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2015年10月

2015年12月・今年の山と旅

2015年12月・今年の山と旅

 

・今年登った山は、夏の北岳、仙丈岳、上州武尊山など。いずれも視覚障害の方と一緒である。

・旅では中仙道を5回歩く。

 3月に六つ星の仲間と中仙道の「妻籠-馬篭-中津川-鵜沼」を、10月末には「鵜沼-関ケ原-醒井(サメガイ)-愛知川(エチガワ)」を歩いた。昔、「贄川-妻籠」(六つ星・全盲のFさんと二人で)を歩いたことがあるので、これで「贄川-愛知川」間が繋がった。目的地の京都へはあと50km。

 なお、中仙道の前半(日本橋-贄川)はまだ歩いていなかったが、これについても、11月16日に「軽井沢-碓氷峠-松井田」を、11月29日に「熊谷-鴻巣-北本」を、12月4日に「浦和-大宮-上尾」を、12月22日に「熊谷-本庄」を単独で歩き、中仙道完歩への一歩を踏み出している。

・サンティアゴ巡礼については5回目をと思っているが、いつ行けるだろうか。妻が膝の関節を痛めて、長時間キッチンに立つことが難しくなったために、代わって私が食事作りやあと片付け、買い物など、ほぼ家事全般を担当することになったために、山と旅に回せる時間が少なくなった。でも、行く夢を捨ててはいない。

1.登山

 ここ数年、大きな山に登ることはなかった。今年の北岳、仙丈岳は2012年の木曾駒と焼岳以来、久しぶりの高山である。膝の半月板を損傷し、しばらく大きな山に行くことを控えていたが、六つ星の役員会に来年の会山行として「北岳」を提案し、リーダーとして行くことになったために、北岳と仙丈岳に登ってみた。「はたして、疲れることなく登れるか、リーダーの役割を果たせるか」を試すためである。高い山に登ることは誰にとっても大きな夢。この企画は、会員の中でまだ登ったことのない方々への「北岳登頂への夢をご一緒に実現しましょう」という私のメッセージとも言えようか。なお、6月に六つ星の仲間と、日本百名山で最後に残る「草津白根山」にも出かけた。

以下、写真で紹介する。

<北岳> 六つ星の会員3人による来年の下見山行。前日、白根御池小屋へ。翌日、頂上を目指す。天気は「午後が雨、明日も雨」との予報だったので、一日で山頂を往復することとし、午前4時40分に小屋を出発。大樺沢を登り、八本歯のコルを経て山頂へ。眺めは抜群。肩の小屋まで降りて昼食休憩。この頃から雲が出て眺望がなくなった。一気に白根御池小屋に下る。15時小屋着。すぐに雨となった。 

        (大樺沢を登る。背後に鳳凰三山、遠くに八ヶ岳)

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         (下:八本歯のコルから、北岳山荘と間ノ岳)

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            (下:左後方、塩見岳)

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仙丈岳> 六つ星の20名(うち視覚障害の方6名)で、早朝4時20分に北沢峠の小屋を出発。山頂を往復し14時に峠に帰着。

 (前方に仙丈岳山頂)

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(下:後方は甲斐駒ヶ岳)

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(下:中央が北岳、その後方に富士山)

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<草津白根山>

 日本百名山は99座に登り、残るは草津白根のみ。六つ星の高橋さんに記念の旗を作っていただき、6月に仲間6人と出かけた。山頂近くまでは車。ただし、霧が出て寒く、山頂へ徒歩30分の駐車場で登頂を断念。

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(カラマツの実)

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(今年の山・一覧)

・1月11日 初詣山行・高幡不動 六つ星・定例(参加32人、うち視覚障害13人)

・1月21日 小網代の森     六つ星・臨時(20人、うち視障6人)

・2月14日  三浦富士    六つ星・臨時(31人、うち視障11人)

・3月26日  等々力渓谷   六つ星・臨時(31人、うち視障9人)

・4月5日 相模嵐山 サポート講習会 六つ星・会山行(25人、うち視障5人)

・5月17日 視覚障害初心者講習会 六つ星・会山行(35人、うち視障9人)

・6月7-8日 草津白根山  高橋(徳)、町田、塩野、市角(順)

・7月4-5日 上州武尊山  六つ星・会山行(26人、うち視障6人)

・7月25-26日 仙丈岳  六つ星・会山行(20人、うち視障6人)

・8月8日 奥多摩・矢沢・ウォーター・ウォーキング 

六つ星・会山行(17人、うち視障4人)

・9月15-17日 北岳   来年秋の下見  葛貫、町田、田村

・10月10日 高尾山 忘年山行の下見(G2コ‐ス) 三谷、宮本、田村

・11月8日  高尾山 忘年山行の下見(G1コ‐ス) 三谷、横山、堀行、田村 

・12月13日  忘年山行・高尾山  六つ星・会山行(70人、うち視障23人)

 

2.旅

 主に中仙道を歩いた。

 (中仙道) 

 中仙道は東海道、奥州道中、甲州道中、日光道中と並び、徳川幕府が江戸・日本橋を起点として整備した五街道の一つであり、高崎、軽井沢、諏訪、木曽、中津川等を経由して江戸から京都に至る街道である。

 また、この道は奈良・平安時代の古道「東山道」にほぼ沿っている。

 (東山道) 

 東山道は奈良時代の7世紀後半から8世紀にかけて整備された古代の官道「七道駅路」の一つ。他に東海道、山陽道、北陸道、山陰道、南海道(四国)、西海道(九州)がある。また、これらの詳細は平安時代に策定の「延喜式」(当時の法令の施行細則を記載したもの。927年の完成)に記載されているが、道幅は6-12mと大幅であり、駅家(宿場)は16kmごとに置かれていたという。

 うち、東山道はまず、京都から中仙道沿いに中津川市(以下、現在の地名を使う)に至り、ここから中仙道の木曽谷と分かれて、神坂峠を越え伊那谷に入る。更に松本市を経て保福寺峠(標高1345m)を越え、上田市へ。次いで碓氷峠を越え前橋市に至り、宇都宮市の東を通って、那須のJR黒川駅に至る。更にこの先、郡山市、福島市を通り、白石市を越えたところで、陸奥路(盛岡へ)と出羽路(秋田へ)に分かれる。

 なお、中仙道を歩く中で、「これより右、東山道」などの説明板を見かけ、東山道を将来は歩いてみたいと思ったが、専門書を読むと、中仙道のように道筋は明確ではなく 東山道は歩くには適していないようである。

 

・3月28日(夜行バス)-31日 中仙道(妻籠-中津川-鵜沼)  松本(梢)、町田、塩野、岩下、田村

 ご一緒した全盲の松本梢さんはすごい人。足だけでなく、精神もたくましい。以前、単独で中仙道を歩いたという。12月の今は子育てに忙しい。

 以下、気に入った風景を写真で紹介する。

(下:中津川宿の夜明け)

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10月25-27日 中仙道(鵜沼-醒井-愛知川)  町田、塩野、岩下、田村

 皆さん、足が早くて、付いていくのがやっと。かなりきつい旅だった。

 3月に歩いた妻籠-御嶽の間は山の中の登り下りや山村と田んぼが続き、自然を満喫できたが、今回は都会や両側に民家が続く里歩きがほとんどで、自然を味わう機会はあまりなかった。

 そんな中で印象に残った見どころを写真でいくつか紹介したい。

 

(下4枚:最も印象に残ったのは醒井宿の清流。湧き水が豊富で宿場に沿って1kmほど清流が流れている。「古事記」にも載っており、名水の里として有名。ハリヨが泳ぎ、白い花をつけた梅花藻が水中にゆれる。流れの中には石灯籠。野菜を洗うおばあちゃんの姿も。思いがけず、すばらしい清流に巡りあった。もう一度、ぜひ、訪れてみたいところである)

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(上・梅花藻:宿場に飾られていた写真を複写したもの。見ごろは7月)

 

(下:垂井宿「旅籠亀丸屋」に泊る。1777年の建築。脇本陣格だったという。今は83歳のおばあちゃんが一人で切り盛りをしており。お手伝いさんはいない。中仙道で今も人を泊めている旅籠は少ないが、ここはその一つ)

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(上:私達はお殿様が泊る最上級の部屋に泊った。江戸時代、部屋に丸窓を付けるにはお役人の許可が必要だったという)

 

(下:美江寺宿・小簾紅園。皇女・和宮がここで揖斐川を渡ったことを記念して造られた公園。今でも毎年、記念のお祭りが開催されている。私達は祭りの当日にそこを通った。写真はその幔幕)

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 (下:番場宿。各家に立つ旗は、地元・蓮華寺の1400年祭を祝うもの

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(上「岐阜県・美濃(今須宿)」と「滋賀県・近江(柏原宿)」の県境)

(下:高齢者のための珍しいデイ・サービス施設)

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(お地蔵さん)

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(彦根市・入口の碑)

Dsc07061 (下:「街道筋・柏原」と「伊藤忠と丸紅の創立者・伊藤忠兵衛生家。愛知川」)

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11月16日(月) 中仙道(軽井沢-碓氷峠-松井田) 単独で。

 中仙道の贄川から先はほぼ歩き終わった。残るは江戸からの前半の道。その中で厳しいのは和田峠と碓氷峠のようだ。

 きょうは単独、日帰りで、軽井沢-碓氷峠-松井田間を歩いてみた。

 早朝、上野発6時34分の新幹線に乗車し7時36分に軽井沢に到着。「このルートにはどんな風景が待っているのか」、わくわくしながら駅前をスタート。お店はどこもまだ閉まっており、人気なし。町はずれで中仙道を離れ、遠回りの遊歩道を登り、3時間で碓氷峠の頂きへ。朝日がまぶしい。

 そこまでは快調だった。しかし、下り道でももの筋肉が痛くなり、下りきった時には、歩くのが苦痛になるほどに。原因は、5時間の間、休憩を取らずに一気に歩いたこと、長く続く石ころと赤土の下りが、履いてきたよれよれのウオーキング・シューズ(昨年のサンティアゴ巡礼以来、履き詰めのものだった)と合わなかったこと(ここは靴底がしっかりした登山靴がよい)、脚力の衰えがかなりあることなどにある。そのため、後半の松井田までは足の痛みをこらえての苦しい道中となった。松井田駅16時30分着。

 そんな中で楽しんだのは、昔の街道の雰囲気や妙義山の風景。

 特によかったのは、平安時代の関所跡(899年に設置。坂本宿から山中を2.5㎞登ったところにある)、横川にある江戸時代の関所跡(1622年に設置。坂本宿の手前にある)、足利時代末の新田義貞の古戦場跡、山中に10軒の茶屋が栄えた「山中茶屋」の跡、小林一茶が泊って句会を開いた旅籠跡など。それらの前で、解説の立て札をゆっくりと読み、はるか昔に思いを馳せた。

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・11月29日(日)中仙道(熊谷-鴻巣-北本) 単独で。

 11月21日に激しい目まいに襲われ、11月27-30日に六つ星の仲間と行く予定だった「中仙道(愛知川-京都)」の旅への参加は取りやめた。

 一方、昔からわずらっていた妻の足の痛みが一層ひどくなり、最近は三食の食事作りや病院通いの付添い、介護保険の相談などで、日常はかなり忙しい。

 そんな中、何とか息抜きがしたいという思いが強くなって、日帰りで中仙道歩きに出かけた。幸い、めまいは翌日にはおさまり、今は頭が重いだけ。軽いウオーキングは体調を整えるのに効果があるかもしれない。

 沿道ぞいの史跡や川に寄り道をし、説明板を読みながら、約20kmをゆっくりと歩いた。 

 いくつかを以下に紹介する。

       (下:熊谷、元荒川。透き通った川。ムサシトヨミの生息地)

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(下:熊谷のはずれから約3km、街道は荒川沿いを行く。対岸はるかに、奥武蔵と秩父の山々)

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(下:熊谷のはずれ。歌舞伎で有名な白井権八に由来する権八地蔵)

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(下:吹上。忍藩の領界碑。1780年建立)

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(下:北鴻巣・箕田は箕田源氏発祥の地。その説明板)

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     (下:雛の里、鴻巣「人形町」。雛人形のお店が並ぶ)

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・12月4日(金)中仙道(浦和-大宮-上尾) 単独で。

 この辺りは大都会。案内書に「本陣はTデパートの辺り、脇本陣はKビルの辺り」とあっても、案内板や石碑はなく、見るべき史跡は少ない。

 そんな中で寄り道をしたのはいくつかのお寺と史跡。

(浦和・玉蔵院の石庭)

 

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(浦和・成就院。寒桜を通して見る観音様)

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12月22日(金)中仙道(熊谷-本庄) 単独で。

・12月21日は78歳の誕生日。それを記念して22日にウオーキングに出かけた。
・歩いたのは中仙道。今回は熊谷-本庄。毎日、三食の食事作り、買い物、妻の病院への付き添いなどの家事に追われる中で、朝食の用意をすませて、早朝に出かけた。
・今回の道筋で気に入ったところを以下にいくつか紹介する。
(見どころ)
○ 秩父巡礼への道しるべ
 秩父札所巡りは室町時代に始まる。江戸時代に盛んになり、最盛期には年に数万人が訪れたという。秩父へは、江戸から中仙道をたどり、ここ、熊谷郊外にある道しるべのところを左に曲がるが、碑には「秩父観音順禮道・
一ばん・四万部寺へたいらみち11里」(一里は約4km)とある。

 はるか昔の江戸時代、秩父巡礼を目指して、町人や武士が、単独で、あるいは友人同士や夫婦連れで、時には子供を連れて、私の眼前にあるこの道しるべの前を通って行ったのだ。

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○ 平忠度(たいらのただのり)の墓
 忠度は清盛の異母弟。武人で歌人。「さざなみや 滋賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」の歌は「平家物語」(鎌倉時代に作られた)
に載っており、たいへん有名。この歌は、平家が源氏に攻められて都を落ちていくときに、後白河院の命により勅選和歌集「千載集」の編集に携わっていた藤原俊成を忠度が訪ねて掲載を頼んだもの。俊成は忠度が朝敵になっていたので、「読み人知らず」としてこれを載せた。このあたり、高校時代の授業で習っている
 忠度はその後、源平・一の谷の合戦(1184年)で、深谷郊外・岡部に領地のある源氏側の岡部六弥太忠澄に打ち取られた。
 この石碑と桜(写真)は岡部の「清心寺」にある。ここに、忠澄は忠度の菩提をともらうために、五輪の塔を建立し、桜を植えた。
 

 なお、「勅選和歌集」とは天皇や上皇の命により編まれる歌集。醍醐天皇による古今和歌集がその最初。

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○ 深谷シネマ
 この崩れかっかった建物の写真は、深谷にある酒蔵を改造した映画館への入口(中仙道沿いにあり)。2016年1月はほぼ連日、「天空の蜂」、「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」、「岸辺の旅」などの映画を上映している。詳細はインターネットに「深谷シネマ」と入力してご覧ください。一度は入ってみたいところである。。

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○ 「初冬、夕暮れ近くの川辺の風景」

 本庄の入口、小山川にかかる滝岡橋から。周辺は田畑。今回のコースで唯一の大きな川だった。

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付記-「年末はとても忙しかった」

○ 12月は、妻の膝と腰の痛みが進み、数回の病院受診への付き添いや介護保険利用によるベッドの借り入れと玄関・風呂等への手すりの取り付け、食事を座卓利用から椅子利用へと転換するためのテーブルの購入などを進める中で、食事作りや買い物、洗濯物干し、ゴミ出しなどの家事全般を担当するようになった。

 妻の腰の痛みは脊椎の2ヶ所の圧迫骨折による。12月10日に慈恵医大柏病院で検査し、14日に告げられた。「治療には安静が第一。完治は数か月先」とのこと。でも、床に寝て長期間安静にしていれば、足の筋肉が衰え、立てなくなる恐れがある。これらについて「セカンド・オピニオン」を求め、15日、朝6時に起床して東葛病院へ。更に17日、慈恵が遠いため、取手協同病院を訪問し、受診の窓口をそちらに移す手続きをした。3病院の診察結果を総合すると、「安静にしつつ、運動し足も動かすことが必要」のようだ。また、膝の治療は脊椎が完治してから、とのこと。

 24日と28日に脊椎治療のための注射を打ちに病院へ。

○ 12月13日は高尾山での六つ星の忘年山行。約60名が参加 。直前に風邪をひいたが、6名の担当の一人として行かざるを得ず、強い風邪薬を飲みつつ参加。

○ 年末の雑事が沢山重なった。年賀状作り、早稲田の穴八幡への年末恒例のお参りなど。

○ 娘の職業訓練について、受入先と連絡、相談を数回行った。

○ 海外に住む息子が運転免許更新のために12月9日-19日に帰国。レンタカーでの妻の移送を依頼。

○ これらを終えて大晦日を迎え、やっとやや落ち着くことができた。

 

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