« 2019年1月 | トップページ | 2021年1月 »

2020年1月

2020年の日常

(2020の日常)

◎ 世の中は今、どこへ行こうとしているのだろう

 年末に旧職場の仲間10人程が東武野田線「おおたかの森」駅構内にある居酒屋に集まり忘年会を開いたが、話題は政治問題や社会問題に集中した。参加者は皆、80歳前後だが、今でも、広く社会に目を向け、それぞれが自分の見方や意見を持っており、それらを出しあっての議論だった。でも、私は日頃、家事や介護などの日常生活に忙しく、政治問題や社会問題を深く考えることがなくて、独自の見解を持っていなかったので、あまり意見を述べることが出来ずに、それらの聞き役に回ることに終始した。なお、敬服したのは、80歳を越えた今でも、沖縄の辺野古に出かけて軍事基地建設反対闘争に参加し、現地で座り込みを続けている人がいたことである。

 世の中の動きがどうなっているのかにも、目を向けていかなければ。

◎ めまい 

 一月の中旬、散歩中にめまいがして、ふらふらし、利根川の堤の斜面を登ることができなくなった。それが1時間ほど続く。休み休み、何とかバス停まで歩き、家に帰ったが、以前に経験した脳梗塞の前兆なのか、それとも数年に一度は経験してきためまいなのか、やや不安である。

 でも、一日で平常に戻った。数年に一度起きるめまいだったようだ。このめまい、時々起きる。10年ほど前、東大病院のめまい専門家で精密検査を受けたことがあるが、脳や耳鼻に異常はなく、良性のめまいと診断された。一日、寝ていれば治るので、あまり心配はしていない。

◎ 1月の読書

皇帝フリードリッヒ二世の生涯(上・下)」(塩野七生著。新潮文庫)

 塩野七生の本はかなり読んだ。「ローマ人の物語」、「海の都の物語(ヴェネツィア共和国の一千年)」などの大作のほかに、「緋色のヴェネツィア・聖マルコ殺人事件」、「銀色のフィレンツェ・メディチ家殺人事件」などの小品(小説)も読んだ。筆者は過去の文献を多数読み込んでおり、人物や事象の分析は多面的であり、奥が深くて面白い。また、文章は平易で、読みやすい。

 皇帝フリードリッヒ二世は、塩野七生が「いつか書きたい」と念じ続けてきた中世の偉人である。1194年、シチリア王国の王女を母に、神聖ローマ帝国の皇帝を父として生まれ、イタリヤからドイツに及ぶ広大な領土を継承した人。封建諸侯が群雄割拠する中で、世界初の憲法とも言うべき文書を起草。それに基ずき法治と政教分離を行う近代国家の実現を目指した人である。

◎ カフェで見つけた「俳句集」 

 ときどき天王台駅近くのカフェに行くことがあるが、先日、その店のロビーに並んでいた雑誌の中に、2冊の「俳句集・いのちの五七五(第一集・第二集」を見つけた。著者は森本一己さん、安孫子市在住で、サラリーマン歴40年の方。40歳から20年間、座禅の修業をしたという(発行は「千葉日報社」)。心惹かれるものがあり、いくつか書きとってきたので、紹介したい。なお、この本を入手したくて出版社に電話を掛けたが、既に絶版で在庫はないとのこと。

1)「音楽の力 荒ぶる 心止む」・「一冊の 書に心を 奪われて」

 家事と妻の介護、それに精神障害の娘への気遣いの毎日。大好きな山や旅にも行けなくなって、心身ともに疲れ果て、いらいらすることが多くなった。そんなときに好きな音楽を聴くと救われる。前向きな気持になれる。例えば、NHKテレビ・ビックショー「古関裕而~青春・涙・哀愁~」(45年前のものの再放送)はとても良かった。また、先日は、DVD「パリに見いだされたピアニスト」を見て、ホッとした気持になった。これらを見ていると、乱れた心が鎮まる。

 本にも同じ力がある。昔、読んだ「虚空遍歴」(山本周五郎著)や、吹雪の日、マッキンリーのテントの中で読んだ「北の海」(井上靖著)などはそれであり、最近読んで引き付けられたのは、「蜜蜂と遠雷」(恩田隆著)、「皇帝フリードリッヒ2世の生涯」(塩野七生著)などである。

 日曜日のNHK・Eテレ「日曜美術館」でも、ときどき心奪われる番組が放映されることがある。「世界遺産法隆寺壁画・超絶模写に命を懸けた画家」(2020年4月12日放映)もその一つだ。法隆寺の壁画は昭和24年に火災に遭って損傷したが、この番組は、その壁画を模写し、復元する人達の、命を懸けた作業の様子を紹介したものである。テレビの前で、心を集中して見守ったが、この宝物を遠い将来にむけて残していこうとする人たちの熱意が伝わってきた。

 何か、好きなものに心を奪われているとき、そんな自分にふと気づくことがあるが、そんな一瞬は至福のときである。これからも、そのような経験をできるだけ味わっていきたいものである。

2)「花筏 乗りて彼岸へ 渡りたし」・「花は咲き 散りし後にも 花は咲き」

 82歳。私もいつか死ぬ。あと10年か。いや5年かも。そのときは、花筏に乗って行けたらいいなー。

3)その他

 「出会いこそ 人生彩る タピストリー」

 「わが思い 君の幸せ ただ願う」

 「無力なり 心一つも 抑えざり」

 「明日死ぬと 思わば命の 愛おしさ」

 「この国の 春夏秋冬 比ぶ無し」(全く、同感。日本の四季は本当に美しい)

 「一つ事 極めて人生 送りたし」 

 「安らぎは 貪り(ムサボリ)止めし 心にぞ」

 「観自在 見るものすべて 一如なり」

   観自在:すべての物事を自由自在に見ることができること。小倉遊亀に「観自在菩薩」の絵あり。

        一如:唯一絶対の真理。

 「つまりせば 「自分を生きる」に 落ち着けり」

 「夢ばかり 追いかけんより 為すがよし」

◎ 今、心掛けること。

 今、82歳。ある程度、体が動き、また、精神が前向きでいられるのは、あと3年か。すでに、体も、心も、その活動は低下傾向にある。そんな中で今、考えなければならないことは何か。二つあるようだ。

1)これからの3年をどう生きるか、それを考え、実践していくことが、今の第一の課題。ワクワクするような海外のロングウオーク、その5回目を目指すのか。南仏を出発点にサンジャン・ピエド・ポーまで、一人で歩きたいとの思いは強い。それとも、東海道の完歩か、日本一周の一人歩きか。今は、妻の介護と娘との付き合い、それに毎日の食事作りでほぼ手一杯。とりあえず、何とか、1回で10日間位の、外出できる時間を作りたいものだ。

 絵を描く趣味も深めてみたい。ある水準に達するには、毎日、追及しても、数年はかかるであろうが。

 多くの人が、誰かのために、何かをしようと務めているが、私は人の為に何かをやる毎日を抜け出して、これからは、自分の楽しみを中心に置いて、追ってみたいと思っている。

2)我々・両親が亡くなった後、弱精神障害の娘・優子は一人でどう生きていけばよいのか、そのことを考えて、今からいろいろ調べ、現地も見て、手立てを講じておく必要がある。優子の一人住まいは可能か、その場合、どこに住むのか施設に入るとすれば、どこがよいのか。次女が住む足立区に、適切な施設はないだろうか。優子が気にいるような施設はあるか、いろいろ調べること。すぐにでも着手しよう。娘は今、52歳。人生80年とすれば、彼女の余生はまだ、30年位はあるだろう。

◎ 7月3日(金)、娘・優子が倒れて、救急車で運ばれた。その後、7月8日(水)に入院。

 7月3日、娘がトイレでうつぶせに倒れ、動けなくなり、救急車を呼んだ。近所の「協同病院」へ。骨折はしていなかったが、足がなえて、力が入らなくなったことが原因のようだ。病院で点滴を2本受ける。「トイレで倒れ、2時間ももがいていていたことにより、熱中症になったため」との診断。とりあえず、帰宅。しかし、歩行困難が続く。7月6日(月)、雨の中、精密検査を受けるため、再度、知人の車で協同病院へ。原因がはっきりしないので、精神内科と整形外科に受信を申し込んだが、受付で精神内科は不要と判断され、整形外科のみを受信することに。長時間待たされ、やっと受診したが、医者は車椅子に乗った娘を数秒見ただけで、娘を歩かせて歩行困難の症状を見ることはせず、また、精密検査もせずに、「問題なし。すぐに治る」との判定を下して、早々に部屋から出されてしまった。

 やむをえず、帰宅したが、依然として娘の歩行困難が続く。手を引いてやれば、1cmきざみでゆっくりと歩くことはできるのだが、支えていないとたおれそうになる。また、トイレに行ったり、食事をするために寝室と居間を往復したりするには、かなりの時間を要する。

 困った。どうしたらよいのか。別の病院に行こうと思うが、どこがよいか。7月8日、知人に相談。知人の車で彼がいつも利用している東取手病院へ。血液採取、CTスキャン等の精密検査を受ける。医師は、娘が通う柏市の精神病院とも連絡を取り、歩行困難の原因は最終的に「娘が常時服用している気持を前向きにするための薬の副作用により、足の筋肉が徐々に壊れてきたこと」にあると判定。同病院に入院して治療を受けることになった。あちこちと飛び回ったが、やっと一安心というところである。

 なお、知人の高橋さんには、彼の車に乗せてもらったり、入院用具の購入に付き合ってもらったりして、大変お世話になった。

 7月9日、担当医から「壊れた足の筋肉を治療し、歩けるようにリハビリをやって、全治、10日間」との説明を受けて、ホッと一安心。心の重荷がストンと取れたような感じである。(その後、娘は正常に戻り、今は普通の生活を送っている)

◎11月、旧東海道ウオークを本格的に開始

 妻が膝痛でほとんど動けなくなってから1年は経っただろうか。その間、妻の介護のほかに、3度の食事作りなどの家事もあり、あまり、自分の時間がとれない日が続いている。

 そんな中で、今回、妻がショートステイ(7日間)に行っている間を利用して、何回かロングウオークを試みた。

 一つは利根川の堤を成田へ向けてのウオーク、もう一つは保土ヶ谷からの東海道ウオークである。前者はこれまで何度も歩いたもの。一方、後者は東海道を本格的に歩き通すことを目的として始めたものである。昨年、中仙道をほぼ歩ききったので、今度は東海道を歩くことにした。日本橋-保土ヶ谷間はすでに何度かに分けて歩いているので、今回の出発点は「保土ヶ谷」。

1)11月11日・保土ヶ谷-藤沢

 早朝に家を出て、電車で保土ヶ谷まで行き、8時30分に歩き始めた。商店街を抜け、国道1号線沿いを歩く。権田坂からはアップダウンの連続。このあたりの旧東海道は、平坦な道を延々と歩くものだと思っていたが、違っていた。坂が多かった。最初は権田坂(年初めの大学駅伝で有名。ただし、そのコースは坂の脇を通るようだ)。これを越えたあと、更にいくつかのアップダウンが続く。晴天、坂の上では真っ白に雪を頂く富士山が望めた。その右に丹沢の山々。景色を鑑賞しながら近所のおじさんと立ち話。昼食は戸塚の駅ビルでとる。午後はまず、「大阪」の登り。「吹上」からは下り。遊行寺坂を下り、藤沢駅に着いたのは4時30分。休憩を除けば、かなりアップダウンがある6時間ほどの歩程だった。

 この日のウオークで、歩くことへの自信をやや取り戻した。昼、戸塚に着いたときは、「きょうはここまでで、歩くのはやめようか」と思うほどに疲れを感じたが、1時間の休憩を取ると、また歩く意欲が回復してきた。「途中、ある程度の休憩を取れば、また気力は回復する」のだ。それを実感し、更に藤沢まで歩いた。最近は、歳も83に近く、ロングウオークはもう無理かなと自信を失いかけていたが、こんな経験をして、やや、自信を回復。

 東海道を京都まで、何回かに分け、数十日をかけて、歩いてみようと思い始めている。

 日数をかけて、一つの目標を追うようなことを始めると、何か元気が出てきて、気持が前向きになる。

2)11月25日・藤沢-平塚

 歩き始めは8時30分。国道1号線を延々と歩く。町中を行く、変化のない平坦な道が続き、全く面白味なし。しかも、10時頃から雨。天気予報が「曇り」だったので、傘、カッパなどを用意してこなかった。ズブ濡れで、歩き続ける。下着まで濡れ始めた。山に行くときはカッパを必ず用意するのに、街歩きだったので、油断したのだ。幸いにして、午後になると天気は急回復。青空が広がり、濡れた服は徐々に乾いていった。途中、昼食休憩。4時30分、平塚駅着。

3)12月10日・三島-沼津

 常磐線取手駅発は午前6時11分。普通電車を乗り継いで三島駅に着き、歩き始めたのは10時過ぎ。まずは三島大社へ。透明な湧き水と水中の藻が豊か。1時間ほど過ごして、旧東海道に入る。本町-広小路と町中を真直ぐに進み、三島大社から1時間弱で1号国道を渡ったが、ここで道に迷った。旧東海道は国道沿いから、どれかの横道に入るのだが、手元の地図が大雑把なほかに、道標がないので、その横道がどれか、全く分からない。1時間近く、行ったり来たり、横道に入ったりして歩き回ったが、見つからなかった。分からないということは精神的にも疲れる。レストランで昼食を取って、一休み。でも、歩きすぎたせいか、全然、足の疲れが取れない。今までになかったこと。困った。やむをえず、足がしっかりと踏みしめられないままに、沼津の方向に、ややふらつきながら歩き始めた。やっとのことで、沼津駅へ。こんなに疲れたのははじめてのこと。普通に歩けば、5.8kmで、1時間30分の歩程だったが、3倍の4時間30分を要したことになる。冷静になって、東海道を通らなくても、沼津まで歩いていけばよいのだと割り切れば簡単に行けたのにと反省。これからは、低下してきた脚力に応じた計画が必要だ。

 沼津以降をどうしようか。取手からは遠くなったので、2泊3日などの連泊で行くのがよさそう。長く家を留守にして行けるようなチャンスが来たら、この先も歩いてみたいと思う。

◎年末に10日ほど、入院

 12月21日、私は風邪をこじらせて「東取手病院」に入院。12月28日、完治して退院。この間、妻は老人ホームの「水彩館」に入所し、12月30日、夕方、私がタクシーで迎えに行き、家に帰ってきた。

 12月30日は、妻を迎えに行く前に、毎年参拝に行く早稲田の穴八幡様にお参りし、大晦日に我が家の柱に張るお札を買ってきた。

 年が明けた元旦は、北千住の次女が二人の子供(中三と高二)を連れてがやってきて、6人でお雑煮を食べる。2日-4日は、妻と長女と三人で過ごす。5日に、妻は老人ホームに戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

« 2019年1月 | トップページ | 2021年1月 »