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「ポルトガル人の道」を歩いて-3回目のサンティアゴ巡礼


「ポルトガル人の道」を歩いて-3回目のサンティアゴ巡礼
 

 

目次

Ⅰ.序

(はじめに)

(「ポルトガル人の道」の概要)

(写真による概要紹介)
Ⅱ.出発まで<準備編>

Ⅲ.「ポルトガル人の道」にはどんな宿があるか

Ⅳ.泊まった宿をいくつか紹介

Ⅴ.「ポルトガル人の道」-お勧めの見どころ-

Ⅵ.出会い

Ⅶ.その他
Ⅷ.三つのサンティアゴ巡礼を振り返って
 1.サンティアゴ巡礼の魅力
 2.3つの巡礼路を比較して
   <日程詳細>

 

Ⅰ.序

 (はじめに) 

3回目のサンティアゴ巡礼に出かけた。成田出発は2012年5月29日、帰国は7月5日、ポルトガルのリスボンからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、「ポルトガル人の道」と言われる巡礼路(615.6km)を23日間で歩いた。これはその旅の記録である。

なお、2回目までは、このブログに掲載してある下記を参照されたい(下線部分をクリックのこと)。
 ・2003年「スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO1 」(現在は「初めてのサンティアゴ巡礼 -「フランス人の道」・800kmを歩く-」と改題している)

  ・2009年 サンティアゴ巡礼・フランス編(ル・ピュイの道)
 

 また、このあと、2014年に4回目の巡礼を行った。それについては以下を参照されたい。
 ・2014年「北の道」を行く-4回目のサンティアゴ巡礼

(参考「私のブログの記事一覧」)

 私のブログの記事は、大きく分類すれば、①4回のサンティアゴ巡礼(フランス人の道、ル・ピュイの道、ポルトガル人の道、北の道)、②マッキンリー、アコンカグア、キリマンジャロ等の海外登山記、③山への挑戦、視覚障害者登山、山への思い、百名山等の国内登山記、④「読書の楽しみ」、「毎日、無事平穏」等の日常の思い、⑤シベリア鉄道等の海外旅行記の5つです。記事の一覧は下記をクリックするとみることができます。

 ブログ・私の登山および旅行記・記事一覧

(「ポルトガル人の道」の概要)
 この道は、ポルトガルの首都・リスボンからスペインのサンティアゴまでイベリア半島の西側を北上するもので、距離は616kmである(うち、後半の115kmはスペイン国内を行く)。
 標高は低く、峠越えと言っても、せいぜい標高200m-400mの高さを数回越えるだけで、展望が効くところはあまりない。
 また、巡礼者は少ない。特にリスボンからの数日間は、6月だったためか、ほとんど人には会うことがなかった。巡礼者が増えるのはポルト辺りから。ポルトやスペイン側のトウィ(Tui)から歩き始める人が多いようだ。私はポルト-サンティアゴ-レオンを歩く人に会ったことがある。
 宿はポルトガルでは「ペンション」(夕食なし。レストランが併設されていることも)、スペインではもちろん「アルベルゲ」。宿と宿との距離は「フランス人の道」と較べるとやや長い。
 見どころは昔の雰囲気の残る道や町や村。ローマ時代の道や中世の道が当時の石畳や石垣とともに残るところが多い。
 また、高さ100mの鉄骨の橋が架かるポルト、中世創立の大学があるコインブラ、テンプル騎士団が建てた城塞(現在は修道院)のあるトマールなども大きな見どころ。
 ポルトガル名物の「アズレージョ」(青いタイル)も各所で見られる。また、コインブラで黒いマントを着た大学生の一団が国民的音楽の「ファド」を演奏しているのに出会えたらラッキーだ。

(写真による概要紹介)

・地図の左端が「ポルトガル人の道」、中央が「フランス人の道」、右が「ル・ピュイの道」001001

・多くの人との出会い

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・丘陵と村、町を通って

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・リスボンの6月はジャカランダが満開
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Ⅱ.出発まで<準備編>
(出発直前)
 海外旅行の準備をほぼ終えて、5月27日()、野田市の清水公園で孫の風奈、爽太、娘の直子と思いっきりフィールド・アスレチックを楽しんだ。パパは海外出張中。

 ファミリーコース(40ヶ所)、冒険コース(40)、水上コース(20)などがある。5-7mの高さをロープで登ったり、ロープを伝って空中を10mも渡ったり、水上に浮かんだいくつものイカダを飛んで渡ったり、と面白いものがいろいろあり、手のひらが真っ赤になるほどに一緒に楽しんだ。

 自分の子供時代の経験から、夢中になって遊ぶことが子供の心と体を育てると思っているので、孫をアスレチックや水泳、アイス・スケートなどに連れていくことがよくある。出発の2日前、充実した一日となった。

(ポルトガル人の道へ)

 74年を生きた。

若いときは、自分の人生は無限に続くように思っていたが、70歳を過ぎた今では「一生には限りがある。余生は短い」と実感するようになった。

生きられるのは、あとせいぜい10年程度であろうか。死ぬときは必ずやってくる。そんなに遠い将来ではない。最近、そんな思いがよく心に浮かぶ。

そんな中で、長く続けてきた視覚障害者登山の事務からある程度身を引いて、今は時間に余裕ができた。

チャンスだ。これまで、日本百名山やマッキンリー登山、サンティアゴ巡礼など、何かに挑戦することを大きな楽しみにして、日常を前向きに生きてきたが、「ポルトガル人の道」にも行きたいと思っていた。私の体力は下降気味であり、時間に余裕ができた今を置いてはそのチャンスはないように思う。

それと、「マッキンリー登山」と「サンチャゴ巡礼」の記録を一冊の本にまとめてみたいという思いもある。その中に「ポルトガル人の道」の記録を加えれば本の内容が一層充実する。本にする目的は「人生にはこんなにすばらしい楽しみがある、苦しいときもあろうが、人生、捨てたものではない」ということを3人の孫に書き残して伝えること、それに、マッキンリー登山やサンチャゴ巡礼を目指す人達に「登り方や歩き方」を伝えること、この二つにある。
(準備)

4月頃から準備を始めた。

 航空券(成田-マドリッド)、列車(マドリッド-リスボン)、宿(4泊分・ユースホステルが3泊)、国際携帯電話等の予約。
 歩くルートの詳細な地図、ポルトガル語辞典、ユースホステル国際会員証、巡礼手帳などの入手。

 ポルトガルについての観光案内書、ウオーキングシューズ、5本指の絹の靴下、足のマメ対策用の絆創膏、薬(胃薬、風邪薬、水虫用、バンドエイド等)の購入。

 雨具(ゴアテッックスとポンチョ)、カメラ、電池、磁石、つめ切り、耳かき、歯ブラシ、手ぬぐい、帽子、Tシャツ2枚、半ズボン1枚、着替え、文庫本数冊等の用意など。
 これらをすべてザックに詰めてみたが、荷が重い。特に地図や辞書、観光案内書なの本が重い。いずれどれかを捨てねばならないだろう。それは現地で考えよう

(地図の入手)
 まずはインターネットで「ポルトガル人の道」と入力して調べてみたが、詳しく紹介したものは見つからなかった。

 4月初め、インターネットを通じて、書籍販売の「アマゾン」で「ポルトガル人の道」を紹介した下記の本を見つけた。説明は英語。リスボン-サンテイアゴ、615.6kmを23日間で歩くように地図23枚が掲載されたものである。「スペインのフランス人の道」や「ル・ピュイの道」を紹介した本には約200枚の地図が掲載されていてたいへん判り易かった。それに較べるとこちらは地図が少なくて判りにくいが、探した中ではこれが最上だった。
 「A Pilgrim's Guide to the Camino Portugues: Lisboa, Porto, Santiago
              (John Brierley著、 ペーパーバック・208頁)

(相談会で道の詳細を聞く)
 4月13日13:20-14:20、会員になっている「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」の相談会に出席。昨年「ポルトガル人の道」を歩いた坂原さんに1対1で、いろいろ教えてもらった。
・分岐には、分かりにくいが、ほぼ目印はある。ただし、ル・ピュイの道よりは分かりにくい。また、巡礼者の姿はほとんど見られない。
・サンティアゴへの黄色の矢印のほかにファティマまでは青の矢印がある。その先には逆方向への青の矢印も。ファティマはポルトガル人の聖地とのこと。
・宿が開くのが16時以降の場合もあるので、開いていなくとも待つこと。近所のバルなどで聞くとよい。

(航空券を予約)

 4月19日、航空券を予約。インターネットで調べ、更に柏市のHISに行き、格安航空券を探した。
 韓国経由リスボン行き、ヨーロッパ経由リスボン行き、同マドリード行きなどの中から、結局、一番安いアエロフロート(モスクワ経由)マドリード行・114千円(燃油代込み。帰りの日の変更可能。1回15000円)を選んだ。マドリードからバスや列車で行くほうが、飛行機でリスボンに行くよりも安いようだ。モスクワ空港でいったん降りて体を伸ばすことができるので、ヨーロッパに直行するよりは体が楽という利点もある。

(宿と夜行列車を予約)

 マドリードに22:25着なので、マドリードのホテルを予約。
 更に5月7日、列車も予約。マドリードからの夜行列車「ルシタニア」リスボン行・2等寝台(5月30日、22:25発-7:30リスボン着。HISへの支払い代金11,600円)。乗車賃は高いようだが、宿代が込みであることを考えればそれほど高くない。
 5月8日、ユースホステル協会の会員になるために、日本ユースホステル協会飯田橋分室(JR飯田橋駅に隣接するセントラルプラザ18階にある)に出かけて、会員証を入手した。これがあれば、世界中のユースホステルに泊まれる。
 ついでに受付で、リスボン到着後の2日間の宿として市内のユースホステルを予約した(1泊15ユーロ、朝食付。100円/ユーロ)。場所を示す地図も打ち出してもらった。
 帰って調べるとポルトガルにはユースホステルが44ケ所あるようだが、巡礼路沿いでは、リスボンに3ケ所あるほかは、コインブラ、ポルト位だった。
 なお、リスボンであと1泊して観光を3日間することにして、自宅のインターネットを通じてユースホステルの予約を1泊追加した。

(名刺代わりに自己紹介状を作成)

ポルトガル語で以下の自己紹介状・カラー・B4版を20枚、作成して持参することとした。家族の写真を入れたほか、日本を紹介するために富士山と槍ヶ岳、桜の角館の写真も入れた。前回、前々回も作成しており、皆に喜ばれている。紹介文は以下の通り。

(紹介文)
TAKESHI TAMURA Japao(Ibaraki Toride-city) Idade 74

Familia Mulher Filha2、Filho1、Neta2、Neto.

PassatempoAlpinismo(Mt-FujiMt-YariMt-MckinleyMt-Mont Blanc)

Igo-recreio.

Camino:2003 Saint Jean Pied de PortSanntiago de Compostela

2009 Le PuySaint Jean Pied de Port

2012 LisboaSanntiago de Compostela

(その他の準備)
・5月10日、国際携帯電話機を予約。
・5月11日、アシックス社のゴアテックス製ウォーキングシューズを購入。前回も前々回も同じものを使用した。
・5月11日、「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」を通じて巡礼手帳を入手。巡礼手帳は巡礼宿(アルベルゲ)に泊るときに必要。巡礼終了後にサンテイアゴで巡礼証明書を貰うときにも必要。以前はヨーロッパの教会で貰わねばならなかったが、「友の会」設立以降は、日本でも入手可能となった。
・5月11日、ポルトガル語辞典を探し、結局、「アマゾン」を通じて購入。ポルトガル語は全く分からない、英語もできないので、辞書は必携である。

(航空券)

5/29 成田発 12:05(アエロフロート)、 モスクワ着17:10、
モスクワ発 19:15(アエロフロート)、マドリッド着 22:25


7/4  マドリッド発 11:25(アエロフロート)、モスクワ着18:10、
モスクワ発20:00(アエロフロート)

7/5  成田着 10:20

(その他の予定)

5/29 マドリッドで宿泊 
ホテル「
HUSA CHAMARTINTel 34-91-334-4900予約済

5/30 夜行寝台列車 ルシタニア号2等 予約済 87ユーロ

     マドリッド発2225リスボン・オリエンテ駅730

5/31 ユースホステル「parque das NacoesTel 351-21892089015ユーロ」予約済。リスボン市内観光。

6/1-6/2  リスボンで連泊。リスボン観光。
 一日目:ユースホステル「
CentreTel 351-21353754116ユーロ」予約済。2日目:ユースホステル「parque das Nacoes」予約済。 

6/3  リスボンを徒歩でスタート。スペインのサンテイアゴまで23日間、650kmに出発。1日に20-30km。途中、大都市には2泊の予定。
 Lisboa(リスボン)SantaremTomarCoimbraPortoTui(スペイン)Santiago.
 
 帰りは、
サンテイアゴからマドリッドへ列車で移動。

ムの始まりⅢ.「ポルトガル人の道」には、どんな宿があるか。

 「ポルトガル人の道」には、ペンション(家族経営の小さなホテル。レジデンシャルともいう)、アルベルゲ、ホテル、消防署、ユースホステルなどの宿がある。私はポルトガルでは主にペンションを利用し、後半のスペインではアルベルゲを利用した。なお、ポルトガルでは巡礼者は無料で消防署を利用できる。私は2回利用した。

1)アルベルゲ
 

 「アルベルゲ」はスペインにはどこにでもある一般的な巡礼宿だが、ポルトガルにもある。ただし、現れるのは行程の14日目からの4日間だけで(そのあとはスペインに入る)、私は3回利用した。ポルトガルのそれは1泊5ユーロ(Rubiaesのみ無料)。一般に2段ベットだが、Ponte de limaアルベルゲは1段ベットだった。お湯のシャワー付。なお、「レジデンシャル」と表示しているところでも、宿泊費が5ユーロの安いものがある。

 

2)ペンション(家族経営の小さなホテル。レジデンシャルともいう

 ポルトガルでほとんどの宿泊地にあるのが、ペンションやレジデンシャル。シングルで15-30ユーロ(素泊り)。アルベルゲよりやや値段が高めだが、たった一人で個室を専有し、シャワー、洗濯、テレビ観戦などができるので、アルベルゲよりはのんびりできて、旅の疲れを取るのによい。ただし、客が少ない時期だと閉まっていることがある(行程の最初の頃、AZAMBUJASANTAREMの町では予定していたペンションが閉まっていて、宿を探すのに苦労した)。それと、夕方から開くところがあったり、場合によっては隣設する同名のレストランに行けば入れてくれたり、あるいは隣の店に頼むと電話で管理人を呼んでくれたりと宿の取り方が多様なので、閉まっていても近所の人によく聞く必要がある。

 

3)ホテル 

ホテルもかなりあるが、最低でも40-50ユーロ(シングル)と宿泊費は高目である。私は他に泊るところがなくて、1度だけ利用した。

 

4)消防署

   ポルトガルのみであるが、巡礼者は「巡礼手帳」を示して消防署に無料で泊まることができる。ただし、寝るのは板貼りやタイル貼りの大広間。今回は2回泊まったが、宿泊者は私1人か、同宿1人だけ。また、貸してくれるのはマット1枚のみであり、枕、毛布はない。もちろん、シャワーもない。私はゴアテックスの雨具を身に着けて毛布なしで寝たが、6月でもやや寒かった。利用する人はシュラフを持参したほうがよいかもしれない。それと、土曜日は消防署が休みで、泊まれないということがあった。土・日が休みかを、確認してから行く必要がある。

 なお、6月15日泊のALBERGARIA-a-VELHAの町では消防署に行くと近くの教会の付属施設を紹介されたが、ここも無料で、マットで寝る形式だった。

5)ユース・ホステル

 2段ベッドが4ヶで、8人部屋が普通。大都市のリスボン、コインブラ、ポルトなどにある。リスボンの場合は3ヶ所あり、そのうち2ヶ所を利用したが、朝食付で15-16ユーロ。コインブラ、ポルトのそれは場所的にやや不便なので(たとえば、コインブラの場合は、町の中心から2km離れている)、利用しなかった。

 

私はリスボンのユースホステルを日本で予約をしてから出かけた。

 日本での手続きは以下の通り。

 まず、ユースホステル協会の会員になるために日本ユースホステル協会飯田橋分室(JR飯田橋駅に隣接するセントラルプラザ18階にある)に出かけて、会員証を入手。これがあれば、世界中のユースホステルに泊まれる。

 ついでに受付で、リスボン到着後の2日間の宿として市内オリエンテのユースホステルを予約してもらい(1泊15ユーロ、朝食付)、場所を示す地図も打ち出してもらった。

 帰って調べるとポルトガルにはユースホステルが44ケ所あるようだが、巡礼路沿いでは、リスボンに3ケ所あるほかは、コインブラ、ポルトにある程度だった。

 なお、リスボンであと1泊して観光を3日間することにして、自宅のインターネットを通じて自分でユースホステルの予約をもう1泊追加した。

6)
パラドールとポザーダ

 スペインには「パラドール」、ポルトガルには「ポザーダ」という豪華な国営ホテルがある。

「パラドール」は城や修道院、領主の館などを改装した中世風の豪華なもので、スペインに85ヶ所ある。料金はほとんどがシングルで100ユーロ以上。高くてなかなか泊まれないが、前々回、私は思い出のためにサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダのそれに泊まり(シングル・89ユーロ)、また、サンティアゴではパラドール内のカフェに入って、その豪華な雰囲気の一端を味わった。

一方、「ポザーダ」は41ヶ所。城や修道院を改装したもの、自然の中に立地しているもの、家庭的雰囲気のあるものなどの種類があり、巡礼路沿いではリスボン近郊、コニンブリガ近く、ポルトなどにある。私はまだ泊まったことがないが、お金と時間に余裕があれば一度は泊まってみたかったホテルである。


Ⅳ.泊まった宿をいくつか紹介 

1)アルベルゲ 

 

(ポルトガル・6/20泊のアルベルゲ)
 BARCELOS市街に渡る橋の手前のアルベルゲ「Residencia Gallo」に泊る。5ユーロ。大部屋に2段ベットが10個。そこに8人が泊まった。
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(ポルトガル・6/21泊のアルベルゲ)

 大きな川に面したPONTE DE LIMAにあるアルベルゲ。橋を渡った向こう岸にある。素泊り5ユーロ。(写真の一枚目は宿からの眺め)

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(ポルトガル・6/22泊のアルベルゲ)
 RUBIAESは小さな村。村のはずれにある「Albergue de Rubiaes」に泊る。
 無人。夕方、管理人のおじさんがやってきて、巡礼手帳にスタンプを押してくれた。宿泊費は無料。宿泊施設はここだけなので、当日の巡礼者すべてがここに泊まった。15人位か。

イタリーとポーランドの女学生2人組と30分ほど片言の英語で話す。自己紹介のコピーを渡し、家族や登山の経歴(マッキンリーなど)を説明すると「私もそんな一生を送りたい」とのこと。日本の春と秋の風景の素晴らしさなども説明。向こうからは「ヨーロッパに来て、日本との違いで驚いたことは」という質問があったが、うまく答えられなかった(詳細、後記「出会い」参照)。

更にイタリア人2人組(一人はヴェニスの人)とも話す。イタリアにもすばらしい巡礼路があるという。トスカーナの「La Verna」からローマ近くのアリエテまでの350km。是非、来てほしいとのこと。

5時過ぎ、レストランと食料品のお店を探して人家のほとんどない車道を下っていくと、1kmほどで2つともあって、ほっと一安心。翌日の食料を買い、レストランで食事。

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(スペイン・サンティアゴのアルベルゲ)
 目的地のサンティアゴでは前回に宿としたアルベルゲに再び泊まった。気にいった宿なので紹介しておきたい。

それは中心街に3つあるアルベルゲの一つ。神学校(Seminario Menor)の2階と3階にあり、ベッド数は177。前回は大部屋(1泊12ユーロ)に、今回は個室(1泊17ユーロ)に泊った。

ここは大聖堂から徒歩15分とやや遠いが、個室があること、地下に自販機や電子レンジ、湯沸し器を備えた自炊用の大きな食堂兼キッチンがあること、食堂にテレビがあること、連泊が可能なこと(前回、サン・ジャンのアルベルゲでは連泊が認められなかったし、また、2連泊までというアルベルゲもあった。ここでは4連泊も可。ただし、時期によって連泊の可否は異なるのかもしれない)などの特徴がある。

私はこの自販機でリゾットやスパゲッテイを買って電子レンジで熱し、スーパーで買ったパンや果物、ハム、牛乳、コーンフレーク、紅茶のティーバッグなどと合わせて、豪華な食事を楽しみ、そのあと、同宿の人達数十人とサッカー・ユーロ選手権決勝・イタリー・ドイツ戦を見て過ごした。

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2)ペンション(家族経営の小さなホテル)

 ポルトガルでほとんどの宿泊地にあるのが、ペンションやレジデンシャル。シングルで15-30ユーロ(素泊り)。アルベルゲよりやや高めだが、たった一人で部屋を専有し、シャワー、洗濯、テレビ観戦などができるので、アルベルゲよりはのんびりできて、旅の疲れを取るのによい。ただし、客が少ない時期だと閉まっていることがある(行程の最初の頃、AZAMBUJASANTAREMの町では予定していたペンションが閉まっていて、宿を探すのに苦労した)。それと、夕方から開くところがあったり、場合によっては隣設する同名のレストランに行けば入れてくれたり、あるいは隣の店に頼むと電話で管理人を呼んでくれたりと宿の取り方が多様なので、閉まっていても近所の人によく聞く必要がある。


(ポルトガル・6/19泊のペンション)

 午後、歩いているとそばに車が止まり、ペンションを宣伝するビラを渡された。更に歩いていくとまた別の車が。これもペンションの宣伝だった。どちらも中年の男性。前述のジョンのガイドブックで、この町には別にアルベルゲがあることは分かっていたが、宣伝されたペンションの一つに宿泊することにした。VILARINHOの入口にあり、巡礼路からやや横道にはいったところにある。個室・素泊り10ユーロ。自宅の庭にあり、日本の民宿のように思えた。

 この家の主人は私が日本人であることを知ると「日本人が泊まるのは初めてだ」と言ってとても喜んで、「自分はポルトガル語しか分からないが、近所に英語ができる友人がいる。彼を夕食に呼ぶから、一緒に飯を食わないか。酒を飲みながら、いろいろと話をしよう」と私を誘った。こちらは疲れているうえに英語が苦手。何とか断ったら、夕食時に「今友人が来てる。どうだ、来ないか」とまた誘いに来た。こちらが断ると彼氏はがっかり。

 あとで、「疲れていようと断らずに、片言の会話でもよいから、一夜を3人で楽しく過ごせばよかった」と痛切に反省。ポルトガルのおじさんと親しく話せる千載一遇の好機を逃してしまったのだ。今回の旅の中で一番悔やまれることだった。
860 863 865 858

(コインブラ・6/11-6/12泊のペンション。看板にはレジデンシャルとある)
 ユースホステルは町の中心から2km離れたところにあり、不便なので、別の宿を取ることにして、橋を渡ってすぐのインフォメーションセンターに行くと、隣にある「Pensao Larbelo」を紹介された。1泊25ユーロ。町一番の繁華街にある。

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(ポルト・6/17-6/18泊のペンション。看板にはレジデンシャルとある。写真の4階建て建物)

 日本の観光案内書に「日本人スタッフがいる」と紹介されていた「Pensao Duas Nacoes」を携帯電話で前日に予約しておき、そこに泊まった(宿の電話予約は、今回初めての経験)。なお、ユースホステルもあったが、中心街から遠すぎて、敬遠。
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3)ホテル
 

ホテルもかなりあるが、最低でも40-50ユーロ(シングル)と宿泊費は高目である。私は他に泊るところがなくて、1度だけ利用した。

 

4)消防署

ポルトガルのみであるが、巡礼者は「巡礼手帳」を示して消防署に無料で泊まることができる。ただし、寝るのは板貼りやタイル貼りの大広間。今回は2回泊まったが、宿泊者は私1人か、同宿1人だけ。また、貸してくれるのはマット1枚のみであり、枕、毛布はない。もちろん、シャワーもない。私はゴアテックスの雨具を身に着けて毛布なしで寝たが、6月でもやや寒かった。利用する人はシュラフを持参したほうがよいかもしれない。それと、土曜日は消防署が休みで、泊まれないということがあった。土・日が休みかを、確認してから行く必要がある。

なお、6月15日泊のALBERGARIA-a-VELHAの町では消防署に行くと近くの教会の付属施設を紹介されたが、ここも無料で、マットで寝る形式だった。

(写真:
GOLEGAの消防署・6/4泊とTOMARの消防署・6/8泊)
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(ポルトガルのALBERGARIA-a-VELHAにて・消防署の紹介で泊まった教会・6/15泊)

 消防署に行ったが、断られた。でも、消防士はただ「駄目」と言っているようではなかった。ポルトガル語でいろいろと言うのだが、よく分からない。ウロウロしているとカフェの前で雑談していた数人の男性に呼び止められた。「泊まれるよ」と言っているらしい。「?」と近づいていくと、ちょうど通りかかった牧師さんに何か言ってくれた。牧師さんが私に付いてこいと手招きする。結局、「消防署には泊まれないが、代わって教会の付属施設を宿泊施設として提供しており、そこに泊まればよい。消防士も宿泊はそこを利用している。シャワーだけは消防署のものを利用するとよい」ということだった。消防署のそばに教会、その向かいに牧師宅、その隣が「Casa paroqia」という2階建てで部屋がいくつもある教会の付属施設であり、牧師さんは私をそこに案内してくれた。無料である。ただ、ベッドはなくて、他の消防署と同じように部屋にマットを敷いて寝る方式だった(毛布あり)。宿泊者は私だけ。
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5)ユース・ホステル

2段ベッドが4ヶで、8人部屋が普通。大都市のリスボン、コインブラ、ポルトなどにある。リスボンの場合は3ヶ所あり、そのうち2ヶ所を利用したが、朝食付で15-16ユーロ。コインブラ、ポルトのそれは場所的にやや不便なので(たとえば、コインブラの場合は、町の中心から2km離れている)、利用しなかった。

 
 私はリスボンのユースホステルを日本で予約をしてから出かけた。

 日本での手続きは以下の通り。

 まず、ユースホステル協会の会員になるために日本ユースホステル協会飯田橋分室(JR飯田橋駅に隣接するセントラルプラザ18階にある)に出かけて、会員証を入手。これがあれば、世界中のユースホステルに泊まれる。

ついでに受付で、リスボン到着後の2日間の宿として市内オリエンテのユースホステルを予約してもらい(1泊15ユーロ、朝食付)、場所を示す地図も打ち出してもらった。

帰って調べるとポルトガルにはユースホステルが44ケ所あるようだが、巡礼路沿いでは、リスボンに3ケ所あるほかは、コインブラ、ポルトにある位だった。

なお、リスボンであと1泊して観光を3日間することにして、自宅のインターネットを通じて自分でユースホステルの予約をもう1泊追加した。

(リスボン郊外・オリエンテのユースホステル)

このユース・ホステルは敷地がゆったりしていて建物も庭も広く、気分良く利用できるので、お勧めである。ここはオリエンテ駅から線路沿いに大通りを歩いて15分。国鉄なら普通列車でオリエンテの次の駅のそば。朝食付。別に夕食も有料で食べられる(5.4ユーロ)。私が利用したときの夕食は、サラダ、パン、ライス(日本の短粒種と異なり、長粒種なので、ボソボソで美味しくはないが)、魚とポテトの揚げ物、ゼリーという献立だった。
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(リスボン市中心部のユースホステル)
 気分転換にこちらのユースホステルにも1泊。市中心部にあり、当日、直接訪れて宿を取った。
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6)
パラドールとポザーダ

 スペインには「パラドール」、ポルトガルには「ポザーダ」という豪華な国営ホテルがある。

「パラドール」は城や修道院、領主の館などを改装した中世風の豪華なもので、スペインに85ヶ所ある。料金はほとんどがシングルで100ユーロ以上。高くてなかなか泊まれないが、前々回、私は思い出のためにサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダのそれに泊まり(シングル・89ユーロ)、また、サンティアゴではパラドール内のカフェに入って、その豪華な雰囲気の一端を味わった。

一方、「ポザーダ」は41ヶ所。城や修道院を改装したもの、自然の中に立地しているもの、家庭的雰囲気のあるものなどの種類があり、巡礼路沿いではリスボン近郊、コニンブリガ近く、ポルトなどにある。私はまだ泊まったことがないが、お金と時間に余裕があれば一度は泊まってみたかったホテルである。

 


Ⅴ.「ポルトガル人の道」-お勧めの見どころ-

ポルトガルには見どころが沢山あるが、ここでは巡礼路を歩いた範囲でそれを紹介する。

<見どころⅠ-観光地> 

(ポルト)

 リスボンに次ぐポルトガル第2の大都市。14-15世紀に世界に先駆けてポルトガルが海外に進出したときの拠点都市であり、その後も貿易と商工業の中心地として栄えてきた。

ポルトガル発祥の地でもある。11世紀のこと、フランス貴族の一人(アンリ・ド・ブルゴーニュ)がそれまでの支配者であるイスラム教徒からこの地を取り戻し、更にその息子(エンリケ)が領地を広げてポルトガルの初代国王になったという歴史があり、この貴族が「ポルトガリア伯爵」を名乗ったことが「ポルトガル」という国名の由来になったとのことである。

 ポルトの見どころの第一は「ドン・ルイス1世橋」。深く切れ落ちたドウロ川に架かり、旧市街と新市街を結ぶ。1886年建造の鉄骨の橋で、2段に分かれ、上段は鉄道(メトロ)と歩道、下段は車道と歩道に利用されている。上段の橋の長さは395m、水面からの高さは100mに近く、橋上からの眺めは、23日間のこの巡礼路上では最上級の景観であった。下流に向かって右斜面には旧市街の教会や宮殿の大展望。また、眼下、100m下の右岸にはレストランやカフェ、おみやげ品店がぎっしりと並び、広場には観光客が一杯。左岸にはポートワインの工場が並び、川面には観光客の鑑賞用として、昔そのポートワインを運んでいた「ラベーロ」という舟が浮かぶ。はるか上流と下流には別の橋も。いつまで眺めていても見飽きることのない風景である。今回の旅ではサンティアゴ巡礼に5回も来たという日本人のご夫婦にお会いしたが、このすばらしさに惹かれて、うち3回はポルトに寄ったという。

「グレリコス教会」の石造りの高い塔もお勧め。是非登ってみよう。石造りで、しかも手すりのない螺旋状の階段を225段、こわごわと登り、上がりきったところが地上からの高さ76mの展望台。台上の回廊はせまい上に隙間に柵がないので、緊張して、足が地に着かない感じになるが、景色はすばらしい。茶色い屋根また屋根がはるか彼方まで広がり、ポルトの街が一望できる。

街中のあちこちにあるアズレージョ(青いタイルの壁)も見もの。まずはサン・ベント駅入口の4面を飾るアズレージョ。足を止めて見上げる人、写真を撮る人が絶えない。その他では、カテドラル、アルマス教会、サント・インデフォンソ聖堂などのアズレージョも見事である。

あと、見どころはポオリャン市場、ポルサ宮などであろうか。行かなかったが、セーラ・ド・ピラール修道院からのドン・ルイス1世橋の景観、書店リバラリア・レリョの重厚な雰囲気などもお勧めかもしれない。

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枚目までが「ドン・ルイス1世橋」と橋上からの眺め。5枚目が「グレリコス教会」からドウロ川を望む眺め。橋は見えないが、左にある

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(コインブラ) 

  丘の上に築かれた大学都市。前夜の宿・RABACALから約30km、国道沿いの道を下り、やや登り返すと突然、モンデゴ川の対岸にコインブラの町が広がる。対岸はすぐに丘。白い建物が積み重なり、その上にコインブラ大学の白い校舎が望める。すばらしい景観だ。

大学の創設は1290年。当初リスボンにあったものが、1308年に当地に移り、以降移転はあったが、1537年からここに定着したという。現在の大学は古い部分と新しい部分に分かれるが、見どころは旧大学である。

その他、1000年に近い歴史を持ついくつかの教会や修道院、それらを取り巻く公園、庶民の台所である「市場」、モンテゴ川対岸の涙の泉(王子と侍女の恋物語があり、悲劇の舞台となった泉)なども見どころ。このうち、サンタ・クルス修道院やサンタ・クルス公園では「アズレージョ」も見ることができる。

また、街頭で、大学伝統の黒いマントを羽織った学生の一団が「ファド」(ポルトガルの民族歌謡)を歌っているのに出会うことがあるが、これを聞くのも楽しみの一つであろう。
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(ローマ時代の水道橋-大学の近く) 

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(コインブラ「涙の泉」)
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(トマールのキリスト修道院・Convento de Cristo

 ポルトガル最大規模の修道院。世界遺産。12世紀にテンプル騎士団がここに城塞と修道院を築いたが、その城壁が今も残る。修道院は14世紀にキリスト騎士団のものとなり、15世紀後半に当時の騎士団長マヌエル1世(国王)が大増築を行って2倍の広さとなり、今に至っている。

 見どころは多い。まずは、テンプル騎士団が造った、ミサを行う八角形の円堂である。内部を飾る数々の彫刻と絵画が見事。次いで、エンリケ航海王子(ポルトガルの海外発展の先頭に立った人)が15世紀に増築した回廊を飾るアズレ-ジョや、スペイン国王フェリペ2世がポルトガル国王フェリペ1世として戴冠式を行ったジョアン3世の回廊、それにサンタ・バルバラの回廊(ポルトガルの海外発展を象徴する飾りがあるエマヌエル様式の窓あり)なども必見。また、院内には落ち着いたカフェがあり、ティー・タイムが楽しめる。巡礼を1日休んで訪れることをお勧めする。
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(コニンブリガの遺跡)

紀元1世紀に築かれたローマ帝国の都市の遺跡。コインブラの南15kmにあり、ローマ街道跡、二つの館跡、浴場跡などを見ることができる。巡礼路がすぐそばを通るので、巡礼のついでに見学するとよい。

 私はそばを通った日が休館日だったので、見ることができなかった。

 

(ロカ岬)

 ロカ岬はヨーロッパの最西端に位置し、バス停前の広々とした台地上には「ここに地終わり、海始まる」という詩を刻んだ高さ10mの十字架の塔が立つ。ポルトガルの詩人カモンスイが詠んだものである。また、台地の前面は高さ140mの断崖。はてしなく広がる大西洋、はるか眼下には岩に砕ける真っ白な波。海は緑に染まって見える。私は黒い岩、白い波、緑の海の絶妙なコントラストが気に入って、夢中で写真を撮った。

 それと有料で「最西端到達証明書」がもらえる。5ユーロか、10ユーロ。

当地へ行くには、リスボンからシントラへ列車で行き、駅前からバスを利用する。バス約30分。本数は1日6-8本と少ない。

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(リスボン)

私は3日間にわたり、サン・ジョルジェ城、カテドラル、発見のモニュメント、ジェロニモス修道院、エドゥアルド7世公園、グルベンキアン美術館などを見物した。

それらの解説は観光案内書に譲るが、巡礼手帳に出発の印を押してもらうのはリスボン・アルファマ地区にある「カテドラル」である。

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(サンティアゴ大聖堂・遠望)1708_2
 オブラドイロ広場から見上げる大聖堂(カテドラル)は尖塔が空に向かって高くそびえて、誠に見応えがあるが、ここでは、それを遠望できる場所を二つ紹介しておきたい。

 一つは、大聖堂から徒歩10分のフェラドゥラ公園から見たもの。3本の尖塔がすぐ近くに見えて、それを背景に記念写真を撮るのに適している。広い公園の中で、それが見えるのは1ヶ所のみ。1本の高い木とベンチがあり、そこに座ってゆっくりと眺めることができる。

   もう一つは「フランス人の道」の最終日に通るモンテ・ゴソの丘。サンティアゴへ5kmの距離にあり、遥か彼方に3本の尖塔が見える。巡礼者はここで初めて大聖堂を目にし、喜びの声をあげるので「歓喜の丘」ともいう。

尖塔とは別にここで是非見ておきたいのは、大聖堂を遠望して喜ぶ巡礼者の銅像。私は前回見落とし、今回も見るためにモンテ・ゴソの丘まで出かけたが、結局、どこにあるのか分からず、見ることができなかった。あとで聞くと、車道を行かずに、丘の草地を下って、直進はせず左方に行けば出会えるとのことだった。

 

<見どころⅡ-そのまま残る昔の巡礼路>

 「ポルトガル人の道」には、中世の巡礼者が歩いた古い道がその雰囲気のままに残っているところが多い。ローマ時代の石造りの橋や石畳と苔むした石垣が続く中世の道などであるが、これらが沢山残るのは他の二つの巡礼路にはない特徴であろう。

 それらは村の中、町の中、畑の中、森の中に残る。

 巡礼路は都会から遠く離れ、近代化の波から取り残された村を通る。屋根が崩れ落ちた農家があり、細い曲がりくねった道には人影は見当たらない。でも、昔は多くの巡礼者が歩いたことであろう。道は、四角に割った小さな石できれいに舗装され、黒光りがしている。

 町中を通る道路は普通、アスファルトで舗装されているが、ときどき石畳で舗装された古い道に出会うことがある。小さな石を敷き詰めた狭い道の両側には、道際(ミチギワ)ぎりぎりに2階建ての古い家が隙間なく並び、古びた道と家が調和した風景を作る。一方、馬車が通るメインロードだったのであろうか、大きな石を敷き詰めたローマ時代の造りと思われる道路も見かけた。

広い畑の中にも石畳の巡礼路が通る。今は人が通ることはほとんどないであろう。石の間には草が生え、緑色の道になっていた。

林の中、道の両側には、苔むして崩れかかった石垣が続いている。石垣の造り方はいろいろで、大きな石を積み上げたもの、厚さ1-2cmで細長くて平たい石を積み上げたものなど、さまざま。それにしても、なぜ、道と林の境を石垣で区切る必要があったのだろうか。日本にはあまりないことなので、ちょっと疑問を感じた。

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<見どころⅢ-アズレージョ>

 建物の外壁や内壁を飾るポルトガル伝統のタイル。ブルーが中心だが、茶色や緑、黄色のもの、あるいは多彩色のものもある。

 私が見た中では、コインブラやポルトの有名な寺院の内・外壁やポルト・サン・ベント駅入口の壁面、トマール・キリスト修道院の回廊などを飾るブルーのアズレージョが特に見事だったが、巡礼路沿いの小さな教会や家屋、道端の水飲み場、あるいは道路際の外壁、郊外の駅などにもアズレージョが見られ、これらの写真を撮って歩くのも旅の楽しみの一つとなった。

このアズレージョ、14世紀にイスラム教徒がスペインに持ち込み、スペインで大量生産が始まった後、15世紀にポルトガルがこれを輸入し、宮殿や教会に利用するようになり、更に16世紀にはポルトガルが独自のタイル生産を始めたという歴史を持つが、リスボンの国立アズレージョ美術館では、作品を見ながら、その歴史をたどることができる。

(写真:順に「トマール・キリスト修道院の回廊」、「ポルト・教会の外壁」、「ポルト・サン・ベント駅入口の壁面」、「コインブラの街路」)
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(道端のアズレージョ)
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<見どころⅣ-湧き水と川、それと花>

 ポルトガルの自然では、「湧き水」と「川面にゆれる緑の水草(ミズクサ)」が特に印象に残った。

 丘陵地帯に入ると湧き水が随所にあった。標高が400m未満の低い丘陵が続くので、行く前は、川は汚れ、濁った水が流れているものと思っていたが、それは違っていた。
 いたるところに湧き水があって、川の水はきれいで緑の水草がゆれており、魚影が川底を横切るのが見えた。

私は子供の頃、多摩川やその支流でいつも魚を取って遊んだ。
 魚を石の下に追い込んで手掴みで採り、小川をせき止めて水をかい出し、うなぎやカニを採ったりした。また、急流のあんま釣りで1日に100匹も釣ったり、足で草むらから魚を追い出して網で採ったりもした。
 夏休みはそれらに夢中になり、家に帰るのはいつも夕方だったが、そんな楽しい思い出があるので、今でも川岸に来ると魚がいないかと川をのぞき込むのがくせになっている。

ポルトガルの川で魚影を見たときはとても嬉しかった。

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 水のほかに、花や果実を見るのも楽しみだった。
(下:特に気に入った、桜に似た紫の花。リスボン)

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(原野や畑に咲く花)

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(サクランボ)

村に入ると道の両側にサクランボの木。実がたわわ。道端にも沢山落ちていた。

夢中になって拾って食べる。別のところでは、農家の人が採れたてを無料でくれた。
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<見どころⅤ-マリア像、市場、水飲み場、洗濯場など>

・巡礼路上で出会うマリア様の像は可憐なものがほとんどだったが、6月16日、SAO JOAO da MADEIRAへ向かう途中の森の中で出会ったマリア様の石像は高さ5mもあり、堂々としていて、お顔もたくましい感じがした。

・その他、コインブラ、ポルト、サンティアゴなどの町の「市場(イチバ)」、巡礼者のための水飲み場、村の洗濯場などにも異国の風情を感じた。

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(ポルトの市場)
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Ⅵ.出会い

(ドイツの元軍人のおじさんと歩く)

094 トマールのレストランで夕食のとき、隣で食事をするドイツのおじさんに話しかけてみた。Henry Holohmeyerさんといい、ハンブルクの上、デンマークに近いRendsburgに住む50歳代の元軍人。2年前にサン・ジャン-サンティアゴを歩いたが、今度はポルトガル人の道をサンティアゴまで歩くという。20年前に軍人としてポルトガルに6年間滞在していたので、この道は懐かしいとのこと。妹さんの子供が日本人と結婚して東京に住んでいるらしい。

 彼とはこのあと2日間、カフェで一緒にお茶を飲んだり、次の町で宿と夕食を共にしたが、脚力はとても強く、足は早かった。


(巡礼中のイタリア・ポーランドの女学生と会話)

1155001 イタリアの若い女性とアルベルゲで一緒になり、2段ベッドに腰をかけてしばらく話をした。ポーランドの女性も一緒。二人とも学生とのこと。イタリアの女学生はたいへん快活で、サッカーのヨーロッパ選手権で母国が勝ったことをラジオで知ると両手を挙げて大声で「やったー。今度はドイツが相手だ」と叫んでいた。

思い切って声をかけ、二人の写真を撮らしてもらったのが話をするきっかけである。

 まず、こちらから自己紹介のコピーを渡して家族の状況やマッキンリー登山等の山歴、3回のサンティアゴ巡礼の経緯などを下手な英語で説明をすると、2人からは「うらやましい。私もそんな人生を送りたい」という言葉が返ってきた。次いで「日本の自然の素晴らしさ」を説明。一方、イタリアの女学生からは「ヨーロッパに来て、日本と違う点で、一番驚いたことは何ですか」などの質問があった。

 この日以降、何度も別のアルベルゲで一緒になったが、彼女はいつも親しげに手を振って挨拶をしてくれた。

 

(カナダの女性にハグされた)

1112001  逆方向から快活でたくましい感じのおばさんがやってきた。単独行のカナダ人の女性、50歳代という。「フランス人の道」のレオンをスタートし、サンティアゴまで歩いた後、「ポルトガル人の道」をポルトまで歩くという。私は前回も何人かの「つわもの」に会った。「一人でパリから3ケ月間、サンティアゴまで歩いてきたが、帰りはサン・ジャン・ピエド・ポ-まで列車を利用し、そこからル・ピュイまで歩く」というパリのおばさん、「サン・ジャン・ピエド・ポ-とサンティアゴの間を歩いて往復した。このあと、ル・ピュイまで歩く」というドイツの青年、「住んでいる村からサンティアゴまで3ヶ月間を歩く」というドイツのおじさんなどである。今回は、レオン-サンティアゴ-ポルトというように巡礼路の良い所だけを選んで歩く人もいることを知った。 

ところで、彼女に「リスボンから歩いてきた」と言うと、別れ際に抱き寄せられ、ほほにキッスをされた。巡礼者同士の親愛のあいさつである。ちょっとびっくりした。

 (お菓子屋のおじさんからお菓子をもらった)
353_2 6月16日、OLIVEIRA de AZEMEISの町を行く。おじさんが4-5歳の可愛い女の子2人とベンチに座っていた。そばにあるお菓子屋さんのご主人のようだ。思い切って写真を撮らせてほしいと頼むと-言葉が通じないので、もちろんジェスチャーでだが-快く了解してくれた。まずはおじさんと女の子の写真を撮り、今度は自分と女の子の写真を撮ってもらう。ここは観光地ではないので、日本人などめったに来ることはないのだろう。「日本から来た」と言って、持っていた日本の絵葉書を女の子にプレゼントすると、おじさんがとても喜んで、お店のお菓子を包んで持ってきてくれた。コーヒーも飲んでいけという。ポルトガルと日本との小さな出会いである。

 思い切って声をかけてみてよかった。相手はポルトガル人。言葉が通じないので気後れがして、なかなか声をかける勇気が出なかったが、声をかければ気楽に応じてくれるのだ。

 今回の旅は巡礼者が少ないので、人と出会い、触れ合う機会があまりないが、こちらから積極的に働きかければ、触れ合う機会は増える、引っ込み思案では駄目-そんな感じを強く持った。

 

(ポルトガルの青年と話す)

2171)6月13日、MEALHADAへ向かう途中のMALA村のカフェで一休み。農家のおじさんらしき人が一人、コーヒーを飲んでいた。椅子が4-5ヶの小さな店で、ハムサンドと缶入りのリプトン紅茶で2.10ユーロ。

店を営む青年が声をかけてきた。

 どちらも英会話が不得意で、ポルトガル語の辞書も引きながら、つたない英語で話をした。となり町のANADIA大学の化学部を出たが、職がなくてこの店を開いたという。もらった名刺には「Padaria(パン屋) Nossa Senhora Das Candeias」とあり、店の奥でパンも焼いているようだ。私のほうは自己紹介のカラーコピーを渡して、家族の状況や日本の風景を説明。

 意思疎通が難しくて時間がかかり、結局、それ以上の話はできなかった。

10362)6月21日、PONTE DE LIMAへ行く途中、午後の数時間、ポルトからサンティアゴまで歩こうとしている27歳のポルトガルの青年と一緒に歩いた。  

大学は出たが定職がない、今回は生まれて初めての大旅行、パラグライダーが大好きでサッカーは嫌い、日常、イギリス人は紅茶を飲むがポルトガル人はワインを飲む、祖父は1日に1Lのワインを飲むなどの話を「かたこと」の英語で話してくれた。

「ポルトガルにはなぜ缶コーヒー等の自動販売機がないのか」と聞くと「どこにでもカフェがあるからさ。村にも必ず数店ある」とのこと。そして、冗談で自販機を揺するマネをして、「代金を機械から盗む奴がいるから」とも言っていた。

数時間も続けて現地の人と話したのは初めて。彼が何を言っているか分からないときは何度も確かめたり、また、こちらが何か言うときは頭の中でどう話すかを整理したりと頭を使ったので、周りの景色を鑑賞する余裕はなく、最後はかなり疲れてPONTE DE LIMAに到着。

「シュラフを持っているので野宿をする」と言う彼とはそこで別れた。

 

(日本人の巡礼者2組に会う)

・6月1日の朝、オリエンテのユースホステルで日本の方に声をかけられた。小野さんという郡山市の64歳の男性である。4月4日にサン・ジャン・ピエドポーをスタートし、5月7日にサンティアゴに到着。その後、列車とバスで約1ヶ月間、ポルトガルを旅してきたとのこと。その中で、ファティマ(ポルトガルの聖地)に行った5月13日はちょうど「聖母出現祭」(ファティマのお祭り)の当日で、詰めかけた大群衆に感動したとの話を伺った。また、帰国後、「初めてのカミーノでしたが、すっかり取りつかれてしまい、また、季節やコースを変えて歩きたいと思っています」というメールをいただいた。

・サンティアゴのアルベルゲでは川越市の荻野さんご夫妻にお会いした。サンティアゴ巡礼に魅せられて、最近5年間、毎年、来ているとのこと。フランスのアルルからの道がすばらしいので是非歩きなさいと進められた。その他、同じ巡礼者として話は尽きず、アルベルゲの食堂兼談話室で夜遅くまで話がはずみ、とても楽しかった。


(巡礼者を泊めるのに熱心な民宿のおじさん)

 車が通りかかり、おじさんがペンションをPRするカラーのチラシをくれた。「是非、泊まってほしい」とのこと。しばらく歩いて行くと、別の車が止まり、別のペンションのチラシをくれた。「いくら」と聞くと「10ユーロ」とのこと。自家用車でペンションのPRをする人なんて、今まで会ったことがない。この2つ、ジョンの案内地図には載っていない新しいペンションである。

 

 

(気楽な巡礼旅-マドリッドから90人の一団) 1375
 トゥイからスタートして1時間余り、マドリッドから来た団体の方々と一緒になった。毎年、希望者を集めて団体で巡礼に来ているという。今年の参加者は年齢が18歳から86歳までの90名。トゥイからサンティアゴまでは5日間の行程だが、毎日18kmを目処に歩き、その距離を歩き終わると貸切バスが迎えに来て宿舎まで運ぶとのことだった。

その一行であろう。強烈な日差しの中、5-6人のおばさんがおしゃべりをしながら歩いていた。ザックは持たず、身軽な感じ。その一人がぱっと赤い日傘を開くと、もう一人のおばさんが青い日傘を開いた。自宅から買い物にでも行くような感じ。日傘を差して歩く巡礼なんて初めて見た。こんな気楽な巡礼のやり方もあるのだ。

                          (町の人・村の人)

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(サッカーを観戦)

 今回はちょうど国別のヨーロッパ選手権が開かれているときだった。ポルトガルも、スペインも勝ち上がり、自国が出場する日は、国中、大騒ぎ。日本なら、自宅でのんびりと一人で、あるいは家族で楽しむのが普通なのに、ここでは町の人達全部がカフェの大型テレビ画面の前に集まってくる。おじいちゃんも、おばあちゃんも、あかちゃんも、子供達も一家総出である。1.5ユーロのビールを飲みながら、近所の人達とわいわい、がやがや。得点が入れば、太鼓をたたいたり、抱きあったりして大騒ぎ。私もそんな雰囲気に魅せられて、飲めないのにビールを頼み、その輪に加わった。

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(サンティアゴに到着して喜ぶ人達)

 サンティアゴ滞在中の4日間、毎日、数時間、大聖堂前のオブラドイロ広場に出かけて広場の片隅に腰を下ろし、目的地に到着して喜ぶ巡礼者を眺めて過ごした。その喜ぶ姿を自分に重ね、心に刻みつけておきたかったがためである。

 広場に入ってきた人達の多くは、まず、大聖堂の正面に立って、しばらくの間、じっと大聖堂の高い尖塔を見上げ、「やっと来た」という感慨にふける。肩を組んで見上げる夫婦も。そして、大聖堂をバックに写真を撮る。韓国の若者の一団は全員でジャンプをしたところを写真に撮った。スペインの少女の一団は肩を組んで写真を撮った。

 その後も、まだ大聖堂に入らずに、広場に座り込んだり、寝転んだりして、喜びを噛みしめる人達もいる。

~5人の家族の一団が父親を囲んでいつまでも動かない。「家族皆で、とうとう目的地までやってきた」という喜びからであろう。父親が泣いている。涙が溢れて止まらない。家族は父親が泣き止むのを静かに待っていた。

 なお、巡礼中に親しくなった人達と広場で出会わないかと期待したが、今回はフランス人のご夫婦、スペイン人のご夫婦、ドイツの中年の女性にお会いしただけだった。

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Ⅶ.その他


(お守り-娘と孫から)

 旅の間、娘と孫からもらったお守りを身に着けて歩いた。
(孫の文章)
 「じいじ、元気でいてね。わたしはじいじが帰ってくるのをたのしみににしています。ポルトガルってどんなところかわかんないから、帰ってきたらおしえてね。ふうなより」、
 「いつも水木金ようびのどれかにきて、150円くれたり、プールにいっておかねだしていっしょにおよいだり、かえりには120円でアイスかったり、かわなかったら100円のじゅーすとか150円の?をかったりしてくれてありがとう。いつもげんきでね。そうたより」
 

 娘のそれは初めての巡礼でもらったもの。すべての巡礼に持参した。
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Ⅷ.三つのサンティアゴ巡礼を振り返って

1.サンティアゴ巡礼の魅力 

 サンティアゴ巡礼の魅力に惹かれて、徒歩やときには自転車でサンティアゴを訪れる巡礼者の数(巡礼証明書の枚数による。後記)は2000年-2005年で倍増し、その後の4年間も5割増と急増している。

 その魅力はどこにあるのか。まず、これまでの3回の巡礼経験を基にして、私なりに感じたその魅力を紹介しておこう。

1)カミーノの最大の魅力は、世界各国から来た巡礼者や地元の人達と多くの出会いがあること。今でもそれらを懐かしく思い出す

 なお、私はほとんどできないが、英語やスペイン語、あるいはフランス語、ポルトガル語の会話ができて、更にワインが飲めれば、その楽しさは倍加すると思われる

2)特徴のある宿に泊りながら、森や川などの自然をゆっくりと鑑賞し、また、旅行会社のツアーでは訪れることがない異国の小さな町や村の雰囲気に触れるという旅である。

 たとえば、

・廃村のアルベルゲ(普通のアルベルゲは2段ベットだが、ここは真っ暗な屋根裏が寝場所。天井が低くて這って動いても頭をぶつけるほどだった)、

・プールのあるジット(フランスではプールのある宿に2回ほど泊り、大好きな水泳を嬉々として楽しんだ)、

・宿の主人がバンジョーを弾いてくれるジット(食事の後、1時間ほど弾いてくれた。私はフォスターの「金髪のジェニー」をリクェストし、皆で一緒に歌ったが、なぜか懐かしさがこみ上げてきて、思わず涙ぐんでしまった)、

・宿泊費が無料のポルトガルの消防署(ベッドや毛布はない。借りられるのはマットだけ。それを誰もいない広い講堂の片隅に敷く)

などに泊った。

 また、小さな村では道に広がる牛の群れをドイツの若い女性とかき分けて進んだり、巡礼の最終地フィニステラでは、砂山に腰を下ろして大西洋に沈む夕日となぎさに遊ぶ巡礼者を眺めたりした。

3)手作りの旅が楽しめる。

すべての計画を手作りで行う旅。それだけに事前の調査はたいへん。また、乗り物や宿屋の手配も自分で行うし、旅行先で何か困ったときは自分の力で解決しなければならない。手数はかかるが、それが魅力でもあり、添乗員の後に付いていくだけの旅行会社まかせのツアーとは一味違った旅が味わえる。

出発前の数週間のワクワク・ドキドキ感はたまらない。「ワクワク」と期待で胸が膨らむ一方で、「道は分かるか」「足は痛まないか」「言葉が分からなくても意思は通じるか」などの心配は尽きず、はたしてサンティアゴまでたどりつけるだろうかと不安になることもある。こんな「ワクワク感」、人生ではめったに味わえない。

4)旅費が安上がり(2012年夏・100円/ユーロ)。

 ・アルベルゲ(スペインの巡礼宿。1泊5-7ユーロ。無料の場合もある。私営の場合は10ユーロ前後)や消防署(ポルトガルのみ。無料)を利用すれば、宿泊費は安上がり。フランスの宿・ジットやポルトガルで一般的に利用するペンションはやや高めだが、それでも日本の宿泊費(地方ホテルの素泊り5千円以上。山小屋1泊2食8千円以上)と比べれば極めて安い。

  なお、アルベルゲが安いのは教会や市民の無償奉仕、巡礼者のお手伝いなどで成り立っているためである。

 ・朝と昼の食べ物をコンビニで買えば、1食2-3ユーロ。

 ・夕食はレストランで8-10ユーロ。

 ・スペインの場合、上記で試算すれば40日間の宿代と食費の合計は800ユーロ、約8万円。

 ・このほか、航空運賃、空港までの鉄道・バス運賃、みやげ代などが必要。

5)道に迷うことはない。

 ・地図付きの案内書が英語や現地語で発行されており、日本で購入できる。

 ・分岐点には黄色い矢印などの道標が必ずある。

6)誰でも歩ける。

 脚力に応じて道を選べば、足弱の人(子供連れや高齢者)でも歩くことができる。

・どこから歩き始めても良い。

・1週間だけ歩いて帰ることもできる。

・一日の行程のうち、一部にタクシーやバス、あるいは電車を利用し、残りを歩くという方法もある。

・「フランス人の道」については宿と宿の距離が短く(5-10km間隔)、脚力に合わせて1日の行程を決めることが可能である。

7)英語やスペイン語・ポルトガル語などの会話ができなくとも歩くことができる。

宿の人、地元の人は外国の旅人に慣れており、宿を取ること、食事をすること、買い物をすることなどについては、ジェスチャーで意思を伝えることが可能である。

 自分で食べたい食事のメニューや旅で必要な最低限の単語をあらかじめメモして持参すれば、なおよい。

 もちろん、会話ができればもっとよい。旅の楽しさは倍加する。

8)以上のように魅力あふれる旅なので、年々、巡礼者が増加している。

サンティアゴの巡礼事務所に巡礼証明書(巡礼を終えたことを証明するもの。巡礼事務所までの最後の100kmを歩くことが必要。自転車や馬でもよい)を貰いに来た人の年間総数は、巡礼者が急増する「聖年の年(特別なお祭りがある)」を別として、1990年4,918人、2000年55,004人、2005年93,924人、2009年145,878人と大幅に増加しており(うち、アジア人は少ないながら、2005年の398人が2009年には2415人に増加)、今後、その数はますます増加すると見込まれる。

なお、聖年の年で見ると1993年99,436人、1999年154,613人、2004年179,944人、2010年272,135人となっている。

注)最新の2012年の統計では、日本の860人に対して韓国は2493人と多く、国別では11位に入っているとのことである(日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会による)。

 

2.3つの巡礼路を比較して  

 次に、これまでに私が歩いた3つの巡礼路を比較しながら、自分が見た範囲で「ポルトガル人の道」の特徴を紹介したい。


景色:展望を楽しむところは少ないが、昔の雰囲気の残る道が見どころ>

景色は「フランス人の道」が最も良い。1500mの峠を3つも越えるし、丘陵地帯では樹木の生えていない稜線を歩くことが多いので、遠望も楽しめる。

これに対し、「ポルトガル人の道」は峠越えと言っても、せいぜい標高200m-400mの高さを数回越えるだけ。しかも山林の中なので遠望は効かず、景色の良い所は少ない。

ただし、「ポルトガル人の道」はローマ時代の道や中世の道が当時の石畳や石垣とともに残るところが多いので、昔の道がどんなものだったか、その雰囲気は十分に味わうことができる。

 なお、ル・ピュイの道は丘陵の上の、樹木が少ない牧草地や畑地を行くことが多いので、景色は良い。ただし、あまり昔の道という雰囲気は残っていない。

<参考・「ポルトガル人の道」の地形>

ポルトガル人の道の前半は平地。広い畑の中の土の道や町のアスファルトの道を延々と歩くことが多く、景色が単調でやや飽きる。

後半は標高の低い丘陵地帯。ゆるやかなアップダウンを繰り返しながら、町や村、畑や林の中を行く。

ただし、丘陵地帯では、標高が低い割りに湧き水が随所にあり、川の水がきれいで、緑の水草がゆれているのが印象的だった。


<道:迷うことはないか>

1)3つの巡礼路はどれも、地図付きの案内書が英語や現地語で発行されており、それらが日本で購入できる上に、道標が整備されているので、迷うことはほとんどない。特に「フランス人の道」は分かりやすい。
14262)「ポルトガル人の道」も、後記3)のように数カ所だけ分かりにくいところがあるが、全体的にはほとんど迷うことはない。

地図については下記の英語版がある。

A Pilgrim's Guide to the Camino Portugues: Lisboa, Porto, Santiago

John Brierley (ペーパーバック・208頁)

私はインターネット上で書籍販売を行う「アマゾン」でこれを入手した。615.6kmの行程を23日間で歩くように地図23枚が掲載されたもので、分岐点、舗装されている道と舗装されていない道の区分、川や橋、標高などが載っており、歩く際にはたいへん参考になった。

なお、他の二つの道の地図については、John Brierley版も発行されているが、それとは別に現地語の地図も入手可能で、それらは約750kmの行程を70枚から90枚の地図で表しており、上記地図よりは更に詳しいものである。

3)ポルトガル人の道の分岐点にも黄色い矢印など、サンティアゴへの道標がほぼ必ずある。
4)今回、私は何回か道に迷ったが、たいていは道標の見落としによるものである。ただし、地図が間違っていたことが1回、道標が見当たらなかったことが1回あった。それらの点は下記に具体的に書いておくので注意されたい。

●次の道標がなかなか出てこないので、道が違うことに気がついて引き返したり、また、町の人に呼び止められ「道が違っている」と教えられたりしたが、これらは道標の見落としが原因だった。

 四つ角等の曲り角に来たときに次の道標に出会わなかったら、道に迷ったのである。必ず引き返さなければならない。巡礼者用の地図には巡礼路周辺の町村や道は掲載されていないので、迷って周辺の町に入り込んだ場合は、その地図に頼ることができず、自分がどこにいるか全く分からなくなる。要注意だ。

●ご夫婦と娘さんの3人家族と一緒になり、話しながら歩いているうちに道を見失うということがあった。彼等と別れるときに「この道を行けばよい」と教えられたので道標がないのに歩いて行ったのだが、いつまで行っても次の道標が出てこず、完全に迷ってしまった。巡礼者用の地図にある町の名前を示して「ここに行くには」と何人かに聞いたが、よく分からない。結局、車で次の町まで運んでもらった。

地図が間違っていたことが1回ある。6月5日、GOLEGAの町の中心から郊外へ行こうとしたが、地図に間違いがあって、やや迷った。地図では、N-243に出るとそれを渡って細い道を直進するようになっていたが、直進しているのは広い車道であり、細い道はなかった。車を止めて2人の人に聞いてやっと分かったことだが、実際はN-243に出たら右折し、5分ほど行ってから左折して細い道に入るのが正しかったのである。

●6月9日、ALVAIAZEREに向かって歩いているときのこと、森の中の赤土と砂利の道を行くと十字路に出た。どちらへ行くか。道標がどうしても見当たらない。次いで、巡礼者の靴跡を探して道を特定しようとしたのだが、それもはっきりしない。地図上には十字路の掲載はなく、道は直進するようになっていたので思い切って直進することにした(あとで知ったが左に曲がるのが正しかった)。しかし、いくら行っても黄色い矢印に出会わない。間違ったと思い、斜面を左方に登っていくと舗装道路が見つかり、その道を行くと村に入った。巡礼路から右へかなり離れたようで、村は手持ちの地図には載っていない。どうしよう。まず、自動車関係の小さな工場のおじさんに巡礼路の地図を見せて聞いてみた。おじさんは地図を何回か書きなおして、最後に書いた地図を渡してくれたが、どうも信用できない(あとで分かったが、この地図は間違っていた。おじさんの地図の通りに行けば巡礼路からもっと離れていただろう)。更に数分行ってカフェに入り、中年の主人に聞いてみると、しっかりした地図を書いてくれた。こちらのほうが信用できそうだ。地図のとおりに30分ほど歩くと巡礼路に戻ることができた。

道に迷ったときは数人に聞いて、どれが正しいかを自分で判断する必要があるようだ。


<宿について>

・宿泊代が安いのはアルベルゲ。次いでジット、ペンションの順

 上記Ⅰの4)を参照されたい。特別なものとして、ポルトガルの消防署がある。無料。

・「ポルトガル人の道」は、巡礼者との出会いの機会は他よりやや少ない。

 まず、巡礼者の数を見てみれば、サン・ジャン・ピエド・ポーからサンティアゴへの「フランス人の道」は、他の道も含めた巡礼者数全体の約7割を占めており、たいへん多く、出会いの機会も多いと言えよう。更にこの道で巡礼者が泊まるのは「アルベルゲ」であり、これは数人から数十人が一部屋に泊る形態なので、そこでも出会いの機会がある。

 これに対し「ル・ピュイの道」は巡礼者の数が少ない。ただし、巡礼者は「ジット」というフランス特有の宿を利用し食事を共にすることが一般的なので、会食を通して他の巡礼者と親しくなれるという特徴がある。

一方、巡礼者の数が少なく(リスボン-ポルトの間は特に少なかった)、また、行程の前半は個室泊りのペンションなので他の宿泊者と顔を合わせることがほとんどなくて、出会いの機会は前2者よりは、はるかに少ないように思う(アルベルゲが現れるのはポルトガル国内では最後の4日間であり、あとはスペインに入ってから)。

 なお、私にとっては、言葉が通じないことも出会いの機会を少なくする要因だった。ただし、言葉がうまく通じなくとも、勇気を持って積極的に話しかけていけば、出会いの場をいくらでも増やすことは可能。

・それと宿から次の宿への距離が遠いことも特徴と言える。
 たとへば、サン・ジャン・ピエド・ポーからサンティアゴへの「フランス人の道」には、ほぼ5-10km置きにアルベルゲがあり(ただし、ピレネー越えなど、いくつか例外はあるが)、子供連れ、足弱の人などにとってたいへん歩き易いのに対し、ポルトガル人の道は、次の宿がある町までの距離が長く、1日に20-30kmを(ときには1日に34kmも)歩かないと次の宿に着かないことが多い。

 

<参考・巡礼路別巡礼者数-国籍別を含む>

 聖年の年・2010年の1年間に巡礼証明書(前述)をもらいにきた巡礼者の総数は272千人であり、うち、最も一般的な「フランス人の道」が189千人とたいへん多いのに対して、「ポルトガル人の道」を歩いた人は34千人と少ない。なお、これらは最後の100kmを歩いてサンティアゴまで到着した人の数であって、これらの道の途中だけを歩いて帰宅した人は含まないので、それを入れればこの道を歩いている人の数はもっともっと多い。

また、「ポルトガル人の道」の出発地別内訳は、リスボン718人、ポルト5,894人、トゥイ18,121人などであり、リスボンから出発する人が極めて少ないこと、行程の途中から増えてくること、特にスペインに入ってからの最初の都市・トゥイから歩く人が多いことなどの特徴がある。

一方、「ル・ピュイの道」については、この年にル・ピュイを出発点としてサンティアゴまで約2ヶ月の長距離を歩き通した人の統計しかないが、3,280人と、リスボンからの出発者の約4倍となっている。ル・ピュイの道を歩く人はフランス人の道よりはるかに少ないが、私のようにサン・ジャンまでの人や途中の数日間のみをハイキングする人も合わせれば、ポルトガル人の道よりはかなり多いと推定される。

 なお、巡礼者総数272千人の国籍別内訳は、スペイン188(単位千人。以下同じ)、ドイツ15、イタリア14、フランス9、ポルトガル8、イギリス2、アメリカ3、カナダ2、ブラジル2などであり、日本人のみの統計はないが、日本、韓国、中国等を含めたアジア全体では2,462人となっている。

 

<日程詳細>

 

(5月29日)

成田発12:05-モスクワ着17:10、モスクワ発19:15-マドリッド着22:25。着後、夜も遅いので安全のために、予約したホテル・チャマルティン(チャマルティン駅構内にあり)までタクシーを利用。ホテルに着くと、タクシーの運転手は、メーターが25ユーロを示しているのに、メモ書きで38ユーロを請求してきた。言葉が通じず、抗議ができない。だまされたように思うが、やむを得ず支払った。空港のタクシーでも不正をするようだ。

(5月30日)

朝はゆっくりと寝て、朝食ものんびりと味わう。ホテルの朝食バイキングはとてもおいしかった。

駅前の手荷物預かり所に荷物を預けて、市内観光へ。

まず、プラド美術館裏のレティーロ公園へ。これまでマドリッドには2度来たが、治安が悪いと聞いていたので、人通りの少ない公園には足を踏み入れなかった。でも今回は晴天で、多くの人が散策を楽しんでおり、また、こちらは何も持たずに身軽。公園に入ると緑が豊かだった。樹木の中をあちこちと散策。気持が良い。アルフォンソ12世の騎馬像が立つ池にはボートや小さな遊覧船が浮かぶ。公園の広さはNYのセントラルパークの1/4位だろうか。

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  次いでプラド美術館へ。3回目。今回初めて、「この美術館の展示はスペインの3大巨匠、エル・グレコ(16世紀に活躍)、ベラスケス(17世紀)、ゴヤ(18・19世紀)が中心であること」を知った。

 夜は中国人経営のレストランへ。街頭の看板で「すし」が食べられるとあったからだ。でも期待はずれ。小さく握った、とても酸っぱいおすしが数個で10ユーロ、ぜんぜん美味しくなかった。

その後、マドリッド・チャマルティン発2225の夜行寝台列車「ルシタニア号」(2等・87ユーロ)でリスボンへ。4人部屋。中国人と同室だった。

(5月31日)

列車はリスボンのサンタ・アポローニア駅に737着。

構内には小さなカフェ以外に店なし。その店でエスプレッソとサンドイッチの朝食(合わせて3ユーロ)を食べたあと、まずは、巡礼手帳に出発地の印をもらうために1km先の「カテドラル」を目指す。

はじめてのポルトガル、はじめてのリスボン。道の左は海のように広いテージョ河。右は見上げる斜面にビッシリと家々。急な階段のはるか上には教会の丸い屋根が望める。道路沿いには紫の花をつけたジャカランダの木があった。

「カテドラル」で印を押してもらったあと、裏庭にあるローマ時代の遺跡を見学。

そのあと、近くのサン・ジョルジェ城を見物。
  午後はカイス・ド・ソドレ駅まで歩き、列車でベレン駅へ。発見のモニュメント、ジェロニモ修道院、ベレンの塔を見物。塔のそば、林の中のカフェで一休み。

夕方、日本で予約しておいたオリエンテのユースホステルへ。オリエンテ駅で下車して探すが、分からずに通りすぎてしまい、散歩中の若い夫婦に聞くと親切にホステルのフロントまで案内してくれた(フランシスコ・フェルナンデスさん。帰国後、彼からメールあり)。

(下:最初の3枚はリスボンのサンタ・アポローニア駅前。5枚目は巡礼手帳に出発地の印をもらうために行った丘の上の「カテドラル」正面) 


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(下:広大なテージョ川の河口を望む)
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(下:サン・ジョルジェ城)
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(「発見のモニュメント」「ジェロニモ修道院」ほか)
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(6月1日)

朝、同じユースホステルに宿泊していた郡山市の小野さんという男性に声をかけられて話をする(前述)。

話したあと、「オリエンテ→ALVERCA do RIBATEJO」に出発。

ただし、74歳という年齢のこと、前回の巡礼旅から3年が経過していること、この3年間、登山に行くペースが落ちて体力が低下していることなどを考えると、荷を背負って長距離を歩く自信がなかった。そこでまず、最初の5日間は荷の半分をユースホステルに預け、荷を軽くして歩くことにした。しかも、その5日間を二つに分けた。2日間歩いたら列車でいったんオリエンテの宿に帰って一休みし、そのあと、次の3日間の行程を歩き、またオリエンテの宿に戻ることにしたのである。

きょうは巡礼初日。旧万博跡地(オリエンテは1998年にリスボン万博が行われたところ)に建つマンション群を抜け、対岸が見えないほどに幅の広いテージョ川の川岸へ。まず、岸に沿って気持ちのよい遊歩道を1時間ほど歩く。散歩をする人が多った。

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  次いでテージョ川の分流沿いに、舗装がされていない、草深い道を8kmほど歩く。舗装道路へ出たところで、工場の前に出ていた屋台で一休み。次に小さな町に入り鉄道を越え、ゴミの埋立地に入る。臭かった。これを越えて広い原野へ。人影は全くない。

1日目の目的地・ALVERCA do RIBATEJO駅に着いたが、気分転換を図るために、2日目の目的地・AZAMBUJA駅まで列車で行くことにした。

AZAMBUJA着。地図に載っていたペンションは閉まっていた。広場でたむろしていたおじさんの一人が「英語が少しできるので、案内してやろう」と宿屋らしき家を数軒回ってくれたが、どれもだめ。やっと見つかり、そのペンションに泊る。

なお、巡礼路できょう歩かなかった「カテドラル」-オリエンテの間については別途、6月6日に歩くこととした。

(6月2日)

2日目、AZAMBUJAからALVERCA do RIBATEJOまで、巡礼路を逆に歩く。

最初は国道(N-3)を7kmほど歩き、次いで国道を離れ、かなり広い車道を12km。途中、鉄道の駅の石段に座って一休み。VILAFRANCA de XIRA の町からはテージョ川沿いの舗装された約4kmの遊歩道に入る。昨夕、車窓から眺めた、まっすぐで歩きやすい遊歩道だ。終わってN-10へ戻り、目的地の駅まで6kmを行く。

ここから列車でオリエンテに戻り、ユースホステルで1泊。

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(6月3日)

朝、列車でオリエンテからAZAMBUJAへ。きょうの目的地はSANTAREM

まずは舗道を30分。次いで左に折れ、畑の中を2時間行くと、テージョ川の堤防にぶつかり、あとは延々と5時間ほど堤防沿いに行くことになる(もう片側は畑)。途中、小さな町に入ると堤防が舗装されていて、その上を歩くこともできた。

牧場で飼われているダチョウを見たり、農家の人に採れたてのサクランボをもらったりしたのも、この日。

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SANTAREMでは泊まろうと思っていたペンションが閉まっていたり、見つからなかったりで、結局、家族経営のホテルに泊った。フロントの若い奥さんに宿代を聞くと「フィフティー」とのこと。「フィフティーン」と聞き違えて、15ユーロを出すと首を振られた。50ユーロだったのだ。「え、ホテルってそんなに高いの」というのが実感。

そのあと、持っていたアルファー米を食べるのにお湯が必要で、ホテルのおばあちゃんに頼んだが、「湯が必要」の意味が理解してもらえず、結局、自分で台所に行き、ヤカンで湯を沸かすこととした。ところが、ガスの栓をひねっても火がつかない。おばあちゃんに聞くと、自動点火ではなく、マッチで火を付けるとのこと。ポルトガルの生活の近代化は遅れているのだ。お湯を沸かすだけでも、たいへんな苦労だった。

(6月4日)

丘の上の町を下りて、朝日が差す広い畑の中へ。昨日に続いて、延々と畑の中を行く。町の中のカフェで一休み。その後も畑の中。畑ばかりの景色に変化がなくて、やや飽きた。

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GOLEGAの町に着く。しかし、宿が見つからない。町中をうろうろしていたら、偶然、消防署の前に出た。日本で「ポルトガルの消防署はタダで泊まれる」と聞いていたので、消防服を着た女性に思い切って聞いてみると「泊まれる」とのこと。ホットした。ここに泊まることにする。

(6月5日)

最初、GOLEGAの町の中心から郊外へ行こうとしたが、地図に間違いがあって、やや迷った(前述)。

TOMARまで歩いて、夕方、列車でリスボンのオリエンテに戻り、前に泊まっていたユースホステルに泊る。

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(6月6日)
 シントラまで列車で行き、バスにてロカ岬へ。
 夕方、巡礼路でまだ歩いていなかった「カテドラル」-オリエンテの間を歩く。

(6月7日)
 朝、トマールまで列車で行き、巡礼を再開する予定だったが、国鉄はストライキで運休だった。オリエンテのバスターミナルに行って、トマール行の長距離バスがないかと探すが、そこにはなくて、市中心部のセッテ・リオス・バスターミナルにあるという。地下鉄でそのバスターミナルへ。しかし、夕方発のバスしかなくて、結局、この日にトマールまで行くことはあきらめた。

気分転換に市中心部の別のユースホステルに今夜の宿を取る。そのあと、エドゥアルド7世公園を散策し、更にグルベンキアン美術館で古代エジプトやギリシャの美術品、中国清朝の陶器、日本の蒔絵、15世紀以降のヨーロッパ絵画を鑑賞した。

(下:エドゥアルド7世公園)
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(6月8日)

地下鉄でオリエンテへ。更に列車でTOMARへ。「Ì」で宿を聞くと「消防署」を紹介してくれた。

消防署に荷を置き、有名なキリスト修道院などを見物。

レストランで夕食のとき、席が元ドイツ軍人のおじさんと隣合わせになり、思い切って声をかけた。サンティアゴまで行くという(前述)。

TOMARの消防署泊。

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(6月9日)
 6月5日まで、荷を軽くして5日間の行程を歩いたが、何とか歩けた。やや自信がついたので、きょうから荷をすべて持って巡礼路を歩くこととした。きょうはその第一歩である。

まず、森の中の赤土の道を行き、途中でハイウエイIC9の上を渡る。舗装道路に出たところでドイツ人のおじさんが追いついてきた。足が強くて早いようだ。一緒に喫茶店に入って一休み。店を出ると彼は先に行ってしまった。ここからは木々がまばらに茂る丘陵を越えて舗装道路が続く。いったん、N110に出て再び森の中の未舗装道へ。

ここで道に迷う。森の中の赤土と砂利の道を行くと、十字路に出たが、左折するところを直進してしまったのだ(前述)。

巡礼路に戻ってから、真直ぐの広い舗装道路を延々と歩いてALVAIAZEREに到着し、Residencial O Brazに泊った。

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(6月10日)
 6時30分スタート。小雨。村に沿って丘を登り、丘陵地帯の森の中を行く。同宿だった単独行のドイツ人男性とハンガリー人男性2人組に抜かれる。このほか、宿では中年のドイツ人女性2人組も一緒だったが、先に出発したようで、姿はなかった。

11km歩いて丘を下りるとANSIAOの町。ここにはいくつかのカフェがあり、その一つで一休み。ドイツ人女性の一人が足を痛めて足を引きずって歩いていた。この町で手当をするもよう。こちらは町を出て林の中を行く。いったん車道(N-348)に出るとカフェがあって、またコーヒータイム。次は林の中や畑の中を行くが、昔の道のままで、道端には苔むした古い石垣が続いていた。小さな村を過ぎると、今度は遥か遠くまで広がる荒野の道となり、日本では見かけないピンク、ブルーなどの花々が咲き乱れていた。

RABACAL着。博物館に隣接するResidencialに泊る。宿はここのみ。15ユーロ。この宿、着いたときは玄関に鍵が掛かっていた。前のカフェで聞くと「博物館の受付に頼むと、管理人を電話で呼んでくれる」とのこと。早速、受付の女性のところに行って頼む。管理人はすぐ来た。中はいくつも部屋があり、3つのベッドがある広い部屋を一人で利用。(下:2枚目の写真が泊った宿)

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(6月11日)

朝、一時雨。前半はまず、畑の中。小さな村を通り、山間に入って峠越え。全く人に会わず。コインブリガの遺跡(ローマ時代のもの)の脇で森が終わる。カフェで一休み。後半は小さな町や村、森の中を次々と通過。ほとんどがアスファルトの車道。ややアップダウンあり。湧き水がいくつかあって、小川には緑の川藻と魚影。国道(N-1)沿いの車道に入り、ローマ時代の水道橋をくぐって、ゆるやかに坂を上がると眼下にMondego川、向う岸の斜面にCOIMBRAの街が広がった。丘の上にはコインブラ大学の白い建物群。

COIMBRA泊。町のインフォメーションセンターで紹介された「Pensao Larbelo」に泊る。1泊25ユーロ。

(下:途中の道)

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(下:コインブラでの昼食)
 
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  (6月12日)

コインブラに連泊し、見物。

(6月13日)

6時20分、宿のおばさんに玄関の鍵を空けてもらって出発。空気はひんやりして冷たい。14-15度位か。初めは林の中。ポルトガルの青年が営むMARA村のカフェで一休み。お互いに英語が不得意。話をしようとするのだが、会話がなかなか通じない。大学を卒業したが、職がなくてカフェ兼パン屋をやっているという。

MEALHADA泊。町外れ、国道沿いにある「Pensao Oasis」に宿を取る。23ユーロ。

  (6月14日)

小さな町や村の舗装された道を行く。門柱に2匹のライオンの置物、庭に赤いマークを着けたキリストの石像などあり。
 町の中でややせまくて古い石畳がきれいに残る巡礼路に入る。古い石畳の道は、村では残るところが多いが、町の中で残っているのは珍しい。

Agueda川を渡って、AGUEDA泊。同名のレストランを経営するペンション「Pensao O Ribeirinho」に泊る。15ユーロ。(3枚目の写真は泊ったペンション)
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(6月15日)

朝の川面に緑の木々が映っていて、きれい。

坂を上がり、小さな町をいくつか通る。

ローマ時代の橋と池あり。

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ALBERGARIA-a-VELHA泊。消防署に行くと、すぐそばの教会を紹介された。そこに泊る。マットのみで、無料

鉄道の駅などを見物。線路は草ぼうぼう。やや錆びている。1日に1-2本しか列車は通らないようだ。

夕方、私が泊まる部屋に近所の子供達が数十人集まってきた。先生がキリスト教のお話をする子供集会のようだ。私はその間、邪魔にならないように外の高台で夕日を見て過ごした。

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6月16日)

最初は森の中。堂々とした、高さ5mのマリア像あり。

次いで線路の中を歩く。

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OLIVEIRA de AZEMEISの町へ。レストランで昼食。お菓子屋さんの子供と写真を撮る(前述)。


(左がお菓子屋さん)

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SAO JOAO da MADEIRA泊。町に着いて、まず、消防署を探す。何人かの人に聞きながらやっと探し当てて行ってみると、どの入口も閉まっていた。きょうは無人のようだ。通行人に聞くとお休みとのこと。「消防署にお休みがあるのだろうか。火事のときはどうするのだろう」と思ったが、仕方がない。あきらめて、結局、町のCentroに面した「Solar Sao Joao」というペンションに宿を取った。27.5ユーロ。


(6月17日)

車道から村の中の道へ。大きな公園のベンチで朝食。古い石畳の道が残っていた。

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VERGADAの町からGRIJOの町へと歩く途中で道に迷った。地元の人(娘さんとご夫婦)と道連れになり、おしゃべりをしながら歩いているうちに巡礼路を示す黄色い矢印を見失ってしまったのだ。その人達と別れるときに「そちらの道を行けばよい」と言われて指差された道を歩き始めたのだが、いくら歩いても黄色い矢印に遭遇しなかった。結局、車で通りかかった女性にGRIJOの町まで送ってもらった。

GRIJOから約9kmは森の中の石畳の道が延々と続く。石垣も崩れずに残っていた。森を抜けてからの町歩きも約2時間と長かった。やっとPORTOへ。 

携帯電話で前日に予約しておいた「Pensao Duas Nacoes」に泊る。

(6月18日)

市民市場などポルト見物。

(6月19日)

VILARINHO泊。午後、歩いているとそばに車が止まり、ペンションを宣伝するビラを渡された。更に歩いていくとまた別の車が。これもペンションの宣伝だった。どちらも中年の男性。ジョンの地図で、別にアルベルゲがあることは分かっていたが、宣伝されたペンションの一つに宿泊。個室・素泊り10ユーロ。

(6月20日)

手発して15分、車道をはずれて全長約100mの石造りの古い橋「Ponte de Zameiro」(車止めあり)を渡る。

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そのあと、ときどきは村や森を通るが、ほとんどは畑の中。畑と道の境には苔蒸した石垣が続く。多分、かっては多数の巡礼者が歩いた中世のものであろう。

目的地まであと9km、Pedra Furadaの町のレストランで昼食、6ユーロ。マスターに「ノートに日本語であいさつを書いてほしい」と頼まれて書く。このあと、道路でウルグアイ人の夫婦に会う。

BARCELOS市街に渡る橋の手前はBARCELINHOSという町。橋の手前にあるアルベルゲ(Residencia Gallo)に泊る。  

宿帳が談話室に置いてあり、それを見ると、6月17-20日の4日間に、ここを利用した人は25人。その国籍はポルトガル1、スペイン2、ドイツ7、イタリー3、ハンガリー2、スイス2、南アフリカ2、フランス1、オーストリア1、ポーランド1、スウェーデン1、アメリカ1、日本1の13ヶ国だった。巡礼者はヨーロッパを中心に世界中から来ているが(このあと、イギリス、カナダ、ブラジル、ウルグアイ、韓国等の人にも会う)、ドイツ人が多いこと、ポルトガル人が意外と少ないことなどが特徴と言えよう。また、この宿に泊る人は1日平均で6人位か。この町には他にいくつも宿があるので、1日にこの町を通過する巡礼者は10人を越えていると思われる。リスボンからの数日間と比べると、ポルト以降は、巡礼者がかなり増えているようだ。

夕方、対岸のBARCELOSへ。雄鶏伝説で有名な町(昔、無実の罪を着せられた巡礼者がいたが、雄鶏が鳴いて助かったという。みやげ店には雄鶏のマスコットが並んでいる)。岸辺の高台には15世紀の貴族の屋敷跡がある。

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小雨だったがときどき大降りになる。繁華街の店を見て歩き、「Ì」でスーパーマーケットの場所を聞いた。明日の食料の買出しである。5時頃、レストランを見つけて入ったが、7時開店と言われ、雨だったこと、宿から遠いこともあって、あきらめてアルベルゲに帰り、パン、バナナ2本、リンゴ1ヶで夕食をすませた。

(6月21日)

ちょうど木曜日。早朝のレプブリカ公園では、木曜だけ開かれる露天市が準備中で、近隣から多くの人が集まり、露天のお店を立ちあげているところだった。

町を過ぎても家が続く。教会前の広場に花びらで作った幅3m、長さ5mほどの絨毯あり。何かのお祭りだろうか。白、赤、紫などの花びらが日差しに映えて美しい。

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脇道から国道に出るところで道を間違えた。

午後、ポルトから歩き始めたポルトガルの青年と一緒になり、数時間話しながら歩く。話すといってもお互い英語が不得意なので、話がなかなか通じず、話す言葉を選んで話したり、何度も聞いて意味を確認したりしたので、たいへんに疲れた。

PONTE DE LIMA泊。サッカーのユーロ選手権準々決勝・ポルトガル対チェコの試合を部屋でゆっくり見ようと、テレビのあるペンションに泊ることにして、地図に載っているペンションに行ってみた。そこはレストラン。寝る真似をすると、店のウエイトレスがポルトガル語で何か言う。駄目と言っているようだが、理由が分からない。しばらく立ち尽くしていたが、ここはあきらめて、次のペンションへ。呼び鈴を鳴らすと、女主人が出てきたが「ここは満員」とのこと。結局、橋を渡ってアルベルゲ(5ユーロ。ベッドは1段式)に宿を取った。サッカーは町のカフェで観戦。

(6月22日)

きょうの行程は18km、宿の隣のカフェでコーヒーを飲み、8時に出発。

宿を出て、すぐ昔の石畳の道が残る畑の中を行く。マスの養殖をやっているカフェで一休み。きょうは標高400mの山越えが中心。自転車で山越えのポルトガルのおじさん二人に会い、写真を撮り合い、Eメールアドレスを交換。その他、フランス人の中年女性2人組、ドイツ人の若い女性2人組、韓国の単独行の若い女性、逆方向から来たカナダ人女性などにも会う。

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山は低いが後半は岩屑がごろごろした急登。でも、山に入ると急に元気になり、スイスイと足が前に出て何人かを追い越して登った。山は大好き。平地歩きは疲れるが、山は私に元気を与えてくれる。

山を下って、RUBIAES泊。小さな村。人家は少ない。村のはずれにある「Albergue de Rubiaes」に泊る。無人。夕方、管理人のおじさんがやってきて、巡礼手帳にスタンプを押してくれた。宿泊費は無料。宿泊施設はここだけなので、当日の巡礼者すべてがここに泊まった。15人位か。

イタリーとポーランドの女学生2人組と30分ほど片言の英語で話す。自己紹介のコピーを渡し、家族や登山の経歴(マッキンリーなど)を説明すると「私もそんな一生を送りたい」とのこと。日本の春と秋の風景の素晴らしさなども説明。向こうからは「ヨーロッパに来て、日本との違いで驚いたことは」という質問があったが、うまく答えられなかった。

更にイタリア人2人組(一人はヴェニスの人)とも話す。イタリアにもすばらしい巡礼路があるという。トスカーナの「La Verna」からローマ近くのアリエテまでの350km。是非、来てほしいとのこと。

5時過ぎ、レストランと食料品のお店を探して人家のほとんどない車道を下っていくと、1kmほどで2つともあって、ほっと一安心。翌日の食料を買い、レストランで食事。

(6月23日)

きょうは国境を越えスペインのTUIまで、歩程19.km。7時スタート。国道を離れて畑の中へ。石畳の道が延々と続く。中世から残る石畳と思われる。次は森の中へ。今度は苔むした石垣が延々と続く。終わって広い車道に出ると牛が群れる牧場があった。更に歩くとローマ時代の橋、ここでちょうど10km。サイクリングを楽しむ人達が追い抜いていった。後半は小さな町をいくつか過ぎる。

ポルトガル側最後の国境の町・VALENCAに入る。丘の上の城跡が旧市街で、道沿いに多くの土産物屋やレストランが並び、観光客で大賑わいだった。

鉄道と車道の共用で、端に歩道も通る鉄骨造りの長い橋を渡るとスペイン。きょうの宿泊地・TUI。カテドラル裏のアルベルゲに泊る。宿泊者は数十人。

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TUIから巡礼を始める人は多い。そのほとんどがスペイン人だ。なお、TUISANTIAGO間を5日間で歩くこのコースは手軽に歩けるので、短い距離を望む人にはお勧めかもしれない。

6月24日)

歩程31.kmREDONDELAへ。行程は長い。早朝7時スタート(ポルトガル時間の6時。時差あり)。まず、車道を1時間。スペイン人の親子3人など、巡礼者が急に増えたようだ。森を過ぎ、丘上の広場を越え、車道に出るとカフェあり。皆、一休み。次いで、工業団地の中を一直線に伸びる車道へ。約1時間の歩程。木陰が無くて日差しの暑さが身にしみる。足を保護するためにアスファルトを避け、道脇の草地を選んで歩く。前には単独行のドイツ人女性。この道が終わり、鉄道の上を鉄橋で越えると再び、広い車道。しばらく歩いてPORRINOの町の中心に着く。カフェで一休み。

町を抜け、丘を越え、急坂を下りて、目的地に到着。REDONDELAも大きな町。アルベルゲに泊る。宿泊者は数十人。

カフェはいたるところにあるが、夕食ができるレストランがなかなか見つからない。レストラン探しで一苦労。

(6月25日)

歩程18.kmPONTEVEDRAへ。

まず、村の中の車道を1時間。左方はるかに大きな湖が望めるところで、国道を渡る。マドリッドから来た90名の巡礼者団体がバスを下り、これから歩き始めるところにぶつかった。この団体とはこのあと数日間、後になり先になりして歩くことになる。

国道を渡って、森の中を登る。しばらく丘の中腹を歩いて、下りたところが先程見た湖の先端。1795年建設の石造りの長いSampaio橋を渡る。川面に真っ白なモーターボートが数隻浮かんでいて、美しい風景。

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昨日は日曜日で食料品の店が閉まっていたためにパンやバナナが買えず、今朝はまだ何も食べていない。やっと国道沿いのカフェへ。ここで朝食をと思っていたが、残念、閉まっていた。空腹のまま、歩き続ける。

丘に登り、森の中を通り、下りたところが湖。

ここから丘を登って下りたところに、村人が開いている2坪ほどの売店があり、そこでやっと朝食(ホットドック)にありついた。

更に進みPONTEVEDRAへ。大きな町。町の手前にあるアルベルゲには泊まらずに、町に入りペンションを探す。久しぶりにシャワー、ひげそり、洗濯などを行い、部屋でのんびりしたいためだ。まず、観光案内所「ツーリスト・オフィス」を探した。ジョンの「地図」に示された位置にはなく、更に通行人に聞いて移転したという場所にも行ってみたが、見つからなかった。結局、分からず、その近くのペンション「Casa Maruja」に宿を取った。15ユーロ。ともかく、いつも宿を探すのに一苦労だ。宿が決まらないと落ち着かない。

このあと、町を見物。ここでも、カフェが沢山ある中で、レストラン探しに一苦労。

(6月26日)

歩程23.kmCALDAS de REISまで。

Lerez川に架かる長い橋を渡ってスタート。村の教会を越え、鉄道沿いの森の中を1時間ほど進み、踏切を渡って朝食のために一休み。次は原野と畑の中の道。日差しをさえぎる物がなくて暑い。日傘を差す巡礼者のおばさんがいた。広い車道に出たが、またぶどう畑の中へ。村の広場で大きなトカゲに会う。四方から水が出ている赤い鉄製の噴水あり。

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 やっと目的地に到着。小さな石造りの橋を渡ったところにアルベルゲがあり、そこに宿を取る。そばを流れる小川が気に入った。堰で水を貯めた池があり、そこから小さな滝となって水が溢れている。中の島には緑の柳が2本、風に吹かれている。水はきれい。緑の川藻がゆれ、魚の黒い影が横切る。釣りを試みる人も。岸辺のレストランの壁にはこの風景を描いたアズレージョが飾ってあった。

(6月27日)

歩程18.kmPADRONまで。

始めの1時間は谷あいの森の中を行く。子供連れの家族も。次いで村の中、畑の中を行く。更に森の中を登って峠越え。奥多摩の山の雰囲気あり。

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町に入り、Ulla川を越えて30分で目的地。

巡礼路をはずれ、Sar川を渡ったところにあるアルベルゲに泊る。

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(6月28日)
 
歩程24.kmSANTIAGOへ。出発後、数時間は小雨が降り続く。
 
約8km歩いたところで大きな道(N-550)に出て、カフェで一休み。コーヒーだけ取って、持参のパン、バナナ、トマト、お菓子で朝食。

午後になって晴れる。道端の草むらに座って昼食。

ここから丘を越えると、谷の向こうにサンティアゴの町が広がった。目的地のサンティアゴ大聖堂の尖塔が見えないかと目を凝らすが分からなかった。
(左:はるかにサンティアゴを望む。右:サンティアゴの入口)
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 丘陵を下り、鉄道の線路を横切り、川を渡って市街地に入る。マンションが多く、現代の匂いがする大都会である。大聖堂はここからすぐかと思ったが、まだ先で更に1時間を要した。途中でレストランに寄り昼食。新市街で、旅人が寄らないせいか、マスターは旅人の扱いに慣れていず、メニューを書いた紙を見せて注文するのだが、意思がうまく通じず、結局、何を言っているか分からないマスターの言葉にうなずいて、その料理を注文した。サラダとジャガイモのみ。7ユーロ。注文したはずの紅茶と牛肉は出て来なかった。

大聖堂を取りまく旧市街に入る。両側に土産物屋やレストランが並ぶ細い路地は沢山の観光客で混雑していた。

まずは大聖堂を目指す。広い広いオブラドイロ広場、高い大聖堂の尖塔。大聖堂への階段を登り内部へ。栄光の門は工事中で、聖ヤコブの像を飾った柱は鉄柵に囲まれており、1000年の間、多くの巡礼者が指を触れ、その跡が窪みとして残っている柱には手を触れることができなかった。前回来たときは他の巡礼者にならって、この柱に手を触れ、頭を下げて旅の達成を感謝することができたのだが。それもあってか、今回はやっと到着したという感激は薄かった。

次いで巡礼事務所に行き、巡礼証明書をもらった後、しばらく街を散策。巡礼中に会った人達数人と出会い、再会を喜ぶ。
 その後、前回泊まった懐かしい神学校(Seminario Menor)に宿を取る。落ち着くので、大部屋にずらりと並ぶベッドではなく、個室とした。1泊17ユーロ(大部屋は12ユーロ)。
(左:大聖堂・祭壇の飾り。右:今回の巡礼証明書)
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(6月29)SANTIAGOに連泊。旅に出る前は、SANTIAGO到着後、西海岸のフィニステラまで3日間87kmを歩く予定でいたが、長旅の疲れがひどくて歩く気になれなかった。そこには1回目の巡礼のときにバスで行っており、今度は歩いてみようと思っていたのだが。きょうは、おみやげ選び中心。昼はレストランでパエリアを食べる。夜はコーン・フレークや牛乳、ハムなどを買い込み、地下のキッチンで自炊。
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(6月30日)

駅でマドリッド行列車を予約。

オブラドイロ広場からフェラドウラ公園へ。

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(7月1日)

「フランス人の道」を逆に歩いてモンテ・ゴソの丘へ。丘の上に立つ2人の巡礼者の銅像を見るためである。前回はその像を見逃しており、その後、日本で「手をかざして5km先の目的地にそびえるサンティアゴ大聖堂の尖塔を望み、歓喜する姿」との説明付写真を見て、是非行ってみようと思っていた。

でも、結局、設置されている場所が分からず、今回も見ることはできなかった。

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(7月2日)

きょうは夕方マドリッドに出発する日。

午前中は荷物をアルベルゲのロッカーに預けて外出。

玄関を出たところで、若い日本人女性と会う。「フランス人の道」を歩き終わり、大西洋岸の聖地ムシア(フィニステラから北へ海岸沿いに約28km)まで行くという。「アルベルゲの宿泊代は公営5ユーロ、私営7ユーロと数年前より値上がりしている」、「モンテ・ゴゾの丘にある巡礼者の銅像は、今は工事中で鉄柵に囲まれている」などの話を聞いた。

そのあと、オブラドイロ広場に行き、パラドール(スペインの最高級国営ホテル)でお茶を飲む。宿泊費は100ユーロを越えるが、コーヒーは2.40ユーロと安く、豪華な室内の一部を手軽に見ることができた。

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 あとは広場の端に座り、到着する巡礼者を見て過ごす。

午後、駅へ。16:10発で、マドリッド・チャマルティン駅21:45着の列車に乗車。

列車はスペイン中央の荒涼とした丘陵地帯を行く。ともかく広い。広大な畑と、はるか遠くまで家が一軒もない荒地の連続。富良野の比ではない。車内のコーヒースタンドに行き、窓辺に立って1時間程その景色を楽しんだ。これまでに歩いた所とは異なるスペインの別の顔を見た思いである

マドリッドでは日本人のご夫婦が経営する「EL Arbol del Japon に連泊。1泊28ユーロ。地下鉄の駅のそばで、中心街の「ソル」に近いところにある。駅に着いたのは午後11時に近く、宿のご主人が迎えに来てくれていた。

(7月3日)

スペイン観光に来ていた同宿の日本青年2人と、朝方少し話をしたあと、市内見物へ。

ティッセン・ボルネミッサ美術館を見たあと、スペインの代表的な百貨店「エル・コルテ・イングレス」に行きおみやげを買った。ちなみに、このとき買ったベルギー製のゴディバのチョコレートは、日本に帰って調べると値段がスペインの3倍(1ヶ約300円)だったので、びっくりした。

(7月4日)

地下鉄でマドリッド・バラハス空港へ。11:25発モスクワ行に搭乗。

 

 

 

 

 

 

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コメント

おつかれさまでした。
この3月に歩く予定です。
自分なりにいろいろ調べてきましたが、本当に役立つ情報が満載で、
ありがたく拝読します。

投稿: オサム | 2014年1月 3日 (金) 14時04分

オサム様
コメントありがとうございます。時間をかけて書いたものを見ていただけるとたいへん嬉しいです。
3月はまだ寒いし、閉まっている宿が多いと思いますが、気をつけておでかけください。全行程の完歩を祈っています。
帰って来られたら、感想などお教えください。

投稿: タムさん | 2014年1月11日 (土) 10時01分

ポルトガルの道巡礼、まだ決まったわけではありませんが、来年の候補に入れました。ブログ仲間の自転車の旅や、田村さんのブログ、司馬遼太郎の街道をゆく、南蛮の道を読んで、いい国だと思いました。当初自転車の旅を考えていましたが、今年の歩き次第では、歩きに変えた方がよさそうだという気になってきました。
田村さんのお人柄でしょうが、いい旅をなさっていますね。

投稿: cycloo | 2014年3月18日 (火) 12時31分

 ここを拝見しまして、いかにして3週間ほどの休みをとるかが目標になりました。

投稿: 多牌 | 2015年11月 6日 (金) 17時31分

突然のメッセージ失礼致します。
東京でOLをしている者です。
2年前、21歳の時に友達と女子2人でカミーノを歩き(サリア〜サンティアゴという短い距離でしたが)、
是非今度は違う道程で、特に大好きなポルトガル〜サンティアゴ間を踏破したいと思っていたので、このブログに出会えたことは本当に幸運でした。
幾度ものカミーノ、また国内外問わず果敢に登山に取り組まれているお姿とても素敵です。
ブログ記事大変感動しましたので、ついコメントしてしまいました。
私もこの先ずっと旅、登山を続けたいと思います。

投稿: Hatsuho | 2016年11月20日 (日) 14時11分

はじめまして。とても興味深く、楽しく拝読させていただきました。
ずっとカミーノを歩きたい、歩きたいとの思いを温め気づくともう10年もたってしまいました。(苦笑)
ハネムーンでカミーノを歩きたいと思っています。
仕事の休みの関係で2月しか連続休暇が取得できないので、ピレネー越えは雪で不可能。フランス人の道はあきらめ、初めて歩く予定なのですが、、、
ポルトガル人の道だと気候的にもなんとか歩けるだろうかと今いろいろ調べています。
2月のポルトガルは雨が多いようなのでそれも心配なのですが、オフシーズンの宿の開閉状況も心配ですね・・。
詳細は、行ってみないとわからないかなぁー。無理がある様なら行き先を変えるか、思案していますー。
 
coldsweats01

投稿: Tomoko | 2016年12月 6日 (火) 00時22分

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