私の山暦
<私の山歴>
私が山へ行くようになったのは中学1年のときである。
小学生の頃から裏山で遊び自然に親しんでいたこともあって、中学生になると、中学と高校が一つだった学校の山岳部に入った。
初めて行ったのは「三つ峠」。夜中から早朝にかけて登った。最後の登りが延々と階段になっていて、とても疲れたことを覚えている。富士が目の前に大きくそびえており、たいへんきれいだった。
「上高地」にも行き、小梨平にテントを張った。キャンプファイヤ-では、上級生が酒を飲んで歌った。
山岳部は同じ学校の高校生が中心であり、彼らはたくましい兄貴に見えた。
「槍ケ岳」には、上級生だけが登り、下級生は留守番。このとき梓川で泳いだが、水があまりにも冷たくて、長くは入っていられなかった。また、「焼岳」には全員で登った。
学校祭では、教室内に木や草を持ち込み、テントを張ったが、飾るのがとても楽しかったことを覚えている。このときは上級生が4F建ての校舎の壁をザイルで下降するというイベントも行った。
高校・大学の頃に行った山は数えるほどしかない。
高い山は梅雨明けの7月下旬から台風前の8月上旬までしか行けないものと思っていた。
小学校、中学校、高校が同じだったob君、mu君とは、夏に涸沢から奥穂を目指しテント持参で登った。涸沢でのテント泊は寒かった。
翌日、雪渓の雪を食べ過ぎて体調を崩し穂高小屋でダウン。熱を出して寝込んでしまったが、宿泊費が無くて、mu君が一旦東京に帰り、金を持って戻ってきてくれた。
結局、奥穂へは登れず、2人にはたいへん迷惑をかけた。涸沢岳で写した写真は今も持っている。
mu君、om君とは、夏の裏銀座(烏帽子-槍)と冬の金峰山を一緒に登った。mu君がリーダー。
無人の山小屋で薄いシュラフにくるまって寝たが、その寒かったこと。あの頃は、彼らが山のベテランであり、私はいつも連れていってもらう方だった。
その後、彼らとのつきあいは長い。時折、4人で会い、食事をしたり、旅行をしたりして、おしゃべりを楽しんできた。
でも、今は一人欠けてしまった。mu君はもうこの世にいない。私がモンブランに行ったとき、「俺も昔、モンブランに登ろうと思って調べたことがあるんだ。一度は行ってみたいなあ」と話していたのを覚えている。
私が多くの山に行くようになったのは40歳頃からである。10年も続けたある活動の中で消耗し、何か夢中になれるもの、自分をリフレッシュさせるものはないかと考えて、山にたどりつき、百名山を始めたのがきっかけである。
なぜ、山に行くのか。「そこに山があるから」と言った人もいる(G・マロリー。エベレスト初登頂を目指すが、最終アタック中に行方不明)。
私の場合は、「何かをやり遂げてみたい」からであり、ささやかな挑戦のためである。
やり遂げること、登頂することに喜びを感じる。そのため、私の場合は自分の力の限界ギリギリと思われる山をねらってきた。
国内ではその一つがジャンダルムの単独行であり、海外ではマッキンリーだった。
素人なので、厳冬期の山や難しい岩登りは全くやらない。
でも、今は違う。誰かに喜んでもらうために山に行く。「喜び」は共に味わう人がいれば倍加する。
六つ星山の会に入ったのは50歳の頃である。百名山をほとんど達成し、それ以外の戦したい山にも挑戦し、「自分だけで楽しむ山登りはほぼ終った、これからは山を通じて、ささやかだが、誰かのお役に立ちたい」と思ったからである。
そして、六つ星で最も充実感を味わうのは、視覚障害者の方が山頂に立って「登った」「私にも登れた」と嬉しそうにする、その笑顔を見るときである。
昔、職場の人達と一緒に登ったときも同じだ。 案内人として、「すばらしい景色を見てほしい、山の素晴らしさを経験してほしい」との思いから、それらの山を企画した。
70年の人生を振り返ってみると、山には多くの思い出がある。海外登山(マッキンリーのほか、モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア)や100名山(乗鞍岳、草津白根を除いて98山を登頂)のほかに、数年をかけて取手の家から日本海の「親不知海岸」まで山をつないで歩くこともやった(もちろん、取手-八王子間は町の中を歩いたが)。
また、百名山のほかに単独行で、蓮華-船窪岳-烏帽子岳、黒部下の廊下、栂海新道、ジャンダルムなどにも挑戦した。
また、いろいろな人と山に登った。思い出せば、懐かしい、懐かしい人達である。
○ まずは、職場の人達。
・kaさん、knさんとmiさんと北岳。
・kaさん、knさんと屋久島の宮之浦岳(無人小屋に2泊)。
・kaさん、kiさん、fさんとは奥穂高。
・kaさん、kiさんと利尻山。
・yaさんとその友人と北岳、鳴沢岳から針ノ木岳。
・職場にいたドイツの女性や韓国の男性とは職場の人達と一緒に富士山と槍が岳に登った。
○ 職場が同じで山の仲間のmzさん(ココログの作成でお世話になった。ネーム名は山崎次郎さん)とは多くの山行を共にした。
体力のある山のベテランなので、連れて行ってもらったとも言えるが、春の聖岳、春の燕-常念、冬の入笠山、冬の女峰山、白馬-唐松-餓鬼岳-祖母谷温泉、十勝岳-トムラウシ縦走、熊野-吉野縦走などである。北鎌尾根も一緒だった。
○ キリマンジャロ登山で同宿だったasさんには、帰国後、日和田山、小川山、三つ峠などに行ってロッククライミングを教えてもらった。
○ 視覚障害者の登山団体である「六つ星山の会」の人達とは、年に20-30回ある会主催の山行(関東近郊の低山が中心だが、富士山、北岳、太郎兵衛-雲の平-笠が岳など)のほかに、多くに山で視覚障害者の方をサポートした。
・70歳に近い全盲のsiさん(今は80歳に近い)をabさん達とサポートして、富士山、北岳、奥穂高、北穂高、槍が岳、悪沢岳-赤石岳などに登った。
・40歳台で脚力のある全盲のmyさんをkmさんとサポートして、悪沢岳-赤石岳、栂海新道、酉谷山(奥多摩)、甲武信岳などに登った。
・myさんとは冬の蛭ヶ岳にも登った。子供の頃に魚採りのお供をさせたkmさんと一緒である。
・同じ40歳台で全盲のszさんをサポートして、仙丈(2人だけで)、北岳(kgさんもサポート)、奥穂高(okさんも)に登った。
・女性で強度弱視のokさんとは、obさんとサポートをして北岳を、また、先に挙げた北穂も一緒に登った。
・六つ星に入りたての頃は、弱視のknさんに誘われて数人で山に行くことが多かった。春の鹿島槍、飯豊山などである。
・晴眼者だけの山行では、kbさん、tkさん達と行った百名山97番目の木曾御岳山と98番目の会津駒ヶ岳が印象に残っている。
・登山ではないが、最近2年、全盲のfyさんと奈良の桜井から柳生を、また、中仙道の贄川-奈良井-鳥居峠-南木曽を、数日をかけて歩いている。
○ 家族で行った登山は数えるほどしかない。
・白馬岳(息子が三歳の頃、娘2人と妻と家族5人全員で)、北八つの横岳(左同)、北海道の斜里岳(息子が小学生の頃、妻と3人で)、岩手山と早池峰山(左同)、尾瀬の燧岳(左同)、槍が岳(中学生の息子と)などである。息子とは西沢渓谷(テント)、茨城の加波山にも行っている。
・近所の奥さんと妻の3人で、筑波山、槍が岳、奥穂高、両神山に行った。
・昨年、義弟のtmさんと2人で尾瀬の燧岳に登った。
以上が私の登山の略歴である


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