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2018年2月

2018年の日常

 
<2018年の日常>
最近は、妻が足腰を痛めて家事ができなくなってきたために、毎日が「家事」と「介護」中心の生活となっている。 
 妻は2年前にひざを痛めたが、最近は、更に足腰の痛みが増して、台所仕事などがほとんどできなくなり、また、物忘れも進んで、私が家事全般と介護を担当するようになった。食事の用意、買い物、洗濯、ゴミ出し、風呂の用意、病院への付添い、車椅子での散歩の付添いなどなど、である。
〇また、それとは別に、娘が6月に就職。月-金の毎朝、弁当を持って出勤するので、朝の6時に起きて、弁当を作ることが日課の一つになっている(娘は障害者就労支援センターの尽力によって、ことし6月、イオン系の農園に就職することができた。30年振りの就職である)
 毎朝、早朝に起きるのは、ややきつい。これまでは7時-8時頃起きるのが日常だったのだが。
〇その他、ここ数年、週に1回、娘に付き合って、土曜か日曜のどちらかで、日帰り温泉に行くことにしている。その日は、午前中に出かけて、昼食を一緒に食べ、風呂に入って、午後3時か4時に家に帰るのが普通。
 娘の日常の楽しみは日帰り温泉に行くか、家の風呂に入ることだけ。友達はいないし、趣味が全く無いので、休みの日の娘は、外に連れ出さないと、一日中、家の居間かベッドで寝ている。
〇でも、家族の面倒を見ることは私が第一にやらねばならないこと。今後何年でも、こんな生活を続けていこうと思っている。
 一方、そんな生活に転換するために、今年4月には、長く携わってきた六つ星山の会(視覚障害者登山の会)の役職をすべて、思い切って辞任した。
 また、山歩きについても、6月以降はほとんで断念。山に行くには早朝に出かけねばならないので、行くとすれば、娘の弁当作りがない土日だが、そんなときでも二人の朝食を作り食卓に並べてからでないと出かけられない。そこまでして出かけるのはややしんどい。
(1月はハイキング2回)
・ 1月7日(日) 六つ星山の会・定例山行「第2回秩父札所巡り」
 札所13番、15番のほか、秩父祭り会館と武甲正宗酒造を見学。お酒の試飲も楽しんだ。
 参加者:61名(うち、視覚障害者22名)
・ 1月17日(水) 六つ星個人山行 さいたま緑の森博物館から野山北六道公園へ。狭山湖半周」⦅西武球場前駅→(タクシー)→さいたま緑の森博物館…六道山公園…大将山中腹(昼食)…野山北公園…武蔵村山市役所→(コミニティーバス)→西武線玉川上水駅)⦆。 参加者:5名(うち視覚障害者1名・盲導犬も一緒)。
(2月はハイキング1回。その他、囲碁等)
・2月9日(金) 岡崎宅にて旧職場の4人の仲間で囲碁。
 この4人は、ほぼ2ヶ月おきに集合場所を各家の持ち回りとして囲碁を楽しんでいる。
 その他、私はインターネット上の「パンダネット」(利用料・月2700円)に入会し2日に一度位、碁を楽しむ。現在は5級。
・2月13日(月) 六つ星旧会員の大内さんとお茶の水で食事。
 大内さんとは仲良し。時々会う。プールで一緒に泳いだことも。彼は昨年3月に職場を退職したあとその年の7月に1ヶ間、私の勧めで「サンティアゴ巡礼・フランス人の道」を単独で歩いてきた。いつも、その話で盛り上がる。
・2月24日(土) 六つ星定例山行「八王子・小宮公園」 参加者31名(うち視覚障害者10名)
 (3月、低山の山行で脚力低下を痛感)
16日(金) 六つ星個人山行「芦ヶ久保・日向山-丸山」 参加者:5名(うち視覚障害者1名・盲導犬も一緒)。
<特記事項>
 上記の丸山からの下り(70分)の途中で、足の疲れがひどくなり、歩けなくなった。低山なのに足が痛くて一歩も前に進めなくなったのだが、こんなことは生まれて初めての経験。年齢による脚力の低下をあらためて痛感した。60歳代には、北アや南アの高山を標準タイムの2/3のスピードで歩いていたのだが。
月17日(土) 「東武野田線沿線の「運河」の散策」 六つ星個人山行 加者:9名(うち視覚障害者2名・幼児2名)。全盲の両親の方と幼児(1歳と3歳)を5人でサポート。
月26日(月) 六つ星個人山行「中仙道・巣鴨-浦和 参加者:3名(健常者のみ)。この二人の方とは、2年前に誘われて、一緒に中仙道の後半部分を歩いており、今回ここをを歩かないかと誘われたもの。
 これで、中仙道で歩いていないのは、「諏訪-塩尻(17km)」、「愛知川-京都(約50km)」だけとなった。
・3月30日(金) 孫とその友達3人を連れて[高尾山」へ。孫に頼まれたもの。
 高尾山口-稲荷山コース-山頂-薬王院を経て、リフトで下山。
 子供達が怪我をしないように全の注意を払いながら歩いた。
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・3月31日(土) 六つ星定例山行「八王子城跡(北条氏照の居城。氏照は、秀吉に攻められて、小田原城落城のときに兄の氏政と共に自刃)」と、「多摩森林科学園(国立の植物園。1500本、250種の桜が満開」。 参加者:39名(うち視覚障害者10名)。
<死について思う>
 死ぬことはあまり怖くはない。人生、いろいろあった。これまでの人生を振り返ると、

魚取りや百人一首などの遊びに夢中になり、とても楽しかった少年時代、

人間関係で失敗して神経症にかかり、どん底まで落ち込んで苦しかった青年時代、

100年後、200年後という遠い未来を見据えて、社会改革の運動にも取り組んだが、心身ともに疲れ果てて、「これは自分には向かないな」と実感した30歳代の10年間、 

などを経て、

・40歳以降の40年間は、山と旅を大いに楽しみ、充実した人生を送ることができた

と言えようか。

今、これらを振り替えると、「生きている楽しさを十分に満喫した」、「苦しいこともあったが、人生に満足」という思いに満たされる。

 

(4月)
・4月20(土) 個人山行「御荷鉾山」 
 大内さん(六つ星旧会員)、小林さん(六つ星)と大内さんの車で。
 群馬南部の山。小川町から村々を越えて山奥に入る。標高は約1300m。 
 山頂近くの駐車場まで車で登り、そこから歩いて30分が山頂
 途中の車道脇に真っ赤な花桃の群落があり、しばし車を止めて散策。花桃は桜に似た樹木。その下を歩くと、視界一面が赤く染まり、真っ赤な色に包まれたようになる。花桃の群落を見るのは初めてかも?
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・4月22(日) 旧職場の女性の山仲間2人と葛飾区の水元公園を散歩(いつも行く女性3人のうち、一人は欠席)。花菖蒲はまだだったが、森の新緑が素晴らしかった。話をしながら、森の中を公園の隅々まで歩く。

・ゴールデンウイークは連日、家族と散策。
 ゴールデンウイークは毎日、妻と娘と一緒に過ごした
 この時期は、家を留守にして一人で山やロング・ウオークに出かけることが多かったが、毎日家にいたのは、最近10年では初めてのこと。
 車椅子を押して利根川の堤を散策の後、駅前で昼食を食べて帰る、3人で柏まで電車で行き、数時間の買い物と食事をする、3人で電車に乗って「北小金の本土寺」(アジサイと花菖蒲で有名)を散策する、娘と「野田市の日帰り温泉」に行く(娘がインターネットで見つけたもの。二人で探しながら初めて行く)、隣町の守谷市にある「守谷野鳥の森散策路と鳥のみち」(ほとんどが湿地帯で、狭い丸太の上や板が敷かれた道を行くが、ときには森の中も行く。約2時間)を歩く、家にいるときは食事作りや風呂の用意をする、など。
(下の写真:本土寺)
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(下の写真:守谷市の湿原の散歩路)
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 このように、ゴールデンウイークは連日、ほぼゆったりとした気分で過ごした。ただ、朝食時や夕食後は、歩けなくなったことについて、妻の愚痴や嘆きを聞くことが多くて、そのときだけは、やや疲れた。
(5月)
・5月18日(金) 
 高尾山(小仏バス停-景信山-同所山-関場峠-大下バス停)
 参加者:5名(うち視覚障害者1名・盲導犬も一緒)。
 森谷、小林、大内、大橋、三井、田村(高尾駅前でたまたま、大橋さんに会う)。
・5月26日(土)
 狭山湖・さいたま緑の森博物館。六つ星個人山行。 参加者:6名(うち視覚障害者1名・幼児1名)。
 全盲の父親の方と幼児(3歳)を4人でサポート。あちこちに座り込んで草花に興味を示す幼児に付き添って歩いたので、歩いた距離は1km程度だったが、鳥の声が賑やかな森の中や涼しい風が吹き渡る湿原などが続き、十分に自然が楽しめた。
(6月)
・6月21日(木)
 娘の就職が決まった。
 娘が就職するのは30年振り。就職先は我孫子にある大きな農園。イオン系のイオンクレジットサービスという会社が十数人の障害者を雇って経営しているところである。
 娘は20歳代にいくつかの会社に就職したが、そのときは長続きしなかった。
 小学生の頃から友達が一人もできず、人間関係をどう構築するかに不慣れだったために、職場で指図や注意を受けると萎縮してしまい、行くことができなくなったのだ。朝、無理をしてでも職場に行こうとすると、気持ちが悪くなり、吐いたりするほどだった。
 その後は就職をすることはなく、20歳代は外国人にあこがれて、若いエネルギーをディスコに注ぎ、夜中も家に帰らないということが多くなったが、30歳代に入ると、ディスコの熱は冷め、友達がなくて趣味もお風呂以外にないために、外出をせずに昼でも家で寝ていることが多くなった。
 また、私との人間関係も悪化し、私のそばに来ないようになり、家での食事も私から遠く離れて一人でとるようになった。私が、礼儀正しい人間に育てようと考えて、いろいろと注意をしたり、言うことを聞かないと叱ったりしたことが原因のようだった。
 それが、10年位前だったろうか。私も 「これではいけない」と反省をして、娘への対応を変え、「なにをしても決して怒らない」、「そんなことをしてはいけないというような注意も決してしない」、「やったことをほめる」、「やりたいことには積極的に協力する」(たとえば、娘は銭湯に行くのが大好きなので、1週間に1度は必ず娘と健康センターに行くようにした)などのことを徹底して行うようにしたのである。 
 これをほぼ10年間、続けた結果、娘との関係は劇的に改善し、今では、娘の方から、ニコニコと話しかけてくるようになっている。
 また、その効果だろうか。娘は1年半前から障害者就労支援センターに通うようになり(週5日制)、ほぼ出勤を休むこともなくて、今回の就職につながったのである。
 入社式は6月21日。家族も一緒に来てよいとのことだったので、私も一緒に行って、昼食をご馳走になり、職場の雰囲気を見学してきた。
 農園経営の仕組みは以下のとおり。
 この農園は(株)エスプールプラスが所有するが、農業経営はそれを区分けして借り入れたいくつかの企業が障害者を雇用して行うという仕組みになっている。
 エスプールプラスは千葉県内に、この柏市のほかに千葉市、市川市、茂原市等に同様の仕組みの約10ヶ所の農園を所有する。柏市の農園の敷地面積は500m×500mほどで、障害者の雇用定員は200人位か。
 借入れ企業には大手企業が多いようだ。イオンもその一つで、ビニールハウスの一部を借りて、障害者15人を雇用し、農園を運営する。
 この仕組みに参加する企業の目的は第一に「障害者に働く場を提供し、社会福祉に貢献すること」であり、第二の目的は「障害者雇用促進法に基づき企業が負う障害者雇用義務(全従業員の2%の障害者を雇用する義務があり、果たさないと未達成一人につき月5万円を国に納めなければならない)を果たすこと」にある。
 一方、この仕組みは働く場の少ない障害者にとってはたいへんありがたいものである。勤務時間は9時30分-16時30分。給与は月10万円強。
 娘はお給料がもらえると、張り切って毎朝6時30分に起き、7時40分頃、職場に出かけている。
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(8月)

妻の足腰の痛みがひどくなって、歩くのが難しくなり、7月20日に入院
8月8日に退院。この間、精密検査を受け、リハビリを受けたあと、8月3日に、看護婦、リハビリ担当、介護保険のケアマネージャー、用具担当、それに家族も加わって、今後の対応について協議。妻は支えれば数mは歩けるので、退院後は家に戻って、私が一人で介護をすることになった。付きっきりの介護が必要か、私のほうに外出等の余裕がどの程度あるのか、始めてみないと分からない。どうなるか、やや不安。8月3日記。
8月4日、介護の合間に、近所のプールに出かけ、久ぶりに連続してクロールで2000m(60分)を泳いでみた。
 最近は週に2-3回泳ぐが、いつも1000m(30分)で切り上げていた。体力が落ちたので、それ以上泳ぐのは無理と思っていたためだが。
 それが、今でも2000mを泳げることが分かり、消えかかっていた自信をやや回復した。
 プールに行ったのは昼の12時頃。泳いでいる人は他に一人。空いていて気持良く泳げた。初めは1000mを泳ぐつもりだったが、泳ぐ途中で2000mでも大丈夫なのではと感じて泳ぎ続けた。1800mで足がつりそうになり、数分休憩の後、残りを泳ぎ切った。
 海外登山に出かけていた60歳頃までは、連続して5000mを泳いでいたことを思い出す。
 ところで、1000mを30分なので、100mを3分を泳いだことになる。これを他の人と較べると、取手市の水泳大会では80歳以上で100mを2分弱で泳いだ記録があるし、中三の孫の風ちゃんは100mを1分15秒?で泳ぐ。泳ぎ方を改善すれば、私ももっと早く泳げるかも
8月27日、風ちゃんがプールで泳ぎ始めたのは3歳の頃。中学に入ると水球部に入部して、週に3-4回、放課後に学校のプールで練習に励んできた。
 ただ、これまではこ、この中学のチームの実力のほどがよく分からなかったのだが、今回、千葉県の代表となって全国大会に出場した。
  大会名は「第41回JOCジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会」。
 場所は大阪。期間は8月22日-26日(日)。 参加は14都道府県から16チーム。
 女子の水球部がある中学がいくつあるのかは不明だが、上記参加状況から見て、それほど、多くはない模様。
 それでも、風ちゃんのチームは関東地区8校の中で地区代表となって、全国大会に出場したので、両親は大喜び。新幹線に乗って2泊3日で大阪へ出掛けた。娘の雄姿を初めて目にして、とても楽しかったという。
 結果は、4チーム・4組・総当りの予選では1勝2分けの2位となって、決勝トーナメントに進出。でも、決勝トーナメントでは1回戦で敗退した。
 勝負は別として、風ちゃんが仲間と仲良く水球を楽しみ、青春時代の思い出の1頁を作ってくれることを願っている。
 私も一度は風ちゃん試合を見てみたいものである。
(10月)
・10月2日(火) 守谷の湿原ハイキング  宮本 上手 田村
・10月7日(日) 全国視覚障害者登山大会(高尾山)に参加
  大会は10月6-8日の3日間、高尾山で行われた。今回は六つ星が幹事。参加者は10団体・216名(うち、視覚障害者59名)。うち、視覚障害者団体9・215名(六つ星72名、京都31名、富山28名、岡山22名、千葉16名、山口16名、広島15名、大阪12名、神戸3名)。
 7日には登山があり、上記のうち、195名が参加。別に救護隊等のボランティアに35名が参加。
 私は三日間の大会のうち、登山を行った7日に3コースのうち、最も易しいG1コース(ケーブル利を利用し、下車駅から山頂を往復)に日帰りで参加。
・10月19日(金)-20日(土) 家族で那須に一泊旅行。数年ぶり。
 何年か前に妻と娘と3人で2泊3日の京都旅行に行ったことがあるが、妻との旅行は、それ以来だろうか。妻と娘、妻の義弟、私の4人で義弟の車に乗って、那須高原に一泊旅行に出かけた。
 妻との旅行は数年ぶりなので、2食付きで18500円とやや高めの「ホテルエピナール・那須」に宿をとった。
 妻は足が悪いので温泉には入れなかったが、夕食では豪華なバイキング料理を満喫した。今回の旅行で一番のハイライトはこの料理と云えようか。
 翌日は車で、那須から山の稜線を越えて日光へ。紅葉にはやや早かったが、自然の中を行くドライブを楽しんだ。妻にとっては山の中を行くドライブは久しぶりのこと。
 
・10月23日(火) 手賀沼ハイキング  小林 大内 田村
・10月26日(金) 私の本の出版を祝う集い
 六つ星の葛貫会長と塩野さんのお世話で、高田馬場の飲み屋で上記の集いを開いていただいた。来られた方は約30人。
  皆様からそれぞれ数分づつ、ご一緒した山の思い出などのお話をいただき、また、パタゴニア製の防寒着とユリの大きな花束を記念に頂いた。
 とても盛り上がり、とても楽しかった。
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043(上:集いの当日に紹介した「日本百名山完登記念の幕」。高橋徳男さん作成)
 六つ星の結成は1982年で、私の入会は1989年11月。入会から今年までに29年が経った。
 会の役員になったのは20年ほど前。うち、総務部長を務めたのは15年位か。
 そのあと、監査の役を務め、今年5月に妻の足腰の痛みが更に悪化し、歩くのが不自由になったことを契機に、会のすべての役職を辞任した。
 この間、六つ星の皆様とは視覚障害の方々のサポート役として、多くの山に登った。富士山、槍、穂高、笠岳、白馬、北岳、塩見、甲斐駒、鳳凰三山、赤岳、木曽御嶽山、北海道・旭岳、白山、白神岳、宮之浦岳などのほかに、奥多摩、奥武蔵や丹沢の山々、それとロッククライミングや渓谷歩きにもご一緒させていただいた。
 登山以外で思い出に残っているのは2006年10月に開催された「六つ星フォーラム25」(場所:日大講堂)である。メインは視覚障害者登山の未来を論じる「シンポジウム」と登山家・田部井淳子さんの「講演」。私は生まれて初めて、こんなに大きな「集い」で事務局を務め、連日、裏方として全力投球で、あちこちと駆け回った。
 集いは大成功。その成功は、事務局の方々やそれ以外の担当の方々がそれぞれに全力を尽くされたおかげであるが、私の方は、裏方として、後片づけが終わった後で、思わず、床に座り込んでしまうほどに、ものすごい、それでいて心地よい疲労感に襲われた。そのときの「やった」という満足感は今でも忘れられない。
(11月)
・今月の前半は病院通いが続いた。80歳ともなると、体の故障がいろいろと出てくるようだ。
 まずは足のむくみ。左足のふくらはぎのむくみが長い間引かずに、慈恵医大と協同病院へ。内科で精密検査を受けたが、原因は、ふくらはぎの血管(静脈)が弱って血が流れにくくなったためとのこと。 歳をとったことによるもので、治す方法はなく、今後もふくらはぎのむくみは続くという。左足に「弾性ストッキング」を履けば、少しはむくみが抑えられると云われたので、今は、それを毎日履いて過ごしている。
 次は歯。大きな虫歯が二つ見つかり治療中。1週間に一回、治療に通っているが、2ヶ月はかかりそう。
 その他、最近は歩くスピードがこれまでの2/3に落ちて、六つ星の山行に付いて行くのが難しくなり、半年ほど前から、易しいものを除いて会山行への参加を取りやめている。 
 一方、妻も病院通い。ここ数ヶ月、足腰の痛みで歩くのが困難になり、タクシーや車椅子で、病院に通っているが、これに加えて、11月は目の治療や歯の治療も必要になり、病院通いが増えた。
 更に、妻の介護と食事作り、朝6時に起きての娘の弁当作り(安孫子の農園に勤務)があり、毎日、割りと忙しい。

 

 これが、私の日常である。
・11月22日(金) 守谷の湿原ハイキング  森谷(盲導犬も) 小賀野 田村
(12月)
・12月2日(日)  六つ星忘年山行・越生・大高取山 に参加
 参加者69名(うち視覚障害者22名)。G1コース(大高取山)とG2コース(鼻曲山)に別れて登山。私は易しいG1コースに参加。
12月11日(火) 牛久沼ハイキング  大内 田村

 

 

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