。ワインは飲み放題。

・会食の場合は、たっぷり2時間はかかる。この間、ワインを飲み食事をしながら、皆、楽しく歓談するのだが、もちろん、会話はフランス語である。これがフランス人一般の夕食の採り方なのだろうか。私はワインが飲めない。話が何も分からずにじっと座っているだけ。これはつらかった。フォークとナイフのほかにデザート用の小さなシャジが置いてあるので、デザートが出てくるまでは、席をはずして逃げ出す訳にはいかない。「日本人は失礼だ」などという評判を残しては日本人の名折れになるので、じっと我慢して座っていた。デザートを食べ終わり、「お先に」と言って(「ベッド」と言って寝るジャスチャーをして)、真っ先に立ち上がるのはいつも私だった。

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(写真)会食。Lascabanesの教会付属のジットにて。

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(写真)会食。Estaing の教会付属のジットにて。

 

(農家に宿泊。おばあちゃんの手作り料理)Img_0350

・レストランで夕食をとることもあった。これは大きな町だと一人だけで食べたが、小さな村の場合はレストランが一つだけで、事前に予約をして全員が一つのテーブルを囲み、前記と同じように会食方式で食べた。 (下:レストラン、一人で。10ユーロで、第一の皿、第二の皿が出た。)
                                 Img_0940 Img_0941

                                              (下:レストランの中庭で)Img_1244

・レストランがあっても、コンビニで食材を買ってきてジットで食べることもあった。

・終盤は、レトルト食品を買い電子レンジ(ジットの自炊用台所には必ずこれがある)にかけて食べることを覚えた。たとえば、ニンジンとジャガイモと肉がたっぷり入ったカレーやリゾット(西洋風おじや。お米は長粒米だが)、スパゲティーなどのレトルト食品(1ケ、3-4ユーロ)をスーパーで買ってきて、ジットの電子レンジで温め、パン、リンゴ、トマト、ハム、キュウリなどと一緒に食べた。生たまごを3ケ購入し、目玉焼きにして食べたこともある。自分の好きなものを、大抵は誰もいない食堂で、のんびりと食べるのだが、気持が落ち着いて、これが自分には一番合っているように思えた。

 また、陶磁器製のコーヒーカップに直接水を入れ、電子レンジで沸かす方法も覚えた。これだとヤカンで湯を沸かす手間が省けて、簡単にインスタント・コーヒーや紅茶を飲むことができた。

 ただし、レトルト食品は大きな町のスーパーでしか買えない。小さな町の食料品店には無いことが多い。

・夕食ではないが、電子レンジを利用したことがある。昼間歩いているときのこと、急に大雨となり、雨宿りのために無人のジットに駆け込むと、部屋に電子レンジがあった。ちょうど昼食時だったので、持っていたレトルト食品をレンジにかけ、コーヒーも沸かして食事をした。レストラン並みの温かい食事。おいしかった。もちろん、使った食器はすべて洗って元の位置に戻したが。無人のジットにはこんな利用方法もある。本当は、管理人の家を探して許可を得る必要があったとは思うが、大雨で近所を探して歩くことができなかった。

・レストランも食料品店もないのに、夕食を出さないジットに2回泊った。夕食をどうしようかと心配していると、夕方、管理人がやってきて、ジット内の食料倉庫や大きな食料ボックスの鍵を開けて、食べ物を売ってくれた。一つのジットでは商売にしている鴨肉と煮豆のビン詰を買った(前記)。もう一つのジットでは、ハム、生たまご、パン、牛乳、肉の缶詰などを買った。

・なお、スペインのアルベルゲ(フランスのジットに当る)の場合、私が泊った範囲では夕食は出さないし、レストランでも、会食方式のものはなかった。この点はフランスとスペインの大きな違いであろう。

8.多くの人達との出会い

<「ル・ピュイの道」を歩く巡礼者は少ない>

・ル・ピュイの道について、ある1地点を通過する巡礼者の人数を推定してみると、1日に10人位、年に4000人程度と思われる。また、宿に置かれている「旅人の一言帳」から見ると、そのうち、日本人は年に1-2人であろう。

・観光地の周辺では、巡礼者のほかに日帰りや1泊2日のハイキングを楽しむフランス人をかなり見かけた。

・ル・ピュイの道を歩く巡礼者のほとんどは脚力が強く、ル・ピュイからサン・ジャン・ピエド・ポ-やサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す人が多かった。中には、「ドイツのふるさとから3ケ月間でサンテイアゴまで歩く」というドイツのおじさん、「一人でパリから3ケ月間でサンテイアゴまで歩いてきた。帰りはサン・ジャン・ピエド・ポ-まで列車を利用し、そこからル・ピュイまで歩く」、「主人が許してくれたの」と嬉しそうに話していたパリのおばさん、「サン・ジャン・ピエド・ポ-とサンティアゴの間を歩いて往復してきた。このあと、ル・ピュイまで歩く」というドイツの青年など、考えられないような「つわもの」もいた。その他、「自転車で車道を通って、パリから南仏のヴェズレーを経由しオスタバまで15日間でやって来た。ここからサンテイアゴまで10日間で行く予定」というフランスのおじさんにも会った。

・もちろん、毎年、区間を区切って1週間程度を歩き、数年で完歩するという人もいた。

・これを私が6年前に歩いたスペインの巡礼路と比較すると、スペインの巡礼路は、歩く人が圧倒的に多く(年間5-10万人)、また、子供連れや若者の一団もかなりいるという特徴があるが、フランスのこの巡礼路は歩く人が極端に少なく、また、歩いている人のほとんどは中高年の単独行か、夫婦2人連れだった。

<親しくなった人達>

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(写真)巡礼者
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(写真)セバスチャンと
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(写真)デュバルさん。カナダの女性と。
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(写真)皆で。

・セバスチャン
 2日目に途中の町で一緒になり、4日間、同行のMさんと3人で歩いた。フランス・ロレーヌ地方から来た26歳の青年。テントを入れた大きなザックを背負っていたが、1泊を除き一緒にジットに泊った。道々、かたことの英語で「フランスにも昔はオオカミや熊がいた」「巡礼者が増え、ジットも増えている。ほら、あれも建設中」などと話してくれた。Saint Chely-d'Aubracでお別れ。ル・ピュイへタクシーで戻り、ふるさとに帰るという。

・リアル・ロイさん
 カナダ・ケベック州の男性。68歳。カナダの奥さんによく電話をしていた。大柄で目の大きな人。7/6に泊ったLauzerte のジットでベッドが隣合わせになり、二人で町のレストランに行き夕食を共にした。かたことの英語で会話。親切な人で、宿やレストランで「タケシ、タケシ」と気を使ってくれた。足を痛め、「先に行ってくれ」と言われて別れたが、サン・ジャンまで歩き通せたのだろうか。

・デュバル・ジェラードさん
 Nogaro(7/12泊)やMaison Marusan(7/14泊)のジットなどで一緒になり、旅の最後の1日にまた会い、その日を一緒に歩いた。私は話がほとんどできないので、外国の巡礼者と歩くことを避けていたが、デュバルさんとは道中で何度も会って、だんだんと打ち解け、この日初めて、1日中、一緒に歩き、道端での昼食を共にした。背の高い、北フランスの猟師さん、68歳。家族は奥さんと娘さんの2人。漁を奥さんにまかせてやってきたという。歩くのはMoissacからサン・ジャンまで。
 ひょうきんな人で「ノー、プロブレム(問題なし)」が口ぐせ。「今夜泊る予定のジットに電話をしたが、満員のようだ」というと、「ノー、プロブレム。行けば泊れる」という具合である。
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 サン・ジャン・ピエド・ポ-では、一緒に巡礼事務所に行き、同じジットに泊った。
 翌日は駅に一緒に行き、パリ行の切符を買ってもらった。また、我が家に携帯で電話をして、妻にフランス語であいさつをしてもらったが、妻は突然「ボンジュール、マダム」と言われて、ビックリしていた。

・マリーさん
 ドイツの中年の女性。「ここに来たのは何故ですか」と聞くと「自然の中にいるのが好き。歩くのが大好き」とのこと。子供が4人、孫が5人とか。足は強いようだ。歌を歌いながら、余裕を持って歩いていた。まるで、少女のよう。前述<印象に残ったジット>Escoubetのパオ(7/11泊)の会食写真に写る金髪の人。
 お分かれのときに自分で描いた絵手紙をくれた。滞在したまち(Aire sur Ardour)の橋の風景を描き、「Aire sur Ardour 13.7.2009 Thank you to be with us.  Heide Marie Voigt」とサインを入れたものである。マリーさんも英語を少しだけ話すので、お互いに片言(カタコト)の英語で話し合っていたが、言葉がほとんど通じないのに気持が通じたということがとても嬉しかった。
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・ピーターさん
 Les Estretsのジット(6/23泊)で同宿となり、カラーコピーの自己紹介状を渡し、知り合いとなった。そのあと、いくつかのジットで同宿。サン・ジャン・ピエド・ポーの町でも会った。55歳のドイツ人男性。ドイツの故郷からサンティアゴ・デ・コンポステーラまで3ケ月をかけて歩くという。背が高くて、たくましい。自分のペースを守り、物事をきちんきちんとこなしていく。いかにもドイツの人といった感じ。歩くときは自分のペースで歩き、宿を出発するときや休憩のあとは、さっと立ち上がり、先に一人で出発してしまう。人に合わせることはない。家族は妻と息子2人。自動車工場の設計で中国に行ったことがあるという。ふだんは、ヨーロッパの低山ハイクを楽しんでいるとのこと。

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・58歳のフランスの女性
 Morianneのホテルで一緒だった。音楽家のお兄さんがその町に住んでいて、町の古城で演奏会を開いたことがあるという。ときどき道で一緒になり、サン・ジャンでまた会い、デュバルさんと3人でお茶を飲んで別れを惜しんだ。

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・マルティン・ガイさん
  フランスのマルセイユから来たご夫婦。毎年、区切って巡礼路を歩いている。今回はカオールからコンドンまで。帰国後、美しいマルセイユの風景と2人の息子さんの写真をメールで送ってきた。

・マギーさん
 スウェーデンのストックホルムから来た中年の女性。ル・ピュイからサン・ジャン・ピエド・ポ-を歩く。

・ピエールさん
 Lascabanes(7/5泊)のジットで同室となり、帰国後、下記のメールをいただいた。
(本文)
 TAKESHI,
 J'ai ete tres honore de marcher a tes cotes
 Dommage que nous n'ayons pas pu nous comprendre
 C'est un symbole fort de paix que des hommes et des femmes
 de toutes conditions, et du monde entier marchent ensemble
 dans la meme direction
 "ULTREIA" (toujours plus loin)
 Froternellement       Pierre
(翻訳した文章)
言葉の壁はありましたが、君と一緒に歩けてとても光栄でした。
世界中からやってきた、それぞれ異なる環境の中にいる男性・女性が、一  緒に同じ方向へ歩むということは、平和・安らぎの象徴です。

 ”ULTREIA”(いつでも前進)
 親愛の情を込めて  ピエール

<親切な人達>
 多くの人に親切にしてもらった。
・受付のおばあちゃん(ノガロのジットで)
 その人、英語が全く話せず、フランス語でいろいろと説明してくれたが、こちらは全然分からず、日本語で「分かんないなー」とつぶやきながら首をかしげていると、食事の取り方に絞ってジェスチャーで説明してくれた。ほぼ理解。「夕食はレストランでとること。ただし、日曜なので一軒しか開いていない。朝食は今、売る」など。そこで、朝食用のパン、牛乳、ジュースを頼むと、袋に入れて表に「takeshi…」と書いた紙を張り付けた上で、冷蔵庫のあるところへ私を連れて行き、「ここに入れておくから、朝、食べて」とジェスチャーで教えてくれた。私の自己紹介用のカラーコピーを見せると、そのおばあちゃんも自己紹介、72歳とのこと。写真を撮らせてと言うと、事務机の前でペンを持ちポーズをとってくれた。大柄で堂々としたもの。そのあと、一緒にベッド・ルームやシャワー室を案内してくれた上で、洗濯の仕方・干し方も手真似で教えてくれた。とても親切。大好きになった。
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・巡礼事務所の受付のおじさん
 最終日、デュバルさんとサン・ジャン・ピエド・ポ-の巡礼事務所に到着。当日泊るジットを確保した後、翌日夜のジットもお願いした。日にちに余裕があり、ここでもう一泊し町を見物したいと思ったからだ。私達の相手をしてくれたのは中年の男の人。責任者(おじいちゃん)に聞きにいったところ、「ノー」とのことだった。ジットは混雑しており、1泊が原則で2泊は泊れない、泊るなら料金の高いホテルへという。デュバルさんがフランス語で粘り強く交渉。と、その男性が「オーケー、明日の朝、俺のところに来い。別のジットに案内してやる」と胸をたたいてくれた。そして、翌朝、事務所の彼のところに行くと、「待っていた」というようにニコニコしながら別のジットに案内してくれた。

 このジットも、夕方になると宿を求める若い巡礼者の集団が続々とやってきて、入りきれない人達が庭にあふれ、「なるほど、1泊が原則というのももっともだ」とうなづけた。彼らはジットのおばさんに案内されて、別の宿泊場所に移っていたが、普通の民家に泊ったようである。

・フランス領・ニューカレドニア(オーストラリア大陸の近く)から歩きにきた中年の女性
 Lascabanesのジットで同宿となり、サン・ジャンまであとになり、先になりして歩いた。話をする機会はなかったが、活発そうな人。運河沿いの道で曲り角を間違えて別の道を進もうとしたとき、橋の上から大声で「こっち、こっち」と手を振って教えてくれたり、公園に差しかかると「水場はこっち」と大声で教えてくれたりと親切にしてもらった。サン・ジャンの町の街路に張り出したカフェで偶然再会し、お互いの目的達成を祝いあって握手。

9.コミュニケーションの実際
<「フレンチ、ノン、イングリッシュ、ア・リトル」>

・言葉が分からない中で、フランス語でのやりとりはジェスチャーで行い、英語の場合は片言(カタコト)で行った。

・宿の受付や一人で食べるときのレストランでは、まず、「ジャポン、タケシ、フレンチ、ノン、イングリッシュ、ア・リトル」と言ってから、かたことの英語で交渉を始めた。

<自己紹介のカラーコピーと「東京カテドラル聖マリア大聖堂」発行の「クレデンシャル」、それに絵はがき、金太郎飴などを持参>

・同行の巡礼者と話すときや、宿の受付では、持参した自己紹介のコピー(カラー)をまず渡した。これには、家族の写真やマッキンリー登頂の写真を載せ、フランス語で説明書きをつけておいたが、コミュニケーションにたいへん役に立った。できれば、春の桜の風景、秋の京都の紅葉風景などもコピーし、日本のすばらしさを紹介できたら、もっとよかったと思う。

・ 「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」を通していただいた標記のクレデンシャルはことし、日本で初めて発行されたものであり、カラー版の美しいもの。「東京カテドラル」の押印もある。巡礼路で会う人達から珍しがられて評判になり、多くの人から「見せて、見せて」と言われ、これもコミュニケーションに大いに役に立った。

・おみやげとして、富士山の絵はがき、谷中五重の塔や竜の絵が入った竹のしおり、お地蔵さんの絵の金太郎飴などを持参し、お世話になったお礼やお別れのプレゼントとして利用した。

<電話での連絡に成功>
・こんなことがあった。
 朝、出発するときにその町のインフォメーション・センターで当日の宿を予約してもらったのだが、巡礼路沿いのジットがすべて満員だったので、ルートを4kmほど外れたところにあるホテルを取ってもらった。「ルート上のポンプという町に着いたら、電話をすれば、自動車が迎えに来る」とセンターの人に言われたので、ポンプに到着後、ドキドキしながらホテルに電話をした。女性が出たので、「タケシ、アライバ(到着。電話をする前に辞書で調べておいた単語)、ポンプ(まちの名前)、ジット(ジットの前にいる)。カー、OK?(車で迎えにきてくれるか)」と言う。先方はフランス語で何か言ったが、その中に「ウイ(英語のYes)」という言葉が入っていたので、あとは分からなかったが、電話を切った。あれだけのやりとりで、はたして通じたのかという不安はあったが、ジットの前に腰を下ろし待つていると、自動車を運転しておばあちゃんがやってきた。フランス語での電話連絡に成功した瞬間である。嬉しかった。

<いつか親しくなった>
・旅の後半、畑の中を登っていくと、登り終わったところにある村で、知り合いになった巡礼者が10人ほど休んでいた。皆が「ここで一緒に休もう」と手招きをする。その中に入って草むらに腰をおろすと何か嬉しくなり、ほっとして気が休まった。親しい仲間に迎えられたという感じである。旅の前半、歩き始めの頃は、知らない外国の巡礼者の中に入るのは気が重くて避けていたのだが、いつの間にか、自分の心に変化が起こっていた。

10.気持がなごんだとき

<プール>

・プールのあるジットに2回泊り、洗濯済の下着を着て泳いだ。フランスで泳げるなんて。一つは温水で塩水のプール。思いもかけずに泳げて、嬉しくてワクワクし、短い距離を何度も往復した。

<フォスターの歌を皆で歌う>

・あるジットでのこと。夕食後、バンジョーを弾き、音楽を聞かせるジットのご主人。巡礼の歌が中心だったが、私はフォスターの「金髪のジェニー」をリクェスト。皆で歌っているときに、なぜか涙が滲んだ。(前述<印象に残ったジット> Cambarrat(7/16泊) の「Gite d'etape prive de Cambarrat」参照)

<風ちゃんのお守り>

・5歳の孫の風ちゃんと3歳の爽太が「お守り」を作ってくれた。旅も終盤のある日、それを開いてみると、風ちゃんのは真ん中に「じじ」を描いた絵、上のほうに「じじへ ぶじにかえってきて」、下に大文字で「じじ だいすき」とあった。爽太のは機関車トーマスの貼り絵。
 「歩くんだ」と緊張していた気持が一瞬ゆるんで、我が家にいる雰囲気を味わった。

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 11.困ったこと、失敗したこと

<一番困ったのは>

・学校の施設の一部がジットになっていたときのことだ。学校に入っていったが、ジットの部屋がどこにあるか分からずに、とまどった。教室外の廊下でも授業が行われていたので、その先生にかたことで聞いたが、授業に集中していて、相手にされない。やっとフランス語で何か言ってくれたが、全く理解できない。最後はジェスチャーで「外に出て行け」という。とほうにくれてしまった。と、巡礼路で知り合いになったご夫婦が廊下の向こうから出てきて、「こっち、こっち」と手招きをしてくれた。本当に助かった。「救われた」という感じ。

<いくつかの失敗>

・パリから目的地までの切符を買い、座席指定のTGV(フランスの国鉄SNFCが走らせている新幹線)に乗ったときのことだ。途中のリヨン駅で乗り換える必要があることを知らずにいて、乗客が全員下車してしまったのに、私達は下車をせず、がらんとした車内で、いつまでも発車を待ち続けるという失敗を犯した。
 どうもおかしいと他の車両を見に行ったら誰もいない。その間に乗り換える列車は出発してしまい、次の列車まで3時間も待つはめになった。パリで購入した切符は一つの座席番号が記入された、エチエンヌまでのTGVの通し切符だったので、「エチエンヌまで乗り換えなし行ける」と勝手に思い込んでしまったのだ。

・パリではルーブル美術館とオルセー美術館を見てからシャンゼリゼ通りを凱旋門まで歩き、更にエッフェル塔まで歩いた。行くと乗り場は数時間は待つような長蛇の列。でも、一つだけ5分待ちで入れる行列があった。それは「歩いて登る」もの。私は喜んでその切符を買い、115mの高さの中2階まで歩いて登り、パリの街の眺めを堪能した。下りも歩く。先日、東京タワーに歩いて登ったが、「今回はエッフェル塔にも歩いて登ったのだ」と思うと嬉しくなった。ところが下りてきて、満足感に浸りながら上を見上げると、275mの高さまで行くエレベーターが動いてるのが見えた。中2階からはエレベーターで275mまで上れたのだ。今さら引き返せない。ガックリ。エッフェル塔の最上部に行く機会を逃してしまった。276mまで登っていれば、どれほどのすばらしい景色が見られたことか。

・ピザ屋であることを知らずに一人でレストランに入り、「ハム入りの野菜サラダ」を注文するつもりで、ジャンボン(ハムのこと)、トマト、サラダと言ったら、馬鹿でかいピザ(ハムとトマトをトッピングしたもの)が出てきてしまった。何とか全部を食べようと、水を飲み飲み挑戦したが、塩味が効いていて半分食べるのがやっとだった。

 注文する前に、メニューの内容を知ろうと、辞書を引いて調べたのだが、簡単な辞書なので、料理の名前のほとんどが載っておらず、よく分からない。四苦八苦していると、店のマダムが寄ってきて「どうしますか」と聞かれた。これで、あわててしまったのが原因だ。あらためて、周りを見回したら、みずみずしい野菜サラダを食べている人が何人もいた。それを指差せばよかったのだが、あとの祭り。「辞書で調べて」なんて考えたのが間違いのもとだった。

12.その他

1) 足の痛み
<足の保護が巡礼成功の鍵>

・行く前はまず、どんな靴にするかで、いろいろ考えた。
 どの靴が足に合うかは人によって異なる。私の場合、前回はアディダスのハイカットのウォーキング・シューズを使用。これは私の足にピッタリだったが、すでに製造中止で今回は入手できなかった。結局、同じ会社のローカットの長距離用ウォーキング・シューズ(約15000円)を購入し、日本で何日も履いて「足が痛くならないこと」を確認した上で持参した。

・指の血行を良くするため、5本指の靴下を使用。私は普通の靴下だと、歩き始めて2時間位で右足の小指が歩けなくなるほどに痛みだすというくせがあったが、5本指の靴下だとこれが防げた。

・ひざを保護するサポーターを持参。これは役に立った。毎日歩いたので終盤はひざがやや痛み、登り坂になると右ひざが「カク、カク」としたが、サポーターを付けると、これがおさまった。その他、足のマメ専用の絆創膏(ジョンソン&ジョンソン社製)も持参し、マメができそうになるとすぐに張ったが、これを常に心がけたので、マメができることはなかった。

<私の場合、最も苦労したのは足裏と肋骨の痛み>

・最も苦労したのは足裏の痛み。多分、骨のつなぎ目だと思うが、右足の小指の付け根が痛んだ。舗装道路や突き固めた道を長く歩くと、足裏の一定の部分しか地面に着かないためと思われるが、このようなことが起きる。これに対しては、包帯を何重にも畳んで、靴下の中に入れて足裏に当てたり、石ころだらけのところや草の上をできるだけ選んで歩くという方法で痛みを和らげた。なお、痛くても包帯を1-2mmずらすと痛みが治まるということも知り、この方法も利用した。

・第二は肋骨の痛み。ザックの重みが肩から肋骨にかかったために肋骨が痛んだ(身長169cm、体重55kmというきゃしゃな体格が原因かもしれない)。ただし、不要と思われるものを捨てたあとは、その痛みはほとんどおさまった。

・それと腰の痛み。痛みは肋骨から腰にまで達した。その痛みを和らげるために、ザックをずらして背負ったり、斜めに背負ったり、前で抱えたりして歩いた。

・これらは、体の鍛え方が足りなかったこと、71歳という年齢により体力が衰えたことなどが原因と思われる。歩くとき使うのは、ももとふくらはぎの筋肉だけだと思っていたが、全身の骨と筋肉を使うということが分かった。長距離を歩くには足だけでなく、全身を鍛えておく必要があるようだ。

2) 荷を軽くするよう心掛けた。
・まず、歩き出す最初の日に、日本から持ってきていた3冊の文庫本のうち2冊を捨てた。
 3日目に最後の文庫本と予備に持ってきた柔らかな靴(足を痛めたときに履こうと思っていた)を捨てた。
 11日目、肋骨の痛みが増し、長ズボン(暑くなってきたので不要となった)、バンド、Tシャツ1枚(2枚を残す)を捨てた。
 12日目に薄い羽毛服(20年前1万円で購入。やや「ほころび」がある。ビバーク用に持参したもの)、折りたたみ傘、手ぬぐい2本を捨てた。

・残したのは、手ぬぐい1本のほか、ゴアテックスの上下の雨具(登山用、3万円のもの)、ポンチョ(頭からかぶれて、ももまでのもの。ビニール製、軽い。休憩時に敷物としても利用)、ザック・カバー、下着(速乾性のシャツ3枚、パンツ2枚など)、短パン1枚(後半は日中、これを履いて歩いた)、地図、フランス語の簡易辞書、フランス旅行案内(必要な部分のみを切り取って)、カメラ、携帯電話、メモ帳、歯ブラシなどである。

3) クレジット・カードを使い、ユーロを現金で借りる。
  旅の始めの1週間位は、手持ちの現金とトラベラーズ・チェックを使い切ったらどうしようかと不安だった。クレジット・カードを持ってきてはいたが、最初の日に駅でパリ→ル・ピュイ間の切符を買おうとしたとき、暗証番号を入れたのになぜか支払いを拒否された。帰りの切符は現金で買わざるを得ないようだ。その他、大口の買い物やホテルの宿泊費の支払いにはこのカードが使えるだろうか。このクレジット・カードが使えない場合、現金がなくなれば「万事休す」である。村での食事やコンビニでの買い物は現金なしでは難しい。旅を中止して帰国せざるを得ないだろう。毎日、それが気になった。
 とりあえず、現金に余裕があるというMさんに、お金を借りる交渉をしていると、同行していたセバスチャンが「クレジット・カードで現金が借りられるよ」と教えてくれた。一緒に郵便局に行き、まずはセバスチャンが自動支払機で実演。私がそれをまねて、手順に従って操作し、暗証番号を入力するとユーロが現金で出てきた。「なるほど。これで大丈夫」。不安がひとつ消えて何かほっとした。
 なお、後日、ホテルでのカードの支払いはOKだったが、帰りの切符はカードでの支払いを拒否された。駅で使えなかった理由は今もって不明である。

3) 日本で国際携帯電話をレンタル。
 行く前にインターネットで調べて、国際携帯電話をレンタルした。家との連絡用であり、これがあると緊急連絡が可能となり、お互いに安心していられる。もちろん、前回のスペインのようにコインやテレフォン・カードを使い、数日に一回、こちらから家に電話をするという方法でもよいのだが、そのときは公衆電話の使い方が不慣れで、うまく通じないことが何回かあった。
 ただし、今回は調子に乗って数人の友人に長電話をし、また、毎日、家に電話をしたために、使用料が47,000円にもなってしまい、帰国後、請求書を見てビックリした。せいぜい1-2万円と思っていたのだが。

4) 費用はいくらかかるか。
・37日間で20-30万円位か。うち、パリ往復の航空券は10万円(6月のモスクワ経由の場合であり、台湾やベトナムなどの乗り継ぎ便には4-6万円の安いものもある。直行便は20万円)。あとは、宿泊費(1泊8-12ユ-ロ、1000-1500円。全部で4-6万円)と3食の食費(1日、15-20ユーロ、2000-3000円)が37日分である。食費を安くあげるには、スーパーで食べ物を買って3食をそれで済ますこと(自分で調理をすることも含めて)。これなら食費は6万円位で済むであろう。このほか、目的地への列車代が1万円、到着地からの列車代が1万円。パリでは、治安に問題はあるが、宿泊費を節約するには空港の床で寝る手もある。

13.目的地に到着して

<ぼーっとした気持>
 7月20日の昼過ぎ、サン・ジャン・ピエド・ポ-に到着。
 デュバルさんと一緒である。小さな石造りの城門をくぐるとすぐに巡礼事務所。そこから50mほど先にあるジットを紹介してもらった。
 ジットに荷を置き、一人で外に出る。カフェでサンドイッチとサラダを食べながら一休み。カンカン照りの舗装道路を沢山の観光客が行き来している。照り返しで日陰も暑い。「歩き切った」とか「やったー」というような達成感はあまり湧いてこない。何も考えずに、ただボーっとして店先に座っていた。

 町の中を散策。巡礼路で親しくなった人達、数人に会う。握手、握手。
 夜、初めて日本の友人に数枚の絵はがきを書く。そこにも「感慨は湧いてこない。何もない。無の境地と言えようか」と書いた。

 翌日、町が見渡せて、ピレネー山脈も望める高台の城跡に登ってみた。風が吹き抜ける木陰の芝生で一休み。ここでも30分ほど、ただぼんやりと座っていた。

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 マッキンリーの登頂に成功したときは「アラスカ第一の高みに立った。何という爽快感。自分が風となり、はるかなる青空へと吹き抜けるような解放感にひたる。涙は湧かない。登頂できたときは感動で涙するかと思っていたが、不思議と涙は出てこない。すばらしい解放感が涙を忘れさせてしまったようだ」と書いた。

 2003年にスペインの巡礼路を歩ききってサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着したときは「行列に並び、私も栄光の門の石柱に手をふれて頭を下げた。でも、あまり感激はない。疲れはしたが、自分の力の限界を感じるほどの大きな困難に遭わなかったせいかもしれない。次いで、大聖堂の奥へ。高い天井。薄暗い大空間が広がる。何かほっとして、心と体が軽くなった感じである。「歩き続ける」という重荷から解放されたためであろう」と書いた。

 それが今回は頭の中が空白の状況で、あまり感慨が湧いてこない。 
 前回よりは、巡礼路を歩くのに慣れてしまったこと、疲れがたまっことなどが原因と思われる。ひたすら歩くだけで、旅を楽しむ余裕がなかったことにもよるであろう。

 でも、旅の楽しみは多様で、奥が深い。歩くことだけを目的とする旅から、新しい旅へと転換する時期に来たのかもしれない。

<フランスの巡礼路をスペインと比較すると>
・見方にもよるが、私はフランスのルートは景色がやや変化に乏しいように思う。スペインの750kmには、標高1500mの三つの峠越え、レオン、ブルゴスなどスペイン屈指の大都市の通過、中世の面影が残る農村の通過などがあり、景色は変化に富んでいる。これに対し、フランスは、前半は毎日、飽きるほどに牧草地の中を行き、中盤にいくつかの小さな観光都市をめぐり、後半はまた毎日、畑の中を行くというように、やや変化に乏しかった。また、農村の風景もきれいに整備された農家が多いためか、中世風というよりは現代的だった。
 もっとも、これは好きずき。「毎日が牧草地の中」というのがとても素敵だ、フランスの方がよい-という人もいるであろう。
・また、スペインは、宿泊施設である「アルベルゲ」が基本的に無料、歩いている人が圧倒的に多い、英語がある程度通じる、食べ物も入手しやすい、などの特徴がある。
・どちらがよいかといえば、何と言っても、お勧めはスペインであろう。する時期に来たのかもしれない。

<旅を楽しむには>
・余力を残して歩くこと。

 マリーさんは歌を歌いながら歩き、町に着くとスケッチを楽しんでいた。余裕たっぷり。「楽しくて、楽しくて」という感じ。
 私は、いつもと言うわけではないが、足や肋骨の痛さに耐えながら何とか目的地に着こうと歩くことがかなりあった。特に1日の行程の後半は、そうだった。これでは、すばらしい景色を楽しむ余裕がなくなってしまう。フランスを歩いているのだという「ワクワク感」も感じなくなる。
 余裕を持って歩けるだけの体力が残っているうちに、この巡礼路を歩いていれば、もっと楽しめたと思う。
 今回も、マイペースでゆっくりと、休憩時間を十分に取りながら歩けば、もっと楽しめたであろう。
・フランス語や英語が分かれば、巡礼時の楽しみは倍加する。
・そこまででなくとも、城などの遺跡やまち、教会などの歴史を事前に調べていけば、巡礼時の楽しみが増すと思う。
 注)インターネットの検索によれば、下記の記事が「ル・ピュイの道」の遺跡や歴史について詳しいようである。
「フランス巡礼路紀行(2)」http://www.geocities.jp/makt20/JunreiroFr/france2.htm

14.パリにて

<モンパルナスのホテル泊り。ルーブル美術館鑑賞>
 7月22日、ローカル線の列車でサン・ジャン・ピエド・ポ-を9:45に出発、バイヨンヌに10:58着。TGV(フランス新幹線。11:05発)に乗り換えてパリのモンパルナス駅に15:55に到着した。
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 早速、安いホテルを探して食べ物屋が軒を並べるモンパルナスの路地裏へ。数軒のホテルあり。5分ほど歩いたところに二つ星のホテルを見つけて宿を取った。先にも書いたが1泊65ユーロ(食事なし)。
 すぐに地下鉄でルーブル美術館に向かう。地下鉄の自動販売機での切符の買い方は、買っている人を横から見ていて、すぐに分かった。夕方、ルーブル着。通常の閉館は18時だが、水曜、金曜は22時に延長されており、ゆっくりと鑑賞できた。モナ・リザやミロのビーナスについては、館内の各所に展示場所の案内が出ており、人だかりがしていたが、誰もいないようなところにも、名の知られた名画が沢山掛っており、その一つ一つを見て回った。

 23日はルーブル美術館、オルセー美術館、凱旋門、エッフェル塔を巡る。
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 24日は地下鉄でサン・ミッシェル駅へ行き、数人の人に道を尋ねながら500m離れたところにあるRER(高速郊外地下鉄)のサン・ミッシェル・ノートルダム駅へ。ここでB線に乗ってドゴール空港へ。11:45離陸。

<「すし」と「うどん」>
 それまでは日本食にありつけず、日本食に飢えていたので、パリでは2日間とも夕食は「すし」、昼食は「うどん」とした。「すし」はホテルから100mのところにある小さなレストラン「HOSHI」で食べたが、お店は地元のパリっ子で満員。サラダを肴にワインを飲みながら談笑していた。「すし」の値段は1000円位。とにかく、ボリュームがあった。すし1貫が小さなおにぎりほどの大きさで、9ケのうち6ケを食べたところで満腹になり、このほかに付いていた茶碗一杯のごはんも残してしまった。「うどん」はオペラ座通りから横町に入ったところにあるお店へ。昔、職場の研修旅行でパリに来たときに、添乗員に連れていかれたことがあり、このあたりにいくつかあるのを知っていた。これも、ごはん付きで1000円位。
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16.おわりに

<Mさんとの気持のすれちがい>
・14日間、同行してくれたMさんはマラソンやウオーキングの大ベテラン。200kmマラソンなども完走しており、歩く速度がたいへん早い。

  2人の間が離れると、初めは走って追いつこうとしたが、そのうち、こちらもマイペースで歩くようになり、離れすぎると彼は腰を下ろして待っていてくれた。10分以上待たすこともかなりあり、彼もいらいらしていたのではないかと思う。泊まる宿を決めて、彼には先に宿まで行ってもらうなどの工夫をすればよかったと今は思っている。

・Mさんはレストランやカフェが嫌いだった。日本では食事はいつも簡単な物で済ましており、巡礼路でもお店で買ったもので3食を済ますことが多かった。一方、私はパン中心の食事では体がもたないと思い、昼食は、肉と野菜をおいしく食べるために、できるだけレストランを利用した。また、午後の一休みに、私はカフェに入ってコーヒーを飲むのを無上の楽しみにしていたが、彼はこれも嫌いだった。道端に腰を下ろし水を飲めばよいという考え方である。

 彼は私に数回ほどおつきあいしてくれたが、内心は入りたくなかったようだ。彼がそんな思いでいるとは全く気づかずにいて、帰ってきてから初めてそれを知ったが、現場で率直に話し合えば「一人は中で、一人は外で」などの方法で解決ができたのではないかと今は思っている。

 いずれにしろ、2人以上で歩けば、どんなに仲が良くてもすれちがいが生じる。それを乗り越えるのは率直な話し合いではないかと思う。

<体重2kg減少>
 帰国後、家での風呂は別として、20日ほど経って初めて銭湯に行った。体重を量ると55から53に2kg 減っていた。パンばかりの食事が体には負担だったということだろう。その影響が20日経っても残っていた。マッキンリー登山のときは、毎日の主食が日本から持っていった米だったので、体重がかえって増えたのだが。

<自分の人生にとって、どんな意味を持っているのか>
 今はあまり考えられない。時間が経つにつれてはっきりしてくると思う。

17.その後
<2009.9.17>
 今回の旅について、かなりの人に話をした。六つ星山の会の例会でも話す機会があった。時間が経つにつれて、「行ってきた」という充実感が強くなってくる。

<2009.11.15午後 巡礼報告会に出席>
 東京カテドラルで行われたサンティアゴ友の会主催の表記報告会に出席。巡礼に行こうと思っている約50人の方が出席し、今年前半に行った12人(私も含めて)が各人約5分で報告を行った。巡礼証明書(最後の100kmを歩けばもらえる)をもらった日本人はこの5年間で年間約100人から500人へと5倍に増えているとのこと。また、巡礼路には、私が行ったフランスの道のほかにも、名前が知られている道が10本以上あるが、北の道(スペインの北岸、海沿いを歩くもの)、銀の道(セビリア-メリダ-サラマンカ-サンテイアゴを歩くもの。VIA DE LAPLATA とインターネットに入力すると資料が見られる)について、歩いた人から話を聞き、100ページを越える詳細なルート地図が掲載された本も見せてもらった。その他、パリから歩いた人にも会った。詳細なルート地図さえ入手できれば、これらの道を私でも歩けそうだ。

 どんな分野でも、奥は深い。私の前を行く人が沢山いる。



         ≪行程-宿泊地と歩いた距離≫

<2009年6月19日>
 成田発12:00、パリ着20:45。Mさんと一緒に空港で仮眠。
<6月20日>
 パリから鉄道でエチエンヌを経てル・ピュイへ。「i」(インフォメーション・センター)の紹介で「Auberge de Jeunesses」に宿をとる。朝食付14ユーロ。夕食は広場のカフェにてフランス・パンのサンドイッチと紅茶で済ます。4.8ユーロ。
<6月21日>歩いた距離24km
 7:00-8:00、大聖堂のミサに出席。ミサから帰り、ジットで朝食の後、9時頃に巡礼への第一歩を踏み出す。
 途中、農家の若い女性が小屋掛けをしてコーヒーを売っていたので、一緒になった若い男性のステファンとそこで一休み。
 夜はSaint-Privat-d'Allierのジット泊り。
 テント泊りのステファンから「夕食を一緒に」との提案があり、町で会ったセバスチャンほか一人も入れて5人でレストランに入り、夕食。かたことの英語でサッカーやラグビーの話をするが、なかなか言葉が通じず、もどかしかった。
 なお、ルピュイからサンチャゴまでの距離は1495kmとする本が多いが、ル・ピュイの町はずれの標識には1521kmとあった。(下の一枚目の写真:遠く岩上にピンクの聖母子像が望める)

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<6月22日>28.3km
 出発して1時間30分後、眼下に見えた谷底のMonistrol d'Allierの町へ。鉄道の駅あり。ここから川を渡り、岩壁の道をジグザグに登る。30分ほど、ややきつい急登が続き、丘の上へ。
 丘を行き、Saugues(ソーグ)の町でまた、セバスチャンと会い、一緒にカフェで一休み。マダムが「日本人が店に来たのは初めて」と言っていた(これはセバスチャンが通訳してくれたもの)。次いで、平坦な森の中の道を行き、セバスチャンが予約してくれたLe Falzetのジットに宿を取る。小さな村の民宿。夕食はおばあちゃんの手料理だった。前記3<印象に残ったジット>参照。
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<6月23日>30km
 8:30発。丘陵地帯。飽きるほどに牧草地と森が続く。農家はほぼ30分おきに一軒ある程度。このあたり、フランスで最も人口密度が低い地域だと聞く。スタートして12kmで標高1200mの峠に着く。国道沿いにChapelle Saint Rochという白壁の教会あり。峠を越え途中の町でカフェへ。
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 17:30、Les Estretsのジットに到着し宿を取る。新築のジットピーターと同宿となり、用意してきたカラーコピーの自己紹介状を渡して親しくなる。彼は55歳のドイツ人男性。ドイツの故郷からサンティアゴ・デ・コンポステーラまで3ケ月をかけて歩くという。
 夕方、10人ほどで会食。私の自己紹介状がピーターから回され、皆からあれこれ話しかけられた。更に東京カテドラル発行のクレデンシャルも回覧。日本で発行されたものは珍しく、皆、興味深く眺めていた。前記3<印象に残ったジット>参照。
<6月24日>27km
 途中、道端に丸い小さな教会あり(下の写真)。
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 夕方、Rieutort d'Aubracの入口にある、巡礼路脇の、地図には載っていないジットに泊る。モンゴルのパオが宿泊場所。一棟に10人以上が車座になって眠れるもの。ピーターも泊っていた。セバスチャンは持参のテント泊。客はこの4人のみ。夕食はおばさんの手料理。大きなシェパードも一緒だった。
 翌朝、霧が出ていて、6時頃、一人で見物に出る。丘はくっきりと見えるが、下の盆地に霧がただよっていて幻想的な写真が撮れた。前記3<印象に残ったジット>参照。
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<6月25日>25km
 6.5kmでNasbinalsの町。そこからからAubracの町へ。かっては荒野で最大の難所だったところを3時間(9km)で越える。標高は高く1300mだが、今は延々と見晴らしのよい牧草地が続く。Aubracの町に入り、レストランで昼食。午後は森の中を2時間下って、Saint Chely-d'Aubrac泊り。1階が巡礼事務所、2階がジット。通りに等身大の牛の置物あり。リンゴ、バナナ、ハム、パンをコンビニで購入し、夕食とする。

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<6月26日>33km

 朝、お互いに肩を抱き合い、セバスチャンとお別れ。彼はここから出身地のロレーヌに帰るという。別れたあと、森の中を登って丘の上に。途中の村で農家の納屋をコーヒーとジュースの無人スタンドにしたものを見つけた。何をいくら飲んでも1ユーロ。ここで一休み。丘を下り、Estaingの町へ。教会付属のジット泊り。ピーターと同宿。前記3<印象に残ったジット>参照。Estaingは川沿いにある素晴らしい町。風格のある領主の館がそびえていた。
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<6月27日>24.5km
 Espeyracの「Gite d'etape commnal」 泊り。commnalとあるのは公共の宿。素泊り10ユーロ。ピーターと同宿となる。管理人が村の食料品店(フランス語で「Epicerie」という)は17時に開くと教えてくれた。夕食と翌日の朝・昼の食事分として、パン、バナナ3本、桃1ケ、リンゴ1ケ、トマト2ケ、ハム、缶ジュース2本、ヨーグルト2ケを買う。ハムを除いて6ユーロ30。ホテルに行けば夕食は12ユーロとのことだったが、行かずにこれで済ました。
<6月28日>12.5km
 森の中を30分下るとコンク(前記「見どころ」参照)。「Gite d'etape commnal」泊り。公共のジットへ。ピ-ターは教会付属のジットに泊っていた。とてもよかったとのこと。
<6月29日>24.0km
 丘に登り、延々と歩く。農家の前で腰をおろしていると、おじいさんが水飲みを持ってきてくれた。芝生に寝転がって一休み。とても気持良し。Livinhac le-Hautの町の入口にあるジット泊り。塔の中にある部屋で寝る。
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<6月30日>24.5km

 たまにはホテルに泊ってみようとFigeac(フィジャック)のホテルに泊る。セレ川沿いの宿(写真の一枚目)。素泊り2人で68ユーロ。ロゼッタ・ストーンを発見したシャンポリオンの出身地で記念館がある(写真の3枚目)。日本人のツアーに会い、宿泊地のジットで巡礼手帳に押してもらうスタンプについて、いろいろと聞かれた。
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<7月1日>23.0km(25,2kmを近道して)
 最初、近道をしてセレ川沿いの車道を8kmほど歩く。しかし、車が多いのに車道脇に歩道がなくて危険なので、本来の巡礼路に戻る。Bedoerの村でGR65を離れ、セレ川沿いのGR651の道を行く。3日後、カオールで再びGR65に合流するルートで、私が利用した「Miam Miam Dodo」という地図帳の「Plan Cele1-7」に載っていたもの。川沿いを歩きたくてこの道を選択した。この日は、Erespagnacの「Gite d'etape commnal」 泊り。隣は古い修道院。今は使われておらず、改造されて、数軒の家として利用されていた。その1軒がレストランで、オバサン手作りの15ユーロの夕食を食べる。家族も別の部屋で食べていた。
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<7月2日>30.0km(34,0kmを近道して)
 丘の上を行く巡礼路を離れ、一日中、セレ川沿いの国道を歩く。このほうが近道。この道は車が少ない。キャンプ場が数か所あり、売店やプールもあった。サイクリングを楽しむ数組に会う。川をカヌーで下る人も。川幅が広く流れが淀んだ深みでは、子供が数人、泳いだり、カヌーに乗ったりして遊んでいた。昨日、荷物の一部を捨てたせいか、体が軽くて気分がよい。気持に余裕が出てきたので、風景が楽しめた。両側には高さ数十mの岩壁がそそりたち、朝日で赤くそまる。ポプラ並木を吹き抜ける風の音、せせらぎの音、セミの声、鳥の声。Cabrerets泊り。Mさんは食べないというので、一人でレストランへ。店のおばさんはフランス語のみ。言葉が通じない。旦那も出てきてメニューを見ながらジェスチャーとかたことの英語で会話。サラダ、ジャガイモと鶏肉の炒め物、レモン・パイを注文(パンとワインは無料で付いた)。11.50ユーロ。別に紅茶が1.80ユーロ。
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<7月3日>30.0km(34kmを近道をして)
 途中、Bouziesの町からサン・シラク・ラホピーを往復(往復8km)。夕方、ジットではないが、丘陵の上にある小さな村・Les Mazuts の 「Chambre d'hotes」 という宿に泊る。大きなお屋敷の部屋が宿泊場所。素敵なプールあり。泳ぐ。2食付34ユーロ。前記3<印象に残ったジット>参照。
<7月4日>13.2km
 丘を下り、ロット川沿いの畑の中へ。畑の端のトウモロコシを踏みしめながら行く。踏み固められてはいるが、道はないに等しいほどに狭い。カオールに入り、ロット川の橋を渡ったところに交番のような小さな巡礼案内所があり、おばさんに呼び止められた。中に入り、ジュースをご馳走になり、ジット・「Gite d'etape Le Relaisdes Jacobins」の場所を教えてもらう。町の中心にあるレストランで昼食。コーヒー、パン、サラダ、メロン、ハムで9ユーロ。カオール泊り。ロット川巡りの観光船に乗る。8.5ユーロ。この町でGR65が合流する。
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<7月5日>21.3km
 Mさんは帰国。ここからは一人旅。町から崖を上がり、荒野のようなところを行く。次いで、それが麦畑に変わる。Lascabanesの教会付属のジット泊り。前記3<印象に残ったジット>参照。
<7月6日>23.0km
 6時30分スタート。ジットで同宿だった人達と後になり、先になりして、丘の上の畑の中、森の中を行く。9時頃、Montcuqのカフェで朝食。Lauzerte泊り。丘の上の大きな町。偶然にも、サン・シラク・ラホピーのカフェで同席だったフランス人夫妻と再開。握手をして一緒に写真を撮る。ジットではカナダのリアル・ロイさん(68歳男性)とベッドが隣り合せになり、レストランで一緒に夕食。 (下:1枚目、朝食。2枚目、Lauzerteの町)
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<7月7日>24.5km
 Moissac(モワサック)泊り。大きな町。丘の中腹にある修道院のようなところに宿をとる。まず、町を見物。町の中央にある大きな教会には有名な回廊があり、これを見たあと、運河沿いを散策。橋の欄干には直径2m位の花籠。道路脇には花壇。いたるところに盛り上がるように花が飾ってあった。前記3<印象に残ったジット>参照。
<7月8日>25.3km(29.3kmを近道をして)
 運河沿いの気持のよい並木道を歩く。Saint-Antoine-du-Pont-d'Arratz泊り。私を含め巡礼者5人はレストランで夕食(12.80ユーロ)。夫婦連れ2組はジットで自前の食事。(下:ジットとレストラン入口)
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<7月9日>23.5km
 Lectoure泊り。丘の上の城壁都市。「i」(インフォメーション・センター。町の人に「office de toursmeはどこ」と聞けば教えてくれる)で聞いて最初に行ったジットは満員。道路に立っていた若い男性が別のジットへの行き方を教えてくれた。着いたが、扉がピッタリ閉まっていて開かない。留守だろうか。ここが泊れないときは、どうしたらよいのだろう。不安に思いながら呼び鈴を押し続けた。と、2階の窓が開き、おばさんが顔を出し、扉を開けてくれた。気持のよい中庭に案内されて椅子に座ると、「まずは一休み」とおばさんが紅茶とクッキーを運んできてくれた。夕食はコンビニでレトルトのカレー(ジャガイモ、人参入り)を、パン、ハム、キュウリ、トマト、リンゴと一緒に買い、ジットの電子レンジで温めて食べた。カレーのジャガイモのがうかったこと。(下:インフォメーション・センター)
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<7月10日>29.0km(35.0kmを近道をして)
 Chapelle d'Adrinのあるところから川沿いの近道を取り、Condomへ。道はやや分かりにくかった。町に着いて、まず「i」を探し、そこで、学校の一室を開放した「Gite d'etape commnal」 を紹介してくれたが、このジット、探すのに手間取った(前記11<一番困ったのは>参照)。7時スタート、15時30分着。
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<7月11日>29.6km
 7時スタート。11時頃、畑の中にある一軒家のレストランで昼食。パン、サラダ、コーヒーで10ユーロ。ただし、サラダは直径30cmのボウルに大盛り。サラダが食べたかったので、喜んで全部食べた。12時過ぎ、Montreal‐de‐Gersの町の広場に着く。前夜に同宿だった人達に会い、一緒にコーヒーを飲む。ここで、ジットに予約の電話を入れたが、通じない。同席のフランス人も電話をしてくれたが、通じなかった。とにかく、あと11km先、Lamotheの村のジットを目指し、みんなと別れて出発。ところが、着いてみると、週末で学生の団体が宿泊していて満員。「一人だけ。床に寝てもよいから」と手真似で頼んだが、断られてた。しかたなく、更に4km先のEscoubetのジットへ。地図に従い巡礼路を離れ丘の上へ。ジットがなかなか見つからない。子供が沢山遊んでいる公共のプールで聞くと、引き返した所にあるという。ジットの表示はないが、フランス語で大きな看板が出ている学校のような建物がそれだった。きょうは30km以上歩いて17時20分着。疲れた。建物は学生で一杯。私の宿泊場所は庭にあるパオだった。建物付属のベランダで一休み。長椅子あり、景色よし、すずしい風が通るで、素敵な休憩場所だった。あとから、前の町で別れた4人も到着し、庭で5人で夕食。マスターが「ことし、日本人が一人泊ったよ」と言っていた。前記3<印象に残ったジット>参照。
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<7月12日>24.7km
 Nogaroのジット泊り。日曜で「i」はお休み。幸い、道端にジットの矢印が出ており、それに沿って歩いていくと「Gite d'etape」にたどり着いた(泊り9ユーロ、朝食3ユーロ)。受付は親切なおばあちゃん。前記8巡礼者の状況<親切な人達>参照。デュバルサンと初めて会う。レストランは日曜で一軒しか開いていない。そこで夕食。失敗談あり。前記11<いくつかの失敗>参照。グライダーなどの小型飛行場あり。
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<7月13日>28.2km
 Aire sur l'Adourの「Gite d'etape prive Hospitalet Saint‐Jacques」泊り。素敵なジット。管理人ご夫妻も素敵。前記3<印象に残ったジット>参照。顔なじみの人達と同宿。私はマリーさん、ニュー・カレドニアの女性と3人だけで同じ部屋となった。
<7月14日>24.8km
 Maison Marusanの「Accueil a la Ferme」というジット。プールあり。鴨肉の缶詰を買い、夕食。前記3<印象に残ったジット>参照。巡礼路上の町 Miramont-Sennsacq からルートを外れ、30分ほど歩いた村にある。
<7月15日>30.4km(徒歩のみ)
 Pompsまで徒歩。そこから迎えの車に乗り、巡礼路から6kmほど離れたMorianneのホテル「Chambre d'hotes(Mme Geyre)」泊り。朝食付36ユーロ。前記9コミュニケーション<電話での連絡に成功>参照。古城を見学後、レストランで夕食。パン、サラダ、ジャガイモ、肉、キュウリ、スポンジケーキ、アイスクリーム、ワイン、紅茶。客は私だけ。家族も同じものを別の部屋で食べていた。(下:小さなホテル)
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<7月16日>16.7km
 ホテルからPompsまで車で送ってもらう。Castillonから森の中へ。ここではじめて、道を間違えた。うす暗くて草の生い茂った森の中の分岐点で、黄色い矢印に沿って左に進んだところ、小さな村に出た。村を通って幅の広い車道へ。これを左に歩くが、いくら行っても地図にあるArthez de-Bearnの町にたどりつかない。どうもおかしい。通りかかった車を止めて聞くと、その町は後戻りした方向にあるとのこと。もう一台止めて聞くと運転手は同じ方向を指さした。納得。D269という国道に出るはずが、D233に出てしまったのだ。延々と後戻りし、更に右に進むとやっと、その町にたどり着いた。このあたり、黄色い矢印はGR65を示すものではないということである。1時間以上のロス。あとで分かったが、デュバルさんも同じところで間違えたという。このあとは順調。Cambarratの「Gite d'etape prive de Cambarrat」泊り。Maslacq の町の手前、巡礼路を離れた森の中にある。前記3<印象に残ったジット>参照。
<7月17日>24.1km
 途中10時頃、Abbaye de Sauveladeの村で、激しい雨が降り出し、ジットで雨宿り。無人だったが、電子レンジを使い、レトルトのカレーを食べて一休みする。歩き出すと、いったんは晴れ間が見え、虹が出たが、すぐに黒雲が突風を伴いやってきた。雨具を2重に着けて(ゴアテックスの雨具とビニール製のポンチョ)、身づくろい。再び激しい雨。それに負けずに歩き続ける。午後も雨止まず。Navarrenx泊り。道路際のBarでおばさんがジットの受付をやっていた。(下の右がジット)
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<7月18日>18.0km

   リヨンから歩いてきた教会の牧師さんと後になり、先になりして歩く。20m位の木の上に小屋あり。猟銃で鳥を打つための小屋とのこと。Aroueの手前で広々とした丘に出る。眺めのよいジットあり。デユバルさんが泊っていた。牧師さんもそこに泊るとのこと。Aroueの村は丘の下。私は予約してあるので、その村まで下り「Gite d'etape commnal」 に泊る。ところが、周囲に食料品店、レストランが全くない。泊り客はまだ私一人だけ。どうしよう。壁にいくつか張り紙があったので、辞書を引いて読む。簡易辞書なので分からない単語が多いが、パンや卵、スパゲッティなどの値段だけは読めた。もう1枚には管理人が宿泊費を集めにくる時間が書いてあった。集金のときに食料を売ってくれるのだろう。夕方になると、はたして、管理人のおばさんがやってきて、棚の扉と、床にある2mほどの冷蔵用ボックスを開けてくれた。パン、バター、ジャム、ハム、チーズ、生卵、缶詰のサラダを買い、ガスで目玉焼きを作り、持っていたレトルトのリゾットをレンジで温め、夕食とした。他の泊りは結局、3人連れのおばさんだけ。
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<7月19日>22.6km
 途中の村 Hiriburia でルピュイの道、パリからの道、ヴェズレーからの道が合流。3本が合流することを示す「ジブラルタルの碑」あり。
 そこから20分ほど登った丘の上の景色は抜群。ピレネーの山容が望めた。(冒頭の「見どころ」参照)
 これを下りてOstabatで泊る。町は丘の上、ジットは丘の下。夕食用の食料を持たずに到着したが、日曜のため食料品店は開いていない。一緒に泊ったおばさん3人は前日に食料品店に電話をしてパン、ハムなどをジットに届けてもらっていた。どうするか。同宿のおばさん達に聞いたが、フランス語しか話さないので、よく分からない。たまたま、ジットの入口に張ってあるチラシに目をやると、その一枚がレストランの宣伝であることに気がついた。辞書を片手に苦労して読んでみると、そのレストランでは夕食が予約制で食べられるという。早速、そこに行って食事を予約。その店は丘の上の、教会の向かいにあり、夕食は巡礼者5人での会食だった。

<7月20日>21.4km

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 デュバルさんと一緒に緑の麦畑や牧草地が広がる農村地帯を歩き、サン・ジャン・ピエド・ポーに到着(上の写真、3枚目:サンジャンの入口)。巡礼事務所で紹介を受け、事務所から数軒離れたところにあるジットへ。サン・ジャンを出発点としてサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩く人は多く、特に夏季休暇中なので、町では若者の集団が目に付いた。その他、ピレネー山脈のイバニエタ峠を越えて、ロンセスバジェスで1泊して戻ってくるハイカーもいるようだ。それらに観光客も加わって町は大混雑。
<7月21日>
   サン・ジャン・ピエド・ポー泊り。朝、パリ行の切符を買ってもらうためにデユバルさんと一緒に駅へ。途中、巡礼路で知り合ったフランス人女性と会い、3人でカフェに入り雑談。二人ともきょうの列車で故郷に帰るという。ほほにキッスを交わして、お別れ。
 それから、一人で丘の上の城跡に登り、ピレネーの山々を眺めたり、芝生に腰をおろしのんびりしたりして過ごす。昼はサン・ジャック門の傍のサンドイッチ屋さんで野菜サンドを食べる。午後はおみやげを物色。
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<7月22日>
 サン・ジャン9:45発(地方鉄道)-バイヨンヌ乗換-TGVで15:55モンパルナス着。駅から5分のホテルに泊る。地下鉄でルーブル美術館へ。夕食はモンパルナスのすし屋で。
<7月23日>
 同じホテルに泊る。ルーブル美術館、オルセー美術館、凱旋門、エッフェル塔などを歩いて巡る。エッフェル塔には歩いて登った。
<7月24日>パリ空港11:45発、モスクワ経由(乗り継ぎ17:20-19:20)。
<7月25日>成田10:00着。                  

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