2016年の山とウオーク
2016年の山とウオーク
今年は山やウオークを楽しむ時間が大幅に減少した。
それは主に、妻が膝痛で歩くのが困難になり、代わって私が家事全般を担当するようになったことによるが、その他に、私のほうも3月に軽い脳梗塞を発症し、これに加齢による体力・脚力の低下も加わって、病後は歩行について不安定さと疲れ易さが増したことも影響している。
病後にも時間を見つけて、山やウオークを行っているが、9月の北岳以外は、それを楽しむというよりはむしろ、体力と脚力の維持・回復を図ることを主な目的としたものである。
今後も山やウオークを楽しむ時間を増やすことは難しいだろう。
40歳代に入って以後、主に楽しんできたのは「登山とサンティアゴ巡礼」であり、その他では、読書と囲碁を楽しみとしてきた。
これからは山と巡礼に代えて、絵画や短歌・俳句について鑑賞の世界を広めるほかに、ときには絵を描いてみたいと思っている。
1.山とウオーク
3月18日に脳梗塞を発症。幸い、軽かったものの、「ふらつく」という後遺症が残ったほかに、医者から再発の恐れを指摘され、視覚障害の方をサポートする登山は、軽いものを除いてはできなくなった。更にこれに加え、妻の膝痛が悪化して、毎日、3食の食事作りや買い物等に追われ、山やウオークを楽しむ時間も大幅に減少した。
一方、毎日、脳梗塞の再発を予防する薬を飲んでいるためか、登山でもロングウオークでも疲れ易くなり、たとえば、1日の登山行動が4時間を超えると急に疲れが増して、スピードが落ちてしまうし、家に帰ってからも疲れが抜けずに、だるくて気力が減退することが多くなった。これは水泳についても同じである。
今後もウオークや水泳を続けて、体力、脚力の強化を図るつもりでいるが、78歳(年末には79歳になる)という年齢を考えると、あれこれと運動に力を入れても、数年前の体力、脚力への復活は難しいかもしれない。
○1月17日 六つ星山の会・初詣山行・鎌倉八幡-錢洗弁天
参加42名(うち視覚障害16名)
○1月31日 六つ星山の会・会山行・伊豆ヶ岳-天目指峠
参加30名(うち視覚障害8名)
○2月14日 思い出のウオーク・中仙道・本庄-倉賀野
○3月4-6日 第15回視覚障害者登山全国交流会・広島宮島の弥山へ。帰途、神戸・六甲山にも登る。
六つ星の参加21名(うち視覚障害9名)。全体参加は12団体・211名。
○3月18日 脳梗塞発症
3月23-30日 入院
○4月23日 病後初めてのロングウオーク・取手-成田(単独。詳しくは後記参照)
(○4月25-5月20日 妻が腰部脊椎間狭窄症の手術で入院)
○4月29日 病後初めての山行・高尾山-陣場山(単独。詳しくは後記参照)
○5月2日 病後2回目の山行・鍋割山(単独。詳しくは後記参照)
○5月28日 六つ星山の会・臨時会山行・鍋割山(9月北岳の準備山行)。参加17名(うち視覚障害5名)
○6月12日 思い出の個人山行・鍋割山
○6月22日 ロングウオーク・取手-成田
○6月29日 ロングウオーク・取手-成田
○7月3日 ロングウオーク・取手-成田
○7月16日 ロングウオーク・取手-下総松崎
○7月24日 単独山行・陣馬山-高尾山
その他、最近は週に2-3回、プールに通い、1回に1,000mを泳いでいる。これまでは月に1-2回だったが、体力回復のために回数を増やしたのである。7月8日にはクロールで連続して1,500mを、7月23日には2,000mを泳いだ。ただし、水泳でも後に疲れが長く残る。
○8月11日 水泳1,000m(3食の食事作りの合間に約30分間)。13日 水泳1,000m。14日 水泳1,000m。16日 ロングウオーク・取手-手賀沼(妻の朝食を用意した後、早朝から約5時間を歩く)。17日 水泳1,500mなど。
○8月26日 単独山行・北高尾山稜(蛇滝口-堂所山-底沢峠-陣馬高原下・バス停)
○9月3-5日 六つ星山の会・会山行・北岳(リーダーとして)・参加17名(うち視覚障害5名)(詳しくは後記参照)
○9月14-24日 娘と二人でニューヨークの息子を訪問。
○10月8日 六つ星山の会・会山行・小金井公園・参加17名(うち視覚障害7名)
○11月26日 六つ星山の会・会山行・森林公園・参加25名(同8名)
○12月4日 六つ星山の会・忘年山行・吾野-子の権現ほか・ 参加52名(同14名)
○12月18日 六つ星山の会・会山行・野火止用水ほか・参加25名(同6名)○12月24日 六つ星山の会・個人山行・流山運河・ 参加5名(同2名)
2.脳梗塞と妻の膝痛
二人ともこれまで重い病気にかかったことはなかった。今回がはじめてのこと。
1)妻の膝痛
妻は1年半ほど前に右膝を痛めて変形性膝関節症と診断され、歩行が困難となった。家の周辺を杖をついて(またはシルバーカーを押して)ゆっくりと10分ほど歩くのがやっと。これに加え、昨年夏頃には、腰部脊椎間狭窄症でもあると診断された。
そんな中、膝関節症の治療を担当する医者から「膝の運動のためにプールで水中ウオークをするとよい」と勧められ、今年2月1日に30分ほど水中ウオークを行ったところ、以前からの右膝痛とは別に、左足のももからふくらはぎにかけても激痛が走って、歩行がいっそう困難になってしまった。家の中を移動するのもはっていくという状態。別の医者の診断によると、これは水中ウオークが原因となって腰部脊椎間狭窄症を悪化させたためとのこと。
これらを受け、3月末にJAとりで総合医療センターの腰部脊椎間狭窄症専門の医師を訪問。詳しい診察の結果、左足の痛みを取るために、4月26日、脊椎の手術を行い、5月20日までリハビリのため入院した。この間、娘と私は下記のウオークと登山以外の日は毎日、妻の病院にかよった。
退院後は、左足の痛みは取れた。しかし、変形性膝関節症による右膝痛は残っており、
2)家事を担当
昨年の12月頃から妻の膝痛が進み、介護保険により電動ベッドや車いすを導入したり、玄関や風呂場に手すりを付ける一方、食事の仕方を床に座る方式から食卓と椅子方式に改めた。
また、その頃から、私が食事作りや買い物、洗濯物干し、ゴミ出しなどの家事全般を担当するようになった。脊椎間狭窄症の手術で左足の痛みはなくなったが、右膝の痛みは続いており家事は今も担当おこなしている。
一方、その結果、それまでは自由に行っていたロングウオークや登山に使う時間がかなり減って、今は1-2週間に1回位となってしまった。しかも行くときは、早朝に朝食の支度をするなどしてから出かけている。
また、9月には、妻を残して娘とニューヨークの息子のところに行く予定だが(生まれた孫の顔を見るため)、妻についてはその間、老人施設に入所する手続を取った。
3)脳梗塞を発症
私も3月18日に軽い脳梗塞を発症して、23-30日と入院。脳の一部血管が詰まり、その周辺の脳神経が死滅したために、体のバランス感覚がやや失われて、体がふらつくという後遺症が残った。医者からは、これを治すには半年か1年の長期リハビリが必要と言われ、現在は週1回リハビリのために通院するほか、自宅でも毎日、医者から言われたリハビリを行っている。
今後の課題は二つ。「リハビリによる後遺症の克服」と「再発の防止」である。特に重要なのは後者。私の場合、動脈硬化が進行しており、再発の恐れはかなり高いと医者から言われている。対策は薬による治療と食事療法。これを今後、一生続けなければならない。
また、その結果、視覚障害者のサポート登山を続けることは難しくなった。登山中にふらつく恐れがある、皆のスピードに付いていけない、などが理由である。
(付記)これとは別に3月4日、5日と激しいめまいに襲われ、頭を床につけ動かずにじっとしていないと吐き気がした。医者に行こうとタクシーに乗ったが、途中で降りて吐いてしまい、30分ほど一歩も動けず路上に寝ころんでいたほどだった。こんなことは20年ぶり。前回は、残業続きの中、脳出血で倒れた父の看護(病院での夜間の付き添いが必要で、母と一晩おきに泊り込み、病院の長椅子で寝た)と風邪を引いたことが重なって、職場での会議中に天井が回り始めたのである。
今回も前回同様、東大病院へ。3回受診。結局、「慣れない家事全般を担当したほか、妻の通院に付き添ったりと気を使いすぎたための、ストレスによる良性のめまい」と診断され、数日で回復した。脳梗塞とは無関係という。「発作の時はこれを飲みなさい」と酔い止め薬(トラベルミン)を渡され、今はいつも持ち歩いている。
3.ロングウオークと登山を試す。
ウオーキングについては家事の合間に、30分、1時間と歩く距離を伸ばして、4月23日に成田まで初めてのロングウオークを試みた。何とか完歩。
次いで4月29日には病後初めて単独で山に登り、高尾山-景信山-陣馬山を縦走。これも所要時間が7時間40分と標準よりは遅かったが、完走できた。ただし、バランスが悪くなったために、急な下りに難渋したほかに、病気前よりはスピードがややダウン。
更に、5月2日には丹沢・鍋割山、9月3-5日には北岳へ。
○ 2016.4.23 病後初めてのロング・ウオーク(取手-成田)
利根川沿いを取手から成田山・新勝寺まで歩いてみたが、ほぼ8時間で完走できた。ただし、以前は7時間で歩けたので、スピードはまだ、元の状態に戻ってはいない。
利根川沿いは田んぼが多い。水を張った田植え前の田んぼの眺めがなかなか良かった。
(左:風土記の丘。右:新勝寺)
○2016・4・29 病後初めての登山 高尾山-景信山-陣馬山縦走
脳梗塞後、初めての登山。やや体がふらつくという後遺症が残ったが、その自分がどこまで登山が可能かを知りたくて単独で高尾山に出かけた。5時30分に起床。新宿経由で京王線・高尾山口駅へ。8時30分に歩き始め、稲荷山コースと平行して走る6号登山路(登りにのみ利用できる道)を高尾山頂へ。10時着。ゴールデンウイーク・10連休の初日なのに登山者は少ない。天候は晴れだが、雲、やや多し。遠くに真っ白な富士山。日差しに映えて新緑がまぶしい。10時10分山頂発。城山-景信山-陣馬山と縦走し、陣馬山頂に2時50分着。高尾山頂-陣馬山頂を昭文社地図の所要時間(4時間30分)とほぼ同じ時間で歩けた。
ただし、ここから陣馬高原下・バス停への下りが大変だった。そこは急で真っすぐに下りる道。木の根や岩角に足を載せ、飛び降りるように下るのだが、後遺症に加え疲れが重なって体が不安定となり、ふんばりが効かずに転びそうになった。結局、ゆっくりと慎重に下り、バス停に着いたのは山頂から1時間20分後。標準時間の1時間をかなりオーバーしていた。
試し登山の結果、分かったのは、
・「ゆるやかな登山道はほぼOK」
・「ただし、平らなところでも油断をすると横や後ろに20cmほどよろけることがある(よろけないように意識してゆっくりと歩けば大丈夫だが)」
・「急斜面の下りでは不安定さが増し(疲れてくると更に不安定さが増す)、注意をしながらゆっくりと下りる必要があり、それだけ時間がかかる」
・「安全にサポートができるかは問題」
・「また、集団行動では皆のスピードに付いていけなくなることがある」
・「これらから、六つ星のサポ-トは軽登山を除いては無理」、
・「ただし、単独行か、親しい人に付いてもらっての、マイペースでの登山は可能」、などのことだった。
○2016・5・2 丹沢・鍋割山往復
5月28日に六つ星の会山行のリーダーとして鍋割山に行くことになっているが、そのリーダ-がやれるかをはっきりさせるために一人で鍋割山に行き、本番と同じコースを歩いてみた。大倉バス停を9時スタート。そこから後沢乗越を経て鍋割山頂までは、地図上の標準時間(3時間30分)で行けた。12時30分着。山頂から「金冷ノ頭」へ。ここで塔が岳からの下山道「大倉尾根」に合流。1時40分、「金冷ノ頭」スタート。木の階段や急な下りの砂利道が続き、ゆっくりとしか下りられなかった。それに足の裏が痛くなったことも重なり、大倉バス停までは地図上で所要2時間のところを、2時間40分もかかった。
結局、登りはサポートをしないで行けば、遅れずに登れそうであり、下りは遅れそうだが、視覚障害の方も手こずりそうなので、付いていけるだろうと判断し、リーダーをおりることはしないで、グループの先頭をサポートをせずに歩くこととした。
○2016・7・24 陣馬山-高尾山・単独行
年齢と病気による脚力の衰えをすこしでも回復させたいとの思いで高尾山に出かけた。起床は5時00分。5時30分発の電車に乗り京王線の新宿経由で高尾駅へ。8時10分発のバスで神馬高原下へ。9時に歩き始めた。
はじめは快調。しばらくぶりに山に入り、ウキウキしながら歩く。ヒグラシの声、せせらぎの音。夏にしては、気温が低く心地よい。急な斜面を1時間20分で一気に登る。やや疲れた。
道端の花を撮りながら、景信山、城山、高尾山へ。ほぼ地図上の時間通りで歩く。そのあと、3号路を通り琵琶滝へ下る道を探ったが、その道の入口には「上級者専門の危険なコース」との立て看板があったので、結局、リフトを利用して下山した。
今回のコースは休憩(20分×2)を含めて約7時間と、ほぼ標準時間で歩けた。ただし、帰宅してからどっと疲れが出たのは問題。
○2016・8・26 単独山行・北高尾山稜
9月3-5日にリーダーとして北岳へ行く予定(六つ星の定例山行・参加17名)。その足慣らしとして一人で北高尾山稜に出かけた。この山稜のノーマルルートは八王子・城山から富士見台を経て陣馬山へと標準で約6時間をかけて歩くもので、途中、急なアップ・ダウンが数時間ほど続くところがあり、高尾山ルートの中ではきついほうである。今回は蛇滝口から登り、富士見台でこのルートに合流することにした。
まず、バスで蛇滝口へ。ここから山に入り、富士見台-堂所山-底沢峠を経て陣馬高原下・バス停までを歩いた。
その中での特記事項は蛇滝口からの最初の20分がこれまでにないほどに暑くて、とてもきつかったこと。そこは廃道に近い道だった。草ぼうぼう。日陰が全くなく、30度を越える強い日差しが照り付ける中、背丈ほどの雑草を踏み分けながら進む。その上、顔や手足に蜘蛛の巣が次々とまとわりつき、拾った棒で打ち払うのに神経をすり減らした。これまでに経験したことがないほどに、どっと汗が溢れて、脳梗塞が再発しないかとちょっと怖くなるほどで、やや、パニック状態に。体が一層熱くなり、暑さでふるえがくる感じ。動悸が高まる。あとからあとから、いくらでも汗が溢れた。
何とか森の中へ。「ここが大事。あせらないこと」と自分に言い聞かせ、腰を下ろして大休止。なかなか動悸が収まらない。たっぷり水を飲むと、やっと動悸が収まりパニック状態を脱した。こんなに汗が出たのは初めての経験。
ここから富士見台へは1時間以上の急登。ゆっくり、ゆっくりと登る。
やっと富士見台へ。ここからは城山から来るノーマルルートだ。更に2時間は急登、急下降の連続だったが、森の中の日陰を行く中で風も通っていて涼しかったので、本来の自分を取り戻し、普通のスピードで歩くことができた。
これを越えると後半は、道はゆるやかな登りに代わる。ときどき小休止。涼風が気持ち良い。「生きているって、森の中でこの涼しい風が感じられることなのだ」とふと思う。死んだら何も感じなくなるはず。それらを意識する自分の存在も感じる。
底沢峠から下山路へ。
バス停はもう間もなく。谷川に下りて、顔を洗う。あたりには誰もいないので、上半身、裸になって体も拭く。ついでに汗まみれのシャツも洗い、そのまま身に着けた。気持よい。
このコース、結局、すれ違ったのは女性2人組のみ。バスの客も2人だけだった。暑いときは、高尾に来る人は少ないようだ。所要時間は休憩を含め、7時間30分。
最初は暑さで苦労したが、全行程をほぼ地図上の標準時間で歩けたので、北岳登山は山頂まで歩けると判断した。
○2016・9・3-5 六つ星山の会・会山行・北岳 参加17名(うち視覚障害5名) リーダーとして参加。
(上・北岳山頂を望む。撮影・市角順子さん)
(上・山頂はすぐ。撮影・新海吉治さん)
月曜が入った3泊の日程なので直前までサポーターが集まるかと心配したが、最終的にはしっかりとしたサポート体制を組めるだけの仲間が参加してくれた。また、前日までの天気予報は「雨、午後は雷」と最悪で、「雨だけなら登頂は可能だが、雷を伴っては登頂は危険で無理」と思っていたが、こちらは予報がはずれて登頂当日の午前中は快晴となり、山々が見渡せる大展望が満喫できた。そして登頂に成功し、山頂で一人一人としっかりと握手を交わす。みんな、生き生きとして、大満足の表情。
4.ニューヨーク行-息子のところに孫の顔を見に行く-
9月14-24日、同居の娘と二人でNYの息子のところに、3月に生まれた二人目の孫の顔を見に出かけた。妻は老人施設に入ってお留守番。
目的は二つ。孫に会うことと娘のNY見物をサポートすること。孫の写真をいっぱい撮ったほかは、娘に毎日付き合ってNY中を歩き回った。娘は日本では楽しみがほとんどなくて、日中も部屋にいることが多い。そんな娘を楽しませたかったのだ。
一方、今回は自分の楽しみを追うことはしなかった。もっともNYで自分が楽しめることはあまりない。せいぜい、公園散歩。前回来たときは、セントラル・パークをジョギングで一周したり、マンハッタン島を上から下へと一日で歩いてみたりしたが。
娘とは徹底して付き合った。ほぼ毎日、朝10時頃に家を出て、帰宅は夕方5時過ぎ。日本で買った観光案内書をみて、地下鉄の路線図と町の詳細図を調べては、娘が行きたいNY市内のブティックに出かけた。ソーホー、ノーリタ、ブルックリン、34丁目ストリートなど。
その他では、息子一家とレンタカーでハドソン川をさかのぼり、近郊の農場と彫刻公園へ。NYは車で1時間も行けば丘陵地帯に入り、自然が豊か。
また、別の日にNY市内、ハドソン川沿いの散歩道「ハイライン」へ。
(下:ハドソン川)
別の日にNY市内、ハドソン川沿いの散歩道へ。
(下:散歩道「ハイライン」。貨物線跡を利用して造る。2009年に公開。2.3km)
5.人生の転機を迎えたように思う。
・脳梗塞発症後、歩くバランスがやや悪くなり、また、歩くスピードも落ちた。
・加齢で疲れやすくなった。再発予防の薬を毎日、服用しているが、その影響もあるように思う。
・妻の介護があって、登山やウオーキングの時間が取りにくくなった。
これらのために、ほぼ40年間続けてきた登山とウオーク中心の生活を見直さざるを得なくなった。
もっとも、私の余生は長くても10年、90歳までだろう。人生はあっという間に終わるかもしれず、「転機を迎えた」などと感慨にふける余裕はないかもしれない。
6.趣味の世界を広げたい。
山とサンティアゴ巡礼に代えて、趣味を広げることを考えている。一つは和歌と俳句。もう一つは絵画。それに映画など。
なんでもそうだが、それらを深めるには数年を要する。私も日常的に関心を持ち続け、少しづつ深めていきたいと思っている。
1)俳句と和歌の鑑賞(別記)
2)絵画
最近、明治・大正を生きた版画家「吉田博」(南北アルプスに何日も入り込み、その風景を油絵や版画で表す)と「川瀬巴水」(全国を旅する。江戸時代の情緒に溢れた版画が多い)の画集を買って見ている。また、永年の夢だが、いつかは絵を描いてみたいとも思っている。
3)映画
なお、映画も好きだ。この夏は、ロング・ウオークと登山を題材にした映画を続けて見た。「ロング・トレイル!」、「わたしに会うまでの1600キロ」、「奇跡の2000マイル」、「ヒマラヤ-地上8,000メートルの絆」の4本である。
・「わたしに会うまでの1600キロ」
2015年8月、日本公開。北米の山野を3か月かけて1人で歩き通した若き女性のヒューマンドラマ。人生を見直し第二の人生を歩むために、自然歩道のパシフィック・クレイスト・トレイルに挑んだ。このトレイルはアパラチアン・トレイル、コンティネンタル・ディバイド・トレイルと並ぶ北米三大長距離自然歩道のひとつであり、アメリカ西海岸沿いにメキシコ国境からカナダ国境まで続く、総延長4,000kmの道である。彼女が歩いたのはその一部、1,600km。山中と荒野を歩く厳しさがたいへんよく実感できる映画だった。
・「ロング・トレイル!」
2016年7月末、日本公開。ロバートレッドフォード主演。こちらはトレッキングの経験がない中年男性二人組が思い立って、アパラチアン・トレイルを歩くもの。全長は北米東海岸沿いの3500km。足の痛みあり、豪雨や大熊(グリズリー)との遭遇ありの中、全行程の約1/2を歩き通す。ただし、筋立てはコミカルで、ロング・トレイルのつらさはあまり伝わってこなかった。
・「奇跡の2000マイル」
2015年7月、日本公開。愛犬を連れてラクダと共に3000kmに及ぶオーストラリア砂漠をたった1人で踏破した女性の物語。
・「ヒマラヤ-地上8,000メートルの絆」
2016年7月末、日本公開。韓国映画。韓国の登山隊がエベレストの8750m地点で遭難した仲間の遺体を探し出し収容するために命を懸けて苦闘する物語。男の熱い友情を描いたものである。
(追記2016.12.10。DVD「星の旅人たち」を見て)
息子がサンティアゴ巡礼の途中で亡くなり、その遺灰を蒔きながらサンジャン・ピエド・ポーからサンチャゴまで追悼の旅をする父親の物語。途中で一緒になった3人の巡礼者と少しづつ心が通い合い、絆をはぐくむ物語でもある。
風景も良い。昔行った時の記憶がよみがえり、とても懐かしかった。
お勧めしたい秀作である。
ところで、あらためて、私の巡礼記を振り返ってみて感じるのは、精神性が欠けており、「星の旅人たち」に比べれば内容がぜんぜん軽いなということ。歩くのに夢中で、人生についてとか、自分の人生の中での巡礼の意味についてとかを考える余裕がなかったとも言えようか。
でも、ときどき、この巡礼記を読んでコメントを寄せてくれる方がいる。「行くに当たって、とても参考になった」と。そんなコメントがあると私はとても嬉しくなり、心が満たされる。というのは、私の狙いは他の巡礼記以上に「行く人の役に立つような旅行案内」を書くことにあり、それが少しは証明されたように感じるからだ。
<参考>
アメリカのロング・トレイルの全貌
-インターネット「アメリカの長距離トレイル」より-
その1) ナショナル・シーニック・トレイル (National Scenic Trails)
アメリカのナショナル・シーニック・トレイル(PCT公式マップ&ガイドより)
アメリカ合衆国の条例によって最も豊かな自然の景観を楽しめる部分をつなげたトレイルである。 ディスカバリー・トレイルやロード・ウォークとは異なり、町から離れた自然の守られたところを通っていて、多くはハイカー専用(中にはPCTのようにトレイル・ライディング(馬)が許されているところもある)になっている。
-
アパラチアン・トレイル [Appalachian Trail] (AT) 東海岸をジョージア州からメイ-ン州まで14の州をつなぎ、2,160マイル(1・6㎞/マイル)と長い、アメリカで最も人気のあるロングトレイル。 毎年2,000人ちかくがスルーハイクを試みる。 高度はニューヨーク州のハドソンリバーの海水面の高さから、最も高いグレート・スモーキー・マウンテン国立公園の6,642フィート(0.3m/フィート)にまで達する。トレイル自体はよくマークされていて、スルーハイカーは地図を必要としないらしい。雨は多く、トレイルは急だがPCTやCDTのような厳しい環境条件はほとんどない。 http://www.atconf.org/
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パシフィック・クレスト・トレイル [Pacific Crest Trail] (PCT) 西海岸の3つの州、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンをメキシコからカナダまでつながる唯一完成済みのトレイル。2,650マイル(1・6㎞/マイル)のこのトレイルは、最も低いオレゴンのコロンビアリバーの180フィート(0.3m/フィート)から、カリフォルニア、シエラネバダ山脈に位置するフォーレスターパスの13,180フィートまで、はばひろい高度の変化が伴う。 カリフォルニア南部の砂漠地帯やシエラネバダの高山地帯など、環境条件が特に厳しい。 http://www.pcta.org
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コンティネンタル・ディバイド・トレイル [Continental Divide Trail] (CDT) ナショナル・シーニック・トレイルのうちでノース・カントリー・トレイルに次いで、二番目に長い未完成のトレイル。 ロッキー山脈を南北に走っており、大陸をまっぷたつに割くため「コンティネンタル・ディバイド」と呼ばれる。 メキシコからカナダへと続く全長3,100マイル(1・6㎞/マイル)にもおよぶトレイルのうち、約2,000マイルほどが完成し、スルーハイカーは残りの1,100マイルについては自分で選んだトレイルを歩く。 トレイルは古いマークのない道路や、茂みの中などとにかく地図を読む技能が不可欠。 自然環境はPCTと似て、コロラドから北の雪の多い地帯や、ニューメキシコやアリゾナの砂漠地帯など非常に変化に富んでいる。 http://www.cdtrail.org
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ノース・カウントリー・トレイル
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アイス・エイジ・トレイル
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ポトマック・ヘリテージ・トレイル
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ナチェス・トレイス・トレイル
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フロリダ・トレイル
これらのほかにもナショナル・シーニック・トレイルには、
・ ジョン・ミュア-・トレイル
アメリカの長距離自然歩道。カリフォルニア州内を、ヨセミテ峡谷(ヨセミテ国立公園)からマウント・ホイットニー(マッキンリーのあるアラスカ州を除けば、北米の最高峰)まで、340キロメートルにわたって縦走する。トレイルの大部分はパシフィック・クレスト・トレイルの一部になっている。アメリカにおける「自然保護の父」と呼ばれるナチュラリスト、ジョン・ミューアにちなんで命名されたもの。
注)「ジョン・ミューア・トレイルを行く-バックパッキング340キロ」(加藤則芳著・平凡社・1997年7月発行)などを参照。
・ ノース・ウエスターン・トレイル
・ アリゾナ・トレイル
・ コロラド・トレイル などといろいろある。
その2)ナショナル・ディスカバリー・トレイル (National Discovery Trail)
American Discovery Trail (www.backpacker.com/adtより)
・アメリカン・ディスカバリー・トレイル [American Discovery Trial] (ADT)
このトレイルはカリフォルニアからデラウェア-まで続く唯一のアメリカ横断トレイルである。 ナショナル・シーニック・トレイルとは異なり、アメリカの歴史をたどったトレイル。 途中トレイルが2つに分かれるが、どちらを選ぶかはハイカーの好み。 途上では、シカゴやサンフランシスコのような大都市や、昔使われていた鉄道線路、UCバークレーのような有名な大学など、さまざまなところを見ることができるだろう。 ただ自然の中でのハイキングという感じには少々欠ける。http://www.discoverytrail.org
以上の北米のロング・トレイルは私のあこがれの一つ。いつかは歩いてみたいと長年、夢見てきたが、体力の衰えがあり、果たせないで終わりそうだ。
(最後に)
今後の私の大きな夢は5回目のサンティアゴ巡礼として「南仏・アラゴンの道」を歩くことである。
毎日の妻の介護と家事を考えると、行くのは難しそう。でも、「アラゴンの道」の地図(フランス語版?)だけは図書通信販売のアマゾンから購入した。
歩ける自信はある。「いつか行く」という夢は持ち続けたい。
「家にいて 夢は地球を かけ廻る」(猛)
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