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2014年11月

「北の道」を行く-4回目のサンティアゴ巡礼

   「北の道」を行く-4回目のサンティアゴ巡礼-

                                                              2014年5月30日-7月15日

Ⅰ.序

(写真による概要紹介) 

1646

上 San Esteban de Pravia
772

上 Popenaを過ぎて

1053上 Santanderへ、廻り道
1231

上 Comillas

150

上 San Sebastian(スペイン有数の夏の保養地。美食のまち) 

080001

上 Pasai Donibane(渡し船で対岸へ)

1367

804_2

                上 Castro Urdiales.下 Somo(サンタンデルへ)

1076_2

(参考「私のブログの記事一覧」)

 私のブログの記事は、大きく分類すれば、①4回のサンティアゴ巡礼(フランス人の道、ル・ピュイの道、ポルトガル人の道、北の道)、②マッキンリー、アコンカグア、キリマンジャロ等の海外登山記、③山への挑戦、視覚障害者登山、山への思い、百名山等の国内登山記、④「読書の楽しみ」、「毎日、無事平穏」等の日常の思い、⑤シベリア鉄道等の海外旅行記の5つである。記事の一覧は下記をクリックするとみることができます。

 ブログ・私の登山および旅行記・記事一覧

<はじめに>

○2014年夏・76歳・「北の道」を行く。

 76歳の2014年夏(5月30日-7月15日)、スペインの海を見ながら歩きたくて、4回目のサンティアゴ巡礼に出かけた。これには、巡礼路についてのナマの情報をもう一本、ブログに書いて、これから行く方々の参考に供したいという思いもあった。歩いたのは北スペインの海岸沿いを行く「北の道」(イルン-ヒホン)とそれに続く「カミーノ・デ・ラ・コスタ(海岸の道)」(アビレス-リバデオ-バーモンデ-サンティアゴ)。全行程は820km。今回歩いたのは、そのうちの600kmである。

 前3回については、このブログに掲載した下記を参照されたい(これらの報告を見るには下線部分をクリックしてください。表示されない場合は、下線部分をコピーし、インターネットに入力すれば見ることができます)。

・2003年「スペイン・サンチャゴ巡礼の旅 NO1 」(現在は「初めてのサンティアゴ巡礼 -「フランス人の道」・800kmを歩く-」と改題している)
・2009年「サンティアゴ巡礼・フランス編(ル・ピュイの道)
・2012年「ポルトガル人の道」を歩いて-3回目のサンティアゴ巡礼

また、今回の行くまでの経緯については下記を参照されたい。

サンティアゴ巡礼「北の道」を目指して(準備編)

 なお、今回は写真を多用した。この報告で重点を置いた断崖や浜辺などの海の風景のすばらしさを伝えるには、写真が最適と思ったからである。

<4回の巡礼を振り返って>

 まずは、4つの巡礼路を歩き終えたところで、改めて巡礼の魅力をまとめ、更に4つを比較しながら、それぞれの道の特徴を記してみたい。

Ⅰ.サンティアゴ巡礼とは

  エルサレムへの巡礼、ローマへの巡礼と並ぶ中世キリスト教の3大巡礼路の一つであり、最盛期の12世紀には年間50-100万人の人がヨーロッパ各地から、スペイン西北端の町「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」にある大聖堂を訪れたという。今でも、スペイン、フランス、ポルトガルなどのヨーロッパ諸国に、畑や森を抜け、村や町をめぐる中世の巡礼路がそのままに残っており、聖ヤコブの墓があるサンティアゴ大聖堂を目指してこの道をたどる巡礼者の数は多く、また、年々その数が増加している。たとえば、サンティアゴにある巡礼事務所が発行した巡礼証明書の件数を見ると(発行要件は「サンティアゴ大聖堂への最後の100kmを歩いたこと。自転車の場合は200km」)、2000年5.5万人、2005年9.4万人、2009年14.6万人、2012年19.7万人、2013年21.6万人と急増しており、ハイキング気分で一部だけを歩く人、いくつかに区切って数年で一つのコースを完歩する人などを含めれば、毎年この数の数倍、あるいは数十倍の人がこの道を歩いていると思われる。

  サンティアゴに向かう主な巡礼路は12本。うちスペインに7本、フランスに4本、ポルトガルに1本ある。私はこのうち上記の4本を歩いたが、メインはもちろん「フランス人の道」と言われる巡礼路であり、2013年に巡礼証明を受けた21.6万人のうち、ここを歩いた人は15.2万人(70%)にも上る。宿も多く、ほぼ5-10kmごとにあるので、一日の行程を短くしたり長くしたりの調整が可能であり、足弱の人でも歩きやすく、初めての人にはお勧めの道と言えよう。

Ⅱ.サンティアゴ巡礼の魅力 

 サンティアゴ巡礼の魅力に惹かれて、徒歩やときには自転車でサンティアゴを訪れる巡礼者の数は前記のように急増しているが、その魅力はどこにあるのか。まず、これまでの4回の巡礼経験を基にして、私なりに感じたその魅力を紹介しておこう。

1)カミーノの最大の魅力は、世界各国から訪れた巡礼者や地元の人達と多くの出会いがあること。

・マジョルカ島から来た銀行勤めの2人連れのお嬢さん、

・小学生2人と一緒の日本の若い奥さん(元スチュワーデスとか。アルベルゲでスパゲッティを作りご馳走してくれた)、

・数日間一緒だったフランスの漁師のおじさん(携帯電話に出て、自宅の奥さんにも挨拶をする)、

・1日中、片言の英語で話しながら歩いたポルトガルの男子大学生、

・宿に着くと冷蔵庫の使い方、洗濯の仕方などを身振り手振りで親切に教えてくれた受付のおばあちゃん、

・「近所の友人も呼んで自宅で一緒に夕食を」と誘ってくれた民宿のご主人などなど、

 今でもそれらの人達を懐かしく思い出す

 なお、私はほとんどできないが、英語やスペイン語、あるいはフランス語、ポルトガル語の会話ができて、更にワインが飲めれば、出会いの楽しさは倍加すると思われる

2)特徴のある宿に泊りながら、森や川などの自然をゆっくりと鑑賞し、また、旅行会社のツアーでは訪れることがない異国の小さな町や村の雰囲気に触れるという旅である。

 たとえば宿では、

・廃村のアルベルゲ(普通のアルベルゲは2段ベットだが、ここは真っ暗な屋根裏が寝場所。天井が低くて這って動いても頭をぶつけるほどだった)、

・プールのあるジット(フランスではプールのある宿に2回ほど泊り、大好きな水泳を嬉々として楽しんだ)、

・宿の主人がバンジョーを弾いてくれるジット(食事の後、1時間ほど弾いてくれた。私はフォスターの「金髪のジェニー」をリクェストし、皆で一緒に歌ったが、なぜか懐かしさがこみ上げてきて、思わず涙ぐんでしまった)、

・宿泊費が無料のポルトガルの消防署(ベッドや毛布はない。借りられるのはマットだけ。それを誰もいない広い講堂の片隅に敷き、持参のレインコートをかけて寝た)、

などに泊った。

 また、小さな村では道に広がる牛の群れをドイツの若い女性とかき分けて進んだり、巡礼の最終地フィニステラでは砂山に腰を下ろして大西洋に沈む夕日となぎさに遊ぶ巡礼者を眺めたり、スペインの北の海を毎日、毎日眺めながら歩いたりした。

3)手作りの旅が楽しめる。

すべての計画を手作りで行う旅。それだけに事前の調査はたいへん。また、乗り物や宿屋の手配も自分で行うし、旅行先で何か困ったときは自分の力で解決しなければならない。手数はかかるが、それが魅力でもあり、添乗員の後に付いていくだけの旅行会社まかせのツアーとは一味違った旅が味わえる。

そして、出発前の数週間のワクワク・ドキドキ感はたまらない。「ワクワク」と期待で胸が膨らむ一方で、「道は分かるか」「足は痛まないか」「言葉が分からなくても意思は通じるか」などの心配は尽きず、はたしてサンティアゴまでたどりつけるだろうかと不安になることもある。日常ではめったに味わえない「ワクワク感」だ。

4)旅費が安上がり(2012年夏・100円/ユーロ)。

 ・アルベルゲ(スペインの巡礼宿。1泊5-7ユーロ。無料の場合もある。私営の場合は10ユーロ前後)や消防署(ポルトガルのみ。無料)を利用すれば、宿泊費は安上がり。フランスの宿「ジット」やポルトガルで一般的に利用するペンションやレジデンシャル(朝食付きで1千円-3千円)はやや高めだが、それでも日本の宿泊費(地方ホテルの素泊り5千円以上。山小屋1泊2食8千円以上)と比べれば極めて安い。

 ・朝と昼の食べ物(パン、バナナ、トマト、リンゴ、ハムなど)をコンビニで買えば、1食2-3ユーロ。

 ・夕食はレストランで8-10ユーロ。食材をスーパーで買い自炊をすれば更に安上がり。冷凍食品を買い電子レンジで温めてもよい。

  ・スペインの場合、夕食はレストランとして、上記で試算すれば40日間の宿代と食費の合計は800ユーロ、8万円位。

 ・このほか、航空運賃、空港までの鉄道・バス運賃、みやげ代などが必要。

5)道に迷うことはない。

 ・地図付きの案内書が英語や現地語で発行されており、日本で購入できる。

 ・分岐点には黄色い矢印などの道標が必ずある。

6)誰でも歩ける。

 脚力に応じて道を選べば、足弱の人(子供連れや高齢者)でも歩くことができる。

・どこから歩き始めても良い。

・1週間だけ歩いて帰ることもできる。

・一日の行程のうち、一部にタクシーやバス、あるいは電車を利用し、残りを歩くという方法もある。

・「フランス人の道」については宿と宿の距離が短く(5-10km間隔)、脚力に合わせて1日の行程を決めることが可能である。

7)英語やスペイン語・ポルトガル語などの会話ができなくとも歩くことができる。

宿の人、地元の人は外国の旅人に慣れており、宿を取ること、食事をすること、買い物をすることなどについては、ジェスチャーで意思を伝えることが可能である。

 自分で食べたい食事のメニューや旅で必要な最低限の単語をあらかじめメモして持参すれば、なおよい。

 もちろん、会話ができればもっとよい。旅の楽しさは倍加する。

8)以上のように魅力あふれる旅なので、年々、巡礼者が増加している。

サンティアゴの巡礼事務所に巡礼証明書(巡礼を終えたことを証明するもの。巡礼事務所までの最後の100kmを歩くことが必要。自転車や馬でもよい)を貰いに来た人の年間総数は、巡礼者が急増する「聖年の年(特別なお祭りがある)」を別として、1990年4,918人、2000年55,004人、2005年93,924人、2009年145,878人と大幅に増加しており(うち、アジア人は少ないながら、2005年の398人が2009年には2415人に増加)、今後、その数はますます増加すると見込まれる。

なお、聖年の年で見ると1993年99,436人、1999年154,613人、2004年179,944人、2010年272,135人となっている。

注)最新の2012年の統計では、日本の860人に対して韓国は2493人と多く、国別では11位に入っているとのことである(日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会による)。

 

Ⅲ.3つの巡礼路を比較して  

 次に、これまで行った4つの巡礼路を比較しながら、自分が見た範囲でその特徴を紹介してみたい。

<巡礼者との出会い>

 サン・ジャン・ピエド・ポーからサンティアゴへの「フランス人の道」は、巡礼者が全体の約7割を占めてたいへん多く、出会いの機会も多い。

 「ル・ピュイの道」は巡礼者の数は少ないが、巡礼者は「ジット」というフランス特有の宿を利用し食事を共にすることが一般的なので、宿で出会う巡礼者のほとんどと親しくなれる。

これに対し、「ポルトガル人の道」は巡礼者の数が少なく、また、人と親しくなれるアルベルゲが行程の後半にしかないので(前半は個室泊りのペンションを利用)、出会いの機会は前2者より少ない。

 「北の道」は巡礼者の数が「ル・ピュイの道」より多いと感じた。また、「北の道」の宿では、知らない人が数人づつで自炊し夕食を共にしたり、夕食後に集会室で雑談したりすることが一般的であり、私は参加しなかったが、参加をすればいろいろな人ともっと親しくなれたように思う。

 なお、これは私の場合だが、言葉が通じないことも出会いの機会を少なくする要因だった。今思えば、言葉がうまく通じなくとも、勇気を持って積極的に話しかけていけば、出会いの場をいくらでも増やすことは可能だったように思う。

<参考・巡礼路別巡礼者数-国籍別を含む>

 聖年の年・2010年の1年間に巡礼証明書(前述)をもらいにきた巡礼者の総数は272千人であり、うち、最も一般的な「フランス人の道」が189千人とたいへん多いのに対して、「ポルトガル人の道」を歩いた人は34千人と少ない。なお、これらは最後の100kmを歩いてサンティアゴまで到着した人の数であって、これらの道の途中だけを歩いて帰宅した人は含まないので、これらを含めればこの道を歩いている人の数はもっともっと多いと思う。

 「フランス人の道」の出発地別内訳では、サンジャン17,819人、ロンセスバジェス13,620人、セブレイロ22,057人、サリア67,869人など。全体の約半数がセブレイロとサリアを出発点としている。

また、「ポルトガル人の道」の出発地別内訳は、リスボン718人、ポルト5,894人、トゥイ18,121人などであり、リスボンから出発する人が極めて少ないこと、行程の途中から急速に増えてくること、特にスペインに入ってからの最初の都市・トゥイから歩く人が多いことなどの特徴がある。

一方、「ル・ピュイの道」については、この年にル・ピュイを出発点としてサンティアゴまで約2ヶ月の長距離を歩き通した人の統計しかないが、3,280人と、リスボンからの出発者の約4倍となっている。ル・ピュイの道を歩く人はフランス人の道よりはるかに少ないが、私のようにサン・ジャンまでの人や途中の数日間のみをハイキングする人も合わせれば、ポルトガル人の道よりはかなり多いと推定される。

 また、「北の道」を歩いてサンティアゴまで来た人は17,954人と「ポルトガル人の道」の約半分。うちイルン発が2474人とリスボン発718人の4倍弱。歩く人は少ないが、「ポルトガル人の道」のように途中から急増することはないようである。

 なお、巡礼者総数272千人の国籍別内訳は、スペイン188(単位千人。以下同じ)、ドイツ15、イタリア14、フランス9、ポルトガル8、イギリス2、アメリカ3、カナダ2、ブラジル2などであり、日本人のみの統計はないが、日本、韓国、中国等を含めたアジア全体では2,462人となっている。

景色>

景色は「北の道」が毎日のように海を見ながら歩けるので最も良い。「フランス人の道」もよい。1500mの峠を3つも越えるし、丘陵地帯では樹木の生えていない稜線を歩くことが多いので、遠望も楽しめる。

これに対し、「ポルトガル人の道」は峠越えと言っても、せいぜい標高200m-400mの高さを数回越えるだけ。しかも山林の中なので遠望は効かず、景色の良い所は少ない。

ただし、「ポルトガル人の道」はローマ時代の道や中世の道が当時の石畳や石垣とともに残るところが多いので、昔の道がどんなものだったか、その雰囲気は十分に味わうことができる。

 なお、ル・ピュイの道は丘陵の上の、樹木が少ない牧草地や畑地を行くことが多いので、景色は良い。ただし、あまり昔の道という雰囲気は残っていない。

<参考・「ポルトガル人の道」の地形>

ポルトガル人の道の前半は平地。広い畑の中の土の道や町のアスファルトの道を延々と歩くことが多く、景色が単調でやや飽きる。

後半は標高の低い丘陵地帯。ゆるやかなアップダウンを繰り返しながら、町や村、畑や林の中を行く。

ただし、丘陵地帯では、標高が低い割りに湧き水が随所にあり、川の水がきれいで、緑の水草がゆれているのが印象的だった。

<道-迷うことはないか>

1)4つの巡礼路はどれも、地図付きの案内書が英語や現地語で発行されており、それらが日本で購入できる上に、道標が整備されているので、迷うことはほとんどない。特に「フランス人の道」は分かりやすい。

14262)「ポルトガル人の道」も数カ所だけ分かりにくいところはあるが、全体的にはほとんど迷うことはない。

地図については下記の英語版がある。

A Pilgrim's Guide to the Camino Portugues: Lisboa, Porto, Santiago

John Brierley (ペーパーバック・208頁)

私はインターネット上で書籍販売を行う「アマゾン」でこれを入手した。615.6kmの行程を23日間で歩くように地図23枚が掲載されたもので、分岐点、舗装されている道と舗装されていない道の区分、川や橋、標高などが載っており、歩く際にはたいへん参考になった。

なお、他の二つの道の地図については、John Brierley版も発行されているが、それとは別に現地語の地図も入手可能で、それらは750kmの行程を約70枚から90枚の地図で表しており、上記地図よりは更に詳しいものである。

3)ポルトガル人の道の分岐点にも黄色い矢印など、サンティアゴへの道標がほぼ必ずある。

今回、私は何回か道に迷ったが、たいていは道標の見落としによるものである。ただし、地図が間違っていたことが1回、道標が見当たらなかったことが1回あった。それらの点は下記に具体的に書いておくので注意されたい。

●次の道標がなかなか出てこないので、道が違うことに気がついて引き返したり、また、町の人に呼び止められ「道が違っている」と教えられたりしたが、これらは道標の見落としが原因だった。

 四つ角等の曲り角に来たときに次の道標に出会わなかったら、道に迷ったのである。必ず引き返さなければならない。巡礼者用の地図には巡礼路周辺の町村や道は掲載されていないので、迷って周辺の町に入り込んだ場合は、その地図に頼ることができず、自分がどこにいるか全く分からなくなる。要注意だ。

●ご夫婦と娘さんの3人家族と一緒になり、話しながら歩いているうちに道を見失うということがあった。彼等と別れるときに「この道を行けばよい」と教えられたので道標がないのに歩いて行ったのだが、いつまで行っても次の道標が出てこず、完全に迷ってしまった。巡礼者用の地図にある町の名前を示して「ここに行くには」と何人かに聞いたが、よく分からない。結局、車で次の町まで運んでもらった。

地図が間違っていたことが1回ある。6月5日、GOLEGAの町の中心から郊外へ行こうとしたが、地図に間違いがあって、やや迷った。地図では、N-243に出るとそれを渡って細い道を直進するようになっていたが、直進しているのは広い車道であり、細い道はなかった。車を止めて2人の人に聞いてやっと分かったことだが、実際はN-243に出たら右折し、5分ほど行ってから左折して細い道に入るのが正しかったのである。

●6月9日、ALVAIAZEREに向かって歩いているときのこと、森の中の赤土と砂利の道を行くと十字路に出た。どちらへ行くか。道標がどうしても見当たらない。次いで、巡礼者の靴跡を探して道を特定しようとしたのだが、それもはっきりしない。地図上には十字路の掲載はなく、道は直進するようになっていたので思い切って直進することにした(あとで知ったが左に曲がるのが正しかった)。しかし、いくら行っても黄色い矢印に出会わない。間違ったと思い、斜面を左方に登っていくと舗装道路が見つかり、その道を行くと村に入った。巡礼路から右へかなり離れたようで、村は手持ちの地図には載っていない。どうしよう。まず、自動車関係の小さな工場のおじさんに巡礼路の地図を見せて聞いてみた。おじさんは地図を何回か書きなおして、最後に書いた地図を渡してくれたが、どうも信用できない(あとで分かったが、この地図は間違っていた。おじさんの地図の通りに行けば巡礼路からもっと離れていただろう)。更に数分行ってカフェに入り、中年の主人に聞いてみると、しっかりした地図を書いてくれた。こちらのほうが信用できそうだ。地図のとおりに30分ほど歩くと巡礼路に戻ることができた。

道については数人に聞いて、どれが正しいかを自分で判断する必要があるようだ。

<宿-どんな宿があるか>

 「ポルトガル人の道」には、ペンション(家族経営の小さなホテル)、アルベルゲ、ホテル、消防署、ユースホステルなどがある。ただし、地域的に宿の種類に偏りがあり、アルベルゲは行程の後半にしか無いし、無料の消防署に泊まれるのはポルトガルのみである。私はポルトガルでは主にペンションを利用し(消防署には2泊)、後半、スペインに入ってからはアルベルゲを利用した。

 

また、宿と次の宿の距離が遠いのもこの道の特徴である。サン・ジャン・ピエド・ポーからサンティアゴへの「フランス人の道」には、ほぼ5-10km置きにアルベルゲがあり(ただし、ピレネー越えなど、いくつか例外はあるが)、子供連れ、足弱の人などにとってたいへん歩き易いのに対し、ポルトガル人の道は、次の宿がある町までの距離が長く、1日に20-30kmを(ときには1日に34kmも)歩かないと次の宿に着かない。

 宿の形態で特徴があるのは、「ル・ピュイの道」。フランスには「ジット」というハイカーの宿が全国に存在していて、巡礼者もこれを利用するのだが、ほとんどが1泊2食付の形態で、しかも宿泊者全員が一つのテーブルを囲んで食事をとることが多く(ときには、村のたった一つの食堂に行き、全員で一つのテーブルを囲み、同じ料理を皿から分けあって食べるということもある)、アットホームな雰囲気なので、宿泊者同士はすぐに仲良くなる。これに対して、スペインやポルトガルでは食事付の宿はほとんどない。レストランに行き、一人で、あるいは仲の良い数人で食べるのが普通であり、アルベルゲで自炊することもある。

 

 以下、今回の「ポルトガル人の道」について説明する。

1)アルベルゲ 

 「アルベルゲ」はスペインにはどこにでもある一般的な巡礼宿だが、「ポルトガル人の道」では後半の行程にしか無くて、現れるのは行程の14日目、VILARINHOの町からである(そのあとは20-30km置きに必ずあり、18日目にはスペインに入る)。ポルトガルのアルベルゲは1泊は5ユーロ(Rubiaesのみ無料)。一般に2段ベットだが、Ponte de limaSantiagoで私が泊まったアルベルゲは1段ベットである。お湯のシャワー付。アルベルゲは同宿の人達と仲良くなれるというすばらしい利点があるが、ポルトガルではアルベルゲがあるのは最後の4日間だけである。

 なお、目的地のサンティアゴでは前回に宿としたアルベルゲに再び泊まった。気にいった宿なので紹介しておきたい。

1646それは中心街に3つあるアルベルゲの一つ。神学校(Seminario Menor)の2階と3階にあり、ベッド数は177。前回は大部屋(1泊12ユーロ)に、今回は個室(1泊17ユーロ)に泊った。

ここは大聖堂から徒歩15分とやや遠いが、個室があること、地下に自販機や電子レンジ、湯沸し器を備えた自炊用の食堂兼キッチンがあること、食堂にテレビがあること、連泊が可能なこと(前回、サン・ジャンのアルベルゲでは連泊が認められなかったし、また、2連泊までというアルベルゲもあった。ここでは4連泊も可。ただし、時期によって連泊の可否は異なるのかもしれない)などの特徴がある。

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 私はこの自販機でリゾットやスパゲッテイを買って電子レンジで熱し、スーパーで買ったパンや果物、ハム、牛乳、コーンフレーク、紅茶のティーバッグなどと合わせて、豪華な食事を楽しみ、そのあと、同宿の人達数十人とサッカー・ユーロ選手権決勝・イタリー・ドイツ戦を見て過ごした。

 

 

2)ペンション(家族経営の小さなホテル)

 ポルトガルでほとんどの宿泊地にあるのが、ペンション。シングルで15-30ユーロ(素泊り)。たった一人で部屋を専有し、シャワー、洗濯、テレビ観戦などができるので、アルベルゲよりはのんびりできて、旅の疲れを取るのによい。ただし、客が少ない時期だと閉まっていることがある(行程の最初の頃、AZAMBUJASANTAREMの町では予定していたペンションが閉まっていて、宿を探すのに苦労した)。それと、夕方から開くところがあったり、場合によっては隣設する同名のレストランに行けば入れてくれたり、あるいは隣の店に頼むと電話で管理人を呼んでくれたりと宿の取り方が多様なので、閉まっていても近所の人によく聞く必要がある。

 

3)ホテル 

ホテルもかなりあるが、最低でも40-50ユーロ(シングル)と宿泊費は高目である。私は他に泊るところがなくて、1度だけ利用した。

 

4)消防署

739ポルトガルのみであるが、巡礼者は「巡礼手帳」を示して消防署に無料で泊まることができる。ただし、寝るのは板貼りやタイル貼りの大広間。今回は2回泊まったが、宿泊者は私1人か、同宿1人だけ。また、貸してくれるのはマット1枚のみであり、枕、毛布はない。もちろん、シャワーもない。私はゴアテックスの雨具を身に着けて毛布なしで寝たが、6月でもやや寒かった。利用する人はシュラフを持参したほうがよいかもしれない。それと、土曜日は消防署が休みで、泊まれないということがあった。土・日が休みかを、確認してから行く必要がある。

なお、6月15日泊のALBERGARIA-a-VELHAの町では消防署に行くと近くの教会の付属施設を紹介されたが、ここも無料で、マットで寝る形式だった。

5)ユース・ホステル

2段ベッドが4ヶで、8人部屋が普通。大都市のリスボン、コインブラ、ポルトなどにある。リスボンの場合は3ヶ所あり、そのうち2ヶ所を利用したが、朝食付で15-16ユーロ。コインブラ、ポルトのそれは場所的にやや不便なので(たとえば、コインブラの場合は、町の中心から2km離れている)、利用しなかった。

 なお、リスボンのオリエンテにあるユース・ホステルは敷地がゆったりしていて建物も庭も広く、気分良く利用できるので、お勧めである。ここはオリエンテ駅から線路沿いに大通りを歩いて15分。国鉄なら普通列車でオリエンテの次の駅のそば。朝食付。夕食も有料で食べられる(5.4ユーロ)。私が利用したときの夕食は、サラダ、パン、ライス(日本の短粒種と異なり、長粒種なので、ボソボソで美味しくはないが)、魚とポテトの揚げ物、ゼリーという献立だった。

 

6)パラドールとポザーダ

 スペインには「パラドール」、ポルトガルには「ポザーダ」という豪華な国営ホテルがある。

「パラドール」は城や修道院、領主の館などを改装した中世風の豪華なもので、スペインに85ヶ所ある。料金はほとんどがシングルで100ユーロ以上。高くてなかなか泊まれないが、前々回、私は思い出のためにサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダのそれに泊まり(シングル・89ユーロ)、また、サンティアゴではパラドール内のカフェに入って、その豪華な雰囲気の一端を味わった。

一方、「ポザーダ」は41ヶ所。城や修道院を改装したもの、自然の中に立地しているもの、家庭的雰囲気のあるものなどの種類があり、巡礼路沿いではリスボン近郊、コニンブリガ近く、ポルトなどにある。私はまだ泊まったことがないが、お金と時間に余裕があれば一度は泊まってみたかったホテルである。

 <今回のあらまし>

○のんびり歩く。

 これまでの3回は全行程を歩き切ったが、今回は歳をとって足が弱ってきたこと、足を痛めた人がいてお世話をしたことなどがあって、全行程を歩くことはできなかった。

 それでも十分に満足。前3回は「挑戦する」、「全行程を歩き切る」という思いで、毎日「ともかく一歩でも前へ」とがんばったが、今回は脚力の衰えを考慮して、最初から「全行程を歩き切らなくてもよい」、「のんびりいこう」という気持で臨み、ときには巡礼路を外れ、寄り道をして旅を楽しんだ。

○何とか歩けた。

 歩き終わって思うのは「76歳という年齢で、重い荷物を背負って600kmをよく歩けた」ということ。

 1日分の食料を入れれば10kgはあったと思う。行く前は、この荷の重さではすぐに歩けなくなるのではとかなり不安だった。家で計った荷の重さは8kg。現地ではこれに1日を歩くのに必要な水と食料が加わる。500ミリリットルのペットボトル2本、アクエリアス1本、バナナ2本、トマト1ヶ、リンゴ2ヶ、パンなど。数日歩くうちに、持っていた傘を捨て、足が順調で不要になった地下足袋を捨て、本の読んだ部分や地図の歩き終わった部分などを捨てたが、まだ重かった。

 それでも30数日間、歩き続けることができたのは、脚力の衰えを実感し、1日に歩く距離を前3回の25-30kmから20km以下に抑えたこと、それと、これまでの30数年間、日本百名山や海外登山、サンティアゴ巡礼などに出かける際に常に掲げてきた「挑戦」という旗を初めて降ろし、気負いをなくして臨んだことなどによると思う。

 脚力への自信をやや回復した。

○見てきたのはスペインの北の海岸。

 「ル・ピュイの道」ではモワサック、コンク、サン・シラク・ラホピー、カオールといった中世の町とフランスの農村風景を楽しみ、「ポルトガル人の道」ではポルト、コインブラ、トマールといった美しい中世の町やアズレージョ(装飾タイル)を楽しんできたが、「北の道」の楽しみは「海」を見ることだった。

 スペイン北岸は断崖絶壁が続き、その切れ目に観光地の長い砂浜や人がほとんど訪れない寒村の砂浜がある。これが他の巡礼路にはないこの道の一番の特徴であろう。

 記憶に残った海の風景を以下にいくつか紹介する。

 崖上に幅5mほどの遊歩道が6kmにわたって続く。海側は柵越しに断崖。地元の人が散歩し、ときには自転車も通る。会う人ごとにスペイン語で「オーラ」とあいさつ。

土の急な小道を登っていくと牧草地が広がる。遥か彼方まで延々と断崖が続き、その先にきょう泊る町が見える。

 草深い巡礼路を下って行くと小さな無人の砂利混じりの砂浜に行き着いた。砂浜には誰も行ったことがないのか、手前の草むらには砂浜への踏み跡がない。

 高さ100mほどの海に突き出た小山を越えると今度は長い砂浜。2時間の砂浜歩き。多くの観光客が水着姿で散策している。重いザックを背に、靴を脱ぎ、裸足で波打ち際を歩いてみた。気持良し。

 有数の観光地「ルアルカ」が眼下に広がる。中世の雰囲気を残す小さな港町。急坂を下りて行くと、海岸通りにレストランと土産物屋が並ぶ。雰囲気のよいレストランに入って昼食。

 巡礼路を外れて廻り道をし、絶景を見物。高さ50mほどの断崖から白波の立つ岩場を見下ろしていると、目の前を数羽のカモメが崖沿いに一列になって飛んでいった。遊んでいるようだ。

 ラレドーの中心街から砂浜沿いに6kmを歩き、半島の先端へ。砂浜に腰をおろしてしばらく待っていると、小さな渡し船が砂浜に直接乗り付けた。板が渡され、巡礼者数人と自転車1台が乗り移る。

・寄り道といえば、海ではないが、「アルタミラの洞窟」(サンティリャーナ・デル・マルの近く。1-2万年前に描かれた動物の彩色画で有名。日本の教科書にも載っている)や「モン・サン・ミッシェルの大聖堂」(フランスの海辺にそびえる)も見物した。

注)スペイン北部の歴史

①8-11世紀、イスラム教徒がイベリア半島の大半を支配。この間、キリスト教徒は半島の北部に押し込められたが、いくつかの王国を建国し、レコンキスタ運動を展開(11世紀末-13世紀がこの運動もあってサンティアゴ巡礼の最盛期)。15世紀末に半島全体からイスラム教徒を駆逐。1516年、スペイン王国成立。

 なお、8-9世紀に建国された各王国の首都は当初、オビエド、パンプローナ、ハカなどだったが、その後、王国が南に発展するとともに首都はレオン、サラゴサ、トレドなど、南に移転していった。「北の道」沿いで首都になった歴史があるのはオビエドのみのもよう。

 ②「北の道」の海岸沿いの町のほとんどは中世に漁業や貿易で栄え、それぞれにおもむきのある旧市街を持つ。そして、近代に入ると、長い砂浜や美しい景色があるそのうちのいくつかが、観光都市として大きく発展した。たとえば、サン・セバスチャンは王族の保養地となり、サンタンデールは王室の夏の離宮が建設されて、発展した。

③歴史の詳細

 紀元前205年、ローマが属州ヒスパニアを設置。

 紀元1世紀、ローマがイベリア半島のほぼ全域を属州に。

 紀元313年、ローマがキリスト教を公認。

 紀元409年、西ゴート族が侵入し王国を設立。

 711年、イスラム軍により西ゴート王国滅亡。以降、11世紀前半までイスラム教徒が北部を除き、スペインを支配。

 718年、北部にキリスト教徒のアストゥリアス王国成立、レコンキスタ運動(半島からイスラム教徒を追い払う戦い)始まる。794年、オビエドを首都に定める。814年、アルフォンソ2世、サンティアゴ教会設立。910年、首都をレオンに移転。レオン王国と改称。

 820年、ナバーラ王国成立(中心はパンプローナ)。1512年まで存続し、カスティーリャ王国に併合される。

 1035年、アラゴン王国成立(中心はハカ)。1118年、サラゴサを攻略し首都とする。1137年、バルセローナ伯領と合併しアラゴン連合王国成立。15世紀後半には、バルセロナ、バレンシアまで領土を拡大。

 1037年、上記2国が合併しカスティーリャ・レオン王国成立。一時分裂後、1230年、再統一しカスティーリャ王国となる(1085年、トレド攻略。以降500年間、トレドが首都)。15世紀後半にはコルドバ、セビーリャまで領土を拡大。

 11世紀末-13世紀が、サンティアゴ巡礼の最盛期。

 1469年、アラゴンの王女とカスティーリャの王太子が結婚。後にどちらも国王となり、スペインは実質的に統合された。1492年、半島に最後に残るイスラム国家、グラナダを攻略。

 1516年、スペイン王国成立。

 1800年代初め、ナポレオンに破れ、北部も含め多くの都市が破壊される。

 1936-39年、スペイン内戦。

○巡礼旅の最大の魅力は人とのふれあい

 巡礼の最大の魅力は世界各地からの巡礼者や地元の人達と多くのふれあいがあること。今回もいろいろとふれあいがあった。

・カナダ、スペイン、ドイツの女性3人に断崖を行く廻り道を一緒に歩こうと誘われた。ドイツのサブリナさんとは何回か会っており顔見知り。オーストリアの山岳ホテルで働いており、サーフィン大好きの人。片言の英語を使って話しながら歩く。
 4人で断崖を巡った後、砂浜に着くと3人は2時間ほど泳いでいくという。誘われたが海は冷たそう。私は断って先に行くことにした。

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・宿が何回か一緒になった40歳位のアメリカ人男性から、「お前が持っているインスタンコーヒーを2袋くれないか」と言われた。「あの女性にコーヒーをおごって話がしたいんだ」とのこと。その人からは「北の道」からは遠回りになる「オビエド」という町の良さを教えられ、その町に一緒に寄り道もした。

・ベルギーの大学生2人と同宿になった。高校は同学年だったが、一人は昨年入試に失敗し大学に入ったのは1年遅い。でも前年の入試に失敗した若者は「今年の入試では一番で合格したんだ」と威張っていた。その二人とは、その後、会うたびに握手。また、バル(喫茶兼飲み屋)で一緒にサッカーW杯のベルギー戦も観戦した。

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・韓国の50代の男性。夫婦2人と友人2人の4人連れ。前回は夫婦で「フランス人の道」を歩いており、男性はキリマンジャロにも登ったという。同じ山に登ったということで意気投合。握手をしているところを記念写真に撮ったりした。

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・バーモンデのアルベルゲで、珍しく日本人男性と同宿になった。71歳の青木さん、巡礼は6回目とのこと。仕事があるので、昨年は「北の道」をヒホンまで歩き、今回はヒホンからサンティアゴを目指す。奥様とサンティアゴ巡礼に行く約束をしていたのに奥様がお亡くなりになり、お骨を抱いて巡礼をしたことがあるという。

  当日の夕食は、二人でアルベルゲの庭に出て、コンビニで買ったバナナ、リンゴ、ハムなどを食べながら、数時間の会話を楽しんだ。翌日もコンビニに食材を買いに行き、修道院のキッチンでジャガイモ入りのスープを鍋で温めて、二人で夕食。3日目の夕食は二人でレストランへ。3日間だったが、常に一緒に行動し、話がはずむ道中となった。

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・ラレド-の手前、人家がまばらな国道を歩いていると、庭で宴会をやっているおじさん達に呼び止められた。「一緒に飲んでいけ」という。ビール、タコ料理、庭の暖炉で焼いた肉などをご馳走になり、絵葉書をプレゼント。

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・多数のボランティアの方が運営するギメスのアルベルゲで、夕方の1時間、宿泊者50人が集まってミーティングがあったが、私はその中の最高齢ということで紹介され、この宿を創設した77歳の方から抱擁の祝福を受けた。また、翌朝、歩き始めると呼び止められ、肩を組んで一緒の写真に収まるということが数回あった(詳細後記)。

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・ビラルバへの丘陵超え。点々と農家あり。石垣に腰を掛けているおばあちゃんと5-6歳位の男の子に出会う。「写真を撮らせて」と頼むとうなずいてくれた。お礼に「富士山と桜」の絵葉書をプレゼント。分かれてしばらく行くと、おばあちゃんが大声で「グラシアス」と叫んでいるのが聞こえた。1698_2

・帰り、イルンに行く列車の中で近藤さんという72歳の日本人男性にお会いした。スペイン人男性と21歳の日本人男性・田辺君が一緒。

 近藤さんは英語とスペイン語が堪能。昨年、「フランス人の道」を歩く途中で知り合ったスペイン、アメリカ、スイスの人達と今年も落ち合う場所を決めて集まり、「北の道」を歩いてきており(奇遇だが、途中で宮本さん達にも会ったとのこと)、来年も同じ人達と「銀の道」を歩くことにしたという。また、彼等と旅の途中で知り合った田辺君はヨ-ロッパを2ヶ月間、単独で旅行中とのこと。2人は一緒に歩いたスペイン人の家に泊りに行くために、イルンの手前で列車を降りていった。

巡礼をしている人はとても多様。外国語が堪能であれば、外国の人達と仲良くなり、このように巡礼の楽しみを深めていくことができるのだ。


2016428追記)きょう、近藤さんから『
2013年「フランス人の道」、2014年「北の道」、2015年「銀の道」を歩いた後、今年は「ポルトガルの道」を歩くため、5/9Lisbonに向かいます』とのメールをいただいた。とても懐かしい。

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○全盲の友人が820kmを完歩。

 この旅では、視覚障害者の登山団体「六つ星山の会」の会員であり、私の友人でもある全盲の宮本博さんが、サポートの方2人と「北の道」820kmを完歩し、更にフィニステラまでの87kmを歩いた。全盲で「北の道」を完歩した人は多分、日本人としては初めてではないかと思われる。

 この快挙は、ご本人の脚力とねばり強さによるところが大きいが、その他、脚力があり、精神的にもタフな二人の方がサポート面で協力したことも大きく貢献している。適切で粘り強いサポートなくしては、達成は難しかったと思う。

 なお、私は滞在日数が短いこともあって数日間だけ皆と一緒に歩き、あとは単独で歩いた。

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<「北の道」紹介>

1.風 

(1)断崖と砂浜

 他の巡礼路にはないこの道の特徴は「海」。他の巡礼路でも「海」は見られるが、ほんの少し。ここでは全長820km(815km、830kmなど、地図によって距離は異なる)のうち、Ribadeoまでの前半620kmが海沿いの道であり、巡礼路はときには内陸に入るが、また海に戻り、海岸を歩くことが多い。

 しかも、この北の海岸は、ほぼ全域にわたって50mほどの高さから海に落ち込む崖となっているために、いたるところで断崖の絶景が楽しめる。

 また、崖が切れたところにある砂浜も良い。観光客で溢れる長い砂浜と寒村の砂浜。特に、全く無人の砂浜や数人のサーファーが点在するだけの砂浜はさびしげで魅力的。

(2)お勧めの見どころ

 私が歩いた範囲で「見どころ」をあげれば、以下の通りである。

A)まずは、海岸の崖上を行く道

①イルンを出てから初めて出会う長い崖上の道。

 Portugaleteから13kmのところ、Popenaのアルベルゲを出て森の中の長い階段を上がっていくと断崖の上に出る。ここから巡礼路は崖側に柵のある幅広の遊歩道となってOntonまで6km続くが、景色は抜群。断崖が続く海岸線がはるか遠くまで望めて、気分爽快。このように長く続く断崖の絶景に出会うのはイルンを出てから初めてのことなので、何枚も写真を撮った。ここは地元の人の散歩道でもあり、私も、普段着姿で散策している地元の女性二人や5-6人で歩く老人の一団に出会った。

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 なお、巡礼路はOntonから海岸を離れて車道を行くが、Mionoで巡礼路を外れ再び海岸沿いを行くと、昔の鉱山跡に行き着く。ここも見物するとよい。ここまで行く人はあまりいないようで、人には全く会わない。海に30mほど伸びた鉄骨の鉱石積み出し装置のほか、トロッコが通ったと思われるトンネルなどがあり、向こう側に抜ければ、崖上の台地をCastro Urdialesまで細い道が通じている

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Santanderへ、大回りの道を行く。

 GoemesからGalizanoへ。ここから巡礼路は3本に分かれる。どれもがSantander への渡し船が出るSomoの港に至るが、最短は国道を一直線に行くもので、2時間、7km。最長は大回りして海岸沿いを行くもので、約4時間。時間に余裕があったので、私は大回りの道を取った。30分で海。着いてすぐに、道を外れ牧草地に入り、崖の先端へ。右のほるか下に小さな砂浜。豆粒のように数人の人影が見え、流れこむ小川が砂浜で広がり、朝日に輝いていた。

 道に戻り、崖上の草地を進む。しばらく行くと海に突き出た断崖の上で、4人組が休んでいた。中年の男性三人と女性一人。一緒に腰を降ろし、持ってきた家族の写真を見せたりして談笑。お菓子をもらった。

 最後は長い砂浜歩き。散歩する人、サーフィンを楽しむ人等、人多し。靴を脱ぎ、波打ち際を歩く。

 Somoの船乗り場着。カフェで4人と一服。やや大きな船でSantanderへ。

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③巡礼路を外れてビューポイントへ。ColombresとLlanesの間

 ColombresとLlanesの間、Vidiago(ヒディアゴ)の辺りで巡礼路を外れ、海岸に向かう。 地図にLlanesに向かう回り道(ビューポイントの印あり)が載っていたためだ。まずは大きな砂浜に出る。突き出た岩の上にはレストラン、その裏手の断崖の下には砂利混じりの砂浜、とても景色のよいところで、更に断崖沿いを進むと、岸から数mの海中に、高さ20m、長さ30mほどの岩山があり、説明する大きな看板が立っていた。この後も海中に突き出たいくつかの岩山に会う。この辺りは公立の自然公園になっているのかも。景色のよいところがいくつもあった。

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④早朝、無人の砂浜を歩く。

 Bibadesellaから6kmでSan Esteban de Leces。そこのアルベルゲに泊り、翌日、巡礼路を村に下りると長い砂浜。早朝で無人。砂利の多い波打ち際へ。はるか遠くまで白波が打ち寄せ、朝日に輝いていた。

いったん台地に上がり、向こう側の崖下を見下ろすと今度は小さな弓なりの砂浜。そこには豆粒のように、サーフィンを楽しむ黒い人影が二つ。

 更に先へ。海辺に高さ100mの岩山があった。スペインの海辺はどんなところかもっと探ってみたいと思い、巡礼路を離れて、海辺側に回り込んでその岩山を登ってみた。でも道はだんだんはっきりしなくなり、いばらの中に踏み込んで進むようになる。道は赤土の急な登り。荷はずしりと重い。滑りやすいが、草木は茨だらけなので、掴むところがない。落ちればかなり下まで転落しそう。かなり上まで苦労して登ったところで、結局、「こんなところで命を落としても」とあきらめた。元の道を下って引き返すのもたいへん。調子に乗りすぎたようだ。

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⑤同宿の女性3人と巡礼路を外れ、断崖を行く。

 Soto del Barcoを過ぎNalon川を渡るとすぐに、巡礼路を外れて右へ1.5km入る。そこが港町・San Esteban de Pravia(前述のSan Esteban de Lecesとは別)。砂浜がないためか、観光客は少なく、静な町である。アルベルゲに宿泊。

 翌日、巡礼路に戻るつもりだったが、同宿の女性3人に誘われて海沿いに断崖上の道をいくことにした(冒頭で紹介済)。アップダウンはあるが、歩きやすい幅2-3mの土の道。ところどころに整備された見晴台。眼下の松林越しに岩に砕ける白波。はるか遠くまで断崖の海岸線が望めて、景色は素晴らしかった。

B)長い砂浜が海水浴場となっている観光地

San Sebastian 

 中世に栄えた貿易都市。2012年の人口はサンタンデールと並ぶ19万人。ビルバオの35万人をはるかに下回るが、「北の海岸」第一の夏の高級リゾート地。半円型の湾と全長2kmの海水浴場を持ち、湾の両端の丘上にある展望台からの景色はすばらしく、「カンタブリア海の真珠」と言われている(特に夜景がよい)。19世紀にはハプスブルク家の王妃マリア・クリスティーナが保養地として利用するようになったという。また、「ヨーロッパの美食の都」として食べ物が美味しいことでも有名。

 私達は長い砂浜沿いに整備された遊歩道の人混みの中を散策した後、湾の左先端にあるケーブルカーでモンテ・イゲルドの丘に登り(3€)、広大な湾の風景を楽しんだ。

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Castro Urdiales

 紀元1世紀、進出してきたローマの植民地に。中世にはカスティーリャ王国に属し漁業と貿易で栄えた。湾内にヨットハーバー、長い岸壁など。湾の先端にはゴシック様式のサンタ・マリア教会(13-15世紀に建設)、サンタ・アナ城(13世紀に建設)があり、遠くからも望めて、湾に風情を添えている。また、教会の裏側は断崖で、眼下に白波が砕ける。この辺りの岩場の散策もお勧め。

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Laredo

 車道を歩いて行くと崖下にLaredoの街が広がる。広々とした展望。はるか遠くに弓なりに長い砂浜。下りて行くと旧市街。左に少し行くと修道院があり、その中にアルベルゲがあった(後述)。

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San Vicente de la Baruqera

 丘陵を越えてくると、眼下に大きな川。石造りで幅広の長い橋が架かり、車道がはるか対岸の町に延びている。そこがSan Vicenteの町。人口は5千人弱と少ないが、海岸沿いにはレストランとバルが並ぶ。背後は丘。丘の下が旧市街。丘の上には教会とアルベルゲがある。丘上の遊歩道を行くと、湾内が一望でき、また流れこむ川に小舟が沢山係留されているのが望める。なお、「丘からの夜景がすばらしい。おすすめ」と青木さんから聞いていたが、うっかりして夜景見物に出るのを忘れてしまった。残念。

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Ribadesella

Nuevaを出発して12kmでRibadesella。古い町並みの中を下りて行くと旧市街が広がる。港の岸壁で一休み。今にも雨が降りそう。風もあり寒い。湾内にはカヌーを練習中の若者が数人。対岸にはヨットハーバー。早々に立ち上がり、橋を超えて、長い砂浜へ。曇天と寒さに追われて町を足早に通過してしまったが、天気のよい日に来て、旧市街や湾の先端をゆっくり見物すれば楽しいのではなかろうか。

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C)崖下の観光地

Luarca

 丘上の巡礼路を行くと、眼下に有数の観光地Luarcaが広がる。ここからの景色はすばらしい。中世の雰囲気を残す小さな港町。海岸沿いには灰色の屋根がびっしり並び、狭い湾内には漁船とヨットが一杯。港の外の、まだ湾内の左側には長い砂浜が伸びる。

 崖下へと急坂を下りて行くと、海岸通りにはレストランと土産物屋が並んでいた。一帯は狭い旧市街。10447058_878124102201832_3648136784
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 「よいところだ。是非見ていくように」と巡礼路でお会いした青木さんから言われていたが、すぐそばを通ったのに忘れていて行かなかった。ここを通ったサブリナからも「素晴らしい所だった」と言われ、行かなかったことをとても後悔している。

 巡礼路を離れ、San Esteban de Praviaから海岸線をSoto de Luinaへ向かう途中にある、崖下の港町。上から見るとオレンジ色の屋根がびっしり。

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写真:Cudillerowikipediaより)

D)渡し船

 渡し船に乗ると何故か心がはずむ。今回は3度乗った。

 Pasai Donibaneの渡し船

イルン出発後、Pasai Donibaneのアルベルゲ泊。翌朝、細長く入り込んだ湾内を向こう岸へ。小さな船で約5分、あっという間に着いてしまった。0.7€。

 港の風情がよかった。両岸は崖。こちら側は急峻な崖下に細く連なる旧市街。50mほどの高さの崖上に教会付設のアルベルゲ。細長い湾は緑の丘の間を外海に向かって遥か彼方まで伸びている。

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 LaredoからSantona

 Laredoの中心街から半島の先端へ6km、砂浜に沿って急いだ。船が出るのは9時、やっと間に合ったが、時間になっても船は来ない。砂浜に腰をおろしてしばらく待っていると、小船が砂浜に直接乗り付けた。板が渡され、巡礼者数人と自転車1台が乗り移る(前述)。対岸のSantonaまで2€。

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 SomoからSantander

 海水浴場が尽きたところが乗り場。カフェでしばらく待って、50人乗り位のやや大きな船に乗る。ほとんどの人が上甲板の長椅子へ。風が気持ち良い。向かうSantanderは大きな町。正面は長い岸壁。1kmはあろうか。背後に5-6階建ての建物がずらりと並んでいた。

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E)その他

Ribadeo

 リバデオ川を渡ってRibadeoの町に入るが、そこを通った仲間から「川の手前から見た景色が「北の道」の中では最高に素敵だった」と聞いたので、最後に紹介しておきたい。

2.道の状況

 一日で高低差200-500mを登り下りする行程が数日間続くことから他の巡礼路よりはややきついと言われているが、歩いてみて、それは違うように感じた。

 登り下りの高低差が大きいのはスタート地点のイルンからビルバオまでの数日間だけであり、歩き始めなのでややきつく感じるが、その程度の高低差は「ル・ピュイの道」や「ポルトガル人の道」にもいくつかある。むしろ、「フランス人の道」にある標高1500mの三つの峠越えのほうがはるかにきついと思われる(ただし、このうち二つは峠の頂きに宿があり、そこで泊まれるが)。

 また、「北の道」の後半は海岸線を離れ、標高500-700mの丘陵地帯に入るので、きついのではと予想していたが、こちらは一度登ってしまえば、数日間、その高さをほぼ維持して歩けるので、全体としては高低差は小さく、それほどきつくはなかった。ただし、そんな中でも、急坂を20分-30分ほど上るところがいくつかある。そこはマイペースで上ることが必要(足弱の人は疲れない範囲でゆっくりと)。

3.宿の状況

(1)概要

○他の巡礼路も含めて、宿泊費はどこも安い。スペインにはアルベルゲがあって、特に安い。

 たとえば、「北の道」で巡礼者が泊るのは、一般に公営や教会運営、あるいは地域のボランティア団体の運営などの「アルベルゲ」。1泊朝食付きで5-6€。時には無料で、募金箱に寄付するの形式のものもある。これらは地域の人達やときには他国から来た巡礼者による無償奉仕(受付や室内掃除など)で支えられており、安く泊まれるのはそのためである。

 その他、「フランス人の道」には個人営のアルベルゲもあるが、こちらは朝食付きで10-15€。

 それらが満員だったり、個室でのんびりしたかったりすれば、ペンションや二つ星ホテルに泊る。こちらは20-30€(ほとんどが朝食付)。

 なお、フランスには全国に「ジット」というハイカーの宿が存在する。巡礼路にも1日の行程に一つはあり、大部屋に一段ベッドか、2段ベッドで(ときにはプール付邸宅を開放したものや、蒙古のパオに寝るものもある)、2食付きが多く、30€前後。素泊りは8-12€。

 ポルトガルで泊るのはペンション。食事なしで15-30€。その他で特筆すべきは、ポルトガルでは巡礼者が消防署に行けば無料で泊めてくれること。私は3回利用したが、貸してくれるのはマット1枚だけで、大講堂の片隅に寝る。ただ、利用する人は少なくて、1・2回目は私だけ、3回目も2人だけだった。

 いずれにしろ、2食付きで1泊6000-9000円前後の四国巡礼と比べれば、サンティアゴ巡礼の宿泊費はかなり安い。

○「北の道」はスペインなので宿は「フランス人の道」と同様、基本的にアルベルゲ。その他、小さな村でないかぎり、二つ星ホテルやペンションもある。

 宿代は10年前に比べかなり値上がりしていた。アルベルゲの宿代は一般的には6€(5€や10€のところもある。10年前は3€)。民営だと10-15€。また、ボランテア運営では「無料。おこころざしは募金箱へ」というアルベルゲもある(募金をしない人もいるが、私は5€を入れていた)。どこもパンとコーヒーのみの朝食付。早く着くと公営の小さなアルベルゲは無人で閉まっているところが多く、受付の人がやってくるのは午後1時か、3時。

 二つ星ホテルやペンションは20-30€前後。朝食付だが、一般にパンとコーヒーのみ。家族営のペンションやバルの2階のペンションだと15€のところもあった(場所については末尾の日誌参照)。私がこれらに泊まったのは、アルベルゲを断られたときと、のんびりしたかったとき。シャワーやテレビが独占できて、疲れを取り心身のリフレッシュをするにはとてもよかった。

○統計で見る限り、「北の道」を歩く人は少ないと思われたが、実際には、予想以上に歩く人が多くて、私も午後3時過ぎに到着し、満員で数回断られたことがある(こんなときは近くにあるペンションや二つ星ホテルに泊まればよい)。

 2013年の巡礼証明書発行総件数は21.6万人(発効要件は「サンティアゴ大聖堂への最後の100kmを歩いたこと。自転車の場合は200km)」。うち、「フランス人の道」を歩いた人が15.2万人であるのに対し、「北の道」は1.3万人で「ポルトガル人の道」の3.0万人より少ない。

 ただし、歩いた感じでは「ポルトガル人の道」のほうが歩く人は少なかった。これは多分、「ポルトガル人の道」の3万人のうち、スペインに入って最初の都市Tuiから歩き始める人が0.9万人(ポルトガル側の国境の町Valencaも含めれば1.4万人)とスペインのみを歩く人が多く、ポルトガル国内を歩く人が少ないこと、ポルトガルはペンションが中心で宿泊客が分散されること、「北の道」ではGijonOviedoという途中の町までの人、その他観光気分で海沿いの途中の道のみを歩く人がかなりいること等によると思われる。

 なお、「ル・ピュイの道」(フランスの宿は夕食付きの私営「ジット」が中心)も、「北の道」ほどに宿は混雑していず、泊まれなかったという経験はない。

「北の道」は若い人が比較的多いのも特徴。

 海があること、その海で泳いだりサーフィンができることなどの影響もあるのだろうか。一人旅の30代、オーストラリア人女性に感想を聞くと「Very exciting!」と言っていた。初めての巡礼旅に「北の道」を選んだというが、海の魅力に惹きつけられたためであろう。

 それと、日本人にも3人お会いしたが、どの方も巡礼のベテランで「フランス人の道」を含めて、いくつかの巡礼路を歩いており、「北の道」が初めてという方はいなかった。「北の道」では多分、外国人の方も、いくつかの巡礼路を歩いた後でやって来た人がほとんどと思われる。「北の道」が初めてという人は珍しいようだ。

○なお、宿がどこにあるのか、いつも宿を探すのに苦労した。

宿泊地に着いて、いつも苦労したのが宿探しである。ルート概要を紹介した案内書は持っており、その町にアルベルゲ等の宿があることは分かっていたが、町の詳細な地図がないので宿の場所が分からなかった。小さな町や村では住民に聞けばすぐに分かったが、大きな町だとほとんどの人がアルベルゲの場所を知らない。そんなときは観光案内所(information turistica、地図には「i」で表示されている)の場所をまず聞き、「i」でアルベルゲの場所を聞くことにしていたが、「i」の場所を知らない人も多く、また行っても、昼休みで閉まっていたりした。そのため、町に入ってからアルベルゲに到着してホッとするまでに30分から1時間かかることがよくあった。

振り返れば、前日の宿で次の町の詳細な地図を手に入れておく、あるいは「iPod」のグーグルマップでその町の詳細な地図を調べておく、などをして、町の概要と宿の位置を頭に入れておけばよかったと反省している。

なお、MarkinaOviedoでは町の入り口でおじいさんにiの場所を聞くと、そこまで10分以上をかけて案内してくれた。特にOviedoの旧市街は複雑に入り組んでいたので、たいへん助かった。そのおじいさんには、こういう時のお礼のために持参していた日本の桜と富士の絵葉書をプレゼント。

 

(2)おすすめの宿

 泊まった宿はそれぞれに印象深いが、いくつかあげれば次の通り。

Goemesのアルベルゲ

 Goemesは人口300人の小さな村。丘の上にボランティアが運営する定員60人の大きなアルベルゲがある。部屋は10人規模、5人規模などに分かれており、食堂棟やシャワー棟なども別になっていて、ゆったりと泊まれる。また、広い敷地には礼拝堂もあり、巡礼の様子を描いた絵が数枚飾られている(写真・下記)。

 当日の宿泊は約50人。夕食前に全員が集まって広い部屋の四面の壁際に並ぶソファーや椅子に座ってミーティングがあった。私が泊まった範囲では、「フランス人の道」も含めてアルベルゲでミーティングがあったのはここだけである(全員そろっての夕食というアルベルゲも「北の道」ではここだけ)。

 ミーティングのホスト役は創設者である77歳のエルネスト神父。貧乏人をかばいすぎてキリスト教会を追放されたという逸話があると聞いたが、真偽は不明。

 スペイン語を英語とドイツ語に通訳する役に出席者の中から二人の若い女性が選ばれてスタート。まずは全員が個別にどこの国から来たかを紹介。その中で、私が76歳で今回の巡礼者中では最高齢であることもホストが紹介。更に「誕生日はいつか」などのやりとりがあって、ホストが私より6ヶ月ほど歳上であるが分かり、部屋の中央に呼び出されてホストの抱擁を受けた。のあと、山の写真を見せられ、どこの山かを皆で議論。次にホストが巡礼の意味を語ったが、その中で、日本の四国巡礼についても、壁に掛けられた「四国巡礼」を紹介する写真と文章(2m×3m位)を基に説明があった。最後にこのアルベルゲの設置経緯の説明があってミーティングを終了。この間、約1時間。

 なお、ホストは就寝時に暗い各部屋を廻り、何人かの枕元まで来て声をかけて歩いたが、私も声をかけられた一人。巡礼者へのおもてなしを実践する最高の宿と深く感じた。

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Laredoの修道院

 丘の上の国道を歩いてくると崖下にLaredoの町が広がった。遠くには広大な砂浜(前述)。

町への階段を下りていく途中でおしゃべり中のおばさん2人に聞くとアルベルゲは近くの修道院にあるという。大きな修道院。石畳の細い車道に沿って、道を圧倒するように建つ6階建て、中世風の石造りの建物。入り口の薄暗い石段を上がって分厚い木の扉の前に立ったが、鍵がかかっていて開かない。どうしようか。とりあえず呼び鈴を押すとマイクを通して声が聞こえ、「日本人」というと扉が開いた。中は更に薄暗い石畳の間。だれもいない。受付の人も現れない。先に来て泊まっていた韓国の女性が出てきて「待っていれば来る」という。しばらく待ってやっと2階から人がおりてきた。可憐な若い修道女だ。

真っ暗な階段を2階へ。受付の手続のとき、その可愛さに魅せられて「写真を撮らせて」と頼んだが、下を向いて微笑むだけで、了解はしてくれなかった。残念。とても魅力的な笑顔だったのに。そのあと、2段ベッド一つだけの落ち着いた部屋に案内された。

 夕方は建物内の大きな教会で行われたミサに宿泊者全員が出席。町の人も50人ほど参列。ほとんどが太ったおばあさんやおばさん。娘さんと一緒の人も。男性は数人だけ。町の人は皆、一人ずつ祭壇に歩み寄り、神父さんから祝福を受けていた。心が落ち着く。このミサは毎夕行われているのだろうか。

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Sobrado dos Monxesの修道院

 タクシーでMiraz経由、Sobrado dos Monxesへ。同地のサンタマリア修道院に泊る。寺院の中、回廊に沿って並ぶいくつかの部屋が泊るところ。石造り、2段ベットが並ぶ薄暗い部屋である。回廊沿いの他の部屋は粗末な食堂兼キッチンやトイレ・シャワー室など。

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 ここは1142年建立の大修道院。敷地は広大。現在使われている寺院や回廊のある中庭のほかに、奥に行くと崩れかかった大きな教会があった。見上げるとすばらしい彫刻が高い丸天井に向かって伸びている。でも天井の中央は崩れて丸い穴が空き、天空が望める。祭壇は鳩の糞だらけ。壁際にはほこりだらけの横臥した僧侶の石像。それと半分色があせたフレスコ画。どれもが往時の栄華を偲ばせて、とても魅力的だった。

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 夕方、宿泊者全員がミサに出席。ミサでは白い服を着た神父が10人ほど円形に並び、賛美歌を歌った。

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(3)その他、いくつかの宿

○ホテルと兼営のアルベルゲ

 午後3時過ぎにLlanes着。公営のアルベルゲはすでに満員だった。ホテルと兼営のアルベルゲAlbergue la Portilla」へ。宿泊15€(二段ベッド)、夕食10€、朝食5€。朝夕食はホテルのレストランでということだったので、どちらも頼む。同宿者では他に頼む人はなくて、一人だけのホテルでの夕食だったが、雰囲気がよくて、おいしくいただけた(ポテト、肉、サラダ、ワインなど)。朝食は食べ放題の果物付き。

○夕食は出前のレトルト食品で

1506Ribadesellaを過ぎ、小さな村San Esteban de Lecesのアルベルゲに泊る。6。近くに食堂がなくて、夕食は部屋に貼ってあるメニューを見て、遠くのレストランに出前を頼んだ。サラダ7.、ポテトとゆで卵6.、計14。届けられたのはどちらも銀紙の器に入った冷凍のレトルト食品で、電子レンジで温めて食べるもの。値段が高かったので陶磁器の皿に盛って温かい料理を運んでくるのではと思ったがあてが外れた。

 出前での夕食はこれまでのサンティアゴ巡礼では経験がなかったが、高い割にはやや期待はずれ。もっとも、出前を頼んだのは私だけ。他の宿泊者はスーパー等であらかじめ買ってきたものを簡単に調理して食べていた。

○夕食を持参する必要があるMirazのアルベルゲ

 BaamondeからSobrado dos Monxeまでは40km。その中間には宿泊施設がなかったが、2005年にイギリスの友の会(修道会?)がBaamondeから15kmのMirazにアルベルゲを開設した。「Albergue de peregrinos」という。

 準備編で紹介したhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~akutare/2013年にここを通った山本さんの巡礼記)によると、このアルベルゲは「収容人員24名で満室の場合は断られるので、早めに到着することが必要である。食事の提供は無く、近くにレストランは無いので夕食の材料は持参するか、途中のTienda等で購入して持参する(自炊は可能である)」とある。

 どんなところか自分の目で確かめ、報告書に書こうと思って、タクシーで立ち寄ってみた。アルベルゲは白い清潔な建物。すぐそばにはバル。ただ、アルベルゲは閉まっていて食事ができるかは確認できなかった。

 また、後日、ここに泊まった仲間に聞いたところ、「バルではサンドイッチもなくて、食事はできない。ただ、そのバルでは、料理材料としてのスパゲッティ-とそれに入れる材料は売っていて、それをアルベルゲで調理して夕食とした」とのこと。ただし、1年中バルで料理材料を売っているかは確認していない。

 いずれにしろ、調査不足で終わった。泊る場合は、事前に食事をどうしたらよいかを確認したほうがよい。

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4.「北の道」の天候

○今回は平年並で、晴天続き。

 今回は晴天続きの毎日だった。45日間の滞在中、雨に会ったのは数日のみ。インターネットで巡礼報告を見ると、昨年・2013年のこの時期は天候不順でほほ連日、雨だった。

 また、平年で見ると、スペインの6、7月は乾期であるが、「北の道」は海沿いなので、ある程度の雨はあるようだ。たとえば、内陸ではレオンに見るようにほとんど雨が降らないのに対し(6,7月の月間平均雨量は20mm、17mm)、海沿いのサンセバスチャンは65mm、63mmである。それでも7月の東京(126mm)と比べれば雨量は少ない。

○気温も平年並。東京より低い。

 前回までの巡礼路では暑さで苦しめられることが多かったので、かなり暑いと予想していたが、予想は外れた。朝方は10度前後で寒くて上着が必要だったし、昼でも20-24度までしか上がらず、晴れていても木陰で風に吹かれたり、曇り日に海辺で腰を下ろしていると寒い位だった。ただし、無風で昼の太陽を浴びればかなり暑くTシャツ一枚で充分。

 こんな気温は今年だけのことではなく、サンセバスチャンの6、7月の平均気温(6月が最低14-最高20度、7月が16-22度)に見るように、平年並と言うことができる。なお、「フランス人の道」のレオンは6月が10-24度、7月が12-27度。

<その他・あれこれ>

1.「iPod」は、たいへん便利。ただし、使える場所が限られている。

○息子から「iPod」をプレゼントされた。

 これまでパソコンと携帯電話は使っていたが、このような多機能の通信機器は使ったことがなかったし、使い方もよく分からなかった。今回、使い方を教えてもらい初めて利用。とても便利だった。それに使用料が無料なのもよかった。 

○利用したのは、音楽の録音、Eメール、テレビ電話(Face Time)、ニュース検索(ヤフー・ジャパン)、カメラ、私の撮った写真のFacebookへの掲載など。

 その他、現地の天気予報、現地の地図情報などもときどき見ていた。

○音楽については私の好きな日本の音楽を約100曲、録音して持参した。

 過去にも、サンティアゴ巡礼や海外登山、シベリア鉄道の旅などで日本の好きな音楽を聞いていたが、それらは、初め頃は録音テープと録音機を持参し、その後はCD数枚とCDプレーヤーを持参して聞いたものである。

 今回のiPod」は過去のものと比べると、手のひらに乗るほどに小型で軽く、しかも多くの曲が録音できて、とても利用しやすかった。

 倍償千恵子、鮫島有美子の「若者たち」や「学生時代」を、列車内やアルベルゲのベッドで聞いていると、友情とか、恋についての青春時代の思い出が溢れてきて、老いて乾いた心がみずみずしい感情に満たされた。また、「大黄河」(宗次郎)や「シルクロード」(キタロー)、「新世界紀行」(服部克久)を聞くと、地球の遥かかなた、無人の原野をさまよう心地がして、自分が今どこにいるのかを忘れた。ショパンの「ノクターン」、チャイコフスキーの「白鳥の湖」も大好き。クラシックはまったくの素人で、よく分からないが、この二つは折にふれて聞いた。また、美空ひばりも聞いた。ひばりとは生れが同年。どの歌も好きだ。死の1年前の、伝説のワンマンショー「不死鳥コンサート」をDVDで何度か見たが、彼女の「死に臨んでも歌い続けようとする、人生にかける覚悟」をひしひしと感じ、身も心も惹き込まれたものである。

iPod」を持参したことで、「音楽って、すばらしい」と感じるひとときが過ごせた。

○できるだけ家にテレビ電話をした。

 日本時間の午後6-10時頃(スペインの午前10-午後2時頃)に電話。特に良かったのは顔が見えることと使用料が無料だったこと。

 これまでは、家と連絡を取るのに公衆電話を使用したり(1回目の巡礼)、成田空港で国際携帯電話を借りて持参したりしたが(2-3回目の巡礼)、2回目のときはは料金がどの程度になるか分からぬままに頻繁に利用したために、請求額が7万円にもなってしまい、びっくりした。それが、今回は長時間話しても タダになったのである。

○「iPod」にも不便な点がある。

 「iPodにはたいへん便利でしかも無料という大きな利点はあるものの、音楽を聞くことと写真を撮ることを除いて、利用できるのはWIFIがつながる場所という条件がある。

 スペインでWIFIを入れているのは、鉄道の大きな駅、バスの拠点駅、レストランの大部分、バルの一部、ホテル、ペンションなどと限られている。路上ではもちろん、アルベルゲもほとんどでWIFIを設置しておらず、そこでは「iPod」を利用できない。

 たとえば、昼ごろ家に連絡をしようとしても、利用できる場所がないことが多かった。この点はたいへんに不便である。ただし、現代は通信機器が急速に発展中なので、10年後にはどこででも「iPod」が使える時代が来るのではとは思っているが。

2.うっかりミス

 自分が歳を取ったと強く感じるようなうっかりミスがいくつかあった。

○列車が荷物ごと切り離されて、行ってしまった。

 サンティアゴからビルバオへ向かう途中でのことである。2両連結の列車に乗っていると途中で車両が10両ほど前に連結された。そちらにはコーヒーが飲めるビュッフェがあったので、車両を移動しコーヒーを飲みに行った。ところが、スペイン語新聞の天気欄に目を通し、車窓の風景をのんびりと楽しんだ後、後方に戻ってみると、自分の車両が消えていた。切り離されて別の方向へ行ってしまったのだ。幸いにして、パスポートと現金は身につけていたものの、その他の旅用の荷物は全部、その車両とともに消えていた。

 あわてて車掌のところへ。大柄で髯のあるおじさんだ。つたない英語で事情を説明するが、なかなか通じない。車掌は「イングリッシュ、ノー。スパニッシュ、オンリー」という。英語は分からないのだ。といってこちらはスペイン語が全く駄目。途方にくれていると、乗客の若い女性が助太刀をしてくれた。私の英語をスペイン語に訳し、車掌に伝えてくれたのだ。車掌はすぐにあちこちに電話。女性の通訳によると「荷物はおさえた。今夜中にビルバオの駅の届くようにした」とのこと。更に「次のビトリア駅で降り、バスセンターに行けば、今日中にビルバオに着ける」という。助かった。ほっとする。

 車掌は駅に着くと駅員を呼び、スペイン語で事情を説明、駅員は無言で私の腕を引っ張り、タクシー乗り場へ。タクシーの運転手に何か言うと運転手は私に何も言わずにバスセンターへ。私は言葉を発することなく、バスセンターに着いてしまった(19:30着)。車掌、通訳の女性、駅員、タクシーの運転手、スペインの人達は皆、本当に親切だった。

 当時のメモを見ると「これまで、疲れからか元気を失い、巡礼を続けられるか、やや不安になっていた。ところが、きょうは事件が勃発。何か、次から次へと事が進み、どうするかで頭が忙しく回転し、久しぶりに興奮。充実感を味わって、元気を回復した」とある。

 バス20:00発、ビルバオ21:00着。6.20€。前に泊まったアルベルゲに行くと、一晩中オープンとのことで開いていたのでチェックイン。その後、22:00頃、ビルバオの駅へ行き荷物を受け取ることができた。

 なお、日本の旅行案内には注意事項がいろいろ記載されているが、「列車が切り離されるので注意」という文言は見たことがない。旅慣れぬ人にはこんな注意も必要のようである。

○道を間違えたのに丸1日、気が付かずに歩き、宿に着いてもしばらく気が付かなかった。

 Villaviciosaから巡礼路は二つに分かれる。Gijonへ行くつもりだったが、間違ってOviedoに向かう道へ。矢印などの道標を見つけることで頭が一杯となって「道が二つに分かれること」を失念したために、道を間違ったことにまったく気が付かずにPola de Sieroの町まで歩き、アルベルゲに到着して初めてOviedoへの道を歩いてきたことに気が付いた。

○料金を払わずにレストランを出ようとした。

 サンティアゴでのこと、うっかり代金を払わずにレストランを出ようとしてマスターに呼び止められた。メモを書くのに夢中になり、書き終わってホッとして料金を払うことを忘れてしまったのだ。

3.食事はどうしていたか。

○アルベルゲに泊る人のほとんどは、朝、昼食はサンドイッチ等の手作り、夕食は自炊であり、節約志向が徹底していて、レストランに出かける人はほとんどいなかった。

○私は朝、昼はコンビニで買ったパン、バナナ、リンゴ、トマト、ときにはハム、それに缶の紅茶、ペットボトルの水などですまし、夕食はレストランでフライドポテトと卵の目玉焼き3つ、サラダを常食とした(「patata frito(フライドポテト)」「huevo frito(目玉焼き)」「ensalada(サラダ)」「jamon(ハム)」などと書いたメモを用意しておき、それを見せて注文)。10-13€。

 夕食を上記3つで押し通したのは、あるとき、店のマスターの言いなりで注文してみたら、すっぱいポテトサラダや薄切りトマトだけで緑の野菜がないサラダが出てきて、満足に食事ができなかったことがあったためである。

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○数日間、一緒に歩いた日本の仲間のうち、女性のIさんが作る毎日の夕食は味もやや和風で、とても美味しかった。材料は調味料も含めてスーパーか、コンビニで調達。それを宿のキッチンで調理する。更に割り勘で負担する材料費は、朝食代、昼食代も含めて、1日3€前後と安かった。Iさんに感謝。

 私にはできないが、このように自炊をすれば、旅費はかなり節約できると思う。

4.言葉の問題

○夕食後のアルベルゲの夜は見知らぬ者同士で話がはずむ。ほとんどの宿泊者が庭やキッチン兼談話室のテーブルを囲み、あるいは場所が足りないときは廊下の長椅子に一列に座って、就寝時までおしゃべり。スペイン語や英語、ドイツ語などが飛び交う。

 私の場合、行けば喜んでその輪に加えてくれたが、皆の会話が理解できないので何となく落ち着かず、出席しても短時間で席を外してしまい、そのうちに、最初からその輪に加わることなく、一人、誰もいない部屋で寝てしまうようになった。

 でも、部屋で寝ていると楽しそうな笑い声が聞こえてくる。さびしい、皆の輪に加わりたい---。外国語の会話が普通にできたらと痛切に感じるのはそんなときであり、4回目ともなると、その思いはますます強まった。

○外国の人と一対一で話すときは、ある程度会話が成立した。ドイツの30歳代の女性、オーストラリアの若い女性、ルーマニアのおばさん、ベルギーの若者、イギリスの中年男性など。宿で、あるいは歩きながら、つたない英語であれこれと話をした。特に歩きながらの会話は楽だった。

○宿の受付がおばさんやおばあさんの場合、英語が通じないことが何度かあった。スペイン語、オンリー。と言ってこちらはスペイン語が駄目。そばに英語が分かる宿泊客がいれば意思疎通は可能だが、おばあさん以外誰もいないときが一度あった。ホテル兼営のアルベルゲ。どちらに泊るのか、宿泊代はいくらか、朝食をつけるのか、夕食はつけるのか、なかなか意思が通じない。おばあさんはメモを書いて説明してくれたが、よく分からない。おばあさんはいらいらしてメモを丸めて捨ててしまった。どうしようか。気がついて、ザックからスペイン語・日本語辞書を取り出して、交渉再開。やっと意思疎通ができた。こんなときのために辞書は必携である。

5.持ち物

○持ち物一覧

 レインウエア、長ズボン1枚、半ズボン1枚、Tシャツ2枚(半袖シャツ兼用)、長袖シャツ1枚、フリース1枚、パンツ2枚、5本指靴下4足、軍手1組、地下足袋、ビニール敷物、インナーシュラフ、スリッパ、ツェルト、ストック、荷物の小分け袋(機内持込み用のバックを含む)。デジタルカメラ、海中電灯、交換用の電球 予備懐中電灯(100円)、単三電池6本(カメラ用、海中電灯用)、カメラ用SDカード予備、I Pod、イヤホーン、充電器、200Vアダプター、腕時計、メガネ。 

  帽子、水泳パンツ、タオル2枚、カミソリ、石鹸、お守り(娘が作ってくれたものと二人の孫のお手製のもの)、テッシュ数個、トイレットペーパー1ヶ、歯ブラシ、練歯みがき、薬(胃薬、下痢止、かぜ薬、コレステロール用の薬、疲労回復剤)、リップクリーム、カットバン(足まめに適したジョンソン社製を含む)、つめ切り、耳かき、インスタントの乾燥ごはん2袋。 

  パスポート、パスポートのコピー2枚、パスポート紛失時に新パスポート作成用写真4枚、航空券の引換証(忘れやすい)、海外保険証(忘れやすい)、現金、財布、クレジットカード、キャシュカード、名刺、メモ用手帳。 

  スペイン語の辞書、地図、コースの説明文(行った人が書いた毎日のコースの説明文、インターネットよりコピー)、必要と思われる日本の電話番号、日本の絵葉書10枚(現地でのお礼用)、文庫本(機内での読書用、新田次郎「栄光の岩壁」ほか)

○名刺代わりのコピーとおみやげを持参してよかった。

 「準備編」に書いたが、自分の家族の写真(自分がサンチャゴ巡礼に行った年などを記入)、それと富士山と槍ヶ岳、日本の桜と紅葉の風景をカラー1枚にコピーして20枚ほど持参。また、日本の絵葉書やストラップ、折り紙などをおみやげとして持参した。

 これらは、かたことの英語しかできない中で、お会いした方々とコミュニケーションをとるのにたいへん役に立った。

○娘と孫2人がそれぞれ、お守りを作ってくれた。

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○サンダルを持参すべきだった。

 宿のシャワーは大勢の人が利用し、着替える場所の床が常にビショ濡れとなっており、持参した薄い布製スリッパも濡れてしまって、パンツやズボンを履くのにたいへん苦労した。しっかりしたゴム製サンダルを持参する必要がある。

6.電車とバスの利用について

7.アルタミラの洞窟壁画とモン・サン・ミッシェルの大聖堂

<帰国後>

○後半生は好きな登山と旅を存分に味わってきた。人生の中でそれらにはどんな意味があったのか?

○「挑戦」の旗を降ろして、今後は何をするか?

・何をやるか。絵を描きたい。人生は多様、その奥は深い。知らないこと、経験していないことは無数にある。そこには貴重な何かがあるように思う。死ぬまでに出来る限り人生を味わってみたい。

・楽しみって何。

・心の底から湧き上がるほどにやりたいことはあるか。

・老いの生き方。

 

<日程詳細>

○5月30日

 巡礼に行くのは5人(女性のAさん、男性のMさん、女性のIさん、視覚障害の宮本さん、それに私)。空港に市角夫妻が見送りに来てくれた。

 成田発21:20-アブダビ着04:35(現地時間・5月31日)エティハド航空 

010○5月31日

 アブダビ発09:00-パリ着14:25 エティハド航空

 パリ・モンパルナス地区にて寿司を食べたあと、同地区の「メゾン・オランジュ」泊。(tel +33 6 17 80 23 11 parislife.information@gmail.com 素泊り約4千円)

○6月1日 

 午前中、5人でモンパルナス散策。モンパルナス12:28発の列車でイルンへ。18:20着、アルベルゲ「Albergue de Peregrinos」泊り。宿泊は無料だったが、募金箱に5€を入れる。募金をしない人、3€を入れる人など、各人まちまち。巡礼証明書(クレデンシャル)をアルベルゲで発行してもらう。

○6月2日(歩程18km)

 宮本さん、Aさん、Mさんの三人は6:50にイルンを出発。私とIさんは日本にIさんの荷物の一部を送り返すために郵便局へ。8:30の開店を待って手続き。9:00にイルンをスタート。小雨。農村を行く。峠の教会へ。雨具を脱いで一休み。寒い。ロシアの若い女性に会う。一人旅のようだ。 

 更に丘陵地帯の上を行き、小学生の一団に会う。晴れた。3人に合流しPasai Donibaneの「Hospital de Peregrinos」泊。丘の上、教会に隣接するアルベルゲ。宿泊は無料だったが、募金箱に4€を入れる。

○6月3日(10km)

 5人一緒。丘を下り、渡し船で対岸に渡る。5分で対岸へ、0.€。対岸をしばらく歩き、崖上へ急な階段を登る。丘陵の上を行くとキリスト教徒の家あり。喫茶、宿泊を無料にして巡礼者をもてなしているという。我々も茶菓の接待を受けた。更に丘陵の上を7kmほど行くと見晴らしのよいところへ。眼下に弓なりの砂浜。San Sebastianの入り口だ。まだ見えぬが、左手、半島の向こう側がSan Sebastianの中心にある長い砂浜のもよう。

 San Sebastianは「北の海岸」随一の夏の高級リゾート地(前述)。町に下りると長い砂浜とそれに沿った遊歩道は人で溢れていた。宿は砂浜を端まで歩きやや山側に入ったところにあった。

 ユースホステル兼アルベルゲの「Aterpetxe-Albergue-Youth Hostel」泊。16€。

 荷を置いてレストランで昼食。その後、Iさんと、湾の左先端にあるケーブルカー(3€)でモンテ・イゲルドの丘に登り、広大な湾の風景を楽しむ。

○6月4日(23km)

 足が弱いこともあって、Iさんと二人で先発。あとの3人はもう1泊してSan Sebastianを見物することになった。

 森の中を登り、丘陵地帯の農村を行く。小雨。途中、ドイツの女性と一緒になる。10kmほど行き、いったん、Orioの町の川岸に下りて、トルティーャとコーヒーで一服。2.5€。もう一度登り返し、5kmでZarautzへ。長い砂浜を見下ろしながら、町に下りる。

 町はずれのアルベルゲに行ったが満員。そこから10分戻った旧市街にあるペンション「TXIKI Polit」を紹介され、そこに宿泊。階下はバル兼レストラン。宿の代金は朝食付、2人で44€。夕食はレストランで豚肉の串焼き、アスパラなど、1人10€。ウエイトレスに「ナプキン」が欲しいと言ったら、私のジェスチャーが通じなかったようで、「バンドエイド」を持ってくるという「おまけ」の出来事があった。

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Zarautz 遠景

○6月5日(20km)

 宿のバルで朝食。宿から100mで砂浜へ。地図の巡礼路は町からすぐに丘を登るが、私達は車道と平行する海岸沿いの遊歩道を行く。遊歩道の下は白波が立つ岩場。後方には白波が打ち寄せる長い砂浜。遥か彼方まで朝日に輝く海面が望める。

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海岸歩きはGetariaまで。ここから巡礼路に戻り、坂を登って、丘陵地帯へ。遠くの山までぶどう畑が続く。Zumaiaの港が近づくと前方に海が望めて、眼下にはヨットハーバー。港に下り、橋を渡って公園で一休み。再び急坂を登って丘陵を行く。

 Iさんが足を痛めたため、Debaの港へあと20分の丘の上にあるペンション泊。おかみさんが部屋まで来て、夕食を作ってくれた。夕食付きで一人35

○6月6日(24km)

 宿を7:30スタート。足を痛め列車でBilbaoに先行するIさんとDebaの駅で分かれて(列車8:45発)、9:00、一人で歩き始めた。間違えて港町Mutrikuへと遠回り。そこから車道を延々と登り、巡礼路上のOlatzへ。更に丘陵地帯の森の中を行く。展望のあるところはほとんどない。

 途中、1人歩きで中年のフランス人女性と一緒になるが、フランス語なまりの英語は聞き取りにくくて、ほとんど理解できなかった。すぐに分かれる。

 そんな中で、体が急に大量の水を欲して、持っていた2Lの水を午前中に飲み干してしまった。水が欲しいが、バルや水場は全くなし。喉が渇く中、きょうの目的地Markinaへは、正面から太陽に照りつけられる中を延々と下らねばならなかった。運悪く日陰はほとんどない。暑さと喉の渇きと足の疲れで、この下りはとてもきつかった。2Lで充分と思っていたが水が足りなくなるなんて。体の調子によっては水が2L以上必要なこともあるのだ。今後は要注意。

 Markinaの入り口で水を求め、おじいさんにアルベルゲへの道をたずねると、親切にもアルベルゲまで案内してくれた。教会に付属し、宿泊は無料。案内書には「Donativo(寄付。おこころざし)」とあり、私は募金箱に5€を入れた。

 そのあと、スーパーでバナナ、パン、リンゴ、トマト、ハム、缶紅茶、水などを買い込み、広場のベンチでたっぷりと夕食を摂る。

○6月7日(25km)

 小川に沿って4kmでIruzubieta。小さな村。閉まっていたがバルが2軒。右に曲がり、坂を上がって森や畑の中を3km行くとBolibarの町。教会の前にシモン・ボリバル(Simon Bolivar)を称える記念碑が立っている。彼は19世紀の前半、南米でいくつかの共和国を建国するなど、植民地独立運動に一生を捧げた人である。彼の先祖はここの出身。先祖は16世紀に南米ベネズエラに渡り、シモンは1783年にそこで生まれている。

 町を抜け、坂を上がったところに回廊付きの大きな教会あり。天井から木製の大きな獣の首が真下を狙っていた。狼か、蛇か、よく分からない。

 丘の上の次の町でバルに入る。ベーコンやハム、卵などを挟んだボカディージョと卵のオムレツ・トルティーヤがカウンターに並んでおり、トルティーヤを皿に取って食べた。

 更に丘陵が続き、森の中を行く。森を抜けた丘の上のバルでコーヒーを飲む。巡礼者用定食8.50€の看板あり。

 途中で、イタリアで働く日本の女性に会う。イタリア人2人と一緒。Gernikaへ。アルベルゲ兼ユースホステル「Gernika Hostel」泊。20€。彼等も一緒。

 4人でレストランに行き夕食。イタリアのおじさんから「巡礼の楽しみは巡礼者同士の会話。会話ができないで、何が楽しいのか」、「電車やタクシーを使う位なら、俺は巡礼をやめて帰る」などと言われたが、かたことの英語では、うまく反論できなかった。もっと会話が上手ければと思う。

 なお、Gernikaはピカソの描いた「ゲルニカ」で有名。スペイン内戦時の1937年、ドイツ空軍により、史上初めてと言われる「都市無差別空爆」があり、大きな被害を受けた町である。町には道路に面し「ゲルニカ」のタイル製実物大レプリカが立っている。私は行かなかったが、平和博物館、議事堂など、見どころも多い。

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○6月8日(歩き21km、電車11km)

 森の中のきつい登り下りが続く。

 Lezamaから電車(私鉄)に乗りBilbaoへ。Iさんと合流。同地の「GANBARA Hostel Bilbao」泊。

○6月9日(列車でSarriaへ)

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 Iさんと列車でBilbao(9:15発)からSarriaへ(Monforte de Lemos乗換、Sarria18:32着、46.20€)。Sarriaは「フランス人の道」にある。ここから100kmでサンティアゴ。最後の100kmを歩けば巡礼証明書がもらえる。私は前に歩いているが、足を痛めたIさんに「フランス人の道」とサンティアゴ大聖堂のにぎわいを見てもらうためにやってきた。同地のアルベルゲ泊。スーパーで冷凍食品(ピラフ、魚介類等)を買い込み、宿で温めて夕食。

○6月10日(タクシーを利用)

 IさんとPortomarinへ。ここは1回目の巡礼のときに印象に残った町。丘の上にあり、眼下に広々と大きな湖面が見渡せて、開放感あふれるところ。橋を渡り長い階段を上がったところに町の入口がある。「Alberugue de Portomarin」泊。6€。

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○6月11日(タクシーとバスを利用)

 IさんとタクシーでParas de Reiへ。25€。そこでIさんと分かれ、バスでLugo経由Baamonde(「北の道」の町)へ。バス代は3.15€+2.90€。移動にバスを利用すれば意外に安いことを知った。同地の「Alberugue de Baamonde」泊。6€。バス道路沿いにあるが、周辺の家はまばらで寂しいところ。宿で日本人男性・青木さんと出会う(前述)。

○6月12日(タクシーで40km)

 10:30、青木さんとタクシーでMiraz経由、Sobrado dos Monxesへ(約40km、40€)。

 Baamondeから数分のところに、サンティアゴへ100kmの道標があり、記念撮影。次いでMirazへ。

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 インターネットで見ると「ここのアルベルゲは夕食の提供はなく、またレストランもない」とあり、後日、仲間が通るために気になっていたので立ち寄ったものである(前述)。

 Sobrado dos Monxesのサンタマリア修道院泊。寺院の中、回廊に沿って2段ベットの宿泊施設があった。ここは1142年建立の大寺院。現在使われている寺院や回廊のある中庭のほかに、奥に入って行くと崩れかかった大きな寺院がある(前述)。

 夕方、宿泊者全員がミサに出席。ミサでは白い服を着た神父が10人ほど円形に並び、賛美歌を歌った。

○6月13日(22km)

 丘陵地帯を行く。青木さんとの二人旅。話がはずんで楽しかった。

 Arzuaに到着し「フランス人の道」に合流。急に巡礼者が多くなった。私営のアルベルゲが10ヶ所ほどあったが、私は安い公営の「Albergue de Arzua」に泊る。6€。レストランでの夕食も青木さんと一緒。なお、Iさんとはここで落ち合う約束だったが、Santiagoに向かって次の宿へと進んでいて会えなかった。

○6月14日(バスで39km、Santiagoへ)

 今後の日程を考えると、「北の道」を歩いたあとでSantiagoまで来る余裕はない。1人、8:00発のバスでSantiagoへ。前にも泊った4階建の神学校の中にある「Albergue Seminario Menor」に宿を取る。12€。

 大聖堂とその周辺を散策。おみやげを物色。孫の風ちゃんにネックレス(ブルー、ホタテ貝型)、そう太にTシャツ、妻と娘に大聖堂製のネックレスなどを買う。

 Baamondeからここへは100km。これを歩いたことにすれば「巡礼証明書」が貰えるので、巡礼事務所の行列に一度は並んだが、すでに2枚もらっていることでもあり、後ろめたさもあって、やめにした。

 夕食は神学校の地下へ。ここには快適に自炊ができるキッチンがある。コーヒーやインスタント食品(パスタなど)の自販機があるほか、電熱器(これで湯が沸かせる)、電子レンジ、冷蔵庫があり、テレビ、パソコン(パソコンは有料、30分1€)があり、時間によっては売店が開く。私はそこで、パン、バナナ、トマトを買って、即席ご飯(日本から持参)、即席ラーメン(現地で購入)と一緒に食べた。

○6月15日(Santiagoから電車とバスでBilbaoへ)

 朝、思い立って大聖堂にお参り。生涯でもう来ることはないであろう。

 10:18発の列車でBilbaoへ(20:16着の予定)。49.20€。

 ところが、うっかりミスで途中下車をする羽目に(前述)。

 ミスとは、荷物を置いた車両を離れてカフェのある車両でコーヒーを飲んでいる間にMirandaの駅で二つの車両が切り離されてしまい、戻ってみたら荷物を置いた車両がなく、自分は別方向に向かっていたということである。

 すぐに車掌に連絡し、次の停車駅Vitoriaで下車しタクシーでバスセンターに行き、そこからバスでBilbaoへ行って、当日の夜遅くにBilbao駅で荷物を受け取ることができて、ほっとした。Bilbao泊。

○6月16日(地下鉄で20km、歩きで13km)

 世界遺産のBIZKAIA橋(ビツカヤ橋)が見たかったので、Bilbaoから、まず地下鉄に乗ってAreeta駅へ(1.70€)。橋はAreetaの町と対岸のPortgaleteを結んでいる。鉄骨製。吊り下げたゴンドラで車と人を運ぶもので、1893年の建設。設計したのはエッフェル塔を設計したエッフェルの弟子の一人、バスク人のアルベルト・パラシオ。この形式の運搬橋では最古のものという(いくつもあったが現存するのは8つ)。長さは160m、高さは45m、渡し賃は1人0.35€だった。

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 ゴンドラで対岸のPortgaleteに渡り(橋桁を歩いて渡る方法もあるもよう)、巡礼路に合流して歩き始める。町を抜けるとLa Arenaまでの約10kmは、行きと帰りの道を分離し、更に人と自転車をも分離した、アンツーカー仕様と見える、幅広のすばらしい遊歩道が続く。この後、こんな遊歩道には会わなかったが、日本にもあったらいいなと思うほどにすばらしかった。

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 ホテルがあるLa Arena の海水浴場に着く。更に砂浜を20分歩くとPobenaのアルベルゲ。そこに泊る。料金は無料。ただし、募金箱が置いてあり、なにがしかを入れるようになっている。私は5€を入れた。

○6月17日(9km)

 Castro Urdialesのアルベルゲ泊。

○6月18日(27km)

 Laredoは崖下に広がる街。はるか遠くに弓なりに長い砂浜。下りて行くと旧市街。修道院泊、10€(写真別記)。

○6月19日(27km)

 Guemesのアルベルゲ泊。€。(詳細別記)

○6月20日(12km。大回りし実際はもっと長く歩く。Somoからは渡し船)

 大回りの道の途中でサブリナに会う(詳細別記)。

 Santanderのアルベルゲ泊。10€。

○6月21日(電車で34km。歩き10km。別に途中からアルタミラ洞窟往復+10km)

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 Requejada駅まで電車。そこからアルタミラ洞窟のある博物館まで歩く。駅10:30スタート、博物館13:00着。

 アルタミラの見学に3時間ほどかかり疲れたので、Santillana del Marへ行く途中の村の二つ星ホテルに宿を取る。朝食付30

○6月22日(Santillana見物後、12kmを歩く)

 ホテルを出て20分、バス停があったので若者に「このバスはSantillanaへ行くか」と聞くと、「ここがそうだ」という。遠いと思っていたがSantillana del Marはホテルから意外に近かった。

 Santillanaは中世の町並みがそのまま残る小さな村。石造りの古い家はイスラム教徒に追われて逃げてきた貴族が建てたものだという。土産物屋とカフェがあちこちに。パラドールもあった。9-12世紀に建てられた「参事会教会」や16世紀に建てられた「ペラルド邸」などの内部を見たかったが、入れなかった(教会はミサ中、ペラルド邸は閉館)。30分で村を見て廻った後、観光案内所の中庭でパンとバナナの昼食。

 11:30発、丘を登って次の町へ。1時間ほど広々とした農村地帯を行く。景色よし。絶景は海岸部だけではない。

 15:30,Cobrecesの町の入り口、巡礼路沿いにふと見つけた民営の「Albergue el Pino」に泊る。おばさんの経営。15€と高かったが、新築で気持ちのよい宿だった。泊りはデンマークのお嬢さん2人と3人だけ。

○6月23日(22km)

 教会は普通、むき出しの石の壁か、白一色なのにCobrecesにある二つの教会はピンクと薄いブルー。めずらしく現代風。その前を通る。

 キャンプ場のレストランで一休み。

 丘の上に小さな教会あり。現代的なステンドグラスが気に入った。

 Comillasへ。広い海水浴場(冒頭に写真を掲載)から坂を登って町へ。古い大学とガウディが建てた教会があるところ。

 更に延々と歩き、大きな川を渡ったところにある観光地San Vicente de la Barquera のアルベルゲ泊。高台にある。ほぼ満員。10

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○6月24日(17km)

 BarqueraのバスセンターではWIFIがあり、iPod」が利用できたので、妻にテレビ電話。9時、スタート。坂を登り丘陵地帯の車道を延々と歩き、11:20、Serdio着。川を渡り、森の中を鉄道の線路沿いにUnqueraへ。ここは鉄道駅のある大きな町。前に会ったことがある一団の人達が道の向かいのバルで休んでおり、手を振っていた。町を通過し、橋を渡って急坂を上がる。眼下には川と町。休憩中にサブリナ達に追い抜かれた。すぐにColombres。でも、アルベルゲは満員。サブリナ達はどこかに宿を取ったようだ。私は1人、町を抜け国道沿いにあるバル兼ペンション「OYAMBRE」に泊る。宿泊客は2人のみで、空いている上に12と安かった。夕食は道を挟んで向かい側のホテルで食べる。(写真:Unqueraの町とColombresの宿)

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○6月25日(22km。回り道をして、実際はもっと歩く)

 Colombresから9kmのPenduelesで国道を離れ、更に2kmほど進んで巡礼路も外れ、海岸に向かう。地図にビューポイントの印がついた回り道(Llanesに向かうもの)が載っていたためである。まずは大きな砂浜に出る。Vidiago(ヒディアゴ)の辺りか。突き出た岩の上にはレストラン、その裏手の断崖の下には砂利混じりの砂浜、とても景色のよいところだった。更に断崖沿いを進むと、岸から数mの海中に、高さ20m、長さ30mほどの岩山があり、この後も海中に突き出たいくつかの岩山に出会った(前述)。

 車道に出ると、Llanesの町まであと5kmのところで、日本のスペイン大使館に勤務していたという現地の中年男性(「旗の台」に住んでいたとのこと)が車で近づいてきて、町まで送ってくれた。最初のアルベルは満員。更に車でホテルと兼営の民営アルベルゲ「Albergue la Portilla」へ。宿泊15。他にホテルの夕食10、朝食5も頼む。美味しかった。

○6月26日(17km) 

  出発し、5kmで美しい海岸へ。

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 Nuevaのペンション「Casa Principado」泊。家族経営で、外からは普通の家にしか見えない。巡礼路を歩いているときに「自動車」が寄ってきて、宿のおじさんから地図入りの名刺を渡され「泊るならここへ」と勧誘されたもの。

○6月27日(19km)

 長い砂浜のある観光地Ribadesellaを過ぎ、小さな村San Esteban de Lecesのアルベルゲ泊。6。夕食は遠くのレストランに出前を頼む。サラダ7.、ポテトとゆで卵6.、計14。届けられたのはどちらも銀紙の器に入った冷凍もの。電子レンジで温めて食べた。

○6月28日(15km。別に寄り道あり)

 7:00、スタート。村の中を下りて行くとすぐに砂利の多い無人の砂浜。波打ち際をしばらく行き、断崖の上に上がると次の砂浜が弓なりに眼下に広がる。浜辺に豆粒のような黒い人影が二つ、サーフィンを楽しんでいるようだ。巡礼路は海から離れていくが、海辺へ下りて高さ100mの岩山を回り込めば巡礼路にたどりつくのではと思って、そちらに道を取る。でも行き止まりで引き返す(前述)。

 Colungaの2つ星ホテル「Las Vegas」(1階はバル)泊、25

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○6月29日(17km)

 Villaviciosaの「Hostal el Congreso」泊、15

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○6月30日(26km)

 
 Villaviciosa
から巡礼路は二つに分かれる。Gijonへ行くつもりだったが、間違えて、Oviedoに向かう道へ。うっかりして「道が二つに分かれること」を失念していた。まったく気が付かずに、Pola de Sieroの町まで歩き、アルベルゲに到着して初めて気が付いた。同地の「Alberugue Pola de Stero」泊、5

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○7月1日(17km)

 出発時、小雨、のちに本降り、そのあと雨が上がって晴れてきた。町の郊外と言った感じの丘陵地帯を行き、後半は市街地を行く。オーストラリアから来た女性と一緒になり、歩きながら話をする。カミーノは初めてで、「北の道」をまず歩くことにしたが、この道は「とてもExcitingだ」とのこと。どうしても来たかったので、昨年は休暇をあまり取らず、休暇をためてやってきたという。彼女からもいろいろ質問があり、来た目的も聞かれたので「Challenge」と答えた。

 Oviedoの旧市街に到着。道端のおじいさんに聞くと観光案内所(「i」)まで案内してくれた。アルベルゲが開くのを待ち、荷を置いて散策。旧市街は複雑に入り組み、道が分かりにくい。まず、カテドラルを見物。次いで大きな公園を一周。それから、明朝行くバスセンターへも行ってみた。

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 途中で夕立あり。帰りに見た夕暮れのカテドラルは雨上がりの街路に街灯が映って、とても幻想的だった。

 なお、公園で遊んでいる子供たちをカメラで撮ろうとしたら、ベンチに座っていた母親から大声で「ノー」と言われて止められた。誘拐防止のためだろうか。

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○7月2日(Avilesへバス。そこから20kmを歩く)

 OviedoからバスでAvilesへ。7:20発、7:50着。巡礼路がどこにあるか分からず、人に聞きながらウロウロし、やっと探し当てたときは10:00になっていた。「北の道」に戻って、まず丘を越える。眼下に町と海岸線。丘を下りて海岸の手前の車道を行き、再び丘の上へ。12km歩いてSoto del Barco。眺めよし。眼下にNalon川、遠くに古城のような塔(Torre)

 Barcoを過ぎNalon川を渡り、すぐに巡礼路を外れて右へ1.5km入ると、そこがSan Esteban de Pravia。砂浜がないためか、観光客は少なく、静な港町。民営アルベルゲ「BOCA MAR」泊(バル兼営)。宿代13、朝食3.。ベルギーの大学1年生二人と同部屋。また、何度か会って顔見知りのドイツの女性サブリナにも再会。彼女はカナダとスペインの女性と一緒だった。

○7月3日(23km。回り道をしたので実際の距離はこれより長い)

 巡礼路に戻らず、サブリナ等3人の女性と断崖の上を行き、絶景を鑑賞した後(前述)、海水浴場で彼女達と分かれ車道を行く。しばらく行き、右へ下りるとCudilleroという美しい港町(オレンジ色の屋根が並ぶ。行った人から是非行くようにとすすめられていた)に行けたのだが、うっかりして町に下りずに先に進んでしまった。

 Soto de Luinaにあと数kmのところで犬を自動車の後部座席に乗せたおじさんに呼び止められる。「暑いから車に乗せていってあげる」という。喜んで乗った。おじさんはマドリッドの人。前の宿に車と犬を預けて次の宿まで一人で歩き、そこからタクシーで前の宿に戻るという方法で犬と一緒に巡礼中とのことだった。

 Soto de Luinaのアルベルゲ泊。ここを管理するのは近くのバル。宿泊費5€はそこで払う。また、巡礼手帳に押すスタンプもそこにある。

 就寝は2段ベッドの一段目。隣のベッドはルーマニアのおばさん。しばらくカタコトの英語で話をしたが、後日、Vilalbaで、日本人がいるとの噂を聞いて他の宿から私のところにわざわざ会いに来てくれた。少女のように活発な人だった。

○7月4日(22km)

 Cadabedoのアルベルゲ泊、5。超満員。床にマットを敷いて3人寝る。遅く着いた人はもう一軒のアルベルゲへ。

 旧知のイギリス人男性、ベルギーの2人組の若者等と同室。

○7月5日(16kmを歩いた後、電車で51kmを行く。ただし、別に寄り道もした) 

 途中、巡礼路を外れ、畑の中を海まで行ってみた。そこは断崖の上。海沿いにLuarca方向に道があるかと期待して行ったのだが、行き止まり。畑の中を先端まで行って探したが、50m下の、白波が砕ける岩場への降り口はない。北の海沿いはどこまでも道が続いていると思っていたが、場所によっては道が途切れるということを初めて知った。

 2時間の寄り道のあと、巡礼路に戻ってLuarcaまで歩く。見物、昼食後、先行する仲間3人(宮本さん、Aさん、Mさん)に合流するために電車でRibadeoへ。電車は乗降客がいない駅には止まらずに通過。降りることを車内のどのボタンで伝えるのか、不安になったが、私が降りる駅では多くの人が降りたので無事降りることができた。ここはかなり大きな都市。町の人に聞いて、Ribadeoのペンション「PRPresidente」泊。

○7月6日(27km)

 まずはゆったりと登り、尾根伝いに林の中を行く。次いでのどかな農村地帯へ下り、また登る。21km歩いてGondan着。そこのアルベルゲに泊る予定だったが、アルベルゲの周辺に人家がなく、全く人影なし。あまりに寂しげだったため、更に5km歩いてVilanoya de Lourenzaの町まで行くことにした。途中、カフェで一休み。フランスのおじさんとスペインのお嬢さん2人が一緒。次いで坂を上がって、San Xusto de Cavarcos教会へ。ここで道を間違えた。巡礼路は、教会の手前で車道を外れ左へ入るのだが、まっすぐ教会まで行き、それを越えて車道を直進してしまった。でも1時間で道は合流。そこからVilanoya de Lourenzaはすぐ。大きな町。民営アルベルゲ「O CAMINO Habitacions」に泊る。11€。

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○7月7日(延泊)

 1日遅れでやってくる3人と合流するために「O CAMINO Habitacions」にもう一泊

 昼過ぎ、彼等を迎えに出る。でも、うっかりして道を間違え、1時間も歩いたのに会えなかった。急いで町に戻り、公営アルベルゲに行ってみると3人はもう到着済。予約していたので、私が泊る民営の宿に移ってもらった。

 夕食は足利さんのお手製。とても美味しかった。

○7月8日(25km)

 4人で歩く。「Alberugue de Gontan」泊。6€。宮本さんと二人、2段ベッドが一つだけ置かれた病人や障害者用の1階入口の部屋へ。他の宿泊者は2階へ。

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○7月9日(21km。きょうで巡礼は終わり)

 4人で歩く。Vilalbaの町の入口にある「Alberugue Vilalba」泊、6€。

 同地に到着後、一人で町の中心へ。きょうが巡礼最後の日。パラドール、中央公園、バス発着所などを見て回る。

○7月10日(バスでLugoへ。Lugo見物後、列車でIrunへ)

 同行の3人は6時10分にスタート。私も7時過ぎに宿を出てVilalba発7:45のバスでLugoへ。8:45着。厚い城壁に囲まれた旧市街を見物。Lugo発10:57の列車でIrunへ。列車内で日本人男性巡礼者・近藤さんに会う(前述)。

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 Irun21:00着。出発時に泊まったアルベルゲへ。ほぼ満員だったが、幸いにして、空きあり。宿泊費は無料だが、スペイン最後の夜でもあり、募金箱に10€を入れた。

○7月11日(列車でパリへ)

 パリ行列車は地下鉄で5分行った駅から出るという。雨の中その駅へ。駅前で警官が4-5人、駅へ来る人のパスポートを検査していた。駅員はスト中で、どの事務室も無人。切符売り場の窓口も閉まっていた。でも列車は出るようだ。赤い服を着たボランティアらしき若い男女二人が切符を買おうとする人に自動販売機の利用方法を説明していた。私はLenes(レンヌ)経由モン・サン・ミッシェル行の切符を買おうとしたが、自販機では買えないとのこと。やむをえず、パリ行を買った。

 イルンのHendaye駅9:45発、パリ・モンパルナス駅15:33着。近くの二つ星ホテルに行き、宿泊料を聞くと100€とのこと。ダブルベッドしか空いていず、高過ぎる。駅に戻って、観光案内所で周辺のホテル一覧(宿泊料記載)をもらい、駅近くの最も安い二つ星ホテル「Hotel Edgar Quinet」へ。空いていたので、そこに宿泊。シングルは満室、ダブルベッドで75€。パリのホテル代は本当に高い。パリにはできれば泊まらないほうがよい。

○7月12日(列車でLenes・レンヌへ。次いでバスでモン・サン・ミッシェルへ)

 モン・サン・ミッシェルへ。大聖堂まで登り、眼下に広がる干潮時の広大な干潟を見物。干潟を歩く人が多く、アリのように見えた。現地の二つ星ホテルに泊る。87.05€、別に朝食8.5€。

 島と宿泊地を結ぶ連絡バスが夜中の1時まで運行していたので、夜10時頃、ライトに浮かぶモン・サン・ミッシェルを再度見物に。

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○7月13日(バスでレンヌへ。町を見物後、列車でパリへ) 

 9:25発のバスでLenes(レンヌ)へ。10:40着、教会等旧市街見物。テイクアウトの寿司を買い、駅のベンチで食べる。13:25発の列車でモンパルナスへ。三つ星ホテル泊、シングル80€。

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○7月14日(空路、パリ発) 

 空路、パリ発11:00-アブダビ着19:50、エティハド航空。おみやげにパリではゴディバのチョコレートを、アブダビではアラビアのチョコレートを購入。 

○7月15日(成田着) 

 アブダビ発22:05(7月14日)-成田着13:15。妻と娘が出迎え。空港にて3人で食事。

注)日誌をほぼ書き終わったのは11月。道や海岸の状況・位置などで、不確かな部分があったが、それらはインターネットの「Google Earth(世界全体の詳細な地図)によって調べ、正確な情報を入手した。

 

 

 

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