海外旅行と国内登山・写真集・思い出のこの一枚
写真集(思い出のこの一枚) - 海外旅行および国内登山
<その1 「海外旅行・思い出のこの一枚」>
URLをクリックすると写真を見ることができます。詳細の説明は以下の文章を読んでください(クリックは1回で。しばらく待つと写真が現れます)。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/GrmiVE?authkey=s2BEI3NSOXg#
1.スペイン
2000年4月15日(土)-24日(月)、娘と二人で10日間、スペインの南部を巡った。
入国はマドリッド、出国はバルセロナ、フリーの旅である。切符や宿の手配、食事や買い物の時の会話は、一切、娘にまかせて、気楽に歩いた。
成田-ロンドン経由-マドリッド3泊(日帰りのトレド観光を含む)-<バス(1,780 Pts。@0.62円)>-グラナダ1泊(「ホテル・ファンミゲル」@T10,700 Pts朝食なし)-<バス>-マドリッド-<飛行機(定期便プエンテ・アエレオに乗る。他の空路よりやや安く、14,140Pts)>-バルセロナ4泊(日帰りのモンセラット観光を含む。「ホテル・インターナショナル」@ツイン13,800 Pts朝食込み、2泊。「ホテル・グランビア」@シングル12,200 Pts朝食込み、2泊。宿はそのまちに到着してから取ったが、バルセロナではまちがお祭で宿が取れずに苦労した)。
写真1.モンセラート修道院
修道院はバルセロナから60kmに位置し、全山が岩山のモンセラート山(標高1236m)の中腹(725m)にある。鉄道で行き、駅前からロープ・ウエイで修道院まで登った。写真の中央に小さく、黄色いゴンドラが写っている。
写真2.バルセロナ一望
バルセロナ市内の丘に登って街を一望。このあと、グエル公園へ。
写真3.グラナダの小劇場「ロス・タラントス」のフラメンコ
踊りの激しさに圧倒された。
放浪の民、ジプシーがスペイン南部のアンダルシア地方に15世紀頃から住みつき、そこに伝わっていた舞踏音楽を彼ら流に作り変えたものだという。
フラメンコショーはマドリッドやバルセロナでも見られるが、私達は古都・グラナダの「アルバイシンの丘」にある小さな劇場で見た。
「アルバイシンの丘」はアルハンブラ宮殿と谷を一つ隔てたところにあり、アラブの王が統治し城塞都市として繁栄していた頃、王の家臣や商人が住んでいた丘である。狭い丘の斜面には、白壁の家がびっしりと建ちならび、細い道が迷路のように続く。窓には赤い花、白壁には陶器の絵皿が飾られている。そのいくつかはかっての王侯貴族の家という。
この丘のジプシーの洞窟住居の中に舞台があった。「ロス・タラントス」、これがフラメンコショーの店の名前。30人も入れば満員になるような狭いところ。ダンサーは客から数mの目の前で踊る。
ショーは夜中の12時半から1時半まで。家族だろうか。おとな3人、子供2人が一人づつ,ソロで踊った。別に歌い手一人、ギターの弾き手一人。
男女の若手の踊りはともにたいへん激しいもので、そのリズムと身のこなしには心を奪われた。ドレスをぐっとつまみ、靴をける。タッ,タッ,タッと強く床を打つ靴の音。体をひねりながら、一回転、また、一回転。その動きがこれ以上にはないほどに早く、激しくなる。人を圧倒する激しさ。ピークにまで盛り上がったあと、一瞬の静止。みごとに型が決まった。
また、中学生位の女の子の踊りもあった。可愛くて、しかもリズムにのって巧みでもあり、何枚も写真に撮った。
あっという間の1時間。
マドリッドあたりだと舞台は大型で現代風だが、ここはそれとは異なり、舞台は狭く、エキゾチックな雰囲気があり、たいへん気に入った。
2.北欧の旅
2002年の6月、娘と二人でノールウェイのフィヨルドとスウェーデンのストックホルムを巡る旅に出た。ツアーとは異なる気ままな旅であり、宿泊先も目的地に着いてから決めた。6年後の今でも沢山の出来事や風景を鮮明に思い出す。
写真4-5.リーセフィヨルドのプレーケストーレン(Preikestolen)
プレーケストーレンはフィヨルドから垂直にそそり立つ四辺形の岩の塔。その高さは600mもある。頂上は一辺が約50mの広さ。
まずは、船でスタバンゲルからダウの港へ。ここから麓のロッジまでバスが出ているのだが、シーズン前なのでバスは途中までしか行かないとのこと。他にもロッジに行きたい観光客が数人。バスの運転手が親切で、バス会社に連絡をしてロッジまで行く許可を取ってくれた。
ロッジから頂上までは約2時間の道のり。積み重なった岩の間をゆるやかに登る。一番悩まされたのは蚊の大群。手や顔を手ぬぐいで覆って歩いたが、結局、あちこちと刺され、数日間、かゆみが残った。頂上には約20人。景色は抜群。はるか遠くまでフィヨルドが広がる。二人とも、さすがに、平らな岩の端まで行って、600m下の海面を覗き込む勇気は無かった。2枚あるうちの1枚(5)は絵葉書。
写真6-9.ソグネフィヨルド
北欧を訪れたら誰もが行く観光コース。気にいった写真を4枚紹介したい。
1)写真6.フロム鉄道
自分では一番上手く撮れたと思っている写真。線路のポイント交換で列車が速度を緩めたときに、列車の窓から身を乗り出して撮った。
2)写真7.ソグネフィヨルドの玄関口・フロムの港
海の緑の色がたいへん印象に残った。
3)写真8-9.フィヨルドの村
フィヨルドの全景写真(9)と合わせて鑑賞されたい。岸には、おとぎ話に出てくるような村が点在していた。
写真10-11.オスロ・フログネル公園2枚
有名な彫刻家グスタフ・ヴィーゲランが全体をデザインした公園。彼の作品が212体並んでいる。花崗岩のこの彫像はたくましくて、それでいて、とてもやさしそうだった。
もう一枚は、公園で出会ったおばあちゃんと孫の写真。了解を取って撮影した。
3.インド
1991年の8月、キリマンジャロ登山の行き帰りにそれぞれボンベイ(現ムンバイ)で1泊。バスで市内観光をし、また、登山ツアーで一緒になった人と二人でホテルの周辺を散策してみた。
写真12.ボンベイ(現ムンバイ)のまち
泊った「セントール・ホテル」は超豪華だったが、まちは貧しい人で溢れており、これがインドか、とあらためて衝撃を受けた。ビルの壁に張り付いたビニール・シートの住まい。
<その2 「とっておきの1枚」-思い出の国内登山>(「私の山暦」より転載)
ただし、原版はピントが合っていたが、フィルムが見つからず、写真を再度カメラで撮ってインプットしたので、ピンぼけになってしまった。残念。)
(視覚障害者登山。甲武信岳へ。雁坂峠にて)
(視覚障害者登山。赤石岳-荒川岳)
(視覚障害者登山。北穂高)
(視覚障害者登山。鳳凰三山。後方は八ヶ岳)
(六つ星の仲間と。御嶽山)
(ロッククライミング。小川山)
(視覚障害者登山。奥多摩)
(六つ星の仲間と。燕岳、こまくさ)
(視覚障害者登山。奥穂高へ)
(視覚障害者登山。雲ノ平から三俣蓮華岳へ。はるか前方に、三俣蓮華小屋と槍ヶ岳。このあと、笠ヶ岳へ)
(槍ヶ岳)
(ジャンダルムと焼岳)
(視覚障害者登山。八ヶ岳・硫黄岳)
(20歳代前半。小中高校が一緒の友人と。「上高地・涸沢へ」、「金峰山」)
(息子と。槍ケ岳)
・「高さで日本のベストテンの山にすべてに登りたい」「是非に」と全盲の島倉さん(登山時、75歳前後)から頼まれて、主に山のベテランの網干さんと一緒にサポートをして、富士山、北岳、奥穂高、槍が岳、北穂、悪沢岳-赤石岳などに登った。
(背景は赤石岳。右:北岳)
・全盲の宮本さん(私より12歳若くて脚力が強い)を上手さん(晴眼の女性)とサポートして、酉谷山(奥多摩)、甲武信岳、悪沢岳-赤石岳、栂海新道(朝日岳-犬ヶ岳-親不知海岸)などに出かけた。
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