シベリア鉄道

シベリア鉄道

シベリア鉄道

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(下:ハバロフスク駅)
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(下:バイカル湖手前。景色がよく見えるように窓を拭く)

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(上:バイカル湖。5月初め。列車は湖岸すれすれを2時間走る)

(下:アジアとロシアを分けるウラル山脈の線路わきに立つ真っ白なオベリスク。車窓から)

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(食堂車:朝食は目玉焼きに黒パン、それに炭酸水とブドウ液がついた。昼と夜は肉が少々とボルシチというスープに黒パン。ボルシチには普通、身が入っているはずだが、何も入っていない。黒パンだけが食べ放題。最後はコーヒーか、チャイ(紅茶)。生野菜は三切れほどのキュウリが一度出ただけ。貧しい食事だった。)Image32

(下の2枚:駅で食べ物を買う)Image03

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 (ハバロフスク散策。アムール川)Image2 

(市場)Image4

(モスクワ:泊ったホテル・レーニン廟・地下鉄エスカレーター)
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(レストランで話をしたロシア人夫妻)
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シベリア鉄道の旅の写真を掲載します。イメージをつかむことができますので最初に見てください(クリックは1回で。しばらく待つと写真が現れます)。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/CcyssK?authkey=L32Bn1FkDcY

(はじめに) 
 50歳になった記念に憧れの「シベリア鉄道」に乗った。
この鉄道はウラジオスットクモスクワ間、全長9300kmを結ぶもので、全線開通は1904年(明治37年)である。

 私が行った頃は、日本海に面する始発駅ウラジオスットクは軍港となっており、外国人が入れなかったために、そこから鉄道に乗ることはできず、鉄道で2日かかる内陸部のハバロフスクが出発点となった。
ソビエト連邦が崩壊する3年半前の1988年4月29日-5月8日10日間名古屋(空路)-ハバロフスク(1泊)-列車(5泊6日)-モスクワ(1泊)-(空路・機中泊)-ハバロフスク(1泊)-名古屋という行程で、参加者は16名(うち添乗員1名)、旅行代金は31万円のツアーだった。

 列車に乗った距離は8531km、地球の円周が約4万kmなので、そのほぼ5分の1の長さを列車に乗って味わったことになる。飛行機で飛ぶのとは違って、何となく地球の大きさを感じることができる旅だった。

 乗った車両は上下4つの寝台があり、鍵のかかる個室。私の同室は、朝日新聞の記者、自動車雑誌の編集者、製薬会社の研究員といった人達である。その他では、日本中の全ての鉄道に乗ったとか、機関車を写真で撮りまくり、とうとうシベリア鉄道を撮りにきたというマニアの人も参加していた。

 また、このツアーに何回か申込んだが、参加者不足で成立せず、今回初めて参加できたと嬉しそうに話す若いご夫婦もいた。

(車窓の景色)
 6日間、ただ列車に乗っているだけだが、車窓の眺めや人との交流、駅での買い物などで、退屈することは全くなかった。

 まずは、窓の外を流れる景色である。どこまでも続くシベリアタイガ(永久凍土を覆うマツやモミなどの針葉樹を主体とした大森林帯)は有名。その他、直径が数mもあるような白い雪の固まりがいくつも流れていく川、夕日に輝く広大な原野、工場があるのか、黒くくすんだ小さな町、白樺とポプラの林、石炭や木材、トラックなどを積んですれ違う長い貨物列車、「ダーチャ」という宿泊ができる小屋が付いた市民農園が並ぶ畑など。

 線路わきには1kmごとにモスクワまでの距離を示す白い標識(キロ・ポスト)が現れる。通路やデッキに立って、持参のカセットテープで、ロシアの合唱団が歌うロシア民謡や「遠くへ行きたい」のマンドリン演奏、倍賞千惠子の「さくら貝のうた」などを聞きながら、いつまでも、いつまでもそれらを眺めていた。

 そんな景色の中で、ハイライトがいくつかある。 
最大の見せ場はバイカル湖バイカル湖は、周囲632km、最深1620m、最大幅79km、湖としては世界最大、透明度も世界一の細長い湖である。1996年には世界自然遺産に登録されている。

 ハバロフスクからモスクワ行きの旅客列車は1日1本。列車は午後の1時-3時頃、ときには湖岸から10m位のところを通りながら、延々と2時間ほど走る。といっても、湖のほんの一部をかすめる程度であるが。

 バイカル湖が近づくと、まず乗客がやることは窓拭きである。直前のウランウデの駅で仲間同士が肩車をして薄汚れた窓を外側から拭く。景色が見たいが、寒いので、長い間、窓を開けておくことができないためだ。

 湖が見えてくると興奮が高まる。この季節、湖は凍っており、湖岸は真っ白な氷の塊で埋まっていた。小さな村を通過。氷上に黒い人影。釣り人か。
湖面は、はるか遠くまで、白く凍った部分と透明でブルーに凍った部分がまだらに広がる。曇っているため、対岸は全く見えない。列車の窓を開け、夢中で写真を撮る。
車掌に「寒い。乗客が風を引く。早く閉めろ」と言われた。客車の中は1両ごとに石炭ストーブが置かれ、暖かくなっているのだ。

 湖岸を離れ、人口60万人の都市イルクーツクへ。モスクワ発北京行きの列車とすれ違った。

 景色で第二のハイライトはウラル山脈の峠に立つ石碑の側を通過する時である。それは真っ白なオベリスク。高さは10m位か。アジアとヨーロッパの境界を示すもので、東面にアジア、西面にヨーロッパと、ロシア語で書かれている。
列車はこの側を一瞬にして通過するが、乗客はみんな、窓を開け、写真機を砲台のように一列に並べ、通過する一瞬を待って、シャッターを切る。

 このほか、モスクワに近づくと、ロシア正教の本山と言われる聖セルギー三位一体修道院(1340年代の創建)が林の向こうに見えてくる。白い城壁に囲まれて色とりどりの寺院が林立し、金色の丸屋根と青い五層の鐘楼が望める。

(列車にて)

・車掌さんとの交流
 列車は18両編成とか。食堂車のほか、我々の乗る1等寝台車(個室。4人一部屋のほかに2人一部屋のものもある)と、地元の人が乗る2等寝台車(仕切りがない)があり、それぞれに乗客係兼車掌が乗っていた。すべて女性。

 我が車両にもリュドミーラマルガリータの2人が乗車。毎日、午前と午後にチャイをサービスしてくれた。また、列車が駅を出るときは、すべての車掌が旗を片手に各車両のデッキから身を乗りだし、危険の有無や乗客の乗り残しに備えていた

 私は、二人にサインをしてもらった「シベリア横断鉄道-赤い流星「ロシア号」の旅」(NHK取材班)という本を、今も大切に保存している。この本はNHKが1982年2月12日に放映した「シベリア鉄道-9,000キロ8日間の旅」(ビデオあり)を取材したときの記録を書いたものである。

・駅での買い物
 6日間で途中39の駅に停車した。停車時間は10分-15分。どの駅にも、農家のおばさん風の太った女性が数人、パンや牛乳、ゆで卵、ゆでたジャガイモ、野菜の酢漬け、花などを売りにきており、ここでおやつを買うのも楽しかった。たいていは1ヶ、1本、一盛りが1ルーブル(220円)。

 出発時間となっても駅のアナウンスや車掌の笛はない。列車は音もなくゆっくりと走り始め、みんなはあわてて、デッキに飛び乗る。

・食堂車
 食事はいつも食堂車(ロシア語で「PECTOPAH」)でとった。給仕をしてくれたのは、やさしそうな太ったおばさん。
朝食は目玉焼きに黒パン、それに炭酸水とブドウ液がついた。昼と夜は肉が少々とボルシチというスープに黒パン。ボルシチには普通、身が入っているはずだが、何も入っていない。黒パンだけが食べ放題。最後はコーヒーか、チャイ(紅茶)。生野菜は三切れほどのキュウリが一度出ただけ。貧しい食事だった。

 これに比べて、日本の食事の何と贅沢なことか。日本の豊かな果物と野菜をシベリヤに輸出して売ったら飛ぶように売れるのではないだろうか。もっとも、あれから20年経った今では列車の食事もかなり改善されているとは思うが。

(ソ連を知る)
 ソ連のほんの一部だが、この目で見て、知ることができた。

・物の不足
ハバロフスクでは、町を歩いていると子供達が多勢寄ってきて、ボールペン、ガム、タバコなどをねだる。若者が声をかけてきて、タバコや電卓がないかと聞かれたこともある。また、列車のデッキで音楽のテープを聞いていると、若者が寄ってきて、カセットをルーブル貨幣で買いたいと言う。日本ではどこでも安く手に入る日用品が極度に不足していることを実感した。

 一方、野菜や果物も不足気味。入ったスーパーにはジャガイモと玉ネギだけが置いてあり、生野菜や果物がない。市場や街頭では売ってはいるが、高い。パンが1ヶ20円なのに、小さなリンゴが1ヶ220円、キュウリが1本250円もした。

・秘密主義
 秘密主義といった雰囲気がいたるところで感じられた。 
たとえば、列車の走行中、外を見せないように窓の覆いを下ろすことがあった。 
また、途中の駅で降りて写真を撮っていると、外套を着た警察官風の人にジロリとにらまれた。監視をしているようだ。
 
 市場に行って、果物や花が並んだところを写真に撮っていると、数人のおばさんが「写真を撮ってはダメ」というジェスチャーをしながら寄ってきた。
川を渡る鉄橋の両岸には必ず監視所があり、兵士が銃を持って立っていた。
 これらはソ連の暗い一面である。

(モスクワ見物)
 30階以上はある豪華な「ホテル・コスモス」に宿泊。外国人と金持ち専用のようで、玄関の出入りは厳重に管理されており、我々は宿泊カードを示して出入りした。

 市内ツアーでは、赤の広場聖ワシリー寺院レーニン廟クレムリンモスクワ大学などを見て回る。
赤の広場の一郭にある黒い大理石風のレーニン廟の前には衛兵が二人立っていた。このあたりをレーニンが歩いたのだと思うと、胸にぐっとくるものがあった。

 夜は同室の朝日の記者と二人でモスクワの地下鉄を乗りにいった。エスカレーターは褐色。駅は大理石造り。宮殿のように豪華。

 夜は民族料理のお店「アラグビ」へ。隣に座った若いロシア人夫妻から声をかけられ、住所を書いてもらい一緒に写真を撮った。
翌朝も同室の人と二人で散歩。団地を通り、ソコーリニキ文化と休息公園へ。
公園内の道は舗装されていない。土のまま。その道を通って近くの駅へと急ぐ通勤の人達。白樺の新緑と白い幹が朝日に映えてとても美しかった。

(大河・アムール川)
 アムール川、別名・黒竜江は、モンゴルに端を発する延長4444km、長さが世界で8番目の大河であり、ハバロフスクでは対岸・中国までの河幅が3kmにも達する。

 名古屋から空路、ハバロフスクの「インツーリストホテル」に夕方到着。早速、ホテルの裏手のアムール川に散歩に出た。対岸が見えないくらいに広い。船着場からは沢山の舟が発着。船は市民の交通の足のようだ。釣りをする少年に会う。なまずを釣っていた。

 翌朝は川岸を上流にジョギング。町を抜け、点在する農家のほうまで駆けていったが、犬に吠えられ、びっくりして引き返した。そういえば、ハンガリ-ブダペストでも、ジョギングをしたことがある。

(おわりに)
骨太で、あら削りのロシアの風土」、「親切で暖かいロシア人」というのが旅の印象である。
ふと気がついて、インターネットで調べてみると、私が乗ったハバロフスク-モスクワ間の当時の1等寝台料金は約30,000円(2等15,000円)と聞いたが、今では1等224,000円(2等123,000円)とある。ずいぶん高くなったものだ。それだけロシア経済が成長したということだろうか。
夢の一つ。列車でヨーロッパまで旅をしてみたい。

 明治37年に開通して以来、この列車に乗ってヨーロッパまで旅をした日本人もかなりいたことと思うが、私も「北京-モスクワ-ベルリン」などを列車で走ってみたい。2008年4月の今、北京-モスクワ間は1等131,000円(2等84,000円)、モスクワ-ベルリン間は1等53,000円(2等39,000円)とある。

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