2019年の日常
(2019年の日常)
◎ お正月
・昨年末の10日間は、これまでに経験したことがないほどに気ぜわしかった。毎年恒例の年賀状作りやお歳暮の発送、部屋の大掃除に加えて、お節料理の準備など、年末に主婦が行う家事も含めて、すべてを一人でこなしたためだ。もちろん、3食の食事作りや妻の病院への付添いも。
大晦日の夜、すべてが終わってホッとしたのは午後9時頃である。妻と娘は紅白歌合戦に興味がなくて早く寝てしまい、私は部屋に一人ぼっち。大晦日の夜を居間で、たった一人で過ごすのは初めてのことだ。
私も紅白歌合戦には興味がなく、テレビを消して、数回分の「朝日新聞・俳壇・歌壇」から気に入った歌を選びブログに記載するという仕事をした後で、除夜の鐘を聞きながら、高田馬場・穴八幡宮のお札(商売繁盛を祈るもの。戦前の我が家は飯田橋で、ボール箱を作る小さな商店を開いていた)を柱に貼って眠りについた。このお札張りは、戦前の祖父の時代から続く、田村家の男子が毎年大晦日に行う行事である。
・元旦は朝から、北千住の娘夫婦が孫2人とやってきた。これも、毎年、恒例のこと。まずは娘夫婦で布団干しなどの大掃除。それから、7人全員でお雑煮を作って食べ、孫にお年玉をあげ、前日に用意しておいたカニ、エビ等のご馳走も食べた。にぎやかなお正月。夕方に、娘たちは帰った。やや、忙しかった一日が終わる。
2日は一日、家で過ごす。3日は妻と車椅子で近所のレストランへ。北風、寒し。4日も妻と車椅子で利根川堤を散策。そのあと、駅前でそばを食べ、白山商店街の洋服店「しまむら」に寄って帰宅。この日は久しぶりに無風快晴の一日だった。5日も家で過ごす。6日は娘と市内の日帰り温泉へ。
・正月は一日位、高尾山に行くか、成田山まで7-8時間ほど歩いてみたいと思っていたが、結局、実現しないで過ぎた。行きたいなー。
・あと、何年生きられるだろうか。人の世は広くて奥が深い。美しいもの、感動するものも多い。あの世に行く前に、そんな世界をもう少し見ていきたいものだ。
長くない人生。今後、元気でいられるのはせいぜい5年位か。今年は、妻の介護中心の生活となり、そんな日常に埋没しそうだが、そんな中で、いかに前向きに生きるかが問われている。
◎ 私の趣味を振り返る(絵と音楽と写真)。
40歳の頃から40年間、山と旅を楽しんできたが、妻の介護が始まったことと体力・脚力の低下があって、最近は、それが難しくなってきた。これからは何を楽しみにして過ごすか?
そんな意味で、以下に山と旅以外の、これまでの趣味を振り返ってみたい。
私は、絵(描くことや鑑賞すること)も、音楽(鑑賞すること)も、写真(撮ること)も、初心者。読書も、時代物や探偵物の乱読で、深く追求した分野はない。今年は、妻の介護があって家にいることが増えるので、意識的にこれらの趣味にもう少し時間を割いて、楽しみを深めてみようかと思う。
(絵画)
絵には興味を惹かれる。展覧会にもときどきは行く。「いいな」と感じる絵にも幾つか出会った。青木大乗の野菜の図、小倉遊亀の紅梅・白梅の図などは買って手元に置いておきたいと心から感じた絵である。ミレイの「オフィーリア」(ロンドン・テート・ブリテン)、クリムトの「接吻」(ウイーン・オーストリア・ギャラリー)などは、見るために現地の美術館を訪れた。グレコ描く貴人の肖像画(マドリッド・プラド美術館)にも心惹かれた。最近、訪れたのは版画家・川瀬巴水の回顧展(千葉市美術館)。その後、川瀬巴水と吉田博、井上安治、小原古邨の版画集を買った。
絵を描くのも好き。ときどき描く。最近は絵にさける時間がなくて、描いてはいないが、時間があれば描きたいものだ。
(1964年に描く)
絵はまだよく分からない。ことしはまず、絵の鑑賞を深めてみたい。絵の創作に命を懸けた画家もいる。絵はそれほどに奥が深い。「こんな楽しみを味わうことなく一生を終わるなんて、もったいない」との思いもある。
最近、「画家を描いた小説」や「絵画の解説」の本にも目を向け、いくつか読んだ。絵は目で見て鑑賞するものと言われているが、本の中で絵を鑑賞するのもなかなかよいものであり、読書好きの私には合った絵の鑑賞法だと思っている。もちろん、本の中だけでなく、本物の絵にも会いたいが。
(音楽鑑賞の楽しみ)
音楽の素養は全くないといえよう。クラシックについては、バレエの「白鳥の湖」を見に行ったり、家でベートーベンの「第五」や「第九」を聞いたぐらい。
楽しんでいるのは主に軽音楽。サンティアゴ巡礼や海外登山、シベリア鉄道などの旅先にCDなどを持参して聞いた。巡礼宿の二段ベッドの中で、あるいは、吹雪で閉じ込められたマッキンリーのテントの中で、また、一日中、荒涼とした大陸を走るシベリア鉄道のデッキに立って景色を見ながら、・・・。そんな雰囲気の中で聞く音楽は心に響いた。ときには涙があふれるほどに。
倍償千恵子、鮫島有美子の「若者たち」や「学生時代」を、列車内やアルベルゲのベッドで聞いていると、友情や恋についての青春時代の思い出が溢れてきて、歩き疲れて乾いた心が、みずみずしい感情に満たされた。「ふるさと」や「早春賦」も、とてもよい。「ふるさと」は昔、だれかさんと一緒に歌ってみたいとふと思ったこともある。また、「大黄河」(宗次郎)や「シルクロード」(喜多郎)、「新世界紀行」(服部克久)を聞くと、地球の遥かかなたの、無人の荒野をさまよい歩く心地がして、自分が今どこにいるのかを忘れるほどだった。
ショパンの「ノクターン」、チャイコフスキーの「白鳥の湖」も大好き。クラシックはまったくの素人で、よく分からないが、この二つは折にふれて聞いてきた。
また、美空ひばりも聞いた。ひばりとは生れが同年。どの歌も好きだ。死の1年前の、伝説のワンマンショー「不死鳥コンサート」を思い出す。そのDVDは何度も見たが、彼女の「死に臨んでも歌い続けようとする、歌に人生をかける覚悟」がひしひしと感じられ、心が惹き込まれた。そういえば、今は亡き妹と二人で学生時代に浅草国際劇場に「ひばりのワンマンショー」を見に行ったっけ。そこで聞いた「港町十三番地」を思い出す。
これらは、初めの頃は録音テープと録音機を持参し、その後はCD数枚とCDプレーヤーを持参して聞いたが、最近出かけたサンティアゴ巡礼の「北の道」では、初めて「iPod」に録音をし、それを持参して聞いた。これは手のひらに乗るほどに小型で軽く、しかも多くの曲が録音できて、過去のものと比べるととても利用しやすかった。録音は息子に頼んだ。
(読書)
まだ、職場に勤めていた頃にブログに書いた文章がある。
『私の好きな小説は時代物や歴史物、探偵小説、山岳小説など。たとえば、山本周五郎、藤沢周平、宮城谷昌光(中国の歴史物が中心)、佐藤賢一(フランスの歴史物が中心)、新田次郎(山岳小説)などは、ほとんど読んだ。
一方、海外の探偵小説も愛読。最近では、マイクル・コナリーの著作をほとんど読んだし(「真鍮の評決」ほか)、昔をふり返ると、エラリー・クイーンのほぼ全著作を読んでいる。
小説以外では、歴史物(たとえば、塩野七生の「ローマ人の物語」)や生き方論(立花隆「青春漂流」、森本哲郎「生き方の研究」)、山に関するドキュメント(ジョン・クラカワー「空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」など)も読んだ。また、和歌(大岡信「詩歌遍歴」など)や漢詩、それに絵画に関する本も読んでいる。
本のほとんどは図書館で借りて読む。ただし、文庫本は買って読むことが多い。また、本を読むのは、電車の中か、喫茶店。本が読めるので、電車に乗るのは楽しみであり、読書に没頭して乗り過ごすことも、たまにある。本を持たないで電車に乗ると、忘れ物をしたようで落ち着かない。東京で勤めているときに、一番本を読んだのは電車の中である。
喫茶店も読書の場。最近は近所のパン屋さんによく行く。午後4時頃に出かけて、30分-1時間位、本を読む。このパン屋さん、おいしいパンを売っていて(1ヶ150-200円)、淹れたてのコーヒーが無料で飲める上に、総ガラス貼りの窓際でソファーに座って、ゆったりと本が読める。パンを買いに来る人は多いが、ソファーに座って休んで行く人はほとんどいないのだ。コーヒーが脳を刺激するせいか、喫茶店は最も読書に集中できる場所である。
読書は人生を豊かにし、楽しくする。本がなかったら、毎日の生活から大きな楽しみの一つが失われるであろう。それは自分が経験したことのない世界の一端を見せてくれる。この世には多様な人生があり、深い感動や大きな喜びがあり、悲しみや絶望があることを教えてくれるし、また、生きることの意味を考えさせてくれる。
と言っても、私の読書の対象は時代物や探偵小説などの軽いものが多くて、人生を深く考えさせるものはほとんどないのだが。』
この状況は今も変わらず、私の読書には、あまり深みがない。読んで楽しければよいという程度。
これに対して、小学校時代からの親友・柿島君(闘病生活中)から最近もらった手紙には「セルボーンの博物誌」、「かわうそタルカ」、「鳥の水遊浴び」(庄野潤三)、「鞆ノ浦茶会記」(井伏鱒二)、「加藤楸邨句集」(幸田露伴)、「江戸詩人選集」(岩波書店)などを読んでいるとあった。私とは読書の格が違うと感じた。
さて、最後に私が好きな本を3冊、掲げておこう。
・「銀の匙」(中勘助著)
印象に残っている本の第一に挙げたい。数十年前に読んだ。内容はほとんど忘れたが、みずみずしい文章だったこと、幼児の頃、外に出るときは伯母さんに背負われてその背にしがみついて出かけたこと、それらを読んで自分の幼い頃を思い出し、とても懐かしかったことなどを覚えている。
今回、読み返してみた。
主人公は幼児なのに、私には及びもつかない、たいへん豊かな感受性を持っている。
「私ははじめて見る藁屋根や、破れた土壁や、ぎりぎり音のするはね釣瓶(深い井戸から水を汲み上げるもの)などがひどく気に入って」、「(大工さんが削る鉋屑を手にして)杉や檜の血の出そうなのをしゃぶれば舌や頬がひきしめられるような味がする。おが屑をふっくらと両手にすくってこぼすと指のまたのこそばゆいのもうれしい」、「(茶の木の)まるみをもった白い花弁がふっくらと黄色い蕊をかこんで暗緑のちぢれた葉のかげに咲く。それをすっぽりと鼻へおしつけてかぐのが癖だった」など、見るもの、触るものに興味を示して深く愛しむ。そんな物語である。
小学校低学年の頃、お国さんやお恵ちゃん(原文は草かんむりがある「恵」)と友達になる。「ある晩私はひじかけ窓のところに並んで百日紅の葉ごしにさす月の光をあびながら歌をうたっていた。…『(月の光をあびて)こら、こんなにきれいにみえる』といってお恵ちゃんのまえへ腕を出した。『まあ』、そういいながら恋人は袖をまくって『あたしだって』といってみせた。しなやかな腕が蝋石みたいにみえる」など、微笑ましい交流の様子も描かれる。
この本は大正2年の著作。岩波文庫の初版は昭和10年。和辻哲郎が書いた解説には「この作品の価値を最初に認めたのは夏目漱石である」、「大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときものでもない。…それはまさしく子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は…見たことがない」とある。
・「虚空遍歴」(山本周五郎)
数十年前に読み、主人公の中藤沖也という男の生き方にとても惹かれた。江戸時代、浄瑠璃という芸に魅せられて、武士をやめ、新しいふし「沖也ぶし」を編み出すことに一生をかけた男の物語である。
沖也は「およそ芸の世界に生きる者は、自分の感じたもの、苦しみや悲しみや悩みや、恋とか絶望、もちろんよろこびとかたのしさをも含めて、人間の本性に触れることがらをできるだけ正しく、できるだけ多くの人たちに訴えかけたい、ということが根本的な望みだろう」、「新しい本には新しい内容があり、その内容を活かすためには、浄瑠璃もその本に添って新しい<ふし>を作りだすのが当然だ」という信念を持ち、新しいふし作りに全身全霊をかたむける。
一方、芝居役者の岩井半四郎は「芸事というのはもっとおおらかな、一口に云うと風流といった感じのものではないでしょうか……。私は、自分の芸をつくりあげるよりも、客がどう受取るかということをまず考えます…、こうやっては俗だと思っても…、要するにおおらかな、風流という気持でやっていく…」と言うのだが、沖也はそれを受け入れない。
主人公は、ふしを完成させるために、新婚で身重の妻を江戸に置いて一人で旅に出る。貧しい農家に泊ったり、飲み屋を回って門付けをしたりして、庶民の生活を体感する中で、ふし付けにそれらを取り入れようとする。また、芝居が盛んな大阪や金沢を訪れ、新しいふし付けでの芝居に挑戦する。しかし、苦労に苦労を重ねても、納得できるふし回しにはなかなかたどり着けず、結局、それを完成させることなく、また、我が家に一度も帰ることなく、生まれた子供に会うこともなく、旅先で病を得て亡くなるのである。
作者は、この生き方に肉付けをするために、おけい(男と女の関係を超越して沖也につくす女性)、濤石(絵を画くことに生涯を懸ける画家。納得できる絵が描けずに命を絶つ。周囲は彼の絵のすばらしさを認めていたのだが)、生田半二郎(友人)、盲目の芸人などを登場させる。
そして、それら登場人物に「そのもとにはおちつく場所はない、そのもとに限らず、人間の一生はみなそうだ、ここにいると思ってもじつはそこにいない、みんな自分のおちつく場所を捜しながら、一生遍歴をしてまわるだけだ」、「この道には師もなければ知己もない…、つきつめるところは自分一人なんだ、--誰の助力も、どんな支えも役には立たない、しんそこ自分ひとりなんだ、…」、「人間の一生で、死ぬときほど美しく荘厳なものはない。それはたぶん、その人間が完成する瞬間だからだろう。…それぞれの善悪、美醜をひっくるめた一個の人間として完成するのだ。…」などと語らせる。
これらの筋立てと登場人物の言葉からは、「生きるとは何か」、「芸を極めるとは何か」を考え抜き、それを何とか小説で描き出そうとする作者・山本周五郎の必死さが伝わってくる。そして、読み進めるうちに、小説作りに真正面から取り組む著者・山本周五郎のこの気迫が、まさに、中藤沖也の芸に懸ける気迫とぴたりと一致するのを感じる。
読み終わって、自分の生き方を振り返ってみた。
私には一生を一つのことにかけるという生き方への憧れがたいへん強い。そんな本を読んでいるとどんどん引き込まれていく。ただし、それは小説の世界のことだけであって、自分がどう生きるかを真剣につきつめたことは一度もないのだが。
30歳の頃から現在まで、世の中を良くするための政治活動に少しだけ関わってきた。また、50歳代になってからは「視覚障害の方と一緒に登山を楽しむ会」(六つ星山の会)に入り事務局を担当してきた。しかし、前者は浅い関わりであり、後者は「事務の中心になる人がいないので、やむを得ず引き受けた」という面が強く、それに一生をかけるといった強い信念を持つまでには至らなかった。
私が生き方の中心の置いてきたのは、結局、現世のいろいろな楽しみ(登山や旅行、孫との遊びなど)を追うことであり、自分の利益中心の生き方だったように思う。
でも、後悔はしていない。
・「冬の標(シルベ)」(乙川優三郎著・文春文庫・2013年5月発行
・単行本・中央公論新社・2002年)
「冬の標」は、江戸時代の末、武家出身の女性「明世」がその一生を懸けて絵を描く、その生き方を描いたものである。主人公の息使いが聞こえてくるような、繊細でみずみずしい文章がたいへんに魅力的であり、引き込まれて一気に読みきった。
この著者には絵画や蒔絵に情熱を注ぎ、一生を懸ける、そんな生き方を描いた小説がいくつかある。別に読んだ「麗しき果実」という本が、主人公の生き方に加え、絵画・蒔絵の描き方やその鑑賞にも力点を置いたのに対し、この本では絵画はあくまでも脇役であり、主題は主人公の生き方に置かれている。
主人公「明世」は江戸時代の上級武士(上士)の娘。絵が好きで画塾に通う。この時代、武家の娘が絵を習うことは嫁入り前のお嬢様のお遊びであり、女子本来の務めは、結婚し夫と姑に仕え、子供を産み、家を守ることにあると考えられていた。「明世」は結婚をせずに絵を続けたいと熱望するが、世の中はそれを許さない。やむをえずに結婚。しかし、夫は1年で他界。「明世」は絵を描くことを生きがいにしながら、婚家と子供と姑を守り続ける。
貧しい生活の中でも師に学び、師の絵筆の巧みな動きを見ながら思う。
「衝動が言葉にならない。空白の間が、最も充足されるときでもあった。無くなりかけた米を得るよりも、たしかに生きてゆける気がする。そういう瑞々(ミズミズ)しい力をくれるものが、絵のほかにあるだろうか。優れた絵に心を打たれる喜び、白紙と対峙するときめき、そこに何が生れてくるか知れない期待と不安……情熱のすべてをそそぎ込んでも惜しくはないと思う」。
そして、同じ絵の道を志し、心が通じ合い、頼ることができる男(修理)と出会う。ただ、その幸せは一瞬にして終わり、男は幕末の動乱の中で暗殺されてしまう。
その絶望の中でも、彼女は絵筆を取り、毎日、男の顔を描き続ける。
「あとから思うと、男を描くことに狂っていた月日は、それ以上の充足をどうして得られるだろうかと思うほど無我の境地に近づいた日々でもあった」、「結局、その姿(修理)を思い川(地元の川)の堤に佇ませることで、彼女は男の内面を引き出すことに成功したのだった」、「そこには修理にふさわしい穏やかで透明な気配が生まれた。…(完成した男の肖像画を)その手で軸装すると、ありったけの情で男を包み込んだ気がした」。
結局、「明世」は絵の修業ために息子の反対を押し切って、母とも分かれ、一人、江戸に旅立つ。旅立つ日、雪の枝に寄り添う2羽の鵜を見て思う。
「(描きたい)そう思うのと、一切の雑念が消えるのが同時であった。構図を考えるまでもなく、二羽の鵜は枝を決め、そこに姿を定めて微動だにしない。対象を心の中にとらえて描こうとするとき、孤独は敵ではなかった。むしろ、ひとりの喜びに充たされてゆく。後先のことはどうでもよかった」。
読み終わって、「好きなことに一生を懸ける、それを生きがいとすることの幸せ」、それが充分に伝わってきた。
そんな一生を送れたら、すばらしいであろう。いや、凡人にとっては、それほどおおげさでなくとも、何か好きなことを一つ持つだけでよい。それは人生を豊かにし、また、苦しいときには、困難を乗り越える力を与えてくれる。もしかしたら、そんな楽しみが持てたことで、あの世に行くときに「私の一生はこれでよかった」という満足感に浸りながら旅立つことができるかもしれない。
なお、この本の書評に「乙川優三郎が好きな作家の第一に挙げるのは山本周五郎」とあったことを付記しておく。
(写真)
写真を撮るのは、散歩のとき、旅のとき、登山のときである。写真機は「ニコンF600」のときもあったが、重いので、今は軽くて安い「ソニー20X」を愛用している。
散歩のときに撮るのは主に花であり、旅のときは風景と人物を撮る。
4回のサンティアゴ巡礼では、毎回、1000枚ほど撮り、そのうち約100枚を選んで紀行文に掲載した。
ここでは、まず、これまでに私が撮った「花」の写真を振り返ってみたい。
下の写真は、① 利根川の春、② 高尾山のユリ、③ 高尾山の山桜、④ 手賀沼の紅白の梅、⑤ 野の花、⑥ つばき、⑦ 皿のつばき、などである。
写真を撮るときに、特に留意してきたのは構図であろうか。これまで撮り方を勉強したことはない。自己流である。
サンティアゴ巡礼では、1回の旅で1000枚位を撮り、旅行記を作るときには、その中から選んで紀行文に写真を掲載してきた。また、花の写真は散歩のときに撮り、家に帰ってから、気に入った写真をブログに掲載している。
◎ 「水球」観戦-中三の孫娘が出場(1月27日・日曜)
生まれて初めて「水球」の試合を見に行った。中三の孫娘が試合に出場したからである。以前から一度、彼女の雄姿を見てみたいと思っていたが、今回、その念願がかなった。
(追記・11月8日) 風ちゃんは高一。水球の千葉県代表に選出されたという。何か一つ、打ち込めるものを持つのは、とても良いことだ。生きる上での自信になる。
◎ 同居の娘の日常(2月7日記)
30年間、職に就かずに、昼間もベッドでごろ寝をしていた娘が、昨年6月から我孫子の農園に勤め始めた。朝8時に出かけて夕方6時頃に帰宅する。勤務時間は月-金の9:30-15:30。
ただ、最近は、連続して5日間、出勤するのがつらくなったようなので、私の考えで、水曜を休みにすることとして、週4日の出勤に変えさせた(もちろん、水曜の休暇は、「お母さんの介護をするため」という理由で、毎週、娘に届けさせている)。
「会社に勤めれば、毎日、出勤しなければならない」というのが世の中の常識だが、「無理に勤めさせて、職場をやめてしまうような事態を招くよりは、余裕のある勤務体制をとらせて、できるだけ長く勤めさせたほうが良い」と判断したためである。最近は、「足が痛い」とか、「おなかが痛い」とか言って、休むことが多くなったので、その対策として、上記のやり方に変えたのである。うまくいくとよいが。
◎テレビを見て、新しい世界を知る。
40歳代から80歳にかけて夢中だったのは登山とサンティアゴ巡礼。妻の介護が始まってからは、それらを楽しむのが難しくなった。今の楽しみは、散歩に読書に囲碁くらいか。テレビもそのひとつ。テレビではこれまで、囲碁番組(日曜昼のNHK)、スポーツ番組(サッカー、海外の野球、ボクシングなど)、美術番組(主にNHKの日曜美術館)、海外を歩く旅番組、などを中心に見てきたが、最近は、他の番組にも見る対象を広げつつある。また、美術では、テレビで紹介された美術館に実際に出かけることも。
b)<落語の世界>NHKアナザーストーリー選「落語を救った天才・古今亭志ん朝の衝撃!」
(6月11日・NHKBSプレミアム3・午後9時ー10時)
三代目「古今亭志ん朝」については若い落語家ということしか知らなかったが、この番組で初めて、トップクラスの凄い落語家であることを知った。落語家トップの称号である「真打ち」に昇進したのはわずかに24歳のとき(1962年)。しかも、兄弟子36人を抜いての昇進だったという。語り口の上手さは当代随一で、当時沈滞していた落語会を救ったといわれている。1938年生れ。2001年に63歳で没。古今亭志ん生の次男。これを見て、志ん朝や兄弟子の談志の落語をじっくりと聞いてみたくなった。
c)<古典文学の世界>NHK歴史秘話ヒストリア「更級日記と菅原孝標女」
(6月12日・NHK総合・午後10時30分-11時20分)
・11月5日(火):芝浦海岸沿いを品川から新橋まで一人で散策。整備された大きな公園やビル裏の運河も含めて、久しぶりに海沿いを歩き、たいへん楽しかった。
◎ 風ちゃんの水球チームが全国優勝(12月27日)
◎ 爽太も一番
孫の爽太は中学2年生。この年末、期末試験での成績が学年総合で一番になった。数学は元々得意だったが、国語や英語を含めての総合成績なので、ちょっとびっくり。爽太も案外やるもんだ。娘からは「学校から帰っても、すぐにカードゲームをやりに外に出かけてしまう」と聞かされており、先日、家に泊りに来たときも、一日中、家で寝ころびスマホでゲームをやっていたのだが。
両親も私達も「一番になったお祝い」として、二人へのお年玉をややアップした。
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