国内の山の挑戦

挑戦 その1 ジャンダルム

国内登山 いくつかの挑戦

  1)ジャンダルム(単独行)
2)北鎌尾根(ガイドと)と船窪乗越(単独行)
3)十勝岳からトムラウシへ・縦走・仲間と二人で
4)前穂-奥穂-槍-新穂高温泉(単独行)
5)仙丈-塩見-蝙蝠岳-二軒小屋-転付峠(単独行)
6)熊野古道・大峰奥駆(熊野から吉野へ)・仲間と二人で

(挑戦・その1)

<西穂-ジャンダルム-奥穂-北穂・単独縦走>
1993・8・24(火)-26(木)           
                                     
 これまでの夏は毎年、思い出に残る、自分にとっては大きな山行があった。

 1990年は息子との槍ヶ岳登山、南アルプス5日間単独縦走(三伏峠-畑薙ダム)、1991年キリマンジャロ登山、1992年栂海新道3日間単独縦走(朝日岳-親不知海岸) などである。

 ことし1993年の夏も、いくつかの山に登った。

・職場の人15人と富士山へ。職場で研修中のドイツの女性Bさん、韓国の男性Fさんなども一緒だった(7.31-8.1)。
                         
・視覚障害の人3人、子供4人を含めて20人と富士山へ。全盲で高齢のSさんが前から富士に一緒に登ってほしいと強く希望していたので、さそって一緒に参加したものである(8.21-22)。

・富士の山麓・愛鷹山での、東京・京都・大阪の視覚障害者山の会の人達との交流登山に参加(8.27-29)。

・ジャンダルム単独行(8.24-27)。                    
などである。
                           
 このうち、ことしのメインは、なんといっても、ジャンダルムの単独行である。「西穂-ジャンダルム-奥穂縦走」は、一般登山の中では危険度が特に高いといわれている。
 
 山に打ちこむようになって10数年が経つが、昨年までは、「ジャンダルム」は自分の力の範囲を越えていると思って、行くつもりはなかった。それが行くつもりになったのは、ロッククライミングの練習を4回ほど積んだからである。

 これまでは、断崖にある厳しい岩場のトラバ-スと垂直に近い鎖場の下降が安全にできるか自信がなかった。
しかし、ロッククライミングを練習するうちにだんだんと「足場さえあれば、今の自分の技術で可能なはず。しかも、一般道だから、必ずしっかりした足場はある」と思えてきたのだ。

 そのほか、ことし、すぐにでも行こうと思ったのは、これからは年月が経てば経つほど体力が衰える一方であり、体力的に何時行けなくなるか分からなかったからである。

 ことしの夏は晴れの日が少なく、一度は休暇届を出したものの、天候不順でとりやめにし、結局、1ケ月近く待った後、やっと快晴との天気予報がでたので出発した。
 
 前日に上高地から西穂山荘に入る。夜は同宿の人達と「ジャンダルム縦走で危険な箇所はどこか」「どう乗り切るか」という話で盛り上がった。
 西穂山荘を出発したのは午前3:45。危険な上にロングコースなので早立ちとした。

 まだ真っ暗。快晴を約束するように満天の星空。               
荷はできるだけ軽くした。重いのはニコンのカメラと水1.5Lのみ。         
西穂まで、標準のコースタイムでは2時間半のところを2時間で歩く。

 西穂山頂からしばらくの間も、快調だった。長い鎖を掴んでの垂直に近い下降が一箇所出てきたが、難なく越えた。
最初のピークは間の岳だが、まだかと思っているうちに、気付かずに越えてしまった。
天狗岳の登りは逆層である。雑誌「山と渓谷」に載った写真で見ると、垂直に近く危険に見えたが、実際には傾斜は緩く、これも鎖を伝って簡単に登れた(写真は、ときには嘘をあたかも真実のように見せる)。

 案内書には危険と書かれているような箇所がいくつかあったが、実際に行ってみると、怖さはほとんど感じなかった。
高い断崖の上のトラバ-スが数ヶ所あったし、10-15mの垂直に近い鎖場の下降も2ケ所ほどあったが、しっかりとしたホ-ルドとスタンスが必ず見つかり、怖さは感じなかった。
下降の場合、これらを見つけるには、上体を岩から離して下を覗き込まなければならないが、それもスム-ズにやることができた。
           
 ただし、不安を全く感じなかったわけではない。西穂-奥穂の標準所要時間は6時間40分と長く、その間は、ほとんど緊張の連続だった。だんだんと疲れて、頭がボ-っとしてくると、「こんな時に事故が起こりやすいのだ」と思いはじめ、それが頭にこびりついて、なんとはなしに不安になった。
危険とはっきり分かる箇所では、神経を集中するので、不安はなくなるのだが、やや緩やかな箇所になると--そんな場所でも、つまずいたり、滑ったりすれば、転落する危険が充分あるので--不安が逆に強まる。
後半のジャンダルムのあたりで、そんな思いにかられた。

 両側が数十m切れ落ちた「馬の背」では、もう一度気をひきしめて、これを乗り越えた。そこから数分で奥穂の山頂。
ここはもう、一般ハイカーの領域であり、登山者で混み合っていた。空はあくまでも青く、8月末なのに昼の日差しが暑い。ほっと一息ついて、居合わせた人に記念写真をとってもらった。
                              
 30分で穂高山荘着。12:30である。食堂でウドンをたべる。去年も職場の人と来た懐かしいところだ。思い出がある。
さて、どうするか。北穂まで行けるか。時間は充分にある。しばらく迷った後で、「ヨシ」と行く決心をして、日差しが暑い外に出る。
13:00。涸沢岳への登りは普通なら簡単なのに、暑さと疲れが重なりきつく感じて、足が前に出ず、若い女性のハイカーに追い抜かれてしまった。

 涸沢岳からの下り口は、いきなり鎖の急下降だった。人が登ってくるので、待っていると、年輩の女性が男性にサポートされながら、やっとという様子で登ってきた。
自分も下を覗き込み、足場を確認しながら鎖につかまる。真下を見ると、遙か数百m下の涸沢のガラ場が目に入るが、自信も出てきて、それほど怖くはなかった。

 ここから数ケ所、鎖場があったが,最初のものほど急ではない。幾つかの鞍部を通過し、今度は登り。
沖縄から来たという小学6年生の一団に出会った。先生も素人とのこと。危険すぎるので、「ここから先は行かないほうがよい」と注意をする。

 16:15に北穂小屋着。小屋は小さく、満員。登山客のほとんどは外に出て、夕日に映える槍穂を楽しんでいた。

 翌日は涸沢からパノラマコースへ。初めてのコース。屏風のコルからの槍の眺めは抜群。お花畑を徳沢へ下る。林の中に、小説「氷壁」のモデルとなった「ナイロンザイル切断事件」の石碑が苔蒸して建っていた。

 帰ってみると、どの指先にも血豆ができており、2、3日で皮がむけた。

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挑戦 その2 北鎌尾根

(挑戦・その2)

<北鎌尾根と船窪乗越へ>1995年8月9日(水)夜行-16日(水) 
  
≪針の木雪渓-船窪小屋(泊)-船窪岳-烏帽子小屋(泊)-高瀬ダム-湯俣(テント泊)-北鎌沢出合(テント泊)-北鎌尾根-槍ケ岳-槍ケ岳山荘(泊)-鏡平小屋(泊)-奥飛騨温泉郷-帰京≫   

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  私にとって、ことし1995年の登山のメイン・イベントは北鎌尾根である。

 多くの登山者が憧れ、登りたいと熱望しているルートのひとつに入る。あの新田次郎の小説「孤高の人」の主人公・加藤文太郎が厳冬期に遭難したところであり、また、松涛明が同じく厳冬期に、疲労で動けぬ友人を抱え遺書を書いて死んでいったところでもある。
そのためか、厳しくて危険の多いルートという印象が強い。

 私は夏にこのルートを、山岳ガイドを頼んで登った。私にとってガイドを頼んだのは初めての経験である。

 ガイドは、世界第二の高峰「K2」にも登った俵谷さん。雑誌「山と渓谷」で知って頼んだ。ガイド料は6万円。

 私のように体力と技術に不安のある者にとっては、ガイドを依頼したのは正解だったようである。これで不安感が拭われて、気持良く登ることができた。

 ところで、今回このルートを選んだのは、いくつか理由がある。

 第一の理由
 山仲間のmzさんと来年は、2-3級の岩壁を6時間ほど登り続けなければならないスイスのマッターホルンに登ろうと約束した(結局は行けなかったが)。
そのためには、国内でいくつか岩を登って訓練しておく必要がある。その訓練の最初として、このルートを選んだのである。

 第二の理由は、年に一度は自分のための登山をしたいと思っていること。

 最近は何人かの人達と一緒に山に登ることが多い。六つ星の視覚障害者をサポートして、あるいは職場の人を案内してである。

 しかし、それは自分のための登山ではない。それらとは別に、今までに登れた山よりはひとつ水準が上のところ、自分の力量から見てぎりぎり登頂が可能な山に挑戦してみたいという気持をいつも持っており、一昨年はジャンダルムに、昨年は黒部下の廊下へと挑戦した。
それが今年は北鎌尾根である。

 また、今回は、北鎌尾根の外に、単独行による船窪-烏帽子縦走も加えた。こちらは、北アルプス全山縦走を完成させるためである。これが今回の山行を企画した第三の理由

 一昨年にジャンダルム縦走、その前年に栂海新道縦走(北アルプスの北端。親不知海岸まで)を行ったことで、北アルプス全山縦走の残りは、種池小屋-船窪-烏帽子の間だけとなった。
このうち、船窪-烏帽子の間は登山道の崩壊が激しく、案内書では北アルプス縦走路中の難路とされており、今までは行くことを躊躇していたルートである。
いや、行かないつもりであった。それが、先月・7月号の「山と渓谷」に、船窪-烏帽子間はそれほど危険はないと紹介されていたので、急に行く気になった。
                    
 <北鎌尾根>
                       
 北鎌尾根はテントによる2泊3日の山行である。
先にいくつか感じたことを挙げておこう。

 道はわりとはっきりしていた。水俣川を遡る川沿いの道は笹に埋もれていて分かりにくかったが、尾根への取りつき点から上のルートは一般の登山道と同じくらいに踏み跡がはっきり付いており、案内なしでも迷うことはなさそうに思えた。

 険しさはジャンダルムと同程度。ただし、危険箇所でも鎖や梯子が一切ないこと、それとシュラフ、食料等テント泊の荷が加わるために背中のザックが重いことなどがジャンダルム縦走とは異なる。

 荷物については、テントと食料はガイドが用意し持ってくれたが、シュラフやヘルメット、ハーネス、防寒着、水(2L)などは自分で持たねばならず、ザックの重さは15kgはあったろうか。かなり重かった。
腕一本の力だけで自分の体とザックを岩の上まで引き上げねばならないところもあり、その箇所では、もう少しで手が離れそうになったほどである。

 登った結果から言えば、このルートは、岩登りのエキスパートでなくとも、体力さえあれば、ガイドなしで登攀は可能であろう。
ロッククライミングの技術に頼るところはほとんどない。ある程度の重い荷を背負って長時間歩けるだけの体力があればよい。

 ただし、私達は、独標槍の穂先への登攀では、通常のルートを行かずに、ガイドとザイルを結んで岩を直登するルートを採った。私達にロッククライミングの面白さを味わせるために、俵谷さんがサービスをしてくれたのである。

 (北鎌尾根・第一日)
 
                        
 2日前に針の木の大雪渓から登り、北アルプスでは難路と言われる船窪-烏帽子を越えてきたところである。烏帽子小屋を午前7時頃に立ち、午前11時前には高瀬ダムに下りてきた。ここで東京から来るガイドと待ち合わせることになっている。
また、山仲間のmzさんもやってくるはずだ。

 コンクリートの堰堤の上に腰を下ろして、ザックに寄り掛かり両岸に高くそびえる山を眺めながら、ゆったりした気分で皆の到着を待つ。今回山行の第一の目的は達成したのだ。
快い疲労感が全身に広がった。

 ときどき観光客を乗せてタクシーが上がってくる。
一行がやってきた。ガイドは3人。俵谷さんと知人のsaさん、それに俵谷さんの弟さん(青森の高校の先生)。客は4人。
船橋で手打ちそば屋を開いているというenさん(私と同年の57才)。冬の上高地に入り一人でテントを張るという40才代のskさん。それに、mzさんと私。
自己紹介をしあって早速出発。私にとっては今回山行の第二の目的への出発である。船窪越えの後なので、体力が続くかとやや不安があるのだが。

 きょうは湯俣荘まで。ただし、ことし7月の豪雨で、このあたり一帯はかなり被害を受けており、湯俣荘は閉鎖中とのこと。

 高瀬川沿いの車道を延々と歩く。人家は全くない。
2人の登山者とすれちがう。湯俣温泉まで遊びに行ってきたという。
湯俣荘に着く手前で橋が落ちていた。約3時間で到着。
広々した川原にはテントがいくつか。我々もテントを張る。
早速、mzさんと川原の中央を流れる清流に行く。深さは50cm位。着く前から2人で川に入ろうと話をしていたのだ。パンツひとつになり、夕日の中、澄んだ水の流れで体を洗い、ついでに頭も洗う。なにか嬉しい。日頃できないいたずらをやっている気分。水はそれほど冷たくない。

 次に、川原のあちこちに掘られた露天風呂を探検。掘ればどこからでも湯が湧くので、登山者が掘って作ったもののようだ。底に泥や湯垢がたまっているものが多く、気持ち良く入れそうなものがなかなか見つからない。
やっとひとつ見つけた。浅いので、体を横にしないと全身が温まらない。喜んで二人で入り、自動シャッターで記念写真を撮った。

 夕食のとき、他のテントの住人が一人、話に来た。「いつもは山に登るのだが、今回はここで三日ほどのんびりするためにやって来た」という。変わった人だ。持ってきた酒が底をついたので、一杯飲ませてくれないかとのこと。
そういえば、ここは山の奥の奥。人里に出るには歩いて半日はかかるであろう。下界から逃れてのんびりするには最適だ。

  ここから更に10分程歩いた川原に、熱湯がぼこぼこと湧き出したところがあり、彼はそこに露天風呂を掘ったという。何でもみてやろうと早速、mzさんと二人で出かけた。

 崖沿いに吊るされた、角柱2本で作られた桟道を行く。下は激流。今は廃道になった伊藤新道である。岸辺のかなたに硫黄の盛り上がった小山が見えた。熱湯は随所に湧いていたが、彼の掘った露天風呂は見つからない。暗くなってきたので引き返した。

 標高がまだ低いせいか、テントの中は暑くて寝苦しかった。顔だけを外に出して寝る。

 (第二日)
                         
 湯俣川、水俣川の分岐から水俣川の方を遡る。まず急斜面の笹の中を行く。道はやっと分かる程度。ときどき笹藪の中で迷う。

 次いで、千丈沢と天上沢の分岐を左の天上沢へ。
川を向岸へ渡ることになった。川幅は20m程か。深さはひざ位。深みにはまれば腰位になりそうである。

 俵谷さんが先に渡りザイルを張る。それを手で握りながら、それぞれ、登山靴をはいたまま渡る。enさんがころんで深みにはまり、胸まで濡れた。
それを見て、私は俵谷さんの弟さんが用意してくれた木の枝を杖替わりに使って慎重に渡る。幸いにしてころばなかったが、靴も靴下もグッショリ。靴下を脱いで時間を掛けて絞る。

 更に谷を遡る。また、渡渉。また、靴下を脱いで絞る。でも、結局、これは無駄なことだった。すぐ後でまた、川を渡り返すことになったからだ。今度は、渡り終わっても、靴に水を溜めたままで歩いた。

 川の淵の岩壁をトラバースするところに出る。向こうまで7-8m位か。鉄のワイヤーが岩に沿って一本渡してあるが、手掛かりとしては充分でなく、更にザイルを渡す。
しかし足掛かりの岩も滑りやすく、向こう側にトラバースするには苦労した。滑り落ちれば激流の中である。やっと渡る。他の人が渡るのを待つ間に、この難所を写真に撮ろうと何枚もシャッターを押した。

 北鎌沢出合に着く。まだ川原は広いが、水はない。予定では、ここから右に折れて2時間の急登で尾根上にある北鎌のコルまで行く予定だったが、上部に水が無さそうなので、ここで泊まることになった。

 テントを張る。まだ、午後4時。時間は早い。
焚き火をすることにして、mzさんをさそい川原に散らばる枯れ木を集めに行く。

 燃え出した火の側に皆が濡れた靴と靴下を置く。
夕食のとき、俵谷さんが、この夏、ダウラギリⅠ峰(世界で第6位の8,000m峰)に行くという話を聞いた。
昨年アコンカグアで私が世話になった労山のKさんの隊も同じ時期
に行くという。ルート工作を協同でするようである。奇遇だ。私が登山で世話になったお二人が別々の隊のリーダーとして同じ時期に海外の同じ山を目指すとは。
そういえば、saさんは、私がアコンカグアに登っていた丁度そのときに、別の隊に参加をしてベースキャンプに来ており、アコンカグアへの登頂に成功したという。また、俵谷さんとsaさんは、来年インド隊に参加し、エベレストを目指すという話も聞いた。
(なお、俵谷さんはダウラギリで登頂後に遭難し、帰らぬ人となった。ご冥福を祈る)
 
 夕食後、しばらくの間、焚き火をかこんで皆で過ごす。
enさんに手打ちそばの作り方の話を聞く。
靴下を枝に吊るして乾かす人も。

 遠くに2組がテントを張った。煙が見える。あちらでも、焚き火をしているようだ。
 
(第三日)
                         
 きょうの行程が長いために、午前4時起床、5時に出発。昨日までの行程は、北鎌への取りつき地点に達するためのものであり、きょうこそが北鎌尾根登攀の本番となる。

 広い川原から分かれ、急傾斜の北鎌沢(右俣)を約2時間で一気に登る。たどりついた尾根の上は20-30m四方の広場。「北鎌のコル」という。ここからは尾根伝いだ。
ザイルをつける。saさん、私、mzさんがひとつのザイルで結ばれた。道の両側は、はるか谷底へと落ち込んでいるが、道幅は1mはあり、踏み外す危険はほとんどない。
それに、ザイルで結ばれているので、怖さは感じない。

 快晴。深く濃い青空が広がる。朝日がまぶしい。
疲れがたまり、足が重い。休憩のたびに、アメをなめチョコレートを食べる。果物味のチューブ入りのカロリー補給食も食べた。
それらを一口食べると、また歩く力が湧いてくる。疲れがひどい時には、食べた物がすぐに活力に転化するようである。

 尾根の上の踏み跡は明瞭。普通の登山道に近い道がついている。
独標の下に到達。通常のルートを離れて直登することになった。
俵谷さんがザイルを張る間、ザックを下ろして待つ。断崖の上である。ザイルを解かれたので、急に怖くなった。
遙か数百m下に谷川が光って見える。踏み外せば、あそこまで一気に落ちるだろう。

 あとから来た一組が追い抜いていった。彼らはザイルはつけず、通常の一般ルートを行くようだ。

 3ピッチで独標の頂きに出た。こちらのルートもほとんどは急傾斜のガレ場であり、ロッククライミングを必要としたのは、取り付き点からの、数mの登り一箇所だけであった。  
はるか遠くに槍の穂先が見える。

 独標から、いくつか岩稜を越えて、北鎌平へ。ここも広い。稜線でテントを張っている中年の夫婦がいた。槍を越えた向こう側は登山者で大混雑しているので、ここに留まり静けさを楽しんでいるのだという。彼らのほかには誰もいない。

 槍の穂先へも、一般ルートを行かずに、直登ルートをとった。取り付きは高さ5m程の垂直に近い岩場。ザイルを着ける。
2m位の高さに横に走る細い裂け目に爪先を入れ、岩を抱えながら右回りに上へ登ろうとするが、上部に充分な手掛かりがなくて、なかなか乗り越せない。
背中の荷が重くて背後に引かれる。一瞬、限界だ、落ちると思ったが、爪先の位置を変えてやっと乗り越した。

 そこから穂先へはワンピッチ。頂上の祠の裏に出る。
前日のテント泊のときに、skさんが言っていた。「昔、槍に登った時に、山頂の祠の向こう側は断崖になっていると思っていたのに、そこから子供の顔がヒョッコリ飛び出しビックリしたことがある。その子は父親と一緒に北鎌尾根を登ってきたんだ。それを見てから、北鎌を登って頂上の祠の背後に顔を出してみたいとあこがれてきた」と。

 頂上は登山者で一杯。肩の小屋周辺でテント泊の予定だったが、テント場は満員である。やむなく、全員、小屋に泊まる。

 翌日は、俵谷さん等と分かれmzさんと二人だけで双六小屋から鏡平への道をたどった。

 快晴である。前日に登った北鎌尾根を眺めながら、のんびりと歩く。あそこが独標だろうか。休憩時間を多くとり、いろいろと、とりとめのない話をする。双六小屋で休憩。
この頃から雲が出はじめ、遠くで雷が鳴り出す。鏡平小屋で一泊。奥飛騨温泉へ。
午前中に到着。バス停前にある無料の村営風呂で汗を流した。満足感に満たされた。

 三つのコースを一気に回ったために、帰宅してから一週間ほどは疲れが抜けず、朝、出勤するのがけだるかった。


(追加) 
北鎌尾根に登る前の<船窪乗越から烏帽子へ>の記事を掲載します。
                            
 
ここは、北鎌尾根に行く前に縦走。
 案内書には「危険。一般登山者は立ち入らないこと」と書いてあったが、実際に行ってみて感じたのは、それほど危険な所ではないということだった。むしろ、槍穂縦走不帰ノ剣よりは易しいように思える。

 このコースは急登、急下降の連続。結局、危険なコースと言うよりは、体力勝負のコースと言える。

 景色は抜群。北アルプスで第一級の豊かなお花畑、こまくさの大群落、荒々しい断崖絶壁、眼下の高瀬ダムと遙かなる槍ケ岳のとり合わせ、池塘が点在する「烏帽子・四十八池」など見どころは多い。

 (第一日)
 新宿を夜行列車で立ち、信濃大町からバス。5:15に扇沢の登山口に着く。

 霧雨。林の中を行く。この登山が終わった後で北鎌を登るが、その用具としてシュラフ、ヘルメット、ハーネスなども持ってきたために荷は割りと重い。15kg位か。

  大沢小屋を経て、しばらく行くと針の木の大雪渓が始まる。幅は10-20m。長さは200-300m程度か。傾斜はそれほどきつくはないが、早朝の寒さのために、雪面が固く滑りやすい。アイゼンをつけて登る。

 はるか上のほう、雪渓の中で立ち止まっている人がいる。こちらが登っている間、ほとんど動かない。写真でも撮っているのだろうか。近づくと中年の男性だった。
聞いてみると、アイゼンがなくて滑落しそうなために怖くて動けないという。先ほどすれちがったのだが、はるか下を赤い雨具の女性が下りていく。

 あれは彼の奥さんで、彼女のほうが勇気があってアイゼンなしで下りていったとのこと。着けていた4本歯のアイゼンの片方を貸すことにした。差しあげると言ったのだが、どうしても返したいので住所を聞かせてほしいという。住所を教えて分かれる。

 雪渓の登りに必要とした時間は30分程度か。雪渓が終わったところで、下りてくる数組の登山者に会った。

 針の木小屋9:30着。小屋に入り、土間のストーブで暖をとる。着衣はかなり濡れており、やや寒い。座敷では数人の登山者がくつろいでいる。雨できょうは出発せず停滞を決めているようだ。

 コーヒーを飲んで30分後に出発。雨が激しくなった。蓮華岳への登山道は雨に煙り、人影はない。山頂近くはガレ場のゆるやかな斜面。

 登るにつれ、「こまくさ」がぽつぽつと見られるようになった。上に行くほど増えてくる。そして、山頂周辺は、今までに見たこともないほどの大群落。これほど「こまくさ」が多い山は他にないのではなかろうか。

  しかも、ピンク群落の中に白い「こまくさ」をひとつ見つけた。あとで案内書を見ると、蓮華岳で確認されているのは4株しかないという珍しいものだった

 雷鳥には4-5回会った。雨や曇りの日は鷹等に襲われる恐れがないために茂みから出ていることが多いと聞いた。

 山頂10:00発。ガラ場を急下降。鎖場や梯子のところは、荷が重いのでゆっくり下る。北葛乗越に12:30に下り立つ。

 依然として雨。蓮華への登りで一人とすれちがったほかは、誰とも会わないが、体調が良いので不安はない。ここから急登が始まる。荷の重さで息が切れる。

  14:00北葛山頂着。雨がやみ、ときどき青空がのぞく。
  また、下降。登り返して七倉岳山頂船窪小屋に着いたのは15:40。着衣は下着までかなり濡れていた。結局、30分の休憩を含み、10時間30分で踏破したことになる。ほぼ案内書どおりの時間である。

 (第二日)                                  
 きょうは危険の多いところをいくつか越えて烏帽子小屋まで。泊まっていた10人前後の人はすべて同じ道を行くようだ。皆、幾分か緊張している。昨夜は何人かが、小屋の主人に危険な箇所がどこか、どの程度険しいかを尋ねていた。

 5:30小屋発。眼下にテント場。それを過ぎて更に下降。左は断崖で、はるか数百m下に谷底が望める。右側のお花畑の中に道がついている。黄色、ピンク、白、青などの花々。

 船窪乗越からは急登。一人、先を行く中年の人がいた。その人も荷が重そうで、あえぎあえぎ登っていたが、立ち止まり、こちらに道を譲ってくれた。鎖場や梯子のかかった所を越えて船窪岳へは8:00着。周りに木があり、眺望はあまりない。

 ここからまた急下降。ニッコウキスゲの黄色い大群落の中を下りる。その他、いくつものお花畑。花の種類の多さ、豊かさは北アルプス屈指と思われる。

 崖のところで老人が一人休んでいる。荷が重くかなりばてているようだ。こちらも、先に不安があるのでサポートをするわけにはいかない。やむをえず追い越す。

 不動岳への登りは、しばらく左の断崖沿いの赤土の中に道が付いていた。幅30cmほどの道で、その左側に乗れば崩れそう。雨が降れば一層すべりそうだ。昨年夏に、ここで大学生が足を踏み外し、数百m下の谷底へ転落したという。

  不動岳着10:30。槍、表銀座、裏銀座、針の木の山々が周りを囲む。左下に高瀬ダム、
右後方に黒部湖。斜面にこまくさの群落。途中一緒になった人と弁当を食べる。11:00発。

 もうひとつ鞍部を越えて南沢岳に12:30着。ここからの道はゆるやか。池塘が点々と散らばり「48池めぐり」と言われる景勝地を過ぎる。すばらしい。ここには職場の誰かを案内し、このすばらしさを共有したいものだ。

 ここまでで、すれちがった登山者は数組7-8人程度。夏山登山の最盛期だが、このコースに入る人は少ない。

 縦走路から分かれ、烏帽子岳にも登る。ここまで来ると、烏帽子岳小屋から往復して登る人が多い。針金のついた急な岩場あり。

 下りてきた所で南沢岳の方から来た中年の男性と会う。聞いてみると、針の木小屋から10時間で来たという。私の足なら17-18時間はかかるところ。すごい人がいるものだ。

 烏帽子の分岐点から小屋へは30分程度。烏帽子小屋着15:00。
 結局、それほど危険な所はなかった。
がれ場をロープ伝いに登る所、鎖で下降し更に登り返す所、両側が切れ落ちた幅50cm、長さ4-5mの道、不動岳への赤土の登りなどが危険と言えば言えよう。危険の程度は荷の重さや天候の具合にも左右されるが、幸いにして天気には恵まれ、荷も、ばてるほどには重くなかった。

 小屋は超満員。高瀬ダムや野口五郎岳から来た一組50人前後の中高年中心の団体客も
数組いた。

 夕方、小屋のそばの空き地にヘリコプターが飛来。
 これで、北アルプス全山縦走はほぼ完了したことになる。残るは比較的易しい針の木-種池の間のみ

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挑戦 その3 十勝岳からトムラウシへ

(挑戦・その3)

<十勝岳からトムラウシへ・縦走>2000年8月6-13日、mzさんと二人で

 行きは大洗より苫小牧へフェリー。6千円、雑魚寝、所要20時間。食事はバイキング方式、ただし、別料金(朝1000円、夕1600円)。お風呂はいつでも入れるし、きれいなサロンもある。広々した甲板で風に吹かれながらの船旅であり、のんびりするには最適だった。

 山は十勝・美瑛岳トムラウシ山の縦走。ルートは小屋のない最奥にあり、テントが必携。
夏の北海道の山では通常、1日、50-100組の登山者とすれ違うが、2日目は3組6人位しか会わなかった。
2日目のコースは人があまり入っていないので、道のかなりは背丈以上の熊笹にビッシリ覆われ、これを体全体で、顔も使ってかきわけて進むのが大変だった。

 長時間、むし暑い穴の中に入っているようなもの。テントはmzさんが持ってくれたが、それでも5日分の食料などで荷は重く、汗びっしょり、体はほこりだらけ、口の中もほこりだらけ。これが1時間以上続くところが数ヶ所あり、本当にまいってしまった。

 3日目にダウン。朝はいつも元気が出るはずなのに、この日は午前10時過ぎに一歩も歩けなくなった。
荷の重さと藪こぎの疲れのほかに、2日目の夕食を抜いたことも原因。テント場で水が得られず食事が作れなかったためであり、水筒にわずかに残る水で一夜を過ごした。

 今回はmzさんと一緒。彼がテントを持ってくれた。ただし、彼は朝と昼を食べないで過ごす男。食事をとらなくとも、元気一杯だった。

 また、今回はトムラウシ山頂へ40分の南沼のほとりで自然の猛威も経験した。幕営指定地ではなかったが、景色が良いうえに、疲れもあって、そこにテントを張った。
当初は、池の冷たい水で体を洗ったり、草むらに寝転んだりして快適に過ごしたが、その翌朝に低気圧に遭遇。テントを張った場所は運悪く風の通り路にあたり、翌朝から翌々朝まで強風と豪雨に見舞われた。

 外に出れば1分間も経たないうちにびしょぬれ。テントをたたんで他の場所へ移動したかったが、作業のために長時間雨にうたれれば、たちまち凍死する危険があったので、1昼夜、寝袋にくるまってじっとしているしかなかった。

 テントは吹き飛ばされそうにバタバタと音をたてる。寝袋は濡れてくるし、やや寒くなる。トイレに行くのは大仕事。都会の生活に慣れてしまうと人は野生味を失い、自然のすごさを忘れがちになるが、いったん荒れたら、自然は厳しい。人が生きるのにまず必要なのは、食物と水と濡れに強い防寒衣であることをあらためて実感した。

 次の日は朝5時半に起床。まだ風雨が強い中、テントをたたみ、縦走を続けるmzさんと分かれ、隣にテントを張っていて知り合った人と一緒にトムラウシ温泉へと下山。途中で晴れて、続々と登ってくる登山者とすれ違う。

 ほとんど休まずに4時間半で一気に山をかけおりた。トムラウシ温泉「東大雪荘」に11時過ぎに到着。帰れるとなると元気が出るものだ。しかし、3時半までバスなし。広々とした豪華な露天風呂(350円)に2回も入り、おいしい昼食(カツカレー)を食べて待つ。この建物は新設できれい。気に入った。また来たいものだ。

 なお、体重を計ると50.8kg。これまで54kgあったのだが。

 帰りは寝台特急「北斗星」に乗る。23000円。要16時間。食堂車の夕食は豪華で、7800円。でも、食べないで、おにぎりで済ませた。
 寝台で手足を充分に伸ばして眠り、食堂車で果物付きの1600円の朝食をとり、サロンカーでのんびり本を読みながら、「北海道の最奥を縦走してきた」という充実感を味わった。風雨のテントとは天国と地獄ほどの違い。

 ともかく、自然の猛威を知り、また、自分の限界を知る、すばらしい旅だった。

写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/FZeKgB/photo?authkey=aSqVDVAwmIg#s5171832868344463586

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挑戦 その4 槍穂縦走

(挑戦・その4)

<槍穂縦走・単独行>2000年9月19日(火)・夜行-22日(金)

 不安定な天気が続き出発を延ばしていたが、台風一過、天気予報はやっと全国的に2日間の晴天を約束してくれた。今こそ行くチャンス。骨折で入院している母が退院してくれば行けなくなるかも、との思いもあった。

 夜の「六つ星山の会」の会議に出席した後、新宿23時発・上高地行の夜行バスに乗込む。ウィーク・デーだというのに中高年の登山者で満員。
車内はこれまでにないほどに窮屈な感じがして、体が痛く、ほとんど眠れなかった。席が窓側だったこともあるが、62才という年齢のせいもあるようだ。夜行バスに乗るのはもう止めだと強く思う。

 上高地5:50着。6:10スタート。岳沢経由・穂高岳山荘までは前穂の登頂も入れて標準で9時間30分の行程。休憩時間も必要だし、はたして暗くなる前に着けるだろうか。
遅れれば、前穂はカットしよう。いつもは持っていく大型カメラ、CD、ガスコンロ等は持たず、荷はできるだけ軽くした。

 冷気が身にしみ厚手のジャンパーを着る。河童橋にはまだ人影なし。広場に数人。穂高連峰が朝日に輝く。数年ぶりの単独行だ。気持がキュッと引き締まる。

 岳沢へ。夜行バスで苦しんだ割には体が軽く、快調に飛ばす。岳沢ヒュッテには標準で2時間30分のところを1時間45分で到着。客の姿はなく、受付に男性がポツンと1人いるのみ。

 今回は槍穂の縦走。このうち、奥穂-北穂間は数年前ジャンダルムを走破した際に歩いており、今回の目的は残りの岳沢から奥穂への登りと北穂-南岳間の大キレットの通過にある。この2つは数年前からの懸案だった。
私が好きなのは、スリルのある-しかし、技術的にはそれほど難しくない-岩場が続くルートである。
二つとも30数年前に歩いているが、どんなところだったかはほとんど憶えていない。

 大キレットは、学生時代から付き合いのあるymや今は亡きmtと一緒だった。こわくて岩場にしがみつき過ぎ、時計の表面にいくつもの傷が付いたことを憶えている。

 最近は毎年のように槍ヶ岳穂高に登っており、槍穂縦走ルートのすぐ近くにまで行くのだが、妻や知人のサポート役を務めていたために、眺めるだけで行くチャンスがなかった。行きたい思いは増すばかりで、今年の夏こそはと楽しみにしていた。

 岳沢ヒュッテでポットに湯をもらい、軽い朝食をとって出発。暗い樹間には既に霜柱があった。はしごや鎖場を上る。急ではあるが、こわくはない。
岩稜帯まで登ると太陽がまともに照りつけて暑くなった。Tシャツ1枚になり、頭に手拭いを巻く。いつものスタイル。紀美子平には標準で3時間のところを2時間20分で到着。

 空身で前穂へ。30分で11時に頂上着。まっ青な空が広がる。雲ひとつなし。槍穂の連山がクッキリと見える。
遠く、八ヶ岳、南ア、中ア、木曾御岳。その向こうに富士山がかすむ。うしろを向けば、はるかに白山。
すばらしい。気分は最高。次々と写真を撮る。更に先端に出ると涸沢小屋の赤い屋根が眼下に望めた。アッという間に30分が経ち、紀美子平に戻る。

 奥穂への吊り尾根は思っていた以上の急登。岩をよじ登る。足は前に出るのだが、息がハアハアとせわしない。空気が薄くなったせいか。暑さのせいか。3000m位の高さでは今までになかったことだが。歳のせいだろうか。

 奥穂山頂に13:50着。16:00頃と思っていたが、予定よりはだいぶ早く着いた。のんびりしていこう。岩の間に横になる。眼をつぶると日差しが暑い。
ジャンダルムの方から一人到着。岳沢から来た登山者がコースの様子をたずねているようだ。ラジオも聞こえる。50分の休憩。

 きょうはこれで終りと思いながら小屋へ下る。ところが、真下に小屋の屋根が見える鎖場まで来て、急に不安感がこみ上げてきた。
こわいと思うと体が動かなくなり、易しい岩場でも落ちることがある。明日はもっと危険なところ。大丈夫だろうか」と。

 誰かのサポートをしているときはサポートに夢中なために不安を感じることはなく、かえって体はスムーズに動くのだが。一人だと気持が揺れる。

 15:10小屋着。要した時間は正味7時間。食欲はあまりない。夕食はごはん1杯で済ます。むしょうにのどがかわく。

 2日目、5:30スタート。きょうも快晴。涸沢岳山頂で朝食。6:10、いよいよ岩場へ。昨日の不安感がかすかに胸底に残る。
危険個所に来て自信がなければ引き返せばよいのだ。まずは長い鎖を下る。足下数百m、はるかに涸沢ヒュッテ。

 高度感がすごいが、ホールド、スタンスとも充分にあり、それほど怖くはない。高齢のご夫婦と一緒になる。70才近いよう。数年前に来たという。鎖場や岩場でご主人が一生懸命に奥さんに注意を与えている。ユックリしたペース。
こちらもそれに合わせて下りながら、後の記念にと険しい鎖場の写真を撮る。広大な岩稜帯をジグザグに下りきると、あとは容易。北穂高に9:00着。暑くなってきた。

 山頂の小屋で弁当を食べる。大キレットから数人が到着。口々に「怖かった」と言う。しかし、危険な岩場を乗り切ったという思いから、その顔は晴れやか。
一人が「○○さんがそばにいたから安心感があって、乗り切れた」と言っている。それを聞きながら9:30スタート。

 はじめの1時間はボトルの足場もあったが、概して容易。ガイドブックにコース中の最大の難所とあった「飛騨泣き」はこの先。どんなところかと思いながら下る。でも、「飛騨泣き」に来て不安は消えた。

 はじめの馬の背状の岩場には太い鎖が懸かっており、足場も充分過ぎるほどにある。易しい。飛騨側をトラバースする個所も、足元は切れ落ちているものの、ホールド、スタンスがしっかりついており、特に難しいというほどではなかった。

 順調に通過。ホッとする。あとは難しいところなし。見上げるように急な岩稜帯を鉄梯子も使って上りきると、南岳小屋。13:00着。北穂から標準4時間30分のところを3時間30分で走破。危険地帯は抜けた。安堵感が広がる。50分の休憩。

 ここからはゆるやかな稜線。長ズボンの裾をひざまでまくる。体の中を風が吹き抜け、満足感に涼しさが重なる。これが山のよさ。槍ヶ岳山荘16:15着。

 一休みのあと、17:00槍ヶ岳へ。17:15山頂。先着して数人がいたが、その人達も小屋の夕食に間に合うようにと下りてしまい、広大な天空と連なる山々の中に一人残された。心が自然にとけ込む一瞬を味わった後、小屋に戻る。

 無事を伝えるために家に電話をすると、Hさんが病気の再発で亡くなったという。歳は3つ上。山小屋にいる自分となんという違い。病魔が誰を襲うかは運による。立場が逆のこともありえた。

 そのあと、小屋のテレビで、シドニーオリンピック・柔道100kg級の井上康生が金メダルを取る瞬間を見た。ふと、生きているとは何だろう?と思う。

 3日目、雲が多くなり日の出がややぼける。5:30スタート、新穂高温泉へ。初めての道。六つ星の誰かをサポートして来るかもしれない。よく見ていこう。
始めは小石が多く滑り易いカール状の斜面。人影は全くない。一気に駆け下りると、1時間ほどで森林帯。登ってくる人と初めてすれちがう。親子連れのようだ。

 槍平小屋で20分の休憩、軽食をとる。ここから滝谷避難小屋(無人。廃屋に近い)への1時間は視覚障害者にとっては難路と思われた。傾斜はないが、石が多く、直径1m前後の石の上を次々と渡らねばならない。2時間はかかりそう。

 標準6時間を正味4時間40分で新穂高温泉に10:30着。10:40発のバスで平湯温泉へ。

 乗継ぎの待ち時間を利用して、バスターミナル3Fにあった温泉に浸かる。露天風呂もある。いつもそうだが、山のあとの温泉は最高に気持がよい。

 下界の便利な生活とはかけ離れた-そして、自分の力が試される-小さな冒険は終わった。
 13:53松本発の特急あずさに乗車。

 今回の単独行は単独行としては数年間のブランクがあったにもかかわらず、スピードはまあまあだった。
しかし、帰ってからの4日間は足の筋肉痛に悩まされ、また、胃に負担がかかって唇が荒れ、治るのに1週間を要した。

 コース選択には年齢を考えての慎重さが必要な時期に来ている。

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挑戦 その5 南アルプス単独行

(挑戦・その5)

<南アルプス単独行・仙丈-塩見-蝙蝠岳-二軒小屋-転付峠>
2001.7.22(日)-26(木)


 昨年夏の槍穂縦走以来の単独行である。間ノ岳-熊の平-塩見岳の間を歩いて、南アルプス全山縦走を完成させることが今回の第一の目的。縦走路のうち、ここだけが歩いていなかった。行く直前になり欲が出て、仙丈岳-三峰岳の仙塩ルートと塩見岳-蝙蝠岳-二軒小屋-転付峠越えのルートをこれに加えた。この二つは昔から行きたいと思っていたところである。特に二軒小屋-転付峠越えには強くあこがれていた。

 天気は長期に安定するとの予報。介護をしている母を施設に預け、19日から出かけようとしたが、20-22日が連休のためにどの小屋も満員で予約ができず、出発を22日に延期した。

 新宿7:00発の特急に乗る。8:27、甲府着。駅前で、タクシーの運転手に呼びとめられた。
広河原まで4人の相乗りで、1人2500円でどうかという。承諾。バスで行けば、広河原発、北沢峠行12:30の村営バスに乗る予定だったが、タクシーのお陰で1台前の広河原10:30発に間に合った。

 登山者が多く、バスが4台も出る。そのバスを待つ間のことだ。登山センターの人がやって来て「この3日間で、3件の骨折事故が起きています。皆、中年の女の方。昨日発生した足の複雑骨折事故は、午後3時頃から大雨があり、下山を急いでいて滑ったためです。足元には十分注意を」との話があった。北沢峠11:00着。

 11:20、歩き始める。きょうは仙丈岳直下にある仙丈小屋まで、標準で4時間のコース。時間はたっぷりある。
多数の登山者が休んでいる藪沢小屋への分岐に13:20着。曇りだが、時々、日がさす。雷は無さそうなので、小屋へ向わずに仙丈岳頂上を目指すことにした。

 ゆっくり登り、15:50、山頂着。あいかわらず、霧が出たかと思うと日がさすという天気。下の小屋までは15分で行けるだろう。岩に腰をおろし、のんびりと休息。時間が遅いせいか、山頂には1組の夫婦がいるだけ。白い霧に包まれて、いつの間にか居眠りをしてしまい、ふと目覚めると、真上に青空が広がっていた。

 小屋へ。新設の仙丈小屋は満員に近かった。定員80名。食事は出ないが、カレー等のレトルト食品なら買って食べられる。こちらは持参した赤飯(乾燥米)とカップメンを食べた。
小屋の隅からマットと毛布を引き出して休んでいると、小屋の主人がやってきて「指示があるまでマットと毛布は使わないように」という。土間にあるテーブルの使い方についても指示された。うるさいこと。

 小屋に着いても、ゆっくり休息ができないとは。客よりも小屋の管理を優先させる態度には腹が立った。

 持参したカメラの電池が切れており、使い捨てカメラを買う。2600円。下界では500円位か。

 2日目、3:30起床。きょうからが本番だ。熊ノ平まで標準で9時間のロングコース。休憩を入れれば、10-11時間か。案内書を読むと、3千mの高さから2千mまで下った後、再度3千mに登り返す。

 人はあまり入っていなし、倒木で通りにくい所もあるという。普通なら2日をかけるコースを1日で行くつもりである。手ごたえがありそう。どんなところか、期待と不安が交差する。

 湯を沸かしポットに詰めて4:30スタート。遠くにまちの灯。高遠のあたりか。でも、空は明るさが増し、懐中電灯は要らない。天気は快晴。仙丈山頂にはご来光を見ようとすでに多くの人が先着していたが、こちらは先が長いので立ち止まらず、4:45、一気に下りにかかる。

 はじめはゆるやかで歩きやすい岩稜帯。途中から樹林帯。倒木は片付けられており、歩きにくいところはない。中年の男性が1人追い付いてきた。
山口から、はるばるやって来た59歳の方。毎年1度、南アルプスに登りにくるという。きょうの行程は馬の背ヒュッテから熊の平まで。アレコレと山の話をしながら歩いていると、あっという間に標高2200mの最低鞍部・野呂川越えに到着した。到着は8:50。ここから更に下れば30分で両俣小屋である。

 9:00スタート。今度は延々と3時間の登り。風がなく、むし暑くなった樹林の中を行く。さすがにきつい。ゆっくり歩いていると、60歳前後の単独行の女性に抜かれた。

 馬の背ヒュッテから三峰岳・間ノ岳を通り北岳山荘までをきょう1日で歩き通すという。すごいおばさんがいるものだ。樹林帯を抜けると、日が照り付け、暑さが増す。視覚障害者の人にとって、登るのがむずかしそうな岩場が1箇所あった。

 4人組の男性を抜く。結局、きょう会ったのはすれちがった人も含めて7-8組か。南アルプスのメインルートを外れており、さすがに登山者は少なかった。

 三峰岳着、12:20。三峰岳までの仙塩尾根コースをまとめれば、「人が少なく静寂がとりえ。道はしっかりしている。ただし、長くて単調。それに長時間の下りのあとだけに、登り返しがきつい」というところか。
心配していた雷の恐れはない。熊の平小屋へとのんびりと下り、14:10着。

 小屋は沢の水が豊かに流れる森の斜面に立つ。シーズンオフには風呂も立てるという。小屋の前は板敷きの広々したテラス。前面の谷越しに雄大な農鳥岳。それが夕日に赤く染まる。なかなか良い所だ。

 定員70名。連休が過ぎたというのに、ほぼ、満員である。すべて、中高年の人達。特にたくましいおばさん達が多い。南アも北アも、今は中高年登山が花盛りだ。まだ、まだ、増えると思われる。

 3日目塩見岳を越え塩見小屋へ。標準で4時間30分のコース。のんびりと出発準備をしていると、早朝の5:30なのに登山者が誰もいなくなった。小屋の主人に送られて私も出発。きょうも快晴である。

 初めは樹林帯。途中、岳樺の太い幹に腰をかけて朝食。樹林を抜けると北荒川岳の平坦な山頂広場。展望よし。正面に塩見岳の急峻な斜面が望まれる。次いで、お花畑。これを過ぎると、いよいよ塩見へのガラ場の急な登り。右側は断崖となり切れ落ちている。稜線に出るとすぐに蝙蝠岳への分岐。更に登り、塩見岳着11:30。しばらく、山々を見て過す。

 塩見小屋、12:30。ここも予約で満員のもよう。小屋の脇にある仮設の建物(10畳ほどの板張りのテント状のもの)に案内された。屋根はトタン。日が照りつけてとても暑いし、アブも多い。
ここに単独行の男性9人が押し込められた。布団とザックもあって、キツキツ。早く着いたので本でも読んでのんびりしようと思っていたが、それは無理だった。

 夕方まで同室の人達と雑談をして過す。日本に25年いるというアメリカ人、光岳から北岳まで縦走する人、重い写真機材を持った70歳位の新潟の人など。二軒小屋へ行く人もいた。心強い。夜は雷雨。

 4日目、3:30起床。きょうのコースが今回で最も長く、しかも人が入らないところ。標準で11時間かかる。
計画当初は行く気が無く、メインルートを通って三伏峠から伊那大島に下りるつもりだったが、山の状況を調べる中で、このルートの「道しるべ」が昨年整備されたことが分かり、行ってみる気になった。

 もう一度行きたかった二軒小屋に行けるのが最大の魅力である。塩見小屋の人に確かめると、迷う恐れはまったく無いという。

 頼んでおいた弁当(いなりずし)を受け取り、4:20スタート。さすがに風が寒く、ジャケットを着用。まずは、昨日来た道を引き返し塩見岳へ。

 黒々とした塩見の岩峰が眼前一杯に立ちはだかる。日の出。でも、ここにはまだ、日が差さない。手がかり・足がかりを確認しながら切り立った岩場を慎重に登る。
1人を抜き、西峰着、5:10。朝日を一杯に浴びて、快晴の天空の中に立つ。遠く近く、周囲はすべて山。

 悪沢岳、荒川中岳、間の岳、北岳、仙丈岳など。中央アルプスや恵那山、北アルプスも。これから行く蝙蝠岳の上には、はるかに高く富士山が望める。西峰から5分の東峰には先着2人。うち、下り始めた1人が同じコースを行く人のようだ。

 一緒になった2人と写真を撮りあい、5:30に山頂を離れる。下りに1箇所、視覚障害者にとって危険なところあり。両側が深く切れ落ちた細い道。晴眼者でも怖い。
幅は50cm、長さは10m位か。これを越え、6:10、分岐着。

 すぐに蝙蝠岳へ向かう。まずは岩の上り、下り。次いで岩畳の尾根。鞍部の前後は朝露の残る岳樺の中を行く。黄色い花が一面に咲く窪地もあった。
山頂付近は再び、砕けた岩畳の広大な尾根。歩き易い上に山々の展望が良い。

 谷を隔て大きく悪沢岳荒川中岳。このあたりが蝙蝠岳のおすすめポイントであろう。8:00、山頂着。二軒小屋に向けて先行した人がまだ休んでいるかと思ったが、その姿はない。弁当を広げて全部食べる。お茶もうまかった。


 8:30山頂発。分岐から蝙蝠岳を往復する人は多いが、ここから先はほとんど人が行かないところ。はたして、道に迷わずに行けるだろうか。
15分で展望のよい尾根が終わり、樹林帯に入る。岩や樹木に5-10m置きにペンキで大きな赤いしるしが付いており、迷う恐れは全くないようだ。
一安心。樹林の中、いくつか小さなピークを越える。

 日が差し込んでいるところを通ると、わっと羽虫の柱が立ち、全身が虫だらけになる。ただし、人が通らないためか、仙塩尾根に多かったアブはほとんどいない。迷う心配がなくなったので快調にとばし、標準で2時間30分かかるはずの蝙蝠岳-徳右衛門岳間を1時間10分で歩いてしまった。徳右衛門岳9:40着。

 ここからは急な下りの連続。足場の悪い所もある。神経を集中して駆け下りたが、さすがに1時間で足が痛くなり、林の中の倒木に腰を下ろして15分の休憩。ポットの湯でコーヒーをいれ、パンとリンゴを食べる。風が通り、心地よい。

 下る途中、登ってくる登山者に初めて出会った。徳右衛門岳でテントを張るという中高年の2人組。きょう、このコースに入ったのは私のほか、先行の一人とこの2人だけのようだ。

 更に下ると、尾根のはるか下、右にも左にも木々の間に河原が見えるようになった。あの合流点が二軒小屋
12:40、やっと林道に出る。脇を流れる清流は河原の幅が20m位の、大井川の源流である。もう、小屋は近い。時間がたっぷりあるので、水を浴びることにした。

 どうせ、こんな山奥には誰も来やしない。下着も脱いで裸になる。透きとおった冷たい流れにタオルをひたし、汗でべたつく体を洗う。この上なく気持ちよし。河原の砂場に小枝を立てて服を乾かしながら、パンツひとつでザックに腰をおろし、開放感を満喫する。
時々、日がさし、木々の緑が目に映える。風も快い。13:15まで休憩。

 13:40、二軒小屋ロッジ着。休憩も入れて9時間20分、正味では8時間弱で塩見小屋―二軒小屋間を歩いたことになる。

 ロッジの前は広々とした庭。風にそよぐ白樺の下にテ-ブルとベンチがいくつか置かれ、奥にはピンクのヤナギランが咲く。軒下にある缶ジュースの販売機に、久しぶりに人里を感じた。

 20年前にMさんと来たところ。あのときは赤石岳悪沢岳に登り、千枚小屋に泊まった後、雨の中をここに下りてきて、バスが出るのを待ちながらビショヌレの服を乾かした。
そのとき、こんな山奥にこんなすばらしいロッジがあるとはと驚かされ、以来、いつかもう一度来て泊まってみたいと思い続けてきたが、それが今、実現した。

 このロッジは静岡からバスで3時間30分、そこから更に迎えの車で1時間の山奥にある(経営するのは東海パルプの子会社・東海フォレスト)。宿泊費は1泊2食付で13千円。部屋は2段式のベッドだが、食事は10品ほど付いており、広間のレストランでとる。また、ベランダは広く、木製の寝椅子などが置かれている。

 18時の夕食まで、のんびりと過ごす。まずは昼食。広い庭に出て、持参のコンロで湯を沸かし、五目ごはん(乾燥食品)とカップメンを作る。ティーバックで入れた熱いお茶が特にうまかった。次に風呂に入る。ヒノキ風呂で、洗い場はスノコ敷き。蛇口が6つという広さ。
 
その後は、ベランダの寝椅子で持参の「真田太平記(司馬遼太郎著)」を読む。白樺の林を吹き抜ける風が快い。雲が動き、遠くに雷鳴を聞く。
昨日までの山小屋はどこも狭い上に混雑しており、午後早く着いても、のんびりすることができなかったが、このベランダには自分のほかは誰もいない。体と心が緊張から解き放たれて、フワフワとただようようだ。至福の一刻である。

 夕食後、ベッドで9:30まで本を読む。宿泊客は5人。週末は30人位が泊まるというが。

 5日目。朝食後、弁当を作ってもらい、7:30に出発。転付峠越えは自分だけ。あとの客4人は東海フォレストの送迎車で静岡側に出るという。

 天気は曇り。標高2千mの峠を目指し、整備された山道を登る。途中、峠にテントで泊まったという単独行の男性とすれちがう。転付峠、9:00着。広い林道が通っている。江戸時代のものだろうか、古びて端の欠けた石の「道しるべ」がポツンとひとつあるだけ。
どこにでもありそうな村の峠といった感じである。依然曇っており展望なし。下へ5分のところに水場あり。

 ここから1時間は林の中の下り。それからは沢筋を行く。10:30、保利沢小屋跡着。両側から山がせまって、谷が深く切れ込み、道が悪くなる。谷底まで数十mはあろうか、垂直に近い断崖の上に踏み外しそうな細い道が続く。

 危険な箇所には木や鉄の桟道が架かっているが、傾いたものが多い。大きな崖崩れで谷が埋まっている所を通過。村人が数組入って、道の修理をしていた。
昔からある峠道なので、軽く考えていたが、思いのほかに道は悪い。視覚障害の人が行く場合は、強力なサポートが絶対必要と思われる。車道着、12:00。バス停着、13:00。結局、すれちがった登山者は2人だけだった。14:29のバスでJR身延駅に出て、甲府へ。

 1年ぶりの単独行。5日間も山を歩けて大満足である。ロングコースを計画どおりに完走できた。5日目を除いて運良く晴天に恵まれ、終日、すばらしい展望が満喫できたし、恐れていた雷に遭うこともなかった。

 裸で河原の水浴びもやったし、二軒小屋にも泊まった。蝙蝠岳-二軒小屋間は道が分かるかと心配だったが、これも「道しるべ」が完備していて道に迷うことは全く無かった。体調もまあまあ。胃は不調だったが、毎日、薬を飲んで何とかもたせることができた。
脇腹がこって、やや痛んだが、痛さが増すことはなかった。歳をとり、力は衰えつつある。

 しかし、コースタイムは標準か、それ以内で歩けたし、帰ってからも疲れは残らず、足も痛くならなかった。

 まだ数年は、この程度の山歩きが出来そうに思われる。

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挑戦 その6 大峰奥駆 

(挑戦・その6)

<大峰奥駆(熊野から吉野へ)>
2002.5.1(4.30の夜行バス)-5.7mzさんと2人

 テント2泊(大森山手前と葛川辻)、無人小屋2泊(持経ノ宿、深仙ノ宿)、食事付の弥山小屋1泊、山上ガ岳山頂の宿坊1泊。  

(大満足)

 数年前に大峰奥駈の様子をNHKのテレビで見て、いつかは僧院の募集する奥駈修行に参加し、白装束の山伏姿で歩いてみようと思っていたが、今回、それを登山として実現することができた。mzさんから「連休中にどこかに行かないか」との誘いがあり、私の方からこのコースを提案した。

 そして、完走できた。しかも全行程を歩き切ったのである(NHKで見た修行は、前鬼までで、奥駈道の半分しか歩かないし、荷も軽い)。
大満足。云うことなし。体の不調に悩まされることもなく、けがをすることもなかった。
無信心な私だが、登山中は御仏が守ってくれたのかもしれない。でも、終わってみての心境は「悟り」とは無縁のようである。体も頭もボーッとして、むしろ無心に近い状態になった。

 行けたのは、しかも完走できたのは、mzさんがテントを持って一緒に歩いてくれたお陰である。単独では行けなかった。

(大峰奥駈道)

 紀伊半島のほぼ中央を南北に走る大峰山系の尾根を行く。奈良時代に役小角(エンノオヅヌ)が開いた修験の道。
鎌倉時代、室町時代に天台宗と真言宗の間で盛んになり、多数の山伏が修行のためにこの道を越えたという。

 吉野川沿いの「柳の宿」から「熊野本宮証誠殿」までに75ヶ所の霊場(山頂や岩場、宿のある広場のお堂、寺社、滝などを霊場にしている)があり、大峰75靡(ナビキ)と呼ばれる。昔は75日をかけて、この霊場のすべてで祈りをささげながら縦走したという。

(疲れた)

 帰ってきた今は、本当に疲れたと感じている。今までの山行とは疲れ方が違う。7日の間、毎日8-10時間(初日は4時間)、15-18kgの荷を背負って登り下りを繰り返したためだ。

 私にとっては、重い荷を背負い連続して1週間も歩くのは初めての体験である。6年前のマッキンリー登山では17日間をテントで過したが、吹雪の日もあって2-3日置きに休養日が入った。それが、今回は、連日歩き続けたのだ。

 厳しい山行の後によく起きる足の筋肉痛は生じなかったが、体全体に、足だけでなく、腕や首にも、重い疲れが残った。「綿のごとく疲れた」とはこのことである。
帰った翌日はお腹が空いてしかたがなかった。いくら食べても、1-2時間でまた腹が空いた。

(熊野本宮へ)

 4月30日、高速バスで池袋駅前を21:35出発。翌朝、和歌山・新宮着8:00。やや早く着いたので、8:02発の熊野本宮行きバスに間に合った。
9:20、奥駈道の出発点である熊野本宮大社着。標高約200m。雨である。すぐに歩き始める予定だったが、見合わせて喫茶店に入る。モーニングセットを頼み、新聞を読んで雨が止むのを待つが、止む様子なし。

 荷を店に置き、大社に参拝。結局、あきらめて雨の中を出発した。雨で遅れた分、2時間の道のりをカットし、タクシーで山在峠(サンザイ峠。標高265m)まで入る。12:00に歩き始める。完走できるか自信はない。せめて、弥山(ミセン)まで行ければよいのだが。

(雨)
 雨には悩まされた。初日は一日中、2日目は午前中(ときおり激しい雨)、4日目は一日中(ただし、霧雨)、5日目は朝方と、4日間も雨に遭った。

 初日は雨の中でテントを張る。下着までびしょぬれ。外でじっとしていると風が体の中を通りぬけて、たいへん寒かった。手もかじかむ。
張り終わると、すぐにテントの中で着替え。服をすべて脱ぎ、乾いて暖かな下着と上着を身に着ける。
これらはビニールで包み、大切に持ってきたものだ。これでホッと一息。シュラフに入るとけっこう暖かかった。でも、こんなことで完走できるのだろうか。ふと、不安になる。

 翌朝はこれらの乾燥した衣服はすべて脱いで、ビニールに包む。そして、きのうの濡れた下着をまた身に着け、ゴアテックスのレインウエアーを羽織る。冷たい下着が肌にベッタリと張り付いて気持が悪いが、しかたがない。歩き出せば、体が温まり寒さはなくなるはずだ。

 霧雨の中を、大森山を越え、玉置神社へ。社務所の前の参拝者用テントでコンロを出して食事。標高は約1000m。ときおり雨が激しくなり、風が吹き抜けて寒い。車でここまで上がってきた参拝者が数人通る。まだ、先は長く、気分は暗い。

 幸い、香精山の登りにかかる頃には雨がやんだ。この日は地蔵岳(別記)を越え、葛川辻でテント泊。水場は10分ほど下った谷川。

 3日目、4日目は当初はテントを予定していたが、雨に叩かれたことや、修験者用の無人の小屋が次々に現れたことがあって、それらの小屋に泊まった(持経ノ宿、深仙ノ宿)。

 でも、雨が幸いしたことが一つある。6日間で行く予定だったのが、雨でスタートが遅れたために7日をかけたことだ。そのため、前半5日間の一日平均行程が短縮されて楽になった。これも完走できた理由の一つに挙げられる。

 3日目は薄日、5日目午後と6日目は快晴、7日目は曇り。

(大峰奥駆を完走した人は少ない?)

 大峰奥駆を完走した人は少ないだろう。理由の第一は荷が重く、しかも長丁場なので体力が要ることである。歩いていて体に故障が生じたらアウトである。私
の場合は、テントをmzさんに持ってもらった上に、最後の2泊は当初から食事付きの弥山小屋山上ヶ岳宿坊泊りを予定し、持参の食料を4日分に減らして荷を軽くした。

 家で計ったが、荷は歩き始めで18kg。水2Lやガスコンロ、シュラフ、換え下着3枚、換えズボン1枚、アルファ米6食、カップラーメン4ヶ、餅4ヶ、薄い餅1袋、非常食のゼリー6本等を含む。

 mzさんはテントを含めて20kgを超えた。
なお、5日目に食料が底をつき、弥山小屋の売店で弁当や菓子類を補給。また、深仙ノ宿で一緒になったおじさんからはパン4ヶをもらって、大いに助かった。

 完走者が少ない第二の理由は、勤めを持っている場合、連続して長期の休暇を取るのが難しいことだ。最低、6日は必要。せいぜい、ゴールデンウィークか、夏休みだが、夏は暑い上に虫が多そうである。
更に、女性には不可能という理由もある。これは、途中の山上ヶ岳一帯が女人禁制のためである。

 ところで、奥駆には順峰(じゅんぶ。熊野本宮から吉野を目指す)と逆峰(ぎゃくぶ。その逆)があるが、私達の歩いた順峰を行く人は特に少ないと思われる。
順峰の場合は、低い熊野(本宮が標高約200m)から最高峰の八経ヶ岳(1915m)を目指すので、登りが多くなるためだ。その全部を順峰で歩き通す人は年間に数十人位ではないだろうか。

 これに対し、吉野-弥山(ミセン)-前鬼、前鬼-熊野(これを南部奥駆道という)など、奥駈道の半分を歩く登山者はかなりいると思われる。このうち、吉野-弥山(ミセン)-前鬼を歩く人は特に多い。
2泊で歩くのだが、山頂の宿坊と山小屋(どちらも食事付)に泊ることができて、シュラフは不要だし、食料も少なくてすむためだ。

 一方、前鬼-熊野のほうはテントを持って歩くので、前者より歩く人は少ない(足の強い人なら無人小屋と玉置神社の社務所を利用することでテントを持たずに歩けるが、この間の距離は長い)。
ゴールデンウィークなのに、今回、熊野-前鬼間ですれちがった登山者は1日に数人程度である。ただし、地蔵岳だけは下の林道に車で来て日帰りで登る人が別に10人ほどいた。

(厳しい登りは香精山の登り。厳しい鎖場は地蔵岳の下り)

 山伏の修行の場なので、道はほぼ全ての頂きを踏むように付いており、登り下りが多い。ピークを通らずに巻いてもよいのにというよう所でも巻かずに登る。3時間ほど登りが続いたり、30分登ると30分下ったり、10分で上下したりする。

 登りで特にきつかったのは玉置山から香精山への登り。30分ほどの急登が2回ある。鎖はないが、木の根や岩を掴んで登る。
荷が重いので体を引き上げるのに腕力もかなり必要だった。まだか、まだかと思うのだが、なかなか上に着かない。長く、きつい登り。疲れがたまっているのに、更なる難行(なんぎょう)が加わるのだ。

 一方、鎖場も多い。地蔵岳(香精山に隣接)の下りは特に厳しかった。その他では、断崖の上を行く釈迦ガ岳の鎖場、岩場を上下したり、へずったりする七曜岳-大普賢岳間の鎖場など。登山道をはずれた所にも、修行の場として多くの鎖場があるが、これらには寄らなかった。たとえば、大日岳の50度の岩場に懸かる33尋(66m)の1本の鎖、山上ガ岳前鬼の裏行場などである。

 地蔵岳ではまず、頂上へと直登する10mほどの急な鎖場が現れる。この鎖場は少しだけ登ってはみたものの、荷の重さもあって墜落しそうな恐怖を感じて、引き返した。
巻道から頂上へ。次は下りの鎖場。20分ほどかかる長いものである。ともかく急。鎖のほかに、木の根や岩角に掴まりながら下りる。手を離せば、はるか真下へまっ逆さまだ。しっかりした木の根がいたるところにあるので助かった。

 草原状の広々した、ゆるやかな尾根歩きもたくさんあり、天国もあれば、地獄もあるという感じだった。

(3・4日目はゆるやかな尾根歩き)

 3日目は薄日がさす天気。きつい登りは少なくて、わりと楽な行程だった。歩き始めてからの3時間は特に足が軽く感じた。
ただし、mzさんが小さな事故に遭う。下り斜面で滑って茂みにうつ伏せに倒れ、小枝で顔をえぐったのだ。大事には至らなかったが、傷は目から5mmのところで、長さは2cm、深さは2mm。危なかった。

 行仙宿(行程中、最も大きい)から平治ノ宿を経て、持経ノ宿に泊る(いずれも無人小屋)。水場は5分。私達のほかに、宿泊は3人。うち2人は吉野から来た人。ここで縦走を止めて、林道を下り、温泉に入って帰るという。

 4日目は霧雨。きょうもきつい登りは少ない。ほとんどが、草原状のゆったりした尾根歩きだった。

(体力の維持)

 体力を維持するには、食べることと寝ることだ。
疲れてくると食欲がなくなる。途中にある無人小屋で1時間前後の休憩(上記以外にも、○○宿という修験者用の無人小屋が10ヶ所位ある。中はきれい)。

 持参のコンロで湯を沸かし、暖かい飲物を作ると食欲がわく。コーヒーよりはお茶や味噌汁がよい。砂糖湯に餅を入れるのも美味い。歩いているときは、ゼリー状のエネルゲン(180カロリー)を飲む。食事の後では、ときどき胃薬。

 寝るには暖かい下着が一番。

(花)

 ピンクのつつじが見ごろ。真っ白な花を付けたオオカメノキ?も多い。これらが霧雨にかすみ、晴天のときは新緑に映える。その雰囲気を写真に撮ろうと何回か立ち止まったが、結局、うまく写すことはできなかった。

 その他ではしゃくなげ。しかし、時期が早くて花はあまり見られなかった。石楠花岳は山頂周辺をしゃくなげが覆うが、つぼみもまだの状態だった。残念。

(八経ガ岳・弥山)

 4日目、深仙ノ宿泊。無人小屋。宿泊は4人。小さくて、4人で満員。後から来た単独行の女性は隣のお堂に泊る。
5日目、霧雨。釈迦ガ岳を越えると断崖上に鎖場が続く。「両部分けの岩場」、巨岩をかいくぐる「貝摺りの岩場」などは、歩くのに夢中で気がつかずに通りすぎた。雨の岩場は、足元に注意をしながら、ひたすら歩くのみである。

 孔雀岳で単独行の東京の人に会う。2回目で、初回は大きな荷を背負い熊野側から入ったが、今回はテントなしで熊野を目指すという。
無人の楊子ガ宿で食事。午後、雨が上がり青空が見え始めた。気持も明るくなる。

 八経ガ岳に着く。近畿地方の最高峰(1915m)。日本百名山・大峰山の最高峰でもある。百名山を目指し20年ほど前に来たところ。ここからは人が多く、子供連れの家族もいる。麓の天川村から登ってきたのだ。雲は高く薄日がさす。次の頂きが弥山(ミセン。1895m)。30分の距離。山頂に山小屋が小さく、くっきりと見えた。

 弥山小屋泊り。ここまで来れば完走できそう。下着だけで寝ても暖かかった。体も気持もゆったりとくつろぎ、ぐっすりと眠る。

 一方、mzさんはテント泊り。山頂周辺はテント禁止のようだが、翌日一緒に出発するために、やむをえずテントを張った。ほかにもいくつかテント。

(夏の暑さ)

 6日目、弥山-山上ガ岳(1719m)の区間では晴天が戻った。気分も晴れる。遠く紀州の山々の重なり。
前方に大普賢から山上ガ岳に至る山並み。後方に弥山。右手に、頂上までバス道路が白く延びる大台ケ原。南側を見下ろすと新緑が広い斜面に一面に輝き見事である。

昼近くには夏の暑さとなった。下着1枚となり、頭に手ぬぐいを巻く。晴れるように祈っていたのだから、これくらいの暑さは我慢しなければなるまい。

 いくつかある鎖場を慎重に越える。急下降の鎖場では、前を行く女性が手間取り、しばらく待たされた。

(山の楽しみ方)

 山上ガ岳山頂には宿坊が5つ。私達は桜本坊に泊る。同宿は1組5人のみ。前鬼まで行くという。風呂へ。ただし、湯船に湯が沸かしてあるだけで、体は洗えない。6日間も歩いたので、お尻がすれて、すり傷ができていた。

 翌朝は5:20スタート。ここでmzさんと別れる。彼は洞川温泉に下りた。温泉にゆっくり浸かり、早めに東京を目指すという。
mzさんとは山の楽しみ方が違う。
彼は山を楽しむほうだが、私は楽しむよりは辛くても歩き通し、すべての山頂を登り切るのを好む。ピークハンターである。

 5日目の行者還岳の山頂は道をはずれて10分のところ。彼は行っても行かなくてもよいと言ったが、私は頂上を目指した。彼は、奥駆けを歩き切るとか、山頂をきわめるとかは二の次で、山の中にいることを楽しむ。
また、小屋よりはテント泊りを好む。人それぞれである。認め合いながら、一緒に山を楽しんでいる。

(吉野路は単独行)

 単独で吉野を目指す。宿坊の若い坊さんが道の様子をいろいろ親切に教えてくれた。幸い夜中の雨はあがり薄日がさす。一人ひたすら歩く。誰にも会わない。

 二蔵小屋で1時間の休憩。無人だが、立派な山小屋である。ここから四寸岩山へは1時間20分の最後の登り。ややつらい。ここを下り更に車道を歩く。12:30、やっと奥千本の金峰神社に着いた。

 俳句を作る女性の一団がいる。きょうの行程で初めて人に会った。何でも見ておこうと、荷を置いて西行庵跡へ。往復約1時間。こんな山奥に西行法師が住んでいたとは。俳人芭蕉も2度訪れたという。

 車道を下り、水分(みくまり)神社に参拝。最後は壮大な蔵王堂へ。
熊野本宮で買って登山の間ザックに差していた小さなのぼりに、蔵王堂の朱印を記念のため押してもらおうとしたが、断られた。
おもちゃには押せないという。7日間の苦業の間持ち歩き、魂が入ったものに変わっているはずなのに。

 ケーブル乗り場(標高約300m)に15:20着。結局、1時間の休憩を含め10時間を歩き通したことになる。

 トイレの鏡で見ると、髭はボウボウで、髪の毛はボサボサ、乞食そのものの姿。温泉に入れなかったので体がとても汗臭い。

 近鉄・吉野駅前の茶店に入り、おこわのおにぎりとお茶を頼む。ぼう然として、ときおり大きなため息が出る。喜びを感じる余裕なし。異様な姿だったので、店の人は敬遠し近づかない。

16:05の近鉄特急で京都へ。乗客に迷惑と思い、車中にたくさんあった手拭きタオルで体を拭き、新しい下着(ぬれないようにビニールで包み、寝る時だけ着ていたもの)に着替える。17:50京都着。新幹線を利用して家には22:00に着いた。

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