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2014年1月

読書の楽しみ(付・絵画鑑賞と音楽鑑賞)

<読書の楽しみ (付・絵画鑑賞と音楽鑑賞)> 

 2013年1月17日以降に記す)

私の好きな小説は時代物や歴史物、探偵小説、山岳小説など。たとえば、山本周五郎、藤沢周平、宮城谷昌光(中国の歴史物)、佐藤賢一(フランスの歴史物)、新田次郎(山岳小説)などは、ほとんど読んだ。一方、海外の探偵小説も愛読。最近では、マイクル・コナリーの著作をほとんど読んだし(「真鍮の評決」ほか)、昔をふり返ると、エラリー・クイーンのほぼ全著作を読んでいる。

小説以外では、歴史物(たとえば、塩野七生の「ローマ人の物語」)や生き方論(立花隆「青春漂流」、森本哲郎「生き方の研究」)、山に関するドキュメント(ジョン・クラカワー「空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」)などもときどき読む。和歌(大岡信「詩歌遍歴」)や漢詩、それに絵画に関する本も。絵画鑑賞については別記「付・絵画鑑賞」参照。

本のほとんどは図書館で借りて読む。ただし、文庫本は買って読むことが多い。また、本は電車の中で読むか、喫茶店で読む。

本が読めるので、電車に乗るのは楽しみであり、読書に没頭して乗り過ごすこともたまにある。本を持たないで電車に乗ると、忘れ物をしたようで落ち着かない。

喫茶店も読書の場。最近は近所のパン屋さんによく行く。午後4時頃に出かけて、30分-1時間位、本を読む。このパン屋さん、おいしいパンを売っていて(1ヶ150-200円)、淹れたてのコーヒーが無料で飲める上に、総ガラス貼りの窓際でソファーに座って、ゆったりと本が読める。パンを買いに来る人は多いが、ソファーに座って休んで行く人はほとんどいない。コーヒーが脳を刺激するせいか、喫茶店は最も読書に集中できる場所である。

 読書は人生を豊かにし、楽しくする。本がなかったら、毎日の生活から大きな楽しみの一つが失われるであろう。それは自分が経験したことがない世界の一端を見せてくれる。この世には多様な人生があり、深い感動や大きな喜びがあり、悲しみや絶望があることを教えてくれるし、また、生きることの意味を考えさせてくれる。

 と言っても、私の読書の対象は時代物や探偵小説などの軽いものが多く、人生を深く考えさせるものはほとんどない。 

 読書が好きになったのは祖父のお陰だろうか。

 第2次大戦が終わった1945年は小学校1年生。川崎市高津に住んでいた私は祖父と一緒によく溝の口駅前の銭湯に出かけたが、駅周辺には沢山の屋台が並び、いろいろなものを売っていた。いわゆる「ヤミ市」だ。その中には「本を並べた屋台」もあり、祖父はそこで「猿飛佐助」や「霧隠才蔵」などの講談本を買ってくれた。本の用紙はざらざらで粗末なものだったが、私はこれらの本に夢中になり、夜は布団に入ってからも読み続けた。家は借家。牛込・西五軒町(新宿)の家が戦災で全焼したために引っ越してきたのだが、6畳と4.5畳の二間に家族5人(祖父・妹・両親・私)の布団を敷くと、起きて本を読む所がなくて、布団に入って本を読んだのだ。お陰で目を悪くしたが、このことが私を読書好きにしてくれたように思う。

 そう言えば、祖父はラジオで、広沢虎造の浪曲「清水次郎長」や宝井馬琴の講談「曲垣平九郎」などを聞くのが好きだった。それが講談本につながったのかもしれない。

<最近、読んだ本>

  私が最近読んだものを掲げておく。

 「銀漢の賦」(葉室麟著)青年の頃からの親友3人、百姓と下級武士と家老の間の、藩政刷新、農民一揆などを背景とした交友の物語。「銀漢」とは天の川のこと。

「火城-幕末廻転の鬼才・佐野常民」(髙橋克彦著)幕末、世界に目を向け、日本を西洋諸国に対抗できる技術大国にするために、佐賀藩に西洋の最先端技術を導入し、藩独自で蒸気船・蒸気車を造ろうとした男の物語。技術者・からくり儀右衛門を京都から佐賀に呼んだことでも有名。日本赤十字の生みの親。

「利休にたずねよ」(山本兼一著・PHP文芸文庫・2010年10月発行)

 2009年の直木賞受賞作。利休は青年の頃、高麗王族出身の凛とした女性に恋をし、女性が持っていた「緑釉の香合」を一生、肌身離さず懐に入れていた。これを底流に置いて、利休の「茶道への思い」を秀吉との葛藤や妻・宗恩との交流などを交えながら描いたのが本書である。  

 文章の切れ味が良い。繊細でありながら歯切れのよい文節を追ううちに、思わず引き込まれてしまう。

 「利休の茶は室町風の華美な書院の茶とはもちろん、…冷え枯れの侘び茶ともちがって、詫びた風情のなかにも、艶めいたふくよかさ、豊潤さのある独自の茶の湯の世界をつくる…」「茶の湯の神髄は、山間の雪間に芽吹いた草の輝きにある」「ただ一椀の茶を、静寂のうちに喫することだけにこころを砕いてきた。この天地にいきてあることの至福が、一服の茶で味わえるようにと工夫をかさねて…」など、随所に茶道の深みが語られている。

  読んでいるうちに疑問が湧いた。著者は「何を」「利休にたずねよ」と言っているのであろうか。「茶道とは何か」ということなのか。それとも「緑釉の香合をなぜ肌身離さずに持っていたのか」なのか。あるいは「秀吉に対抗し、切腹を命じられても守ろうとしたものは何か」であろうか。いや、恐らく、そのすべてではないかと思われる。

 「冬の標(シルベ)」(乙川優三郎著・文春文庫・2013年5月発行・

 単行本・中央公論新社・2002年)

 「冬の標」は、江戸時代の末、武家出身の女性「明世」がその一生を懸けて絵を描く、その生き方を描いたものである。主人公の息使いが聞こえてくるような、繊細でみずみずしい文章がたいへん魅力的であり、引き込まれて一気に読みきった。

 この著者には絵画や蒔絵に情熱を注ぎ、一生を懸ける、そんな生き方を描いた小説がいくつかある。別に掲げる「麗しき果実」が主人公の生き方に加え、絵画・蒔絵の描き方やその鑑賞にも力点を置いたのに対し、この本では絵画はあくまでも脇役であり、主題は主人公の生き方に置かれている。

  「明世」は江戸時代の上級武士(上士)の娘。絵が好きで画塾に通う。この時代、武家の娘が絵を習うことは嫁入り前のお嬢様のお遊びであり、女子本来の務めは、結婚し夫と姑に仕え、子供を産み、家を守ることにあると考えられていた。「明世」は結婚をせずに絵を続けたいと熱望するが、世の中はそれを許さない。やむをえずに結婚。しかし、夫は1年で他界。「明世」は絵を描くことを生きがいにしながら、婚家と子供と姑を守り続ける。

 貧しい生活の中でも師に学び、師の絵筆の巧みな動きを見ながら思う。 「衝動が言葉にならない。空白の間が、最も充足されるときでもあった。無くなりかけた米を得るよりも、たしかに生きてゆける気がする。そういう瑞々(ミズミズ)しい力をくれるものが、絵のほかにあるだろうか。優れた絵に心を打たれる喜び、白紙と対峙するときめき、そこに何が生れてくるか知れない期待と不安……情熱のすべてをそそぎ込んでも惜しくはないと思う。」

 そして、同じ絵の道を志し、心が通じ合い、頼ることができる男(修理)と出会う。ただ、その幸せは一瞬にして終わり、男は幕末の動乱の中で暗殺されてしまうが、その絶望の中で彼女は絵筆を取り、毎日、男の顔を描き続ける。

「あとから思うと、男を描くことに狂っていた月日は、それ以上の充足をどうして得られるだろうかと思うほど無我の境地に近づいた日々でもあった。」「結局、その姿(修理)を思い川(地元の川)の堤に佇ませることで、彼女は男の内面を引き出すことに成功したのだった。」「そこには修理にふさわしい穏やかで透明な気配が生まれた。…(完成した男の肖像画を)その手で軸装すると、ありったけの情で男を包み込んだ気がした。」

 結局、「明世」は絵の修業ために息子の反対を押し切って、母とも分かれ、一人、江戸に旅立つ。

 旅立つ日、雪の枝に寄り添う2羽の鵜を見て思う。「(描きたい)そう思うのと、一切の雑念が消えるのが同時であった。構図を考えるまでもなく、二羽の鵜は枝を決め、そこに姿を定めて微動だにしない。対象を心の中にとらえて描こうとするとき、孤独は敵ではなかった。むしろ、ひとりの喜びに充たされてゆく。後先のことはどうでもよかった。」

 読み終わって、「好きなことに一生を懸ける、それを生きがいとすることの幸せ」、それが充分に伝わってきた。

 そんな一生を送れたらすばらしいであろう。いや、凡人にとっては、それほどおおげさでなくとも、何か好きなことを一つ持つだけでよい。それは人生を豊かにし、また、苦しいときには困難を乗り越える力を与えてくれる。もしかしたら、そんな楽しみが持てたことで、あの世に行くときに「私の一生はこれでよかった」という満足感に浸りながら旅立つことができるかもしれない。

 なお、書評に「乙川優三郎が好きな作家の第一に挙げるのは山本周五郎」とあったことを付記しておく。 

「麗しき花実」(乙川優三郎著・朝日新聞出版・2010年3月発行・朝日文庫・2013年5月発行)

 これも絵画・工芸を題材としたもの。蒔絵の制作に生涯を懸ける「理野」という江戸時代の女性が主人公である。実在の蒔絵師・原羊遊斎、画家・酒井抱一、鈴木其一なども登場する。また、蒔絵についてはカラー写真が掲載されており、本書を読みながら、蒔絵の鑑賞もできるようになっている。

 なお、最近、文庫本も発売されたが、これには続編「渓声」が収録される一方で、単行本にあった4頁にわたる蒔絵の口絵写真がない。

 今一度読んでみた。

 作者は、「理野」の、蒔絵に懸ける情熱や創作の苦心を描く中で、生き方への思いや男への恋も描く。一方、羊遊斉や弟子の光玉、胡民などの蒔絵のほか、抱一や基一の絵も登場させて、その美も語る。

 (蒔絵への思い)

古いものにもよさはある。光琳から学ぶのもそういうことでしょうし…」「(でも)どこかで伝統を切り離さなければ新しいものは生まれない」

「(蒔絵には)余分のものを削ぎ落としながら豊かに見える不思議があります、…」

「『この櫛、いくつくらいの人が挿すのかしら』、『そんなことは考えなくていい。櫛はほしい人が手にする。職人はいいものをつくるだけさ』。男はそう言ったが、(理野は)できるなら一人の女のために、その人にふさわしい櫛を造りたかった」

「『絵の中に心情を置いてもはじまらない』(という基一の言葉に)、彼女は一点では共感しながら反発した」

「先頭は番(ツガイ)の白鳥で、力強く舞いながら後続の群れを引き連れてゆく。…彼等の勇気と風さえ描けたら背景はいらない…」

 櫛に「狐の嫁入り」を蒔くが、その蒔絵がどうしても暗くて哀しいものになってしまう。その印象を変えようと工夫を重ね、「思い切って権門駕籠(カゴ)にも薄明かりを灯すことにした。中の花嫁は見えないものの、試しに窓の簾()と近くに金粉を蒔いてみると行列は一気に明るく和やかになった。…」

Img_5951(狐の嫁入り)

 「鮮やかな赤い花(椿)も闇の中では白より暗く見えます、蒔絵にもそういう深さがあっていい」

 「蒔くことが命の滴りであり、恐ろしい期待でもあった。加飾が鎮静して道具(櫛など)の命が見えてくるとき、それが独特の表情であるほど彼女の献身は報われた」

 その他、自分の作品に師匠・羊遊斉の銘を入れて世に出す「代作」の問題も登場する。

 (生き方への思い)

 「蒔絵があるから彼女の日々は色づくが、それだけの一生も味気ない気がする」。

 「大きな樅のある丘まできて、彼女は太い幹に身をもたせた。そうしてたまに寄り道をしては張りつめた気持ちを解してやる。閉じ込めてひとには見せない心細さを吐き出してみる。…気のせいか凍えた胸が和らいでゆく。…」、

 「語らいは傷つけ合う言葉をなくして、楽しい夜であった。…理野は浅はかな情熱から別の人を選んでしまったことに気づいた。いつも自然に近しい感情を抱いてきたのは、この人であった」(理野は恋人の基一と分かれ、故郷の松江に帰って一人で蒔絵を続ける決心をする)。

 (蒔絵の鑑賞)

 「目にした瞬間から引き寄せられるのはきりぎりすに本物の質感を感じるからで、夜の草むらに光を当てて見ているのかと錯覚する」(口絵にカラー写真あり)。

Img_5949

 (絵画の鑑賞)

 「見えてくるのは軽妙な明るさであり、伊勢物語(八橋の巻)の詩情も光琳の斬新さも霞んでしまう。…絵にしては何か不足している」(抱一筆・光琳風・杜若(カキツバタ)の金屏風を前にして)、

 「(右隻の)青楓の樹幹はなぜか毒々しい苔点に被われているが、青々とした葉の茂りは春らしく瑞々しい。…朱楓の左隻も鮮やかさは同じだが、…何といっても鮮明な色彩がこの屏風を生き生きとさせている…、それは基一そのものであった…」(抱一銘・基一代作の屏風を前にして)、

 「画面の半分は染めたような朝顔の花群であった。群青の花と緑青の葉がおおらかに渦巻く、鮮烈な色彩の群れであった。…一様に色の風を吹き出しているが、訴えてくるのはそれだけで作意も情緒も感じられない。(鮮烈な色彩だけ。まさにそれが基一の絵だった)」

Img_5997

 「強風に吹き立てられる葛や倒れそうな尾花…、青い葛の先端は吹き上がり…、草花の絵にここまで深く危うい世界を見るのははじめてだったので、理野は圧倒されて黙っていた」(光琳の風神雷神図の裏面に描かれた抱一真筆の夏草雨と秋草風の下絵を前にして)、

 注)文庫本には追録がある。

 江戸時代の蒔絵や絵画に対する作者の造詣は深い。それらに魅せられ、長い間、追い続けて、それを集大成したのが、この小説ではないかと思う。 

本書を読んで、江戸時代の蒔絵と、抱一や基一の絵が見たくなった。

 蒔絵については、インターネットで調べると「蒔絵博物館(makie-museum.com/ 高尾曜氏のホームページ。インターネットで作品と作者の略歴を紹介したもの。作品はカラー写真)」が見つかった。主に江戸時代の蒔絵師を紹介したもので、羊遊斉のほかに、小説に登場する昇龍斉光玉、中山胡民も入っている。

 絵については図書館で探すと、上記のものがすべて載った画集が見つかった。

 でも、画集の複製画では飽き足りない。更に、光玉や胡民の蒔絵や基一の絵の実物が見たくなった。展示する美術館や展覧会があれば是非行ってみたい。

 「奇蹟の画家」(後藤正治著・講談社文庫・2012年11月)

 前記の植村さんがすばらしい本を紹介してくれた。膨大な文庫本の一つであり、彼に教えてもらわなければ、一生、この本に出会うことはなかったであろう。 

これは一人の無名の画家・石井一男を追ったノンフィクションである。

 石井一男は1943年、神戸の生まれ。20歳代に絵を描いたことがあるが、その後40歳代後半まで絵を描いたことはない。定職に就くが、性に合わないと辞めてしまい、アルバイトをして過ごす。独身。狭い路地を入った棟割り住宅の2階に住む。画集を見たり、絵の展覧会に行ったり、クラシック音楽を聞いたり、読書をしたりしての毎日だった。

 それが45歳になって絵を描き始めた。「画家になりたいと思ったのではない。発表したいと思ったのでもない。ただ、絵を描きたいと思った。生きる証しとしての絵であった。素直に、無心に自分の内にあるものを見つめてそれを描ければいい」と。

 人柄は寡黙で、誠実。石井について後記の中西は「おごらず高ぶらず、謙虚で物静かななかにひっそりとあるなにか確かなもの―。その知覚はふと、自身に知らず知らずの間に付着するアカを洗い流し、洗浄してくれるようにも感じるのである」と言う。

 石井は初めての個展で得た収入の全額を、「亀井純子文化基金(若い芸術家のための基金)」に寄付することを申し出る。

 石井は心の内側から呼んでくれるものを描く。「下塗りの段階では、人物になるのかそれ以外のものかということもわからないんです……塗っていくうちになにか内側から呼んでくれるものを待っているといいますか……この絵の場合でいえば、黒地の中から白っぽい顔のようなものが浮かんできて……それをなぞっているうちに表情になってきて……」。Img_6087
 

  本書は石井を知る20人ほどの人達へのインタビューで構成されているが、最後に、そのうちの数人による石井の絵への評価を掲げておきたい。

 ○ 島田誠(神戸「ギャラリー島田」店主。個展を開き石井を初めて世に紹介)

 石井から「絵を見てもらい」と電話があり、持参した絵を見て息を呑んだ。

 「どれも三号くらいの婦人の顔を描いた小品だけど、孤独な魂が白い紙に丹念に塗り込められていった息遣いまで聞こえてきそうだ。どの作品もが、巧拙を超越したところでの純なもの、聖なるものに到達している」

○ 山口平明(大阪「天音堂」画廊の店主)

 「込められた精神性の深さ…。一枚を眺め、次の一枚へと移って行くのに時間がかかる…。すべてに画家自身が込められている」

 ○ 喜福武・加代夫妻(石井の絵のファン・夫は日経新聞出身)

 喜福武は胃癌が進行。最期の2週間、病室に石井の絵を持ち込み、眺めながら旅立った。後日、加代は自分のためにもう1枚、石井の絵を買う。「この1枚は自分の守り神にしよう」と。

 ○ 野上秀夫・京子夫妻(夫は神戸市職員)

 骨髄移植で入院する日を間近に控えた野上秀夫は妻と石井の展覧会を訪れる。

 「ほとんどが女神像で、花の絵もあった。一点、二点、三点……。野上の目は潤み、雫が溢れて止まらない。名状しがたい感情に襲われた。…とくに何か救いを求めて来たわけではないし、過剰な期待を抱いていたわけでもない。絵というものにかくも気持を揺さぶられるのは思いもしないことだった。『きれいとか美しいという観点ではなかったし、癒しでもなかった。…孤独、救い、祈り、優しさ……でしょうか。柔らかい感触のもの……それでいてなにか深いもの……』」…。野上はこの絵を購入し病室に飾った。

 ○ 中西宮子(神戸・教員、石井の絵のコレクター)

  阪神・淡路大震災のあと、「恋」というタイトルの石井の絵を購入。

 「艶のある黒を基調に、渦のような模様が点在し、下方から幾筋か紅蓮の炎が燃え立つ図…。恋―とは、石井にすればなんともはれやかなテーマである。強く燃え上がるような情念を描き込んだもの―。中西は引きつけられた。…震災の日々を潜り抜けていた彼女の内面が知らずと希求していた…」

(私も画集を購入) 

 石井の絵は文庫本の口絵にカラーで4頁にわたって掲載されているが、もっと実物に近づきたくなり、2013年5月23日、石井の初めての画集Ⅰ「絵の家」と画集Ⅲ「女神」(各々3150円)を「ギャラリー島田」に注文した。

 画集が届く。一枚一枚をじっくりと見てみた。でも「いい絵だ」という実感は湧いてこない。

 「?………」

 人によって「いい絵」の基準は違う。また、絵を鑑賞する能力にも違いがある。私は鑑賞力がまだまだ未熟のようだ。いつか、関東で石井一男の個展が開かれたら実物を見に行ってみよう。見方が変わってくるかもしれない。

 それと、この本を読んで知ったのは、無名の画家の中にも「いい絵」が隠れているということである。これからは、有名な画家の展覧会だけでなく、無名の画家の個展にも行ってみよう。自分にとっての「いい絵」に出会えることを楽しみにして。

 「小説フランス革命Ⅷ・共和政の樹立」(佐藤賢一著)

  12巻まである。3ヶ月ごとの発行。今、2013年春、Ⅸ巻を発行中。

 独特の語り口が特徴で、読みやすい。たとえば、民衆の蜂起を迎えて「『へへ、やってやがる、やってやがる』。ずんずん歩を進めながら、ダントンは満足そうに呟いた。」といった調子であり、漫画を読むように読めて、フランス革命の歴史を分かりやすく知ることができる。

 この巻は、反革命派の大虐殺、国民公会の開催、国王の処刑などが中心であり、ダントン、ロベスピエール、デムーラン、ルイ16世などが登場する。

 なお、この作家にはアレクサンドル・デュマ父子(父は「三銃士」、子は「椿姫」などの著者)を描いた3部作「黒い悪魔」「褐色の文豪」「象牙色の賢者」やガリアの王・ウェルキンゲトリクスとローマの英雄・カエサルの戦いを描いた「カエサルを撃て」などもあるが、これらもたいへん面白い。

 「小説フランス革命Ⅺ・徳の政治」(佐藤賢一著)

  全12巻のうち、11巻までを読んだ。Ⅺ巻を読んだのは2013年9月。これも面白かった。

 ロベスピエールは共和国の基礎をより強固にするために「徳の政治」を唱え、これを実現するには「恐怖」が必要として、対抗勢力のエベール派18人(過ぎた革命派)とデムーランを含むダントン派の14人プラス19人(足りない革命派)を断頭台に送った。この巻はその経緯を描いたものである。

 ロベスピエール、デムーラン、ダントンは友人同士。断頭台に送られるダントンはロベスピエールを非難しない。「革命がぶれなかったのはあいつのおかげだ」「(彼は)革命と同化した。革命そのものになった…」「(彼の人生は)少なくとも幸せじゃなかったろう。なにせ正しくいなければならなかったんだからな。…」という。

 革命はどう起こり、どう進んだか。私はフランス革命の経緯にはたいへん興味がある。

 巻末にこの巻の参考文献として約70冊(うち、洋書が半分)が掲げられているが、著者はそれらを読んだ上で「恐怖政治」の経緯やロベスピエールの心理を主に友人のダントンに語らせているが、面白く読めて、しかも革命の経緯が理解できた。

 「小説フランス革命Ⅻ・革命の終焉・完」(佐藤賢一著)

 「運命の人(1-4巻)」(山崎豊子著・文藝春秋)

 図書館でふと目に止まった。この著者の「大地の子」(終戦時、中国に残された日本人孤児の成長の物語)はNHKのテレビで見て、また「沈まぬ太陽」(日航ジャンボ機墜落事故のあと処理に係わった一人の日航職員を描いたもの)は職場の何人かと共同で買い回し読みをして、強く印象に残っているので、「この本はどんな内容だろう」と思って4巻を一度に借りることにした。

 読み始めると惹き込まれ、1-4巻を数日で(うち2巻は一日で)読んでしまった。こんなに夢中で本を読んだのは久しぶりである。

 1-3巻は、沖縄返還交渉(1974年に返還)にからみ起きた西山事件(別名、沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件)を描く。毎日新聞政治部の西山太吉記者らが取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩したとして国家公務員法違反で有罪となった事件である。

 西山氏(本での仮名は弓成氏)のほかに、佐藤栄作、田中角栄、大平正芳等の首相や外務省の高官が仮名で登場し、密約を巡っての記者の取材活動とその後の裁判の状況が描かれる。そして、裁判は「新聞記者が国民に真実を伝えようとする取材活動ははたしてどこまで許されるか」を巡って展開するが、政府側が「密約の有無」ではなく、「取材が高官の秘書との男女関係を利用して行われた点」を前面に出すという作戦を取り、結局、最高裁でも記者側の敗北となる。取材活動の実態、政府側の策謀などが描かれ、興味は尽きなかった

 第4巻は弓成が敗訴の絶望の中で妻子とも分かれて沖縄に移り住み、再生していく物語。弓成は、沖縄の戦中・戦後の歴史を現地の人達から聞き取り、これを書いて世に伝えていくことで新しい自分を再生していく。

 「娘巡礼記」(髙群(タカムラ)逸枝著・岩波文庫)

 著者は詩人、評論家、女性史の研究家。

 その著者が大正7年、24歳のときに、「人生をどう生きるか」「愛とはどうあるべきか」などを模索するために約半年間、四国八十八ヶ所巡礼の旅に出た。これはそのときの精神の遍歴と四国遍路の実態を描いた記録である。

 当時の遍路は現代と異なり、業病に罹ったり、商売の失敗で故郷にいられなくなったりした人達が数多く歩く所で、健康な若い娘が歩くのは珍しく、行く先々で好奇の目で見られたという。

 この本を読んだきっかけは、日本点字図書館の植村さんが「巡礼とは何か」を考えるために読み、私にも勧められたことにある。

 読んで感じるのは、サンチャゴ巡礼でも体験したが、現代では巡礼の主な目的が、一人で、あるいは家族や友人と一緒に「旅を楽しむ」ことに変わってしまったということである。もちろん、何らかの苦しみを解決するために、あるいは信仰を深めるために、あるいは家族の絆を深めるために、また自分を鍛えるためになどという要素も残ってはいるが、今は「旅を楽しむ」という観光的な要素が主体のように思われる。

 「生きづらい世を生きる-資本主義の深化が共同社会を壊した。まだ成長が必要か-」

 「一枚の絵から 日本編」(高畑勲著・岩波書店・2009年11月27日発行)

 この本は著者が感動した平安時代から現代までの日本の絵画30点を掲げて紹介したものである。

 著者はスタジオジブリを宮崎駿と共同で立ちあげた人、「アルプスの少女ハイジ」などの漫画映画の監督でもある。

○ 心惹かれた「小倉遊亀」の「自在観」

 絵の中で最も心を惹かれたのは、105歳で天寿を全うした「小倉遊亀(ユキ)」が描く「観自在」と題した観世音菩薩の像である。73歳の作。ふわっと浮き上がったところ、見慣れた荘厳な仏様とはひと味違った暖かな雰囲気が漂う。本には「この絵を見ると、思わず微笑がこぼれ、心が軽くなりますね。自由にのびのびと生きていいんだ、仏さんだって翔ぶんだもの、と元気が湧いてきます。…」とある。

 これまでは、自分が無に帰す死というものを想像すると何となく怖かった。でも、 あの世に行ったら、こんな観音様が待っていてくれると思うと、死ぬのが怖くなくなった。こんな絵を部屋に飾って、「仏さん、待っててね」と眺めながら死に臨めたらいいなと、ふと思った。

011(観自在)

012(観自在・部分)

010(菩薩・部分) 

○ この本、初心者にとって、とても良い絵画鑑賞の入門書である。私もこれで絵画の鑑賞力が少しは上がったように思う。

 著者は熱心に展覧会を巡り、多くの絵画を鑑賞してきた人。好きな絵は多い。絵画技術や絵画の歴史への理解が深い一方で、豊かな感受性を持っていて、絵の味わい方も深い。絵を存分に楽しんできた人と言えようか。自分も絵の鑑賞力がこれほどに深まったらすばらしいのだが。とても羨ましく思う。

 この本はそんな著者が豊富な知識を縦横に駆使して一枚一枚の絵を解説したものである。

 熊谷守一の「宵月」、「この澄みわたった絵に深々と湛えられている情感については多言を要しないだろう。晴れ渡った日が暮れて、ふとふり仰ぐと梢に冴え冴えと月が……。それをひとり見つづける宇宙的な浄福感。この絵を見ると、その感覚が居ながらにして味わえる。」

 香月泰男の「父と子」、「この世で親や子が幾度も幾度も無限に繰り返してきた情愛の仕草、これからも繰り返されるであろう仕草、それらが決して消え去ることのない人類の記憶として、ここに永遠に定着されているのだ、と言えば言い過ぎでしょうか。」

 というような文章を読みながら、絵の中に惹き込まれていった。

 また、この本のお陰で、雪舟の「秋冬山水図」にある中央の力強い垂直線、与謝蕪村「雲上仙人図」のユーモラスな童子、円山応挙「朝顔狗子図杉戸」のキャラクター化された可愛らしい子犬、渡辺崋山が愛した5歳の弟「五郎像」に描かれた「つらだましい」などを初めて鑑賞することができた。

 その他、ちょっと変わった絵だが、「徳川家康三方ヶ原戦役画像」や北斎の「月見る虎図」も面白かった。

 私は絵のことはほとんど分からない。有名な画家の展覧会や「自分がいいなと思った絵」の展覧会をときどき見に行く程度である。ただ、画家が有名かとか、絵の値段が高いかなどには関係なく、「自分が良いと思ったものが、自分にとっては最も良い絵なのだ」とは思っている。そんな中でこの本を読み、「絵とは何か」の理解が少しは進んで、いいなと感じる絵の範囲がやや広がったように思う。

009(熊谷守一。本に載っていた絵を写真に撮ったので色がかなり違っている。すいません)

008(香月康男)

「一枚の絵から 海外編」(高畑勲著・岩波書店・2009年11月27日発行)

 前記の本が良かったので図書館で借りて読んでみた。この本の「まえがき」にもあるとおり、小品が対象だが、12世紀・北宋・徽宗皇帝の「桃鳩図」、ジョットの「ユダの接吻」、レンブラントの「机の前のティトゥス」、ベルト・モリゾの「砂遊び」、クレー「蛾の踊り」などは、それぞれに面白かった。特にクレーの抽象画「蛾の踊り」には惹かれるものがあった。一方、アンドレイ・ルブリョフの「聖三位一体」、セザンヌの「赤いチョッキの少年」、ホドラーの「木を伐る人」、マティスの「ダンス」などは、解説を読んでもその絵の良さがよく分からなかった。特にセザンヌは他にもいくつか絵をみたことがあるが、その良さが分からない。絵を見る私の力はたいへん未熟なようである。

 「草原の風(上・中・下)」(宮城谷昌光著・中央公論新社)

 この著者の中国の歴史物は大好き。これは後漢を興した光武帝の物語。

 「花鳥の夢」(山本兼一著・文芸春秋・2013年4月25日発行)

 安土桃山時代に活躍した狩野永徳の物語。有名な「洛中洛外図屏風」や「安土城障壁画」(のちに焼失)を描くときの永徳の気迫、構想力、工夫、それに製作過程での迷いなどが伝わってきて惹き込まれた(2014・3・6)。

「黎明に起つ」(伊東潤著・NHK出版・2013年10月25日発行)

 時代物で最近読んだ作家には、中村彰彦(「われに千里の思いあり」・加賀藩三代の歴史)、火坂雅志、山本一力などがあるが、これも時代小説の一つ。北条早雲(伊勢新九郎)の一生を描いたもの。

「下町ロケット」

「脊梁山脈」(乙川優三郎著・新潮社・2013年4月20日発行)

 この著者には、江戸時代の女性の絵師や蒔絵師を描いた「冬の標」、「麗しき果実」などの著作がある。心惹かれた一冊である。前掲。

 この本は著者には珍しい現代小説。「どんな芸術を取り上げているのか、どう取り上げているのか」に興味を惹かれて図書館で予約。数人待ちをして、やっと読むことができた。軍人だった主人公が終戦で帰国。木形子(コケシ)を作る木地師の歴史を奈良時代に遡って探ることに生きがいを見つける物語。二人の女性との濃やかな関係も描かれている。

 これまで読んだ本は主人公の芸に懸ける一途な思いを描いたものだが、この本はこけしという芸の歴史を探る物語。細やかでいて、なにか力強さを感じる筋立てには惹かれたが、「芸への一途な思い」を読みたかった私にはちょっと期待はずれだった。「こけし」の好きな人はきっと気にいると思うので、一読をお勧めする。

 なお、私は職場の秋田支店に勤務していた頃の昭和43年、秋田の山中にある木地師の家で「こけし」を買ったことがある。そこは小安峡温泉からかなり車で入ったところにあり、周りには全く人家のない一軒家。買ったのは「木地山・小椋久太郎」の銘がある、高さ60cmのもので、今も家に飾ってある。木地師の家の鴨居には「山で木を伐採することを許す」とする昔の天皇の古びた免状が掛かっていたが、この本に出てくる雄勝郡皆瀬村・羽後木地山の「小椋康造」(陰の主人公とも言える人)と同一人物ではないかと思っている。

「画家たちの原風景-日曜美術館が問いかけたもの」(堀尾真紀子著・清流出版・2012年11月15日発行)

 著者は染色家、美術関係のエッセイスト。NHKの「日曜美術館」を2年間担当。1987年、この著書で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。本書は担当した画家のうち、神田日勝、長谷川潔、芹沢けい介、池田遙邨、三岸好太郎と節子、齋藤義重についてのエッセイである。私が少しだけでも知っているのは芹沢けい介のみ。

○神田日勝 日勝は北海道の開拓農家。自然は厳しく、生活は貧しい。農作業が終わったあと、つきあげる熱気、自分の内面を形にあらわさずにはいられない衝動に動かされながら、夜中に絵を描く。対象は皮をはがれた牛やごみ箱、一面に古新聞のはられた室内など、身の回りのもの。それらを克明に描く。物の本質を見極めようとして。

○長谷川潔 銅板画家。1918年、27歳で渡欧。「マニエール・ノワール」というフランスの古い銅版技術を復活させ、それを使ってフランス有数の版画家となる。「誰にも見られない野の枯れ草…、(そこには)世にも不思議な旋律があり…、宇宙のこの玄妙かつ純粋な律動の発見…、(これを描く)」という。黒一色のカチッとした絵である。89歳で亡くなるまで、フランス人の妻の病弱を案じて、日本に帰ることはなかった。

○池田遥邨:遥邨は旅が好き。旅こそ創作を生む泉とする。町から村へ、旅の中で感動した風景を…茫茫と広がる野っ原や田んぼなどを絵にする。絵の端っこには小さな野の花や狐やカラスなどの小動物がぽつねんと描かれる。絵にはユーモアがあり、豊かな詩情がある。もちろん、それだけの人ではない。関東大震災のあと、被災地を1ヶ月歩きまわって描いた絵などもある。

 これらを書きながら考えた。一つの絵について語るとき、何を中心に語ればよいのであろうか。「華やかで美しい」とか、「詩情豊か」という、絵を見たときに感じたものだろうか。それだけでは絵は伝えられない。絵の様式とか、画家の人柄も伝えれば、その絵の理解に役立つ。ところで、著者の堀尾氏はこれらの何に目を向けて解説を試みているのだろうか。掘り下げようとすると、絵の世界は深い。

「冬のデナリ」(西前四郎著・福音館書店・1996年11月30日発行)-2015年4月記

 著者は登山家。これは1967年2月、外国の登山仲間7名と著者が冬のマッキンリー(別名、デナリ)の初登頂に挑戦し、死者1名(クレバスに転落)という犠牲を出しながら、3名が山頂に達した物語である。

 六つ星の山仲間、堀沢さんに勧められて読んだ。私も実際に登っているので(ただし夏だが)、全編445頁のうち6割を占める登山の場面は一気に読み切った。

 私が登ったのは登山適期の6月。山頂付近の最低気温は零下30度。それに白夜のため、真夜中でも明るい中で行動することができた。また、多くの登山者が登っており、いざというときには助けてもらえるという安心感もあった。

 それと比較すると、冬のデナリの厳しさは想像を絶する。頂上付近の気温は零下50度、風速はときに秒速50mにも達する。この風では人間は吹き飛ばされ、歩くことはできない。また、体感温度は風速1mで更に1度下がるので、防寒着を着ていても、強風に身を晒していれば凍え死ぬ。一方、日照時間は7時間と短い。ときには真っ暗な中、懐中電灯を頼りにクレバスのひそむ氷河の上を歩かねばならない。しかも、入山しているのは自分達の隊のみ。

 この隊で頂上にアタックしたのは3人。そして、登頂を果たしのは日没後。暗闇の中、デナリパスの下り口(これを下り切ればアタックキャンプに辿り着ける)までは下山できたが、猛烈な風に遭遇し、動けずに岩陰に小さな雪洞を掘って避難。その後、7日間、風が収まらずに雪洞で停滞。好運にも、他の登山隊が夏に残していった食料と燃料油(水を作るのに必要)を見つけることができて生き延び、風が収まった後、ひどい凍傷を負った身で何とかアッタクキャンプに辿り着いた。

(以下、本文)

「あのねえ、ジロー。三人とも生きているよ。…」、 ジローのやつれた顔はしばらく空白なままジムに向かいあっていた。それから小柄な体がとび上がった。「生きてるって? 生きてる。おーい、ジョージ!……」。

 感激の一瞬を読んで私も感動。

 冬のデナリの第2登は15年後の1982年。第4登は1984年の植村直己さん、しかし、下山中に行方不明となった。

 死を賭して山に登る意味は? 登頂から28年後、隊員の一人は言った。「僕が冬のデナリを誇らしく思うのは、ぼくらがあの途方もない冒険を楽しんでいたということだ。… 最後の一週間で露呈した自分の失策に気を取られて、(それ)を今まで忘れていたんだ」、「批判や非難に気を取られて、…仲間が冒険を楽しんだ(その)精神のすばらしさを忘れたらまちがいだぞ」。

「史記-武帝記(1-7巻)」(北方謙三著・角川春樹事務所・2012年3月18日に第7巻発行)-2015年6月記

 中国・漢の第七代皇帝「武帝」(孝武帝)の生涯を描いたもの。一般に偉人の伝記は事績が中心であり、その人物の人柄や心の動きを追ったものは少ないが、この本は武帝とその他の登場人物の心理描写を中心に描いている。そこに惹かれて、久しぶりに全巻を一気に読み切った。

 「史記」は、武帝(在位・前141年-前87年)の時代に生きた司馬遷が書いた中国史であり、2000年以上前に在位したと言われる伝説の初代皇帝・黄帝から武帝の時代までを記録したもので、全130巻と膨大である。内訳は君主や王朝の業績を表した「本紀」12巻、諸侯や名家の記録である「世家」30巻、それ以外の個人の伝記「列伝」70巻などであり、「本紀」の最終巻に「孝武本紀」(武帝が対象)が置かれ、また「列伝」には司馬遷自身の伝記「太史公自序」もある。

 著者はこの中の「孝武本紀」に書かれた事績の積み重ねの中から、登場人物の人柄と心の動きを推測し、それをかなり克明に描いている。たとえば、老いて死を迎えようとする武帝の揺れ動く思いなどである。

 (本文より)

「俺は以前、天の子は死なぬと思いこみ、いろいろ言ったと思う。(…それぐらいの気概が帝たるものに必要だ、という思いで言った。)」「俺はいなくなるのがこわかった…」「老いたのだ、…。人は生き、人は死ぬ。当たり前のことが、今ようやく、当たり前のことになってきている。」

「偉大で、同時に愚かな帝だった。人の偉大さや愚かさを、並みはずれて多く、持って生れてきてしまったのだ。」

 ほぼ生涯を共にした臣下・桑弘洋を評価して「おまえは、漢の臣ではなく、俺の臣だったのだ。」など。

 これまで北方謙三の本は読んだことがなかったが、これからは読んでみたい作家の一人になった。

「春風伝」(葉室麟著・新潮社・2013年2月20日発行)-2015年8月記

 明治維新前夜に長州藩に生きた高杉晋作を描いたもの。著者は歴史文学賞(2004年)、松本清張賞(2007年)、直木賞(2012年)などを受賞した、時代小説では当代一と評される作家である。

 吉田松陰に師事し、松陰死後は上海に留学して、世界全体を見渡す大局観を身に付けた晋作は、幕末の混乱を乗り切るには「草莽決起」以外にないと考えて、「奇兵隊の創設」を唱え、ついに藩内でそれを実現する。「幕府も大名もまともに攘夷を考えず、権勢を争おうとしております。これでは困難に立ち向かえませぬゆえ、草莽が決起することによって幕府と大名をともに打ち、(真の)攘夷を果たそうと存じます」というのが高杉の思い。「草莽」とは百姓、町人など平民のことである。

 その後、晋作は徳川幕府尊重に傾いた藩政を刷新するために「草莽」を率いて決起し、藩政府軍を破って刷新を実現する。

 広い視野と決断と実行力、これが高杉晋作の大きな魅力である。

 これまでこの作家の著書を10冊以上読んだが、心惹かれるものはなかった。心に残ったのは今回の本書のみその理由は「主人公」が高杉晋作であったことにあり、これを読んで、すごい男・高杉晋作の実像に少しはせまれたような気がした。

 なお、葉室麟は当代一の時代小説の書き手と言われているが、私が好きな山本周五郎には及ばないように思う。その理由は、後記の山本周五郎著「虚空遍歴」を読んでいただければ分かるであろう。山本周五郎は葉室麟以上に主人公に肉薄し、人物像を深く掘り下げているように感じる。

 「蜩(ヒグラシ)の記」(葉室麟著・祥伝社・2011年11月10日発行)-2015年9月記

 これは直木賞受賞作である。前記「春風伝」の感想の中で、「作家・葉室麟は山本周五郎には及ばない」と書いたが、日本の代表的な作家をそう評してよいのか、間違っていないかと思い返して、著者の代表作をあらためて読み返してみた。

 これは、死を前にしても泰然自若として日常を静かに生きる武士の物語である。主人公・戸田秋谷は3年後に切腹をする定めだが、いささかも心が乱れることはない。弱い人間が多い世の中では世に稀な清廉潔白の強い人と言えよう。

 本書の主題はその姿を描くことにあるが、それを、「なぜ切腹を命じられたか」という謎解きと「米の不作による百姓一揆に対し、主人公がどう対応していくか」という二つの流れの中で描いている。

 「切腹を待つという特異な流れの中で主人公を描く」中で、秋谷の世に稀な人柄が浮き彫りになるが、そのあたり(筋立ての上手さと主人公の描き方)が受賞の大きな理由ではないかと思う。

 でも私にとっては夢中になって読めるほどではなかった。

 人にはそれぞれ好みがある。私が夢中になって読める本は、「虚空遍歴」(後掲)のように命がけで生きる迫真の生き様が見事に描かれているもの、「麗しき果実」(前掲)のように情景描写や心理描写が上手くて、心を打つもの(たとえば、「大きな樅のある丘まできて、彼女は太い幹に身をもたせた。そうしてたまに寄り道をしては張りつめた気持ちを解してやる。閉じ込めてひとには見せない心細さを吐き出してみる。…気のせいか凍えた胸が和らいでゆく。…」といった心惹かれる文章がある)などである。その他では、未知の歴史を知ることができるもの、筋立てがよく、謎解きが面白く、思わず次がどう展開するかに惹かれる探偵もの、なども面白い。未知の歴史を知るという本では、塩野七生の「ローマ人の物語」、宮城谷昌光の「天空の城」「夏姫春秋」などの中国の歴史ものがある。また、数十年前には歴史の面白さに惹かれて、「徳川家康・27巻」(山岡壮八著)を一気に読んだこともある。

 広大で奥が深い読書の世界。その中で読んだ本はほんのわずか。そんな私だが、「蜩の記」は私の好みからはちょと外れていたように思う

「うたの歳時記・第5巻-恋のうた 人生のうた」(大岡信著)
                       2016年に読む。

 以下の4首は平安中期の歌人・和泉式部の作。 恋に人生をかけた情熱の人であるが、人生の深みを見つめる、はっとするような歌もある。この本で和泉式部という歌人を初めて知った。

・黒髪の 乱れも知らず 打伏せば 先づ掻き遣りし 人ぞ恋しき
(解説:「先づ掻き遣りし 人ぞ恋しき」は、「いとしげにこの黒髪を撫でてくれたあの人が恋しい」の意)

・あらざらむ この世のほかの 思い出に いまひとたびの あふこともがな(百人一首)

・とことはに あはれあはれは 尽くすとも 心にかなうものか 命は(解説:「いとしい」という一言がほしいとあなたは言うが、かりにあわれを永久につくしてみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きをいやすことなどできるものでしょうか)

・もの思えば 沢の蛍もわが身より あくがれ出づる 魂(タマ)かとぞ見る

「額田女王(ヌカタノオオキミ)」(井上靖著)  2016年に読む。

 著者は「額田女王は天皇に仕える巫女であり、天智天皇とその弟・大海人皇子(のちの天武天皇)に愛された」と見て、この物語を描いた。

熟田津(ニギタヅ)に 船(フナ)乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(唐・新羅連合軍と戦うために<後の白村江の戦い>、朝廷軍が筑紫へ向かう途中、伊予の熟田津に立ち寄ったときに額田女王が詠った雄々しい出陣の歌) 

・あかねさす紫野行き(ユキ) 標野(シメノ)行き 野守は見ずや 君が袖振る   

                        (額田女王)

「西行」(白州正子著) 2016年に読む。

 著者は伯爵家令嬢として明治43年に生れ、平成10年に88歳で没した。能や古寺、骨董等への造詣が深く、「能面」(15回読売文学賞)、「かくれ里(近江の古い寺社の巡礼記)」(24回読売文学賞)など、関連の著作が多い。吉田茂首相の側近・白州次郎氏はその夫。数年前、白州夫妻を主人公にしたドラマがNHKで放映されたが、二人の強烈な個性が今も印象に残っている。

 この本は西行の足跡をたどりながら、その人柄と生き方への思いを語ったもの。西行は俗名・佐藤義清(ノリキヨ)。鳥羽院を守護する北面の武士であったが、23歳のときに出家。原因は鳥羽天皇の中宮・待賢門院へのかなわぬ恋にあるとの説もあるが、不明。高野山、伊勢などで長く草庵を結び、吉野、四国、東北を廻る。73歳没。自選の歌集として「山家集」(1560首)あり。花の歌、恋の歌、亡き人を思う歌、贈答の歌(親しい人との歌のやりとり)、旅の歌など。

・伏見過ぎぬ 岡の屋になほ 止まらじ 日野まで行きて 駒試みん(武者であった西行の若き日の歌)

・春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり(著者の好きな歌という。はるかかなたの、いにしえの世界へと心が誘われる)

・吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも そはずなりにき(在原業平も「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と詠んでいる)

・春ごとの 花に心を なぐさめて 六十路(ムソジ)あまりの 年を経にける

・願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃

・諸共に 我をも具して 散りね花 浮世をいとう 心ある身ぞ

・惑いきて 悟り得べくも なかりつる 心を知るは 心なりけり

・心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮(「見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮(定家)」と共に「三夕(サンセキ)の歌の一つ」)

・嘆けとて 月やは物をおもはする かこち顔なる わがなみだかな(百人一首)

 

「定家 明月記私抄」(堀田善衛著・新潮社・1986年2月20日発行)-2017.3.13記

 著者には「ゴヤ」や「ミシェル・城館の人」(モンテーニュの生き方を書いたもの)などの著作があり、昔、興味深く読んだことがある。今回、図書館でこの本を見つけて堀田善衛は「藤原定家」のことも書いているんだと興味を惹かれて借りてきたものである。

 藤原定家は鎌倉初期の人。「新古今集」の撰者。父は俊成。兄弟姉妹は27人。
「春の夜の 夢の浮橋 とだえして 嶺に別るゝ 横雲の空」
「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦のとま屋の 秋の夕暮」
等の歌あり。

 この本は、多くの煩雑な公家世界の行事に追われて疲労困憊する一方で、官位が低いために貧しかった家計のやりくりに追われる定家の日常を、当時の世相(京の町は荒廃。強盗が横行。隣家も襲われた)を交えながら描いたものである。
 定家の嘆きは多い。たとえば、
貧乏(雨漏りがひどいとか、着るものがなくて祭り見物に行けない、傘がこわれて雨の日は外出できない、必要にせまられ尻尾のない安い馬を買ったなど)や病苦(脚気、腰痛、胃痛など)、官位昇進の遅さ、荘園からの地代の少なさ、宮仕えでの煩雑な行事の多さなど。

 この本で平安末期から鎌倉初期の世の現実を初めて知った。中学時代に授業でこんなことを教えてもらっていたら、和歌の読み方がもっと変わっていたかもしれない。

「山本五十六」・「米内光政」・「井上茂美」(阿川弘之著) 
                     2017年に読む。

 それぞれ、第2次世界大戦中の海軍大将の伝記。昔、読んだ。日米戦争の経緯が分かり、また3人の人物像が面白かったので、読み返してみたもの。
 この3人は海軍の中で、大臣や次官を務めて政治に関与し、日米開戦に反対し、戦時中は早期の終戦と講和を画策した軍人である。
 ただし、彼らは戦争が悲惨であるが故にこれに反対した訳ではなく、アメリカの経済が強大であり、負けることが明白であるが故に反対したのである。その点では、彼らに限界があった。


 

<過去に読んで印象に残っている本>

 書物の数は膨大。私は書物という大海の中のほんの少しを読んだにすぎないが、昔読んで今も印象に残っているものをいくつか挙げてみたい。 

「銀の匙」(中勘助著)

 印象に残っている本の第一に挙げたい。数十年前に読んだ。内容はほとんど忘れたが、みずみずしい文章だったこと、幼児の頃、外に出るときは伯母さんに背負われてその背にしがみついて出かけたこと、それらを読んで自分の幼い頃を思い出し、とても懐かしかったことなどを覚えている。

 今回、読み返してみた。

 主人公は幼児なのに、私には及びもつかない、たいへん豊かな感受性を持っている。

「私ははじめて見る藁屋根や、破れた土壁や、ぎりぎり音のするはね釣瓶(深い井戸から水を汲み上げるもの)などがひどく気に入って」、「(大工さんが削る鉋屑を手にして)杉や檜の血の出そうなのをしゃぶれば舌や頬がひきしめられるような味がする。おが屑をふっくらと両手にすくってこぼすと指のまたのこそばゆいのもうれしい」、「(茶の木の)まるみをもった白い花弁がふっくらと黄色い蕊をかこんで暗緑のちぢれた葉のかげに咲く。それをすっぽりと鼻へおしつけてかぐのが癖だった」など、見るもの、触るものに興味を示して深く愛しむ。そんな物語である。

 小学校低学年の頃、お国さんやお恵ちゃん(原文は草かんむりがある「恵」)と友達になる。「ある晩私はひじかけ窓のところに並んで百日紅の葉ごしにさす月の光をあびながら歌をうたっていた。…『(月の光をあびて)こら、こんなにきれいにみえる』といってお恵ちゃんのまえへ腕を出した。『まあ』そういいながら恋人は袖をまくって『あたしだって』といってみせた。しなやかな腕が蝋石みたいにみえる」など、微笑ましい交流の様子も描かれる。

 この本は大正2年の著作。岩波文庫の初版は昭和10年。和辻哲郎が書いた解説には「この作品の価値を最初に認めたのは夏目漱石である」、「大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときものでもない。…それはまさしく子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は…見たことがない」とある。

 「虚空遍歴」(山本周五郎)

 数十年前に読み、主人公の中藤沖也という男の生き方にとても惹かれた。江戸時代、浄瑠璃という芸に魅せられて武士をやめ、新しいふし(沖也ぶし)を編み出すことに一生をかけた男の物語である。

 沖也は「およそ芸の世界に生きる者は、自分の感じたもの、苦しみや悲しみや悩みや、恋とか絶望、もちろんよろこびとかたのしさをも含めて、人間の本性に触れることがらをできるだけ正しく、できるだけ多くの人たちに訴えかけたい、ということが根本的な望みだろう」、「新しい本には新しい内容があり、その内容を活かすためには、浄瑠璃もその本に添って新しい<ふし>を作りだすのが当然だ」という信念を持ち、新しいふし作りに全身全霊を懸ける。

 一方、芝居役者の岩井半四郎は「芸事というのはもっとおおらかな、一口に云うと風流といった感じのものではないでしょうか……。私は、自分の芸をつくりあげるよりも、客がどう受取るかということをまず考えます…、こうやっては俗だと思っても…、要するにおおらかな、風流という気持でやっていく…」と言うのだが、沖也はそれを受け入れない。

 主人公は、ふしを完成させるために、新婚で身重の妻を江戸に置いて一人で旅に出る。貧しい農家に泊ったり、飲み屋を回って門付けをしたりして、庶民の生活を体感する中で、ふし付けにそれらを取り入れようとする。また、芝居が盛んな大阪や金沢を訪れ、新しいふし付けでの芝居に挑戦する。しかし、苦労に苦労を重ねても、納得できるふし回しにはなかなかたどり着けず、結局、それを完成させることなく、また、我が家に一度も帰ることなく、生まれた子供に会うこともなく、旅先で病を得て亡くなるのである。

 作者は、この生き方に肉付けをするために、おけい(男と女の関係を超越して沖也につくす女性)、濤石(絵を画くことに生涯を懸ける画家。納得できる絵が描けずに命を絶つ。周囲は彼の絵のすばらしさを認めていたのだが)、生田半二郎(友人)、盲目の芸人などの人物を登場させる。

 そして、それら登場人物に「そのもとにはおちつく場所はない、そのもとに限らず、人間の一生はみなそうだ、ここにいると思ってもじつはそこにいない、みんな自分のおちつく場所を捜しながら、一生遍歴をしてまわるだけだ」、「この道には師もなければ知己もない…、つきつめるところは自分一人なんだ、--誰の助力も、どんな支えも役には立たない、しんそこ自分ひとりなんだ、…」、「人間の一生で、死ぬときほど美しく荘厳なものはない。それはたぶん、その人間が完成する瞬間だからだろう。…それぞれの善悪、美醜をひっくるめた一個の人間として完成するのだ。…」などと語らせる。

 これらの筋立てと登場人物の言葉からは、「生きるとは何か」、「芸を極めるとは何か」を考え抜き、それを何とか小説で描き出そうとする作者の必死さが伝わってくる。そして、読み進めるうちに、小説作りに真正面から取り組む作者のこの気迫が、まさに、中藤沖也の芸に懸ける気迫とぴたりと一致するのを感じる。

 読み終わって、自分の生き方を振り返ってみた。

 私には一生を一つのことにかけるという生き方への憧れがたいへん強い。そんな本を読んでいるとどんどん引き込まれていく。ただし、それは小説の世界のことだけであって、自分がどう生きるかを真剣につきつめたことは一度もない。

 30歳を過ぎてから現在まで世の中を良くする政治運動に関わってきた。また、50歳代になってからは「視覚障害の方と一緒に登山を楽しむ会」(六つ星山の会)に入り事務を支える役割を担ってきた。しかし、前者は浅い関わりであり、後者は「事務の中心になる人がいないので、やむを得ず引き受けた」という面が強く、それに一生をかけるといった強い信念はなかった。

 私が生き方の中心の置いてきたのは、結局、現世のいろいろな楽しみ(登山や旅行、孫との遊びなど)を追うことであり、自分の利益中心の生き方だったように思う。

 でも、後悔はしていない。 

 「Yの悲劇」(エラリー・クイーン)

 大学生の頃だろうか。小学同級の親友・柿島君に勧められて読んだ、初めての探偵小説である。以降、探偵小説に夢中になり、外国の探偵小説をいくつも読んだ。それら海外の探偵小説を読むきっかけになったのがこの本である。

 「クリスマス・カロル」(ディケンズ)

  高校生の頃に原文(英語)で読んだ。英語が分かるという楽しさもあって、とても面白かった記憶がある。

 「ゴヤ」・「ミシェル・城館の人」(堀田善衛)

「ゴヤ」。スペインという国について、ゴヤという画家について、著者は何と博識なことか。洞察力の鋭さ、深さ。ゴヤの栄達へのあくなき執念、その希望は現代であれば叶えられずに終わったであろう。動乱に時代がゴヤという人を変え、あの絵を作らせた。

「ミシェル・城館の人」。宗教戦争で明け暮れた16世紀の時代にも、世の中を冷静に見つめ、その本質をとらえて書き残した人がいた。モンテーニュである。現代の本質とは何か、自分はそれをつかむ努力をしているであろうか---と、思わず自分を振りかえってみた。

 「孤高の人」「栄光の岩壁」「銀嶺の人」(新田次郎)

 山岳小説は沢山読んだが、この3冊はとても面白かった。海外旅行に出るときに持ち出し再読している。

 「空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」(ジョン・クラカワー著・文芸春秋出版・1997年10月10日発行)  

「草枕」「三四郎」「彼岸過迄」「行人」「こころ」(夏目漱石)

 30歳代の前半、転勤で4年間、秋田市内に住んだ。東京は毎日のように冬晴れが続いているのに、秋田の冬は吹雪の日が多く、休日が吹雪だと、外に出るのはたいへん。結局、家にいて本を読んだ。その時読んだのが夏目漱石であり、ほとんどの著作を読み切った。

 その後も漱石は何回か読み返している。2002年11月に読み返したときの感想文があるので、以下に記す。

『夏目漱石「行人」を読む。主人公の兄夫婦の、心の葛藤を主題としたものだが、それは別として、この文章には現代の小説にはない風味がある。泊った親戚の家での、そして、友人が入院した病院での、平凡な日常風景やそこでの心の動きがこまやかに描かれており、その中から明治の時代がほんのりと匂うのである。

 今の時代のあわただしさが思われる。あれもこれもと楽しみが多く、関心が次々と移ろう中、その分、人と人とのつきあいは薄くなり、生きていることへの思いも深まらない。明治の時代は平凡な日常を一つ一つ味わって生きていたのではないかと思う。(2002.11.23)』

 「北の海」(井上靖)

 マッキンリー登山には2冊の本を持っていった。「私の北壁」(今井通子)と「北の海」(井上靖)である。マッキンリーは真夏でも吹雪の日がかなりあり、そんな日は一日中テントの中で過ごさねばならない。そんなときに読むもので、単に退屈しのぎというだけでなく、面白くて、吹雪を忘れて夢中になれるような本を選んだ。

  「北の海」は柔道一筋のバンカラ学生の物語。戦前の金沢四高が出てくる。主人公の生き方は型破りで、豪快。同じテントの二人の仲間に遠慮をしながらも、思わずくすくすと笑ってしまい、夢中で読み終えた。

 「資本論」

 20歳代、就職したての頃だろうか。社会主義、共産主義に興味があって読んだものである。

  読んだのは行き帰りの電車の中。全巻を読み通したが、どれだけ理解できたかは疑問である。

 「科学的社会主義・上」(岡本博之監修・新日本出版社)

  内容は「科学的社会主義とは何か」「科学的社会主義の哲学」「経済学」の3課に分かれ、科学的社会主義を分かりやすく解説したものである。19世紀前半のサン・シモン、オーエン、フーリエの理想社会を目指す理論、ヘーゲルやフォイエルバッハの認識論や発展論、アダム・スミスやリカードの初期経済学、この三つの理論がマルクスとエンゲルスによって集大成されて科学的社会主義の理論が成立したという。弁証法や唯物論、史的唯物論といったものは、私にとって、それまで難解でよく分からなかったが、これで少し分かったような気がした。

 「青春漂流」(立花隆)

 「生き方の研究」(森本哲郎)

 「詩歌遍歴」(大岡信)

 「日本列島の誕生」(平朝彦)

 プレートテクトニクス論というものを初めて知った。地球の表面は常に動いている。海底や地表に裂け目があり、地球内部から高温のマグマ(溶岩)が噴出し、これに押されて海底と陸地が徐々に動いているというのである。昔、地球には一つの大陸しかなかったが、これが現在のように分裂したのも、また地震が起きるのも、これが原因なのだ。一つ、新しい新鮮な知識を得ることができた。

  「シベリア横断鉄道・赤い流星「ロシア号」の旅」(NHK取材班)

20数年前にハバロフスクからモムスクまでシベリア鉄道に乗ったが、そのとき、二人の女性車掌からこの本にサインをもらった。1988年5月4日、ロシア語で「ロシア号」「リュドミーラ」「マルガリータ」とある。ロシア文字でのサインは読みにくく、原文でそのサインを記すことができないのが残念。一つの車両に二人づつ乗っており、ティータイムにはいつもチャイ(紅茶)をサービスしてくれた。

 「ローマ人の物語」「海の都の物語」(塩野七生)

  「深川澪通り木戸番小屋」(北原亞以子)

  「ベルリン飛行司令」(佐々木譲)

 昔読んだ本で、今回、あらためてじっくりと読み返したものがいくつかある。これまで、こんなに時間をかけて本を読み返し、その感想を書いたという経験はない。読み返したあと、更に最初からページをめくって、気に入った箇所を選び出したりもした。こんな風に読み返してみるのも、なかなか良いものだ。

 孫の風ちゃん、爽太、リリーが読書好きになって、人生の楽しみの一つにしてほしいと切に願っている。

(付1・絵画鑑賞の楽しみ)

 ことしの年賀状に「 昨年は脚力がやや低下して、… 今後は(登山のウエイトは下げて)ウオーキングのほか、読書や絵の鑑賞をと思っています」と書いた。絵には興味を惹かれる。展覧会にもときどき行く。「いいな」と感じる絵にも幾つか出会った。青木大乗の野菜の図、小倉遊亀の紅梅・白梅の図などは買って手元に置きたかった。ミレイの「オフィーリア」(ロンドン・テート・ブリテン)、クリムトの「接吻」(ウイーン・オーストリア・ギャラリー)などは、見るために現地の美術館を訪れた。グレコ描く貴人の肖像画(マドリッド・プラド美術館)などには心惹かれた。最近訪れたのは版画家・川瀬巴水の回顧展(千葉市美術館)。

 絵を描くのも好き。ときどき描く。最近は絵に向ける時間がなくて、描いていないが、時間があれば描いてみたい。

002 (1964年に描く)

002_3 (槍ヶ岳・2000年)

009 (手賀沼・2011年)

 絵はまだよく分からない。ことしは絵の鑑賞を深めてみたい。絵の創作に命を懸けた画家もいるようだ。絵はそれほどに深い。「こんな楽しみを味わうことなく一生を終わるなんて、もったいない」との思いもある。

 最近は「画家を描いた小説」や「絵画の解説」の本に目を向け、いくつかを読んでいる。絵は目で見て鑑賞するものと言われているが、本の中で絵を鑑賞するのもなかなかよいもので、私には合った絵の鑑賞法だと思っている。もちろん、最後は本物の絵に会いたいが。

 なお、読んだ本は前記の「読書の楽しみ」に掲げた。

 

 (付2・音楽鑑賞の楽しみ)

 音楽の素養は全くないといえよう。クラシックについては、バレエの「白鳥の湖」を見に行ったり、家でベートーベンの「第五」や「第九」を聞いたぐらい。

 音楽を主に楽しんだのは、サンティアゴ巡礼や海外登山、シベリア鉄道などの旅先でのこと。巡礼宿の二段ベッドの中で、あるいは、吹雪で閉じ込められたマッキンリーのテントの中で、また、一日中、荒涼とした大陸を走るシベリア鉄道のデッキに立って景色を見ながら、・・・。とてもよかった。ときには涙があふれるほどだった。

 倍償千恵子、鮫島有美子の「若者たち」や「学生時代」を、列車内やアルベルゲのベッドで聞いていると、友情とか、恋についての青春時代の思い出が溢れてきて、疲れて乾いた心がみずみずしい感情に満たされた。「ふるさと」や「早春賦」もとてもよい。「ふるさと」はだれかさんと一緒に歌ってみたいとふと思う。また、「大黄河」(宗次郎)や「シルクロード」(キタロー)、「新世界紀行」(服部克久)を聞くと、地球の遥かかなたの、無人の原野をさまよう心地がして、自分が今どこにいるのかを忘れるほどだった。ショパンの「ノクターン」、チャイコフスキーの「白鳥の湖」も大好き。クラシックはまったくの素人で、よく分からないが、この二つは折にふれて聞いてきた。また、美空ひばりも聞いた。ひばりとは生れが同年。どの歌も好きだ。死の1年前の、伝説のワンマンショー「不死鳥コンサート」を思い出す。そのDVDは何度も見たが、彼女の「死に臨んでも歌い続けようとする、人生にかける覚悟」がひしひしと感じられ、心が惹き込まれた。そういえば、今は亡き妹と二人で学生時代に浅草国際劇場に「ひばりのワンマンショー」を見に行ったっけ。「港町十三番地」・・・。

 これらは、初めの頃は録音テープと録音機を持参し、その後はCD数枚とCDプレーヤーを持参して聞いていたが、サンティアゴ巡礼の「北の道」では初めてiPod」に録音し持参した。これは手のひらに乗るほどに小型で軽く、しかも多くの曲が録音できて、過去のものと比べるととても利用しやすかった。

 

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サンティアゴ巡礼「北の道」を目指して(準備編)

<サンティアゴ巡礼「北の道」を目指して(準備編)>

(特記事項)

2014年11月、当ブログに(実施編)として「北の道」を行く-4回目のサンティアゴ巡礼を掲載しました。合わせてお読みいただければ幸いです。 下線をクリックしてください。見ることができます。

(はじめに)

 4回目のサンティアゴ巡礼を計画。「スペインの海を見ながら、北の道(Camino del Norte)を歩くこと」が目的である。

 「北の道」はスペイン北部の海岸を Irun(イルン)からSebrayo、Gijon、Ribadeoを通ってサンテイアゴ大聖堂まで歩く817.5kmの巡礼路である。2012年の巡礼証明書発行総件数は19.7万人(発効要件は「大聖堂への最後の100kmを歩くこと」。自転車の場合は200km)。うち、 「フランス人の道」を歩いた人が13.6万人であるのに対し、「北の道」ほ1.3万人と少ない(「ポルトガル人の道」は2.6万人)。なお、この巡礼路沿いには「北の道」から途中で分かれ、Oviedo、Lugoを通ってサンテイアゴまで行く「Camino Primitivo」という道もある。

 行きたいと思う理由はいくつかある。

 ① 主要な巡礼路は12本あるが(別途「ポルトガル人の道」の記事で紹介したJohn Brierley著の本による)、このうち、メインの「フランス人の道」以外は、これを日本語で詳細に紹介した本やインターネットの紀行文がほとんど無くて、私が数年前にブログに書いた「ル・ピュイの道」と「ポルトガル人の道」が、今でも少しだが読まれており(最近の30日間で、ブログのこの項への訪問者数は「ル・ピュイの道」が約200人、「ポルトガル人の道」が約100人)、時折、「役に立った」というコメントをいただいている。いくつかを紹介しよう。

「スペイン・サンティアゴ巡礼の記録のサイト(ブログ)を読ませていただきました。大変有用な情報が沢山含まれていましたので、昨春、カミーノを歩く際に、ずいぶんと参考にさせていただきました。」(Hさん)

「この3月に歩く予定です。自分なりにいろいろ調べてきましたが、本当に役立つ情報が満載で、ありがたく拝読しています。」(Oさん)

「ルピュイルートについは、情報が少なく、貴日誌はとても参考になりました。」(Sさん)

「当初はサンジャンから出発する予定でしたが、貴方様のこのブログを今年の3月に読ませて頂き、ルピュイから歩くことを決意致しました。スペインの一か月とは違った意味でフランスの一か月は楽しく歩くことができました。特にLe Falzetのおばあさんの宿の食事は美味しかったです。」(Jさん)

「はじめまして。とても興味深く、楽しく拝読させていただきました。ずっとカミーノを歩きたい、歩きたいとの思いを温め気づくともう10年もたってしまいました。ハネムーンでカミーノを歩きたいと思っています。」(Tさん)

「2年前に友達と女子2人でカミーノを歩き(サリア〜サンティアゴという短い距離でしたが)是非今度は違う道程で、特に大好きなポルトガル〜サンティアゴ間を踏破したいと思っていたので、このブログに出会えたことは本当に幸運でした。」(Hさん

「田村さんのブログは、私にとって貴重なガイドブックです。…プリントして何度も読み返しております。」 (Kさん)

「また読み返しています。未知の土地への一人旅。躊躇する方が多いようですが、これを恐怖と感じてやめるか、おっしゃる通り、それを魅力と感じて楽しむかでしょうね。これがなければ、海外旅行なんて面白くないですよね。」(Cさん)など。 

 また、「読みいってしまいました!巡礼路お疲れ様です!感動しました… 来年わたしもいきます。巡礼路、今から資金つくりです!失礼ながらご質問ですが、…」(Mさん)というように、ご質問も幾つかいただいた。

「私のサンチャゴ巡礼の「師匠」と呼ばせてください。」(Hさん)と、冗談を言いながら、感想を書いてくれた方もいる。

 これらを見て、「別の巡礼路を歩いて、行く人の役に立つ記録を更に一つ、ブログに書き加えたい」と思うようになった。読んでくれる人がいること、役に立って喜ばれること、これは書く者にとってたいへん刺激になる。

  なお、私の旅行記が少しは読まれているのは、メインの「フランス人の道」以外は、これを日本語で詳細に紹介した本やインターネット上の紀行文がほとんど無いことにあるように思う。

 また、本やインターネットで見るサンティアゴ巡礼の記録のほとんどが日記形式であるのに対し、私は三つの巡礼路を比較しながら、道や宿についての巡礼路の特徴や観光地の見どころを一つにまとめて記載するほかに、泊った宿を具体的に写真によって紹介している(自分もそうだったが、初めて行かれる方にとって特に関心が強いのはこれらのこと思われるので)。私の記録が読まれているのは、そんな書き方にあるのかも……とも思っている

② ところで、実際に行けるかどうかにはいくつか問題がある。

 まず、今、妻が膝(ヒザ)を痛めて、なかなか治らず、これが来年まで続けば一人で長期の海外旅行には行きにくい。最近かなり良くなったようだが。

 また、巡礼はスペインが乾期に入り、しかも猛暑が避けられる6月が適期と思われるが、この時期は2014年も、日本語を学ぶために嫁のアンジェラと孫のリリーが来日するかもしれない。来日が決まれば家は空けられない。

 来年の秋に行くとか、再来年77歳になってから喜寿の記念に行くとかも考えられるが。

③ 行こうと思うと日常生活に張りが出てきて、心が活性化し、何事にも前向きになれる。また、行く準備として、週に1-2回は4-8時間のロング・ウオーキングや1500m前後の水泳を行い、体力維持にも心がけ、健康にも良い。

④ 年齢的に体力・脚力の衰えがあり、巡礼路を歩けるのは今年か来年までであろう。これまではなかったことだが、一日歩いた翌日は足の疲れが抜けない。また、足の親指と薬指の付け根がよく痛くなる。更に左膝の半月板が損傷。また、胃腸が弱いし(先日も胃カメラ検査)、悪玉コレステロールの数値も異常に高い。これだけ問題を抱えていると、いつ長距離歩行ができなくなるか分からない。このあと生きられるのはせいぜい10年か。「行っておけばよかった」と後悔はしたくない。

⑤ 4回の巡礼とマッキンリー登山の記録を1冊の本にまとめて、孫に残しておきたいと思っている。人生にはこんなに楽しいこともあるのだ。それは人生を前向きにし、また苦しくて落ち込むときにはそれを乗り切る力を与えてくれる。

 (準備に入る・2013年8月16日)

6月25日に来日した息子の嫁のアンジェラと孫のリリーが8月15日にNYに帰国してから2週間が経ち、時間的にも精神的にも余裕ができた。

 さあ、4回目のサンティアゴ巡礼の準備に入ろう。まずは体力作りだ。水泳とロング・ウオーキングの再開。水泳は週1回、50分、クロールで1500mを、ウオークはとりあえず、週1回、正味5時間、20kmを目指す。来年の本番までに、8時間で25-30kmを毎日続けて歩けるだけの脚力をつけておきたい。今は20kmでもきつい。歳をとって、体力、脚力が衰えたことが原因のようだ。3回目の巡礼では何とかこれらをクリアーしたのだが。

 (久しぶりに取手-成田を歩く・9月7日)

 久しぶりに取手(戸田井橋)-布佐-房総風土記の丘-成田山新勝寺-成田駅をロング・ウオーキング。5-10分程度の休憩を4-5回入れて6時間45分で歩いた。

 最近は4-5時間歩くと疲れてしまい、歩くのが嫌になっていたが、今回は最後の1時間もそれほど疲れずに歩けた。ただ、「足の調子が戻ってきた」と嬉しくて、つい調子に乗り、後半の数時間を休憩なしで歩いたために、右足の親指の付け根を痛めてしまった。もう歳だ。無理をすると足腰に今までに経験したことがないような問題が起こる。歩くときは調子に乗らないこと、油断しないことを心がけよう。

 (サンティアゴ巡礼に行く会を結成)

 8月の始め、Aさん、Mさん、宮本さんと私の4名が集まって新橋のスペイン料理店で会食をした。私はまだ行けるか未定であるが、来年、サンティアゴ巡礼に行く会の結成式だ。

 いずれも視覚障害者登山団体「六つ星山の会」の会員。宮本さんは全盲、赤石岳(4人で)や栂海新道(3人で)を縦走した仲間だ。Aさんは60歳代の女性、胃癌のため数年前に胃の全摘出手術を受けたが、今は元気一杯で登山を楽しみ、昨年はサンティアゴ巡礼やキリマンジャロ登山にも成功した方である。その前向きの姿勢はすばらしい。Mさんは六つ星の山行で仙塩尾根から塩見岳を越えたときにご一緒した、快活でたくましい山男。

 その後、晴眼・女性の I さんが加わった。

(サンテイアゴ友の会の写真展に応募・11月)

 「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会創立5周年記念写真展」(モンベル渋谷店にて。2013年11月20-26日)に「巡礼路の子供たち」と題した写真を出展。

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(「北の道」の巡礼に行く仲間5人と秩父札所18ヶ所を巡る・11月26-27日)

 巡礼路をほぼ「北の道」に決し、晩秋、晴天の秩父路を歩いた。

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(前方に武甲山)

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(六地蔵)

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(羊山公園)

(巡礼に行く仲間と取手駅-成田山を歩く・12月25日)

 Mさん、Iさんと3人でロング・ウオーキング。取手駅7時20分スタート。利根町「徳満寺」(江戸時代、利根川の水上交通で栄えたところ)、布佐、若草橋、房総風土記の丘などを通って成田山新勝寺に17時20分着。

 (脚力作り・秋のウオーキングと水泳)

 記憶にある範囲で記録しておこう(敬称略)。

 8月27日 取手-守谷往復・5時間。9月5日 北千住・水泳1000m(孫の風ちゃんと)。7日 取手戸田井-成田・6時間45分。8日 六つ星サポート講習会・相模嵐山。10日 高田馬場・水泳1500m。12日 北千住・水泳1000m(風ちゃんと)。14日 妙義山の中腹歩き(日渡、松本克彦、上手の各氏と)。18日 松戸-下総中山の法華経寺と東山魁夷記念館。19日 北千住・水泳500m(風ちゃんと)。21日 取手戸田井-下総松崎駅(風土記の丘一周)・7時間。23日 取手-柏・あけぼの山公園(あおぞら診療所歩こう会)・4時間。25日 高田馬場・水泳1500m。27日 取手・水泳1500m。28日 関東鉄道・水海道駅-一言主神社-菅生沼-小絹駅・4時間30分。10月2日 取手・水泳1500m。3日 北千住・水泳500m(風ちゃんと)。4日 取手・水泳1000m。9日 取手戸田井-下総松崎駅(安食の寺見物、風土記の丘一周)・7時間。14日 取手戸田井-小林駅-印旛沼-甚平渡し-成田ニュータウン・8時間15分。16日 北千住・水泳1000m(風ちゃんと)。17日 小絹駅-守谷市内-芽吹大橋-東武野田線の愛宕駅・5時間30分。21日 戸頭駅-東武野田線の野田駅・5時間30分。30日 戸頭駅-柏・花野井(吉田家住宅)-柏駅・4時間。31日 柏駅-増尾-柏駅・4時間。11月1日 南柏駅-松戸駅・3時間。2日 牛久沼散策(あおぞら診療所歩こう会)・4時間。7日 取手-藤代往復・4時間。8日 北千住・水泳500m(風ちゃんと)。東京ハイキング協会の東ハイ祭に六つ星の仲間24名と参加・4時間のウオーク(喜多見-世田谷・砧公園)。14日 北千住・水泳800m(風ちゃんと)。取手-運河駅(江戸川にも足を伸す)・6時間。24日 森林公園散策(六つ星・43名)。26-27日 秩父札所巡り(サンテイアゴに行く仲間5人と。2日で1-18番札所。30km。)

 (脚力作り・年末・年始のウオーキングと水泳)

 12月8日、六つ星・忘年山行・鐘撞堂山・羅漢山ほか(66名)。23日、取手・戸田井橋-成田山。25日、上記取手駅-成田山、10時間(前記)。

 2014年1月5日、妻と取手市営プール、水泳1500m。6日、友人の尾幡と昼食後、代々木公園-明治神宮-高田馬場を歩き、夕方、六つ星役員会へ。7日、宮本さん、上手さんと新江戸川公園、椿山荘等散策、14時-17時。日、妻と取手市営プール、水泳2000m。12日、川越散策10:00-15:00(六つ星)。13日、9:40、取手・戸田井橋スタート、成田山、16:00着。16日、水泳1000m(風ちゃんと)。20日、宮本さん、上手さんと新宿駅-明治神宮-渋谷-駒場公園-渋谷、12時-16時。22日、取手-新松戸、10時30分-16時。25日、あおぞら診療所「歩こう会」、浅草七福神、10-14時。26日、北鎌倉-江ノ島-藤沢(サンテイアゴに行く仲間5人と)、8時20分-16時。

006_2 (鎌倉-江ノ島ウオーク)

2014年2月)

 8日、大雪。翌日、雪かき。12日、ウオーキング・シューズ購入。17日、パリへの航空券(5/30成田発)購入。ウオークは三郷駅-葛西臨海公園駅(7時間強)ほか、4-5時間の歩きを10回ほど。地下足袋も試した。

(「北の道」の資料を集める)

1.インターネットを通じて「北の道」を歩いた記録を見つけた。

  http://blog.goo.ne.jp/yubon_2011/e/8517a1b5f5b8fad19a6018c6b9c7e54f

.「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」の山本さんが2013年6-7月に「北の道」を歩いており、彼が書いた下記の記録を教えていただいた。山本さんは友の会の5周年記念写真展に私が応募した際にお世話になった方である。

 Camino de Santiago サンティアゴ巡礼路の記録 - Biglobe

  http://www7b.biglobe.ne.jp/~akutare/ 

「ピアモンテの道、フランス人の道、フィステーラの道、Via de laPlataCamino del Norte、北の道、銀の道及びCamino Sanabresを歩いた記録.」である。 

3.インターネットを通じて、書籍販売店「アマゾン」から「北の道」のスペイン語版・案内書を購入。3,395円。詳しい地図が掲載されているが、351ページで厚さ2cmと重いのが難点。ただし、地図は別冊で添付されているので、それだけを持参すれば軽くて済む。

 Guia del Camino Norte de Santiago para peregrinos / Guide to Santiago's Northern Route for Pilgrims  著者 Anton Pombo (2010/5/30) 

  もう一つは英語版。これも318頁と厚くて重い。2285円。なお、地図は各頁にあり、別冊での地図の添付はない。

The Northern Caminos: Norte, Primitivo and Ingles (Cicerone Pilgrim Route Guides) 著者 Dave WhitsonLaura Perazzoli (2013/4/30)

(ウオーキング・シューズを買うが、型の選択に失敗したようだ)

 2月12日、宮本さんと池袋で会い、西武百貨店でロング・ウオーク用の靴を買う。アシックス製、ミズノ製等いろいろと出してもらい、1時間ほど、説明を聞きながら試し履きをして、結局、これまでの巡礼で毎回履いていたアシックス製をやめ、アサヒ製の靴を購入。また、型も大きすぎると言われて、25.5から25.0に変更。

 しかし、この選択は失敗だった。靴を慣らすために、購入後10日間ほど、ほぼ毎日2-4時間位、この靴を履いて歩いてみたが、1時間も歩くと左足の薬指の付け根の筋肉が痛くなり、痛みを我慢して歩くととても疲れた。これでは長く歩くことはできない。この10年間、この部分がときどき痛んだが、これほどに痛んだことはない。歳のせいで足が弱ったこともあろうが、靴のせいでもあるようだ。5本指の靴下を履いた上で、指の下にガーゼや綿を入れたり、カットバンをはったりして歩いてみたが、痛みは収まらない。新しい靴は2.2万円と高かったが放棄せざるをえないようだ。

800kmを歩き通せるか-今回一番の問題は足裏の痛み。2014・2・24)

 行くに当たって問題となるのは、道が分かるか、宿が見つかるか、言葉が分かるか、シュラフや上着、下着、薬、通信機器等の持ち物をどうするかなどであるが、今回一番の問題は前記の「足裏の痛み」。

 新しい靴は放棄するとして今回はどんな靴を履いていくか。

 1月初め、「ポルトガルで使い、履き古したアシックス製の靴(25.5型)」を履いて、三郷駅-葛西臨海公園駅を時速4kmで7時間30分歩いたときは、最後の頃に左薬指の付け根がとても痛んだが、一方、12月末に時速3kmで10時間、ゆっくりと取手駅-成田駅を歩いたときはそれほど痛まなかった。前3回の巡礼ではそれほど傷まず、時折痛んだ時は、ガーゼを足裏に敷いたりして痛みを和らげ何とか歩き通すことができたが、今回は大丈夫だろうか。ゆっくり歩けば何とか持ちそうな感じもするが。

 まず、靴だが、上記の擦り切れた靴を履いていくのは一つの方法。あるいは同型の新しい靴を買おうか。その他、地下足袋なども試してみよう。

 一方、痛みが出ないように、中敷きを入れたり、足指に力を入れないように歩いたり、更に、巡礼者用の杖を利用するなども検討してみよう。また、整形外科やウオーキングの団体などに「痛みの原因と治す方法」も聞いてみよう。

 5月30日発の航空券は手配した。ここまで来たのだから、とにかく、「足裏対策」に集中して取り組んでみよう。と言って冷静な判断力を失わないこと。駄目なら行くのを止めればよい。行っても、気楽に楽しむこととし、全行程を歩き通すことには固執しないようにしよう。

(挑戦する気持は抑えて)

 海外登山でも、サンテイアゴ巡礼でも、これまでは「挑戦する気持」を胸に秘め、山頂を極めること、全コースを歩きぬくことを第一に置いて頑張ってきたが、今回は上記のように76歳で足が衰えたこともあり、場合によっては100km位は電車で行こうかと気楽に考えることにした。「挑戦する」より「楽しむ」ことを第一にと気持を切り替えたのである。「挑戦する気持」を二番に下げてサンテイアゴ巡礼に臨むのは初めてのことである。

(地下足袋で歩けば足は傷まない-靴と地下足袋を交互に履くこととしよう)

 (3月2日(日)、スポーツ障害相談へ)

 よく泳ぎに行く取手市スポーツセンターにて毎週・日曜9:00-12:00、30分間500円で、専門家の先生による「スポーツ障害相談」が行われている。案内には「現在、スポーツや運動のやりすぎで、肩、肘、腰、膝等の関節痛や筋肉痛で悩んでいる方、また、運動不足で腰や膝に負担がきている方が多く、それらの悩みを解消するためにスポーツ障害相談を開設しています。」とある。

  3月2日、予約をしてこの相談に出かけ、担当の大内先生から下記の貴重な助言を頂いた。

・使い古した右靴の裏の外側がすり減っている。右足裏の薬指の付け根の「痛みの原因」は、足裏への「体重のかけ方が右に偏っていること」にある。

・体重を足裏中央にかけるようにすれば治る。それには立ったままで、ボールか座布団を両膝で強くはさむというトレーニング(1回10秒を連続して3-5回)を毎日1回から数回、行うのがよい。最低3ヶ月行えば矯正できる。

・薬指内側が痛み始めた場合は、「SORUBO製の中敷き(ただし、中央やや前にクッションが横に入ったバンドエイドタイプ・パッチタイプ)」を使用するとよい。

・地下足袋は指が広がり足裏が痛みにくいが、逆に足腰を痛めやすい。要注意。踵とつま先用の地下足袋の中敷き(SORUBO製)があるので利用するとよい。

・最近は日本の靴メーカーは日本人に合った靴(指が広がるもの)の開発を進めている。アシックスは日本製。

  原因が分かった、治し方も分かった。ありがたい。このトレーニングを続けていこう。

(3月7日・佐原・香取ウオーク)

 JR成田線滑河駅に「サンテイアゴに行く仲間5人」が集合。8時45分スタート。利根川堤を佐原へ。佐原「道の駅」でお雑煮を食べた後、旧市内見物。更に香取神社を経てJR香取駅、17時着。019 (利根川堤)

033(佐原・旧市街)

039(香取神社)

(妻の膝痛を治すために)

・妻の膝痛については、一年間医者に通ってきたが、痛みが収まることはなく、完治するかも不明のままで時間が過ぎた。また、私も妻に同行し医者に行くことはしなかったので、現状の把握が充分でない。このまま長期間、留守にするのは心配。そこで、この一ヶ月間は、妻に同行し、膝痛を治す方法を一緒に追求してみた。

我が家の2階への階段に「手すり」を取り付けた。

・初めて妻に付き添い、かかりつけの病院へ。膝痛の原因と治し方を詳しく聞いたが、要領を得なかった。これまで1年通い、痛み止めの薬を飲むほか、マッサージを受けてきたのだが、このままでは治りそうもない。医者に聞くと、これまでの方法のはかに治す方法は見つからないとのこと。手術で治す可能性を聞いたが、その病院では手術は扱っていないので分からないとのこと。その場で医師に紹介状を書いてもらい、翌日、手術可能な別の病院へ。ここでは手術は可能の由。ただし、それは最後の手段とし、これまで撮っていなかったMIRも撮って、マッサージ等を続けながら、今しばらく様子を見ることとした。

・介護保険の認定を市役所に申請。マッサージを家で受けられるなど利点があるという。

・妻は、NHKテレビの健康番組の中で医者が「膝関節症を治すには、痛くならない程度の足の運動が大事。運動が治す手段の主役であり、薬はそれを側面から助けるもの」と語るのを見て、水中ウオークに積極的に取り組むようになった。4月12日、27日、5月5日、9日などに水中ウオークに同行。ウオーク直後は少し足が軽くなると言う。なお、妻は取手スポーツセンターの水中ウオーク教室にも申込みを行った(毎週土曜50分)。

(娘と初めてのロング・ウォーク)

 同居している長女と二人でロング・ウオーク。今まで二人だけでのウオークは経験なし。生まれて初めての経験である。

 彼女は小さい時から人との関係を上手に築くことができず、今もって友達が一人もいない。英検3級や運転免許の取得、アメリカのディズニーランド、スペイン、エジプト、トルコ等のツアー旅行への単独参加など、力はあるのだが、それらは一時的な楽しみにとどまり、今は趣味がほとんどない。外を散歩する位で、昼でもベットに寝転んでいることが多い。

 私達は、彼女をどう育てるか、小さい頃からいろいろな所に相談をしてきたが、確信が持てる回答は得られなかった。そんな中で、私はしつけは大事と考え、人への対応や家での態度について、小さい時から彼女に注意をすることがよくあった。しかし、これが原因で私への拒否反応が強くなって彼女に嫌われてしまい、これまで40年近く、外出するときはいつも「お父さんが行くなら、行かない」と言われ、また、食事のときも私のそばに決して座ろうとしないという関係が続いてきた。

 ただ、私も最近は10年以上、注意をすること、批判をすることを一切しないように心掛けてきた。それがやっと実ったのかもしれない。突然、数日前「お父さん、一緒に散歩に行かない」と言われたのである。

 急なことでびっくりしたが、希望通り、いくつかのウオークに付き合った。

 以下、長女とウオーク。4月19日、御茶ノ水(昼食後)14時-銀座-新橋17時。20日、取手・戸田井橋11時-(利根川沿い)-安食16時(昼食)。23日、戸田井橋10時30分-木下ー小林-安食17時(昼食)。25日、布佐11時30分-若草大橋-成田駅18時30分。26日、自宅9時30分-守谷の運動公園14時30分(昼食)。29日、自宅14時30分-藤代駅17時。5月3日、次女一家(夫婦と孫二人)と長女と高麗の日和田山・物見山登山。16日、横山町問屋街散策。17日、戸田井橋10時30分-下総松崎18時。20日、妻、優子、次女と表参道で誕生祝いの食事(6月、長女、次女、誕生日)。24日、池袋・サンシャインシティ-我が家のお墓-私の生まれた所・新宿西五軒町-飯田橋を二人で散策。

 これからは仲良くなれそうな気がする。ウオーキングが始まって、彼女は生き生きしてきた。家事の手伝いにも前向きに取り組むようになった。彼女がどう変わるかが楽しみである。ウオークに付き合いながらじっくりと見守っていきたい。 

(サンティアゴに行く「チーム・カミーノ」の5人の仲間と)

3月25日 原宿8時-明治神宮-外苑-皇居-神田明神-東大・喫茶-六義園-古河庭園前(閉門後到着)-駒込。

4月15日 手賀沼一周・7時30分集合。将門神社、旧手賀教会等。 

4月28日 東海道ウオーク。日本橋7時-旧品川宿-川崎大師16時。

5月12日 新宿7時30分-表参道-(渋谷川に沿って)-麻布-芝公園-門前仲町(深川不動)-両国16時30分。

(息子がiPodを送ってくれた)

 これまでスマートフォンなどの電子機器には全く触れたことがなかった。未知の世界である。

 小さい機器に大量の音楽を録音し旅に持参できると聞いて、NYに住む息子に頼んだところ、「iPod」を購入し、私の好きな曲をCDから約100曲録音してくれて送ってくれた。「大黄河(宗次郎)」「新世界紀行(服部克久)」「ショパン」「倍賞千恵子」「美空ひばり」などである。これが飛行機内や宿屋で聞けるようになり、旅の楽しみが一つ増えた。これまでも、ときどき、海外にCDプレヤーとCD数枚を持参したことがあるが、重いのが難点だった。

 合わせて海外で自宅とのテレビ電話やメール送信が可能となり(ただしwi-fiがつながる場所でしか使用できない。スペインの宿にはあるというが)、これまでのように空港で携帯電話を借りて行く必要はなくなった。

(一回目のサンチャゴ巡礼のフィルムのほか、マキンリー登山や国内の登山などの写真をDVDに入力)

 依頼先:(株)フォトバンク 大阪ラボ「節目写真館」

 対象品目:36枚ネガフィルム28本(11,760円)、アルバム4冊(9,920円)ほか。

(持ち物の点検・5月20日)

 細かいものも含め、書き出して、未入手のものの入手に着手。

 レインウエア、長ズボン1枚、半ズボン1枚、Tシャツ2枚(半袖シャツ兼用)、長袖シャツ1枚、フリース1枚、パンツ2枚、5本指靴下4足、軍手1組、地下足袋、ビニール敷物、インナーシュラフ、スリッパ、ツェルト、ストック、荷物の小分け袋(機内持込み用のバックを含む)。 

 デジタルカメラ、海中電灯、交換用の電球 予備懐中電灯(100円)、単三電池6本(カメラ用、海中電灯用)、カメラ用SDカード予備、I Pod、イヤホーン、充電器、200Vアダプター、腕時計、メガネ。 

 帽子、水泳パンツ、タオル2枚、カミソリ、石鹸、お守り(娘が作ってくれたものと二人の孫のお手製のもの)、テッシュ数個、トイレットペーパー1ヶ、歯ブラシ、練歯みがき、薬(胃薬、下痢止、かぜ薬、コレステロール用の薬、疲労回復剤)、リップクリーム、カットバン(足まめに適したジョンソン社製を含む)、つめ切り、耳かき、インスタントの乾燥ごはん2袋。 

 パスポート、パスポートのコピー2枚、パスポート紛失時に新パスポート作成用写真4枚、航空券の引換証(忘れやすい)、海外保険証(忘れやすい)、現金、財布、クレジットカード、キャシュカード、名刺、メモ用手帳。 

 スペイン語の辞書、地図、コースの説明文(行った人が書いた毎日のコースの説明文、インターネットよりコピー)、必要と思われる日本の電話番号、日本の絵葉書10枚(現地でのお礼用)、文庫本(機内での読書用、新田次郎「栄光の岩壁」ほか)。

 荷の重さを計ってみた。これだけで9kgを越える。更に、毎日必要な飲み物と食品(500mlのペットボトルの水・2本、朝食・昼食用のパンとバナナ2本、リンゴ2ヶ、トマト1ヶなど)が加われば11kgは越えるだろう。高齢の身にはこれでは重すぎる。荷が重くて歩けなくなったということでは行った意味がない。中身を再検討しどれかを捨てよう。また、別に、荷の負担を軽減する方法がある。主な荷を宿や駅に数日間預け、荷を軽くして前に進むというやり方である。ポルトガルで試みた。荷はその期間歩いた後で、電車やバスで取りに戻るのであるこれを心がけよう。幸い、近くを電車が走るコースが多い。

(名刺を作り、また、家に置いておく地図を作る。5月26日)

 名刺はこれまでも作った。A4版。20枚。名前と年齢、家族の写真などを入れた。今回は富士山や槍ヶ岳の写真、日本の春と秋の美しい写真も入れて、少しだけ日本の良さをPRすることにした。巡礼路で親しくなった方やお世話になった方に渡す。相手と片言で話すときの話題作りにもなる。

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 妻に「どこまで歩いたか分かるように地図を作っておいてほしい」と言われて、歩程図を作り壁に貼った。

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 自分の登山と旅を本にまとめるための準備に入る)

 1.表題は?

  『中高年の夢「サンティアゴ巡礼とマッキンリー登山」』でよいか。

 2.目次(案)

 ○ はじめに

 孫に伝えたい。人生の楽しさ、苦しさ。

風奈、爽太、リリーへ。 何か、一生楽しめる趣味を見つけよう。心の琴線に触れるようなものが、「これだ!これをやりたい!」というものが、きっと見つかるはず。」

 Ⅰ.私の登山および旅行記

1.3回のサンティアゴ巡礼-2100kmを歩く。

1)フランス人の道(スペイン)

2)ル・ピュイの道(フランス)

3)ポルトガル人の道(ポルトガル)

4)北の道(スペイン)

3.マッキンリー・アコンカグア登山記ほか

 1)マッキンリー登頂記

 2)アコンカグア登山記

 3)キリマンジャロ登頂記

 3.国内の山への挑戦-いくつかの事例

 Ⅱ.私の山歴

 1.山への思い

 2.山に夢中になったのは40歳の頃から

 3.日本百名山は98座まで

 4.自宅の取手から日本海まで・山々を越えて

 5.登った山・一覧

 Ⅲ.六つ星山の会・視覚障害者登山

 Ⅳ.プロフィール(この項は別冊とし外部には出さない?)

 1.生い立ち

 1)幼少年期

 2)10代・20代の私を育ててくれたもの(2013年1月19日)

 3)「覚え書」から

 2.山のほか、趣味は読書と囲碁

 1)読書

 2)囲碁

 3)銭湯など

 山一人で行くのは、自分のためであり、人のためではない。また、自分のためと言っても、衣食住を手に入れるためではない。素人のスポ-ツは全て、そうであろう。しかも人間は、それをやり遂げたときに、涙を流すほどに感動する。また、それをみた人間も感動で胸を震わす。オリンピックでの優勝などはその最たるものであろう
 大昔の、人が生きるために必死だった時代には、人間もこのようなことをしなかったのではないだろうか。今は、仲間を守るためでもないし、衣食住を得るためでもない--ある意味では無益な行為に、人は敢えて挑戦する。ときには命を懸けて。
 人間社会が生み出してきた文化というものの意味がここにはあるように思う。衣食住が満ち足りたとき、人が求めるものは? なぜ求めるか? スポ-ツ、絵画、詩歌、音楽などに共通するのは、何かすばらしいことをやり遂げる喜び、それを鑑賞する喜びである。
 それに参加しない者にも、観戦し、鑑賞するという楽しみがある。また、絵画、詩歌、音楽には、物事の意味を解釈し深めるという楽しみもある。人間は生きることを充実させるために、これらを行う。 

 それは人間だけの特権だ。ほかの動物にも、たとえば、鳥が大空を舞うのを楽しむように、運動を「楽しむ」という習性はあると思われるが、それに「全力で挑戦する」ことはないであろう。

 こんな楽しみを味わうことなく一生を終わるなんて、もったいない。

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